蔵人
ここ数日は台風のせいで湿ったおかしな空模様が続いている。
晴れてる。と思ったら突然スコールがやってきて、
ここは熱帯か(笑)。
でも、自分なりの楽しみを見つけた。
それは夕方。
西の方の空を見ると、澄んだ青空の中には
暗い灰色の低い雲と普通の綿雲。
綿雲の周りは西日が綺麗に縁取りを入れている。
その空は丁度、17世紀オランダの画家ライスダールが描いた空に
そっくりに自分には思えるのだ。
絵を見ている気分になって爽やかになる。
ライスダールと違うのはその比較にならない蒸し暑さ(多分)。
それから、偶然見かけた銀色に輝く飛行機。
またもや大雨で甚大な災害が起きないことを祈りつつ。
蔵人
今日はお世話になっているおばさんからの誘いで夕方に会食。
元々は仕事上の付き合いからだが、ちょうど親子くらいの年の差で、おまけに実の息子が海外赴任中ということで、自分は息子の替わりのようなもの。
あれこれご馳走になったりする代わりに嫁や嫁の実家の愚痴も一杯聞かされる(笑)。
さて手土産でもと思い贔屓の香屋に足を運んで綺麗な千代紙で作られた匂い袋を見繕ってもらう。
包装をしてもらっている最中に新商品の香立を発見。「金魚」がモチーフの夏らしい絵柄。
そういえばここの「四季の香立」シリーズでは「七夕」柄の後が「萩」の柄で、季節がちょっと空くなぁ、と思っていたら出てきた。さすが創業三百年の老舗だけあって商売が上手い。衝動買い出来る値段もミソ。自分用に一つ購入。
今日は線香を買うのは控えた。先日旅行で立ち寄ったお寺であれこれ買ってきたばかりなのだ。買うことばかりで使わないと引き出しがお線香で溢れ返ってしまう(もう手遅れという声も)。
秋までじっと待つことにしましょ。
蔵人
最近某長野県の温泉に入浴剤が使われていることが発覚して世間を賑わせているが、有名温泉や有名観光地に付き物の「お土産」もまた随分と胡散臭いものだと前々から思っている。
旅行者はその土地に行った思い出または証明書として普通買うわけだが、商品裏のシールに製造元が記載されてなくて「販売者」のみが記載されているものは99%以上その土地のものではないと思う。
もちろん「軽井沢に行ってきましたクッキー」「天橋立を見てきました饅頭」の類は別にどこで作っていようが関係ないけど、農水産物加工品あたりが一番紛らわしい。
自分の経験では、群馬の奥地の温泉で買った「黒大豆甘納豆」は、有楽町にある某北陸県のアンテナショップに地元特産品として出ていたのを目撃しているし、先日行った岩手の山奥の温泉地の売店にも置いてあった。ついでにその岩手の売店に「だったんそばふりかけ」が並んでいたが、それは先月箱根芦ノ湖の土産物屋に山積みされていたものと同じ物。
そう考え出すと、漬物類、乾物類、あらゆるモノが疑わしく見えてくる。製造地を記載しているわけではないので「産地偽装」にはあたらないにせよ、普通に考えてこれはおかしいと思わない?
それから、どこの観光地に行ってもなぜか売っているものがありますね。
「 味 噌 汁 の 具 」
これ最強(笑)
蔵人
うだるような暑さ。
最早いまが梅雨なのかそうでないのかなんてどうでもいい。
気象庁は梅雨明け発表をいつにするか気を揉むよりも、とりあえず目の前の天気予報を素人並に当てる努力をすべきである。予想最高30℃を発表して朝7時過ぎには突破しているなんて、恥ずかしすぎ。
暑いのにへばっているのは人だけではないようで。
私の住んでいる街は下町ぽくて路地が多いせいか、猫口密度も高い。猫もあちこちでへばっている。夕方アーケードの商店街を歩いていたら、とある店先で1匹の猫がかなりの人通りにも動じずべたっと寝そべっていた。
また夜に風呂屋から帰る途中小道を歩いていると、トタン屋根の上に1匹、その近くの道の両脇に1匹ずつ寝そべっている。
全員の共通項として「べちょ」っと寝ていることである。まるで床の上にスライムを置いたようであり、「もうやってられないよ」感が漂う。
まだまだ夏は始まったばかりだよ。
がんばれ、がんばれ。
蔵人
もう一週間近く前のことになってしまうが、世間から見ると超早い「夏休み」をとって実家に数日帰省していた。
こないだの日記にも書いたと思うが自分の仕事は季節的変動が激しく、今は暇な時期で、8月の方が却ってやることが多かったりするので休みをもらって実家で車の運転の練習でもすることにした。
久々にハンドルを握って3日目にはもう随分慣れてきたので父母と一緒に近くの陶磁器の里へドライブに行った。
後ろの席から母が話し掛ける。
「・・・蔵人はいつ免許更新したの?」
蔵「去年だよ」
母「5年でしょ?」
蔵「そうだよ」
母「・・・お母さんはもうバイクの免許は更新やめようかと思うの」
蔵「そう?身分証明とかに必要ない?」
母「別に・・健康保険証があるしね。スクーターはもう全然乗らないし」
母は自分が中学生の頃から20年以上生命保険会社の外交員をやっていた。
父はその頃から病気がちになり多くの収入が期待できない中、姉・兄・自分を高校・大学へ進学上京させるために事実上「大黒柱」として働いてきた。
毎日昼はスクーターに乗って得意先を廻って、夕方帰ってきてからは家族の食事を作りながら。
数年前に定年退職してからは外出もめっきり減り身体も随分衰えてきているようだが、それまでの毎日を見てきている自分には母に好きなだけゆっくりしてもらうのが一番のようにも思えるので特に何の口出しもしてはいない。
「お母さんね、夢の中でばかり、スクーターを運転しているわ・・・」
一言、ぽつりとつぶやいた。
母はまだ、夢の中で仕事をしていた。
夢の中でも肩の荷をおろせるのは何時の事だろう。
蔵人
GWの前後は本当に休みもロクに取れないほど忙しかったのだが、その頃仕事をし過ぎたせいか、最近は暇になってしまい、残務整理もやり尽くしてしまった。
暑いし、もう仕事は止め。
夕方にふらぁーっと近所の電気街に出かける。
世界に名だたるこの街は未だに戦後の闇市的雰囲気が漂い、駅前も駅も正直古汚いのだが、鉄道の新線が間も無く出来るのにあわせて駅前の再開発と駅舎の改造が進められている。
この前この駅を使ってまだ1月ほどしか経っていないのに駅の改札内の構造が変っていてビックリ。しかしまだ改造は仕掛中。何せ電気街口の改札から私の使う3Fのホームまで未だに2Fの(線路に落ちそうな程狭い)通路と階段を経由しないと辿り着けないという前時代的な構造はこの駅が生まれ変わった暁には消滅しているはず(と信じたい。。。)
電気街にあるとあるCDショップで買ったのはヴィヴァルディのオペラ。
ヴィヴァルディといえば「バロック」「協奏曲」「四季」ですね。
でもバロックの時代、当時の人たちの一番の関心はオペラなんですよ。数百年間無視され続けた宝の山に最近ようやく光が当たるようになっていい演奏が出てくるようになりました。軽~く散財。もちろんポイントが貯まる某クレジットで。
それにしても暑い。
家の中は熱線が充満している。風通しを良くするためにベランダの窓と玄関を開け放すけども今日は涼しい風が全然入らない。うへっ。
晩御飯のあとは身体を少し冷ますように昨日八百屋で買っておいた「マユカメロン」を切って食す。聞き慣れない品種だったが、黄色くてハンドボール位の大きさの、真丸い「瓜」である。食べてみると、あっさりした甘味とサクサクした歯ざわりの白い果肉で、これは「メロン」ではなく正真正銘の「瓜」だろこれは。何で気取って「メロン」なんて名前で売り出すんだろう?私は「瓜」のほうが季節感が感じられてこの時期は好きなんですけどね。
このままでは暑くて寝れない。
寝るまでのしばらくの間、とても不本意だけどエアコンをつけることにしよう(笑)
蔵人
久しぶりに土曜日にスポーツクラブへ行った。
平日はちょくちょく来ているのだが、土日は数ヶ月に一度くらいしか行かない。
来ているメンツも見慣れない人が結構いる。
きょうはゲイ業界で有名な人が来ていた。
自分が知っている位だからかなり有名である。
この人はどうもご近所らしくたまに自分の生活圏で見かけることがあり、
ここのスポーツクラブで過去にも土曜日に見かけた事があった。
周辺にはオネエさま達が集うので有名なジムもあるのだが、
そういうところだと顔バレ過ぎで集中できなさそう。
んな訳で敢えて地味なここを選んでいるようにも思える。
でもその人はやっぱりある種のオーラだしまくりで
偶に視線が合ったりもする。
キャー私を獲物にするのはやめてぇ(妄想)。
わたくし、痛いのは嫌いなのよ。
だってその人は有名なSMクラブのママなんだもん。
蔵人
かの国への派遣部隊がほぼ入れ替わるという。
入ってまだ数ヶ月しか経っていないような気がするのだが。
これではかの国の人々とのコミュニケーションは期待するほうが無理。
結局「先ず派遣有りき」という事だったのだろう。
かの国の人々も(゚Д゚)ハァ?という思いはないだろうか。
邦人襲撃事件について国を代表する立場の人が口を開くと
「自己責任で・・・」とか「危険地帯だから再三警告を・・・」などの
言葉が出てきて心の底から幻滅する。
あまりにも「我が身第一」自己中心的な思考から出てくるコメント。
敢えてかの国に乗り込む一般人は別に自分の命が惜しくて
行動している訳ではないのに。
蔵人
予定した仕事が予定通りに終わらない。
焦ってしまうと、気持ちが空回りしてますます進まなくなってしまう。
帰りの電車の中で、じたばたしても始まらないから、落ち着いて構えていれば
少しは進んだかもしれないのに、と反省する。
そんな日が昨日と今日、二日連続。
蔵人
最近読んでいる本に書かれていた印象的な一言。
「・・・早く病気を治してくださいと願い事をすればするほど、病気である現在の自分が惨めに思えるのです。病気になれば、一刻も早く幸福な病人になるようにすれば良いのです。・・・」
なるほど、見事な発想の転換。
ちなみに、ここでいう幸福とは物質的なもので満たされるものではないことは言うまでもありません。