陽性者と家族の日記 “なぎさのペンギン”

A Love Letter

なぎさのペンギン

11月の始め、長年連れ添ってきた僕の大切な人が 急に亡くなりました。

(前回の日記では ぼかして表現していました…)

 

四十九日の法要も終わったので、僕は 彼に手紙を書きました。

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はろー。しばらく会ってないけど 調子はどう?

君がいない日常に ちょっとだけ慣れてきたよー。

もちろん、突然過ぎて 今でも完全に受け入れられたわけじゃないけどね…

グワーッと号泣して スッキリ…ってな具合に解決できればいいんだろうけど そんなに単純なものじゃないな…傷が自然に乾くまで じっと待つしかないんだと思う。

 

毎晩、夜遅くまで…言葉じゃなく、スタンプの連続技でやりとりしていた僕らのLINE。

君の妹さんたちと一緒にテーマパークに行ったとき

「お兄ちゃんたち、バカップルじゃん!!」

と笑われたとき…僕らも顔を見合わせ 照れて笑ったね。

君がお母さんや妹さんに自分のことをいろいろと話してくれてたおかげで、僕は君の郷里に何度も同行して楽しい時間を過ごすことができた。

 

君が亡くなった後 僕は君のお母さんと一緒に いろんな役所を回って手続きをしたよ。

その合間に部屋の掃除をし 僕が知らなかった幼い時からの君の物語を たっぷり聞かせてもらうことができました。

欠けていたジグゾーパズルのピースがだんだん埋まっていく中で 僕は改めて 君を思った。

 

君はシャイで寡黙で 自分について多くを語ろうとしなかったね…なぜだろう?

君が何を考えているのか分からず 困り果てたりもしたけど…結局 僕は君から離れなかった。

優しそうな外見とは裏腹に 内面は気難しいところがたくさんあったよね。

でも それって 僕もそうだし。似たもの同士だって最初っから気づいてたんだよね。

僕は 周囲に誤解されやすい君をずっと守りたかった。

僕が苦しんでたのと同じ道をたどってるのが分かってたから ほっとけなくて。

 

「じゃ、また明日ね! おやすみー」

「おやすみー」

最後の夜、いつもと同じLINEのスタンプ会話。

ふたりとも かわいいキャラクターが大好きで…

ねえ!(^^)!

 

でも…僕たちに 翌日は来なくて 君は 僕の知らない遠くへ行っちゃった。

 

一緒に旅行に行った北海道や東北、関西、九州…楽しかったね。

女性アイドルグループの握手会、仙台や神戸にまで遠征したね!

でも…

一緒に近所のスーパーで買い物をし “おいしいね” って同じものを食べ、

映画館やコンサートの帰りに まったりとお茶しながら感想を語り合い、

隣の助手席で スマホの音源をFMトランスミッタに流しゴキゲンな顔して、

お互いの旅の前に 駅前の改札や空港の出発ゲートで笑顔で見送りあった、

何でもない一瞬一瞬こそが かげがえないものだったと思います。

 

ぶっちゃけ 一緒にいられたら もうそれだけでよかったんだよ。

君がどこへ行こうと、何をしようと構わなかった。

ずっとそばで輝いてくれていた 僕の太陽だったからね。

実は…パートナー っていう言葉の響き 限定的過ぎて好きじゃないんだ。

恋人で、親友で、親子で、兄弟で…もしかしたら…戦友でもあったのかな、

とも思います。

 

君のことを好きになって ほんとうによかった !

こんな幸福な経験は たぶんもう2度とできないだろうと思う。

 

できれば ずっと あの止まった時間の中で暮らせたらいいな…

 

でも…

共に暮らした時間の中で 君から教わったこと、影響を受けたこと、ともに分かち合ったことは…僕の中に今も生きている。

思い出じゃなく、経験として…君が僕の中にいるって はっきり分かる。

 

なので 僕の中に生まれた君のために

僕は もう一度僕の明日を始めることにしました。

 

“君の分まで生きる”のではなく、僕の中にいる君と一緒に

僕の人生を再始動しなきゃ。

この先の数十年を嘆くよりは、君も僕の未来を望んでくれてるはず…

でしょ?(^-^;

 

君と過ごした時間に イヤな思い出はひとつもないよ。

これが 僕の人生の最大の誇りだし いちばん大切なたからもの。

14年間 ほんとうにありがとうね。

一緒にいられて最高だったね! 君の笑顔は 世界一だよ!

 

そして これからもよろしくお願いします(^_-)

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帰り道は遠回りしたくなる

なぎさのペンギン

何十年かの人生を生きてきて

人よりずっと遠回りをしてきたと思ってきました。

 

でも ムダだった、とか 後悔している…という気持ちはありません。

もっと楽に行ける近道はあったのかも知れないけど…

近道の存在を知らなかったのか…

知っていて あえてそちらを通ろうとしなかったのか…

よく分からないけれど…

(たとえ遠回りしたとしても)結果的にたどりついて

今 自分がいる場所の景色が やっぱ最高だな! と思うのです。

 

つい最近、自分にとって 生まれて初めて経験したできごとがありました。

正直言って、HIVの感染を知った時の何百倍、

いや とうてい比較なんかできるようなレベルではない衝撃…

 

こんな結果になることが分かっていたなら、もっと楽で

安全に行ける近道を選んでおけばよかったのかな…

今回はさすがに….楽天的な僕でも そんな思いが

頭をよぎらなかったわけではありません。

 

だけど…どんな道を選ぼうと…

いや たとえ本意で選んだわけではない道だったとしても…

その先にも 続く道があるんだなあって。

 

”運命の分かれ道”という言葉があります。

しかし 最後の目的地…運命?がどこなのか…

僕たちはだれ一人 知らされていません。

自分では「近道」と思っていても 実は ゆるやかに蛇行した道を

遠回りしているだけなのかもしれない。

 

大切なのは いまこの瞬間 自分がいるこの場所の風景を大切に

その先に続く道を恐れないことなんだろう、と感じています。

 

悲しみって 涙を流せるかどうかでは決められない

笑顔の陰で ずんと重く 黒く澱んで動かない

ごまかせそうで 絶対にごまかせない

とても手ごわい感情だって分かりました。

 

それでも…

どんな結末が待っていようと 人生は一度きり。

どうせなら (^^) をたずさえて歩いて行きたい。

 

僕にとっては 人生において最大の岐路に立っている「現在」…

たとえ時間がかかっても 未来へ続く道の彼方に

静かな暁がおとずれる瞬間を 待っています。

 

 

Mystery of Love ~ シンクロニシティ

なぎさのペンギン

 

いつのまにか春を通り過ぎ、初夏を思わせる陽ざしが輝く季節になりました。

みなさん、いかがお過ごしですか?

僕は 変わらず元気でやっています(^^)

 

春から夏、というのは 僕にとって特別な季節です。

15才、高校一年生だった今ぐらいの時期に 入学したばかりの学校で同じクラスの男子生徒にひとめぼれをしました。

寝ても覚めても 頭の中に浮かぶのは「彼」のことばかり。

こちらから積極的に話しかけてみたのだけれど、相手は大勢いるクラスメートのひとりとしか見てくれなくて 僕のことには興味がないみたい。

なんとか もっと距離を近づけたい、彼のことを知りたい。。。

体育の時間、彼の着替えを横目で見て 裸の美しさを盗み見たときの ドキドキとした感覚。。。切ない思い。。。

当時、夢中になって読んでいた本が、アメリカの作家、J・D・サリンジャーが書いた「ライ麦畑でつかまえて」。

直接的に”ボーイズラブ”を扱った作品ではないのですが、背景となる全寮制私立男子高校というシチュエーションに 自分の姿を照らし合わせて。

今にして思えば ワロタ~WW と一蹴したくなるようなセンチメンタルな自分ですが、当時は真剣でした。

いまだに 夏みかんのような心地よい甘酸っぱさが 胸の奥にありますね。

 

それから約二十年後、僕は HIVに感染した、という診断を医師から受けました。

そう あれも。。。ほぼ 今ぐらいの 爽やかな季節。

緑が鮮やかで美しい風景と 自分に突きつけられた鋭い現実。

あの日がどんなに辛かったのか 鮮明に憶えています。

 

そして さらに十数年後。

現在の僕は 50才を何年か過ぎています。

顔にきざまれたしわ、肌のたるみ、目立つようになってきた白い髪。。。

いくら外見を飾ってみたところで ほんとうの自分はごまかしきれません。

今のオレに 足りないものって?

 

数年前から 自分の仕事の幅を広げるために科学を学び始めました。

自分が病気にならなかったら。。。こんな展開にはならなかった。。。

 

すべては そのときのめぐりあわせ、シンクロニシティ。

そのときハッピーに感じたことが そのあとの”自分史”にとって良い結果をもたらすのかどうかは はるか彼方の未来にならないと分からない。

不思議なものです。

 

十数年前の初夏、僕は ”HIVに感染したことが、自分の人生にとって最大のインパクトとなるできごとに違いない”と確信しました。

ところが、それは間違いでした。

 

自分にとっては、病気が分かった後の十数年間の方がはるかに大変だったのです。

そのほとんどが HIVやAIDSとは関係のないつながりの上で発生したこと。

病気になろうとなるまいと 人生って 先へ先へと続いて行くものなんだ。。。

ってゆうか 健康でなかったら。。。悩みが生まれる余裕すらないのかもしれない。。。

苦しさを感じるたびに、そう思い知らされました。

 

Life finds a way。。。

「生物は 自分が生き(残っ)ていく道を(必ず)見つける」という言葉があります。

どんなに大変なときでも。。。人は ちゃんと自分なりの方法を見つけ 乗り越えていくことができると思う。

 

もちろん、そのことを可能にしてくれた。。。いろいろな偶然に感謝をしなくてはいけないですね。

「治療」という強い味方が自分をサポートしてくれたこと、たまたま それを可能にしてくれる恵まれた場所や時代に生まれ合わせていたこと。。。

僕を世の中に送り出して、五十数年後の現在の自分の いま味わっている気持ちの ”おおもと” を作ってくれた 父と母にも ありがとうを言いたい。

そして この十数年 僕とともに歩んでいるパートナーにも 心からの感謝を。。。

 

高校時代の”片思い”が恋愛に成就しなかったからこそ「現在」があるのなら。。。

卒業以来、もう30年以上会っていない彼にも Thank you と言っておくべきだな~。

 

今月(2018年4月)の下旬から公開される映画「君の名前で僕を呼んで」を見たら。。。

世間知らずで幼稚で、ピュアでまっすぐひたむきだったあの頃の自分や 当時の彼の面影にも会えるかな?

ちょっとドキドキしている♡こっ恥ずかしい おっさんの自分です。

 

 

 

 

 

 

 

 

優しい時間

なぎさのペンギン

今夜は クリスマス・イヴ。

年を重ねるごとに、時間の流れの早さが身にしみます W

今年いちねんのわが身を振り返って….

ここはよかった、あそこはもっとこうするべきだった、と

あれこれ振り返る そんなひとときが好きです。

今年できなかったことは 来年に引き続いてのお楽しみ !

と 自分の気持ちに余裕があるのは

いまの状態がそれなりに健康を保てているからでしょう。

優しい気持ちでいられることに そんな時間の流れに

感謝。

(長年のパートナーと”以心伝心”の間柄になれたのも感謝)

 

2017年、自分は よくがんばったなあ と思います。

一生の中でいちばん忙しく、と形容できるほど 肉体的にも精神的にも疲れ

やり残したことも多々ありましたが とても充実した一年でした。

 

日々のばくぜんとした生活の中で、仕事の上で、友だちとの語らいの中で

過去の自分が学んでいないことが こんなにたくさん あるのか….

と ハッと我に返ったのが 数年前。

 

病気だから

周囲にはなかなか理解されにくい(と思える)生き方を選んでいるから

人生にいくつもの秘密を抱えているから

そんな生き方をしている人はそれほど数は多くない…

だから….

と 当時 自分で自分の可能性を閉ざしてしまっていたと思います。

 

実は 世の中のみんなが そんな人たちだらけであった、

ということが実感として理解できるまで ずいぶん時間がかかりました。

自分が外の世界に目を向けなかっただけ なんだけど。

かなり遅まきでしたが それでも そのことに気がつけて良かった。

 

現在の自分は 大きな声で誰かの気を引かずとも

自分に必要なものは自分の感覚で探し出し、見定め、

自分に取り込むことができるようになりました。

食べ物を栄養として吸収するみたいに 自分にとって未知のことを

ちょっぴりドキドキしながら、時々 悩んだり音を上げたりしながらも

自分の体の中に摂り込んでいくプロセスは 楽しいですね。

 

病や事故で亡くなった親しい人たちも 今年も何人もいました。

高齢の母親も自宅での生活が困難な状況になり 数年前に家を離れました。

でも 落ち込むのではなく、いつかは自分にもやってくる運命として

大切な”予習”のためのレッスン教材として生かせた。

そのことも大きな経験でした。

悲しみや痛ましさからでないと学べない現実って たくさんあって

ミステリーじゃないけど 終わりの方に近づいたからこそ

やっと本当の意味がわかってくる、ってこと

数えきれないくらいですから…

 

女性や子供、といった これまで自分の人生とは

あまり縁のなかった人たちと多くの接点がもてたのも

今年の収穫でした。

 

本当は…

いまでも 自分の 僕の子供が欲しいな、と思いますが

その夢がかなわなくても構わないので

これからも 若い人たちとの接点を積極的にもちたい、と思います。

僕は親になった経験はないけれど 彼らと一緒に過ごすときは

いつも穏やかな 優しい時間です。

 

日本は すでに超高齢化社会。

自分もこれからどんどん年をとっていくわけです。

自分たちと同世代、より上の世代の人たちへの共感も大切にしつつ

やはり 僕は 未来を若い人たちのために残したい、と思う。

これから大人になる人たちに 未来を選んでほしい。

 

 

古い書物を燃やし すべてを新しい人たちにまかせなさい。

 

年末に観た「スター・ウオーズ 最後のジェダイ」でも

あの!伝説のジェダイマスターが豪快に笑っていましたっけ W

(未見の方にはちょっとネタバレ?)

 

うん、時代って いつだってそうやって変わっていくんです。

これまでも そうだったし これからも そうでしょう。

 

 

2018 年まであとわずか、もうすぐカウントダウンが始まります。

みなさまも素敵な聖夜と年末年始をお楽しみください。

風に吹かれても

なぎさのペンギン

 

台風が去った後に いきなり木枯らし。。。

“もうそんな季節なのか”と思いつつも

先日のニュースにはちょっとびっくりさせられました。

台風の去った後は ”フェーン現象”で気温が急上昇する、

というのが”相場”、よくあるパターンだと思っていたのに。。。

 

でも よく考えたら 不思議でもなんでもない話なんですね。

風は気圧の高いところ(高気圧)から低いところ(低気圧)に向かって吹きます。

南にあたたかな高気圧があれば北上する台風に向かって暖気が流れる、

でも 北に冷たい高気圧がある場合は 南にある台風に向かって

北から冷気を流し込む、という 分かりやすい理屈で。

 

夏に吹く風は爽やかで心地良いけど、冬に吹く風は寒くて厳しい。。。

これはあくまで人間の感じ方であり 風にとったら知ったことじゃないし

人間に加減してくれるわけでもありません。

ただ、気圧の高いところから低いところに向かって吹くだけ。

風は気まぐれ、と言われますが 本当に気まぐれなのは風じゃなく

自分に都合の良いような解釈をしちゃう 人間の方なんでしょう。

 

春のはじまりは「春一番」、冬のはじまりは「木枯らし」。。。

日本人は 季節のうつろいを ”風” という自然の言葉で表現してきました。

もちろん 自然だけじゃなく。。。

それまで追い風に乗って飛ぶ鳥を落とす勢いだった人たちが、

あることをきっかけに風向きが変わり 突然 逆風にさらされるハメに。。。

なんて。。。最近 どこかで 何度もお目にかかったような風景。。。(^-^;

人間の移ろいやすい心を表すときにも 「風」は 比喩的に使われていますよね。

 

風の”勢い”や”流れ”って 自分にとって都合が良い時は歓迎するべき存在ですが

その反対の立場に立った場合には怖いんだなあ。

だからこそ みんな ”風の吹く向き”を読みたがるんだろうし

予想外の風にあおられて炎上することを恐れているんだろうな。

 

でも そんなことを気にする人たちばっかりの世の中って

ちょっと どうなんだろう?

“意外性”を恐れて 現状維持に終始してばかりじゃ

“新しい何か”が生まれにくくなるんじゃないないの?

(もう とっくに なってる?)

と  思う気持ちが あります。

 

風がどちらの方向に向くのか、雲がどちらの方向に流れるのか分からない

でも そのことによって失われる人の命を 少しでも救いたい。。。

天気予報は そんな人々のささやかな願いから始まったそうです。

 

いつのまにか 単に世の中を動かすための情報源(材料)の一部になって

予報が当たりか外れか、その部分だけに興味が集中しているような気がして。

 

風の吹く理屈すらよく知らない人たちが なぜ?

 

天気の話だけに限りませんが

予測可能なことだけを大事に抱えて生きてくのって

なんだか 味気ないような気がします。。。(^-^;

 

意外なエピソードを含めて 全部がまるごとになってこそ

ホントに生きてる ってことだと思いますから。

 

どんな風に吹かれても

時には避けながら

時には追い風として うまく味方につけながら

何が起こるか分からない海で 自分の船に帆を張り

なんとか乗り切って 先を目指す、

僕は そんな風に行き(生き)たいです。

読めない風向きみたいに いろいろと複雑な時代ですけれどね。

 

北風の強い、青く澄んだ空を見上げながら

ちょっとドヤ顔 で。

 

 

 

 

 

 

なぎさのペンギン

Luminous

なぎさのペンギン

フリーアナウンサーで、歌舞伎俳優・市川海老蔵さんの妻、

小林麻央さんが 乳がんのため亡くなりました。

34才でした。

 

15年近く前になるのかな….

麻央さんがキャスターとして登場した、TV番組「めざましどようび」の初出演の回を

僕はリアルタイムで見ています。

当時はまだ女子大生で 初々しさはたっぷりだけど アナウンサーとしてはほぼズブの素人。

活舌もかなりあやしかったし、どうせ かわいい見た目を重視した起用なんだろうなあ…と

そんな程度の印象でしたが…

 

数年後、ニュース番組のキャスターに抜擢されたあたりから 驚くべき変化を見せました。

堂々としたたたずまい、大きな目を輝かせ まっすぐに相手を見つめる”まなざし”の威力。

珍しいことなんだけど…僕は 彼女に(一方的な)恋をしてしまったのですWW

 

もちろん、こんな魅力的な花が野原に放置されるわけもなく…

数年後、彼女は市川海老蔵さんと結婚。梨園の世界で、旦那さんを支える奥さんとして

新しい人生を踏み出しました。

2人のお子さんにも恵まれ、絵に描いたような幸福な生活を送っているとばかり思っていたのに…

 

昨年の今ごろ、夫の海老蔵さんが

「妻は乳がんを患っております。

容易に対処できない事態になっているので、メディアの方々に 彼女をそっとしておくよう

配慮をお願いいたします」

という趣旨の発表をしたときは 本当に驚きました。

 

でも、驚きはそれだけじゃなかった。

 

3か月後、彼女は同じ病気で苦しむ人たちを そして 病の陰に隠れがちな自分自身を

勇気づけるために”闘病ブログ”を始めたのです。

 

もちろん…自分の病気を公表して、病気とともに暮らす毎日の日常をつづったブログは

今はそれほど珍しいものではありません。

有名人、と言われる人たちの中にも…彼女以外にも何人かいますし、いわゆる”一般人”まで

含めたら 相当の数に上るでしょう。

(実名ではないにしろ、この「陽性者と家族の日記」も ある意味では同じ類に入るものだと

僕は考えています)

 

しかし、麻央さんのブログがその他の多くと異なっていたのは…

劇的な健康の回復を見込むのは非常に厳しい(場合によっては、死ぬかもしれない)ことを

知りながら、あえて世間に”自分の記録”を公表しようとしたことでした。

 

容姿端麗で 周囲から羨望のまなざしを向けられ “陽のあたる場所”にいたはずの彼女…

自分がステージ4のガンであることを周囲が知ったら みんながどう思うのか?

 

夫の海老蔵さんも 彼女の気持ちを慮って マスメディアに”報道自粛”を申し出たのに…

麻央さんはあえてそれを翻して 自分の姿をさらけ出しました。

ガンの入院生活の 楽しい時も 苦しい時も

すべてをひっくるめた”生”の自分自身を伝えるために。

 

実は…

僕は 生前 麻央さんのブログに目を通していませんでした。

怖くて 見れなかったのです。

 

数年前、僕は がんで 三人の友だちを別々に亡くしました。

いずれも僕よりも年下で それぞれが ほぼ同時期に患っていました。

 

その三人の…全員が

自分の”闘病ブログ”を綴っていました。

 

痛みや吐き気がものすごく、死ぬほど苦しい…

入退院を繰り返すうちに 希望が絶望に変わっていく…

もちろん、幸福感たっぷりの描写もあるのですが、

ところどころにつらい言葉が見え隠れして…

やがては、重々しいつぶやきが多くなり…

 

病名や健康状態は大きく異なるかも知れないけれど、

病気をもっている立場の自分からすれば

死を前に向き合っている人たちの心の叫びを聞くのは しんどいです。

どうしても わが身に置き換えてしまうから….

いつか、同じことが 自分にも起こるのではないか…

もしそんな時が来たら….自分なら どうするだろうか…

 

彼女の死に触れ 僕は 今まで開くことのできなかった

麻央さんのブログを読んでみました。

 

 

あくまでも個人的な意見ですが、僕の友人の3人のブログに比べ

麻央さんのブログは 意図的に…言葉を選んでいるような気がしました。

印象が 穏やかなんですよね。

 

傍らに まだ幼いわが子たちが侍っている その安らぎが…

穏やかな文面に表れているような気もするし…

逆に 最愛のわが子を遺して旅立つ覚悟をしなければならないことは

僕には想像もできないような辛さなのだろうな…

 

 

麻央さんのブログの読者には 現在 ガンを患っている患者の方々も多かったようです。

リアルな闘病の様子を自分の現在(あるいは待ち受けている未来)に投影させ、

読んでいるうちにつらくなってしまったり 絶望感を味わった人たちも

恐らくたくさんいたことでしょう。

そして それと同じぐらいの数で 麻央さんの生き方に勇気づけられ

希望の光を見出した患者さんたちが いたのではないかと思います。

 

僕の3人の友だち、そして麻央さん…

彼らが”闘病ブログ”を記していたのが

(本人たちではなく)周囲の人々にとって

よかったことなのか、そうではなかったのか….

僕にはわかりません。

 

いや

いい、悪い の問題ではないですね。

 

周囲がどう思うのか、周囲にどんな影響を与えるのか…

悲しませるのか、つらい思いをさせるのか…

そんなことも 本人にしてみたら ”どうでもいい”こと。

 

だって 「生きる」というのは

結局 自分の「意思」によるもの。

自分は生きる、という 強い意志。

それは 決して誰にも邪魔できない。

 

その強い意志を残すための

「記録」なんだものね。

 

彼女は 自分の人生について こんな趣旨のメッセージを伝えています。

 

“私が死んだら、人はどう思うのだろうか?

「若いのに可哀そうだね」、「小さな子供を残して気の毒に」…というように?

私はそんな風に思われたくない。

なぜなら、私の人生の中で 病気が最大の出来事ではないから”

 

 

僕にとって、すごく共感できる 最大限に支持できる言葉でした。

 

墓参りに行くことも なかなかままならない現在

僕は 3人の友だちのブログを

彼らへの”墓参”のつもりで ときどき 開いています。

 

サイバースペースの彼らは

何年たっても あの 最後に会った輝きの笑顔のまま…

 

今さらなんですが…

この先、麻央さんのブログも 時々 覗いてみたいと思っています。

 

6月、梅雨の合間、雲の切れ目から差し込んだ光のように

いつまでも輝いている姿が見れることを 楽しみに。

 

 

 

 

 

 

No Panacea

なぎさのペンギン

 

またまた。。。すっかり、ごぶさたしていますが、

みなさま お元気ですか?(*´ー`*)

 

おかげさまで 僕は

カゼもインフルもひかず 毎日を 快適に暮らせております。

ほんとうに 感謝。。。

 

とはいうものの

自分なりの努力は重ねているつもりです。

 

僕は鼻炎になりがちな体質で カゼの前触れが”ノド”ではなく

まず ”鼻”にきます。

熱も出ず、ノドも腫れずに つらい鼻炎だけが進行。。。というのが

2年前までの 僕のカゼひきパターンでした。

 

カゼのウィルスは 口の中(呼吸をするところ)にとりつくもの。。。

 

ならば、できるかぎり念入りにケアしてみよう。。。

と、”鼻うがい”(鼻の洗浄機)を購入。

 

機械での鼻洗浄の効き目は抜群で

それまでの点鼻薬や内服薬に頼っていた生活が

劇的に変わりました。

 

42℃の温水に 専用の顆粒を溶かして溶液を作り、

それで鼻の中を洗います。

誤って耳やノドに流れ込んでしまうリスクも少なく

つーんとせず 至極快適。

 

それまで 昼間にボーっと眠くなってしまっていたのは

もしかしたら薬のせいではなく

夜間に熟睡ができていなくて 慢性的な睡眠不足になっていたから

だったのかな?

と余裕で振り返れるくらい 今は 鼻の問題で悩まなくなりました。

おおげさではなく、自分の人生にとって

まさに「革命的」な変化 でした。

 

もうひとつ、効果的だったのが 歯みがき。

 

歯みがきとカゼって 関係あるの?

と思われる方もいるかもしれませんが。。。

 

一日3回、歯間ブラシやフロスで

食べかすをていねいに取り除き、

1回に15分くらいかけてブラッシング。。。

(昼間はどうしても5分くらいしかできませんが)

そのあとで ブラシでフッ素コーティング。。。

 

はっきり言って かなりの手間をかけています。

 

自宅以外でも仕事場でも使えるように

鼻の洗浄機も歯ブラシも2セット揃え

外出先でも対応できるように もう1セット。。。

 

確かにお金もかかるし、時間を割くのはめんどうくさい。。。

のですが

 

この”ひと手間”が 毎日の生活で大きな違いになるんだなあ、

という事実を 10年たったいま 実感しています。

 

毎日を快適に過ごすことができると 気持ちにゆとりが生まれ

いまの自分を客観的に振り返ることができますね。

体がつらいときって、周囲の人たちに対して どうしてもとげとげしく

厳しい態度になってしまいがちだから。。。

 

僕にとって HIVの感染は

もう10年以上前の話ですが。。。

 

10年かかって ようやく自分なりの管理方法を身につけるコツがわかった。。。

という 感じです。

 

特別な病気にかかってしまった と苦しかった時代もあるし

なんだあ、たいしたことないじゃん、と高をくくっていた

にがい思い出もあったなあ。

 

Learning experience

 

「学問なき経験は 経験なき学問に勝る」

 

ラクしようと思って ネットでショートカットを探しまくっても

 

パーフェクトなものって 結局 みつからないんだな、って。。。

 

自分という人間は 世界にたったひとりしかいない訳ですから

当然かな。。。。

 

わが身でぶち当たって分かったことの方が

はるかに多かったです。

 

 

これはHIVに限った話ではないと思うのですが。。。

 

“病気が完治する”という言葉は

自分を安心させる材料でしかない

心地よい響きではあるけれど

そこにもたれかかってしまったら

一番大切なことに気がつかず

すりぬけたままで すべてが終わってしまうかも

 

と感じるようになりました。

 

おいしいものを食べて

しゃきっと体を動かせて

いつまでも 新しい変化に身をまかせていきたいな

と願います。

 

これからも ずっとね。

 

来月(3月)に公開になるディズニー映画「モアナと伝説の海」のテーマ曲、

「How far I’ll go~どこまでも」を聞きながら

はるかハワイの海に思いをはせ 春を待っています。

すっかり遅くなりましたが

今年も よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先へ

なぎさのペンギン

あけましておめでとうございます。

 

僕にとって 今年 2016年は50才を迎える という節目の年です。

ええ~ いつの間に こんなに年を?とショックを受けなくもないけれど(๑˃́ꇴ˂̀๑)WW

学生時代の同級生たちは お子さんたちが高校や大学へ進学し、中には結婚して祖母や祖父になっている友人たちもいることを考えれば。。。

1980年代、90年代は遠くなりにけり だね。

 

遠くなる。。。と言えば。。。

自分がHIVに感染したことが分かってから もう10年以上が経過したことになります。

本当にありがたいことに この10年間、自分の健康問題について 大きく悩まされることはありませんでした。

悩みが少なかったからこそ いろいろなものを見落として 失敗も重ねて。。。

 

でも 失敗した分だけ ほんとうにたくさんのことを学べたかな~。

その意味で言うなら 病気を告げられてからの10年間のほうが

僕の人生の中では よっぽど豊かな 実りの多い季節になりました。

 

第1期、感染を伝えられてから最初の3年間ぐらいは なんとなく

毎日 おどおどしながら生きていたような気がします。。。

「HIV」や「エイズ」という言葉に対して世の中が示す反応に 過敏になっていたかも。

 

そのうち。。。

病気になったって みんなそれなりに元気で楽しくやっている ってことを

その当時 自分の周囲にいたほかのHIV陽性者にそれとなく教えられて。

今のままの自分でいいんだ、自分は変わらなくていい。。。

と 実感するようになりました。

これが第2期の始まり。数年は 続いたな。

今にして思えば いちばん 楽しい時期だったですね (✿╹◡╹)ノ

 

「みんなの日記帳」(以前、ぷれいす東京のWEBサイトにあった このコーナーの前身)に日記を書かせていただくようになったのも ちょうど そのころでした。

 

しかし。。。

いつしか 今自分がいる場所に物足りなさを感じ

もっと遠くの 別の景色も見てみたい と思うようになりました。

 

住所変更はしないけど

不定期の 長い長い 旅に出てみよう、と決めて。

 

やがて 第三の波が目の前で砕け 僕を別の場所に連れて行ってくれました。

 

障がい者スポーツの分野で出会った人たち

長い間 音信普通だった 学生時代の友人たち

子供を育てるお母さんたち

そして 実は いちばん身近にいたのに なぜか疎遠になっていた

治ることのない病気になってしまった親や 大切な自分のパートナーとの距離を

ぐぐっと縮めたこと。。。

すべてが 今まで知らなかった いや 気づかなかったことだらけでした。

 

ヒトは 自分の経験が及ばない部分を 想像力を働かせて補うことができます。

しかし 基礎となる経験が乏しすぎたら 想像力を働かせることすらできない。。。

 

そのことを 改めて思い知らされた 第3期でした。

 

自分が 片方の肺しか使わずに飛行していたことに気がつき

だから息苦しかったのか、と そのことに納得したとき

先が見えてきました。

自分が行こうとしていた、その先が。。。。

 

境遇とか、時代とか、運命とか そういう言い訳を武器にして振り回さず

やたらに流行を追いかけることも 懐かしい昔だけに囚われることもなく

2016年 50歳になる自分を しっかり生きる

 

当たり前のことだけど これが 僕の 今年 いちばんの目標です。

 

この日記の始めのほうに書いた通り、

「今のままの自分でいいんだ、自分は変わらなくていい」

という気持は 今も 確かにあります。

 

無理しない生き方、それは 確かに 自然です。

 

でも、変わらなきゃ って真剣に思うときが

次のステップにつながるチャンスなのだ

とも 思うのです。

 

「マイペースで行こう。

でも いつもいつもマイペースだと 向上することもないよ。

時に つらい思いを自分に課してこそ

その先に待っている達成感もひとしお、なんだと思うよ」

 

なじみのスポーツトレーナーが いつも口にしている言葉が これ。

 

挑戦。

50になろうと60になろうと これからもずっと 現状の自分に満足せず

チャレンジを続けていけたらいいな。

 

雨があがったら いろんなものがはっきり見える。

今日は とびきりの晴天になりそうだね。。。。

そんな曲に 思いをこめて。

 

本年も よろしくお願いいたします。

Songs

なぎさのペンギン

季節は変わり、師走。

みなさん いかがお過ごしですか?

僕にとっては 今年も あっという間に駆け抜けていった1年でした。

 

それぞれの思い出を言葉に残したい、という思いもあるけれど。。。

 

ここは FMラジオの番組みたいに 音楽に メッセージを込めてみようかな。。。

なんてね 

 

See You Again  (シー・ユー・アゲイン)

ラッパー・アーティストの ウィズ・カリファ が シンガーのチャーリー・プースとコラボして作った

2015年 全米チャート ベストヒット曲のひとつ。

映画「ワイルド・スピード Sky Mission」の主演スターで 映画撮影後に

現実の交通事故で急逝したポール・ウォーカーさんへのトリビュートソングであり

映画のテーマ曲としても使われています。

 

今年 僕の周囲でも 親戚や友人など さまざまな人たちが世を去りました。

これからも 地上から見つめているので

(僕の存在に気がついたら)よろしくね。。。(ときどき だけどね)

 

Teach Your Children(ティーチ・ユア・チルドレン)

僕には子供がいませんが、もし子供がいたなら

親として この曲をプレゼントしたいな。。。と思っているくらい、大好きな曲です。

 

往年のグループ、CSN&Y(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)が

1970年に発表した 彼らの傑作のひとつ。

僕と同輩の世代の方々には イギリス映画「小さな恋のメロディ」の

ラストシーンで使用された曲、と言えば 懐かしく思い出す人もいるかも。

 

MVの最後に スタジアムでのライブシーンがちらっと写りますが、

この当時 世界中が ベトナム戦争への反戦デモで揺れていました。

 

「親にとって子供の存在は あるいは 子供にとって親の存在は、ある意味

“ゆっくりと通り過ぎていく地獄”のようなもの 。。。

でも あなたの夢を糧に 彼らを育ててあげてほしいんです。

なんで って理由を聞いちゃダメだよ。聞いたら きっとあなたは泣いちゃうよ。

黙って見つめて ため息をついて。。。

それで あなたは気がつくはず、彼らがあなたを愛してるってことに」

 

という部分に 現在の僕自身を重ね合わせ

ふ、深いな~ と 感慨 しきり。

 

Happy

バナナのような形をした不思議な生き物、”ミニオン”(実際に バナナが大好物らしい)は

今年あたりから 日本でもようやく 人気に火がついてきましたね。

 

実は 人類よりも古くから地球に暮らしていたらしい(という設定)。。。なんだけど WWW

映画「怪盗グルーのミニオン危機一髪」のテーマ曲として有名な ウィル・ファレルの「Happy」。

Youtubeでの再生回数が 延べ 5億回近い記録を打ち立てたほどの大ヒットに。

 

これって。。。元ネタは どう考えても 子供のころによく聞いた

日本の「幸せなら手を叩こう」 じゃねーの?って思ったんですが。。。

 

実は「幸せなら手を叩こう」も もともとは外国の曲(If You’re Happy and You Know It)を翻訳したもの、

なんだそうです。

 

ってことで ちょっと 聞き比べ。

Happy

If You’re Happy and You Know It (幸せなら手を叩こう)

 

幸福な気分になれましたでしょうか?

 

来年 平成28年(2016年)も

みなさんにとって 素敵な一年になりますように。。。

Happy Holidays!