陽性者と家族の日記 “ひろき”

闇の違い

ひろき

ロンドン東部には、その昔、切り裂きジャックが出没したというエリアがあります。産業革命のころに栄えていただろうそのエリアを今歩くと、はやり暗い。。。何もない、という暗さではなく、その昔、何かがあった、誰かがいたのであろうという暗さ。

イタリアの中世の町並みを歩くと、闇はさらに深いように感じられます。石畳の石、ひとつひとつに人間の様々な感情や記憶が染み込んでいるような粘着性のある暗さです。

日本の闇というと、明るいですね。東京なんか、闇がもはや“暗闇”ではない。一方で、京都の闇は温かい気がする。

よく、国によって気候や日差しが違う、と言いますが、ヨーロッパに住んでいると日本より街灯が暗いだけに、闇にも色々違いがあることに気がつきます。

南仏ニースへ

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先週末、ニースに行ってきました。そう、おフランスのおニースでござんす(笑)。5月ですが、もう夏の日差しで、ビーチで日向ぼっこしたり海水浴ができるくらい。同じヨーロッパでもロンドンと時間の流れがもっとゆったりしているので、4日間だけだったのに1週間ぐらい滞在したように感じました。

迷路のように入り組んだ旧市街を散策したり、色とりどりの野菜や花束を取りそろえた市場をのぞいたり、ニースは散策しているだけで楽しめます。海鮮も美味しいし、ケーキやパンなんでも美味しい、食も豊か。

とっても素敵な街だけど、ここに住むとなるとなるとどうなんだろう。観光客も多いし、そもそもナイトクラブやバ―なども多い、いわばパーティタウン。ホリデーが日常となると、ホリデーはホリデーのままなのだろうか?と。とっても素敵な街。だからこそ、ときどき訪れるのがちょうどいいのかもしれませんね。

京都の香り、ロンドンの香り

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約10年ぶりに京都を訪れました。幸運なことに、パートナーと一緒に桜の時期にギリギリ間に合いました。イギリスから初めて日本を訪れる彼と、時差ボケでヘロヘロになりながら、ケンカしながら訪れた京都。桜をみるなり、さすがの皮肉屋のイギリス人の彼氏も、「今までで訪れた街のなかで最も美しい」だって。

日本人の私でも京都で花見ができるなんて、本当にラッキーでした。久々に京都を訪れると、萌える若葉や寺から漂ってくるお香の香りなど、街の香りがあることに気がつきます。視覚や聴覚、気候や味覚では表現できない、嗅覚。一番文章で表現しにくいものなのかもしれません。

ロンドンに戻っても、この香りのことを思い出しながらうっとりしていました。日本の友人たち曰く、ロンドンにはロンドンの香りがあるとのこと。香水の匂い?それとも、そこに住む人の体臭、はたまた地下室の湿った匂い、というひとも。住んでいると慣れてしまって、鈍感になっていたのでしょう。

写真や映像でバーチャルな世界旅行ができる昨今、香りで時空や空間を超えることもできるんですね。

”なんとなく”春

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イギリスの春は”なんとなく”訪れます。もちろん暖かくはなりますし、水仙や桜でさえ咲くのですが、日本と比べると四季の移り変わりが”なんとなく”なんです。今週末はイースター。ヨーロッパで春の訪れをつげる季節です。

そもそも考えてみると日本ように季節の移り変わりがはっきりしている国は少ないのでしょうね。年中行事や花や旬の食べ物。長く海外に住むとついつい日本のことを美化してしまいがちになります。

でも、海外に出て自分の国の良さがあらためて見えてくることもあるのも真実。もうすぐ花見に季節だなとか、夏は花火大会だな、とか。日本にいるときは当たり前に思っていたのに。

イギリスにも年中行事や季節の風物詩はあります。せっかくですから、目の前のことにも目を向けたいですね。要は見るものの視点や季節の移り変わりを感じる心が大切なのでしょう。さっ、今週末はどこにでかけようかな。

冬はひきこもり

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ヨーロッパの冬は暗いです。日本よりも極端に日照時間が短くなります。何よりも、正月を過ぎるとイベントがないので、特に長い。日が当たらないせいでしょうか、最近は外出するのもおくっくうで、週末なんか室内でずっとテレビを見て過ごす時も。

日が当たらない、気持ちがふさぎ込む、活発でなくなる、の悪循環ですね。冗談でなく季節性のうつなんかもあるらしいので、こういうときは積極的に外に出て運動をして、日にあたったほうがよいのでしょう。

そうこうしているうちに3月末になって、周りのヨーロッパ人たちの夏に向けてスタートダッシュ(ちょっと大げさですが、季節感としてはイギリスは冬と夏しかないんです)から遅れてしまいます。

春、いやイギリス的にいうと初夏までもうすぐ。水仙の花も咲き始めました。イギリス式に楽しいイベントや休暇のことを考えながら、あと1カ月ぐらいをサバイバルします。

あいまいさの優しさ

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ここ数年、毎年年末は日本で過ごすようにしています。帰国するたびに知人や友人らが会ってくれるのですが、会う人全員に私のセクシャリティについて話しているわけではありません。

中でも、ありがたいことに元上司夫妻と再会する機会があるのですが、おそらく、お二人は私のセクシャリティについて知っていて、あえてきかない、しゃべらない。それでも、会話は弾むし、会って楽しいし、気まずいことはないんです。

こういうあいまいさ、イギリスにいるとなかなかないような気がします。お互い分かってて言わない、触れない、とても日本的な対処の仕方です。以前はそれが苦しかったのですが、そのあいまいさに含まれた優しさを最近、感じることができるようになりました。ありがたいですね。

思いやりと理解

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先週末からパリの同時多発テロのニュースが世界を震撼させています。私が住むロンドンでも、フランスはお隣の国ですし、過去にテロの標的に何度もなっているために、緊張感が走っているのを肌で感じます。まずは被害者の方のご冥福をお祈りします。

ちまたでは、なぜレバノンやトルコでのテロやロシア機の墜落事件があったのに、パリのテロだけ特別にマスコミの扱いが大きく、哀悼の意を表す人が多いのか、といわれています。自分がどれだけ世界中のテロの被害や、中東の情勢や歴史を理解しているのか、考えさせられます。

憎しみは偏見や無知、そして相手への思いやりの欠如から生まれるのだと思います。まずは、周りの家族、友人、知人を愛すること、理解しようと努力すること、それが今回のような悲劇を繰り返さないために個人ができることのひとつなのではないでしょうか。

恋愛偏差値

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久しぶりに人と付き合い始めると、自分の恋愛偏差値の低さにびっくりします。以前も同じようなことを書いた記憶があるのですが、知らない間に人を傷つけたり、人をいたわることを忘れたり、傷つくのが怖くて本音を話せなかったり。自分でも子どもか、と思うくらい恋愛偏差値が低くなっています。

新しい相手と付き合い始めて、6週間ぐらいなのに、すでに別れの危機が2回も。それも僕の発言のせいで・・・歳を重ねると、だんだん独りが心地よくなって、無理したり、傷ついたりするのも面倒になって、相手に本音を話せなくなって・・・。お前は『オトナ女子』か!笑。

これも人間修業の一環でしょう、まともな人間になるためのプロセスだと思って、20年遅れて、人間成長する気で、がんばります!

新しい出会い

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 なかなか、プライベートでいいことを報告できなかったのですが、最近、久しぶりに良い出会いがありました。以前からの知り合いだったのですが、関係が急に進展して、定期的に会うような関係に。

 そこで問題になってくるのはどのタイミングで病気のことを相手に話すか、です。個人的には早い時期で言って楽になりたいので、早々に打ち明けると、意外な答えが。なんと、相手も陽性者で、健康状態や服用している薬まで一緒だということが分かりました。こういうことってあるんですね。

 詳細は割愛しますが、相手が感染した話がなかなか複雑で、彼女がいたときに、元彼ができて(つまり元バイ)、元彼経由で感染して、彼女にも感染させてしまった・・・って、かなりの修羅場をくぐってます。そんな話をきいたら、自分一人で悩んでた問題より大きな悩みを抱えてたんだって。
 
 まっ、今は昔のこと、先のことは考えず、目の前の温もりを大切にしてみます!

 

ゲイと同性愛者

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先月に続き、日本のける同性婚に関する議論についての違和感のお話。

突然ですが、私個人は自分のことをゲイだと思いますが、“ゲイ”という枠の中にひとくくりされることに対して抵抗がある方もいると思います。そもそも、“ゲイ”はキリスト教文化圏における同性愛者への差別に対抗する形で同性愛者が自分たちを〝ゲイ〟と呼んだことから始まった、と言われています。

“ゲイ”という言葉を使用することで、議論が加速するというメリットもあると思います。その一方で、欧米圏が経験した(している)差別や弾圧という歴史的文脈をスキップする形で、まるで今まで存在しなかった新人種に対する呼び方、もしくは、ある特定のステレオタイプイメージと結びついた人たち、欧米の文化に感化された人たち、という枠組みでひとくくりにされると、議論が浅くなってしまう危険性があると思います。

19世紀まで衆道という伝統があった日本。同僚、友人、親戚にも同性を好きになる人がいる、というリアル感を持って、地に足のついた議論をしたいと思います。自分たちのことは借り物ではない自分たちの言葉で、自分たちの感覚に合わせて議論しないと、いつまで経ってもリアル感がわかないのではないでしょうか。