陽性者と家族の日記 “なぎさのペンギン”

バンコク

なぎさのペンギン

グラビアに掲載されていたその写真に 息が止まった。

ふだんはあまり読まない週刊誌を コンビニの店頭で広げていて
目に留まった あまりにも信じられない風景。

いつもならごった返している繁華街の あの通りに 
何台もの装甲車が行き交っていた。
去年の夏 友だちと浮かれて歩いていた場所で 
活動家が胸を打ちぬかれ 命もぬかれて 横たわっていた。

僕はタイの国民ではないし 何も言えないけれど 
つらいものを見てしまった と感じた。

たとえこれから先 新しい何かがはじまっていくのだとしても
失われたものは二度とはもどらないし ひとびとの悲しみは終わらない。

もし 日本で….
まさか?
でも 絶対ないだろうか。
そんなことすら考えてしまう。

それでも 何があっても 朝はやってくる。

チャオプラヤ川のほとりの寺院で合掌していた僧侶たち。
今度行くことができたら まっさきに訪れてみようと思う。

Excel「に」学ぶ

なぎさのペンギン

今さら…なのですが…
必要に迫られ Excelのワークシート計算を イチから勉強しています。 

Excelは パソコンで使用されている表計算ソフトですが
自分はこれまで グラフや図表を作るための道具としか使ってきませんでした。
表組の中に数字を入れてクリックやドラッグをするだけで
すごく時間がかかりそうな複雑な計算を 一瞬にしてぜんぶ処理してくれる !
数学が大の苦手な自分にとっては 魔法の箱としか思えません。
特に「関数」は素晴らしい。
現在のExcelには 300種類以上の関数機能が備わっているそうです。

ただし、使いこなすには一定の条件が必要。
何を計算の対象にして、どの数値と どの数値を組み合わせるか
計算の目的に合ったものを自分で指定しないかぎり 正しい答えが出てこない。

出てこない どころの話ではなく まったく間違った計算結果が導き出され
画面に表示されてしまうこともあり得る。
たぶん 操作した方は 機械が自動計算してくれた結果だから、と
何の疑いも抱かないでしょう。
間違いに気づく人がいなければ 真実は誰にもわからない。

逆に、関数の使い方の視点を変えてみると 本来の目的とは
まったく異なる使い方もできます。
アレンジしだいでは、他の方法より段違いに早くて 正確な結果を
導き出すこともできる いろんな可能性に満ちた機能なわけで。

どんなに便利なものが開発されても それを使いこなすのは人間。
ある目的があって 何と何を使って ナニに対して「それ」を行うべきか
そこを読み間違えると 天と地ほどの差が生まれてしまう。

人間が作ったものって どんなに優秀なものに思えても
ヒトが作ったという「いたらなさ」からは抜け出せないものなんでしょうか。

そのあたりにぬくもりを感じ 逆に安心もしているのですが。

Excel「を」学ぶ のではなく Excel「に」学ぶ人生 
といったところかな。

運命のノック

なぎさのペンギン

この4月から 仕事の空き時間に職場のスクーリングに通っています。
授業内容は、基本的なビジネスマナーとITスキルのレベルアップ。

初日、講師の先生よりこんなあいさつがありました。

「たとえば、途中から会議室に入室する場合など、みなさんはノックをされる
と思うんですが…その場合…何回叩きますか?」

 ?

ほとんどの人が2回。
僕も2回でした。

「2回は[トイレノック]と言われ、誰かが個室に入っているかどうかを
確認するために使われているので、初対面の人には好印象を持たれません。
初めて会う人には4回、親しい人との間で3回、というのが世界的な常識と
されていますね」

日本はノック文化が根づいていませんから あまり神経質になる必要は
ありませんが、最低でも3回は心がけてください、とのことでした。

また、ノックをする時にこぶしでドアを叩くのは[相手を殴る]イメージに
つながるそうです。
こぶしを自分側に向けて、折り曲げた手の甲から3本指(もしくは4本指)で
コンコンコン、とリズミカルに叩くのがコツだとか。
確かに アメリカ映画の警察ものなど見ていると そういうシーンが
けっこう出てくるねえ。

とどめとばかりに 講師からさらにびっくりするようなひと言。

「ベートーヴェンの交響曲第5番に『運命』ってありますよね。
 出だしに ジャジャジャジャーン って鳴りますが、
 あれって…[ジャン]が何回ですか?」とニヤリ。

運命があなたの人生をノックする、というのが 
ベートーヴェンのコンセプトだったらしいんですが。

目からウロコって こういうことかあ(笑)
勉強になりました~

平年並み?の寒い春

なぎさのペンギン

それにしても この一週間くらいの寒さ !
ここまで低温が続くと 桜が早めに開花したというニュースが 
かえってうらめしくさえ思えてしまいます。

今年の「花冷え」現象は 北極付近に張り出していた高気圧が
その周囲を取り巻いていた複数の冷たい低気圧の群れを分断して進んだため、
切り離された低気圧が南に押し出され、日本付近を覆っていることにより
発生しているものだそうです。
どうりで、寒くてぐずついた天気が続いているわけだ~。

そういえば、去年のお花見シーズンも 寒い日が続いたような…。
つい、天気予報はどうなってるの?と言いたくなりますよね。
でも、気象学的に見ると、この時期に寒の戻りがあるのは
それほど珍しい現象ではないのだそうです。

僕は気象オタクなので(笑)最近の天気予報を見ていて不満なのは
「平年並み」の意味をきちんと解説してくれている予報が少ないこと。

「平年並み」というのは、「例年のこの時季であれば…」ということを
意味するものではないんですよね。
過去数十年間の平均気温をもとに導いた偏差値をベースに、それよりも
高いか低いかを述べているだけ。

「天気や天候というのはゆらぎのあるのが普通で、逆説的に言えば
「平年並み」の気候などということのほうがむしろ珍しい」
というのは 有名な あるお天気キャスターの言葉。
「平年並み」だけをものさしにして、その気象が正常か異常かを一概に
比較することはできないそうです。

うん、確かに。
人間の感覚って 自分の過去の記憶やそのときの体感に
左右されがちだしなあ…

な~んて 小難しい話をしましたけど 早い話…
やっぱり、お花見はあったかい方がいいです(笑)

天気は、人間のメンタルな面を大きく左右する重要な要素のひとつだからね。
 
はやく薄手のシャツで動き回れる季節になりますように !

テレビ離れ

なぎさのペンギン

現在 自分が暮らしている部屋には テレビがありません。

わざとテレビを置いていない、という言い方が正しいのかもしれませんが。

テレビがない、といっても…いわゆる地上波デジタル(もしくはアナログ放送)
の電波を受信する機械を置いていない、という意味でして。
パソコンのモニタを通したインターネット経由で 外国のテレビ局やスポーツ
中継の放送などは 時々見ています。
(どうしても というときには 携帯電話のワンセグ機能を利用)

つまり
「ねえ、○○○○のあのCM、見た?」とか
「今度の月9で始まったドラマ 超面白いよね!」
というような話題には まるでついていけない という事態に…
「それって不便じゃない?」と言われることもあるけれど
慣れてしまうと なくても意外に困らないです…テレビ。

見なくなった大きな理由のひとつは
テレビがインターネットの悪影響を受けすぎている ということ。

ネットって 確かに便利だけども シロウトの情報とクロウトの情報を
検索エンジンがいっしょくたにひっぱってくるじゃないですか。
だからこそ 使う側が知恵を働かせる必要があるのだけど。

現在のテレビって ネットへの対抗か わかりやすさを意識しすぎているのか
シロウトが出てきてモノを語る場があまりに多すぎるような気がする。
誰にでもわかるようなこと(わからなくちゃいけないはずのこと)にも
必ず解説者がついて 不必要なコメントを入れてくる。
ずっと見続けていたら人間の想像力はどんどん奪われてしまう って
ついにテレビを部屋から追い出してしまった(!)のです。

むかし テレビがみんなの話題の中心だったころの番組は
今見直してみても飽きないものが多いですよね。
飽きないっていうのは それだけわかりにくかった 自分の想像力を働かせる
余地を残していたからではないかな、と思うんです。
情報のありがたみを みんなが実感して共有していたからせいもあるのかなあ。

なんだか 大げさなテレビ批判になってしまった…
でも 地デジの普及が進まないって言われているウラには
僕みたいな理由の人もいるんじゃないかって 勝手に分析してみました(笑)

むかしむかしのテレビっ子である自分としては 今の現状は やっぱり寂しいです。

なぎさのペンギン

少し前のことだが 風邪をひいてのどを腫らしてしまった

その夜は早めに寝たのだが 久しぶりで 父の夢を見た

父と僕は なぜか外国の 南の島にいた
この地が初めてという父のため 僕は 観光ガイドのように
父を連れて あちこちをめぐった
その途中で 父といろいろな話をした
考えたら 今まで 父親とじっくり話をしたことなんてなかった

繁華街に入って 僕は急に 猛烈にのどが渇いた
近くの土産物屋で アイスクリームを買おうと思って
「ちょっと買い物してくるので ここで待ってて」
と言った
父はうなずいた

アイスクリームを買って戻ってみたら 父はいなかった
はぐれた?
探しても 探しても 父は見つからない
どこにいるんだろう  おーい どこにいるの?
父のことが心配で いてもたってもいられなかった
汗をかきまくって 一生懸命に 父を探した

目ざめた
真夜中の自分の部屋だった
体中がぐっしょり濡れていたけど なんだかいい気分だった

父が亡くなってから 今年で21年になる
父が病気になったために 留学を取りやめにしなければならなかった
それがつまずきのはじまりだったと 本気で思ったこともある

病気がわかってから たったの4ヶ月
父は 静かに逝った
考えたら 生きている間 父親とじっくり話をしたことなんてなかった

あの夜は 願いがかなって とってもうれしかった
ここまで来るのに20年もかかったか と思ったら やはり笑えるけど

命日の5月21日
なるべく思い出さないよう ふたをして閉じ込めてきたけど
今年は ポン とキャップを開けて 
23才だったあのころに 笑顔で戻ってみようと思う

自分の記憶は 自分だけのものだから 
最後の最後まで 大切にしなきゃ

さんきゅー 父ちゃん!

三国志

なぎさのペンギン

映画「レッドクリフ」が話題になったの 一昨年か去年の話でしょ?
などと言うなかれ(笑)
なぜか今 マイブームは三国志であります。

きっかけは インターネット経由で楽しむゲームを始めたこと。
「三国志」や「三国志演義」に登場する武将たちがそのまま登場して
援軍キャラとして助っ人してくれるという 絶対ありえね~感が たまらなく(笑)

ゲームがきっかけになって興味を引かれ まずは小説版の「三国志演義」を
(ほぼ)生まれて初めて 読みはじめました(でも まだほんのとっかかりね)

こ、この人たちの人生、すごすぎ…(笑)

敬うということ、愛するということ、裏切るということ、
そして乱世を生き抜く、ということ…
この人たちは わずか20代の半ばにして 人としてこんなにも成熟していたのか~。
よくも悪くも 緊張感たっぷりの人生だなあ。
ひとりの人間の身にこれくらい さまざまなことがおきなかったら
波乱万丈などとは きまりが悪くて言えないだろう と思えるくらい。

平和であるということは もちろん いちばん大切なこと。
それを手に入れるために 何千年も苦労を重ねて学んできたのが 歴史です。 
でも現代は 最初から それが当たり前のようにあって 特別にありがたみを
感じなくても それはそれで 済んでしまう。

21世紀の僕たちは 無意識のうちにいろいろなものに護られています。
だからこそ 何か不慮の一大事が起きたときは(たぶん)ひとたまりもない。
インターネットごときの力じゃ おそらく歯が立たないだろう。

僕は戦いは好まないけれど 誰もがすぐに傷ついてしまいがちなこの時代で 
古代中国の三国志の登場人物たちから 強く生きるヒントをもらえたらいいな、
とは思っています。

難しい話はともかく ゲーム 面白いよ~(笑)

初春の日

なぎさのペンギン

三が日最後の日曜日 初詣に行こうと浅草寺に向かう

時間も経ったことだし 多少は空いているだろうかと高を括っていたら
本堂の前から仲見世通りを伝って 雷門をまっすぐに貫く長蛇の列

その後に予定があったので 相方と示しあい 上野までの道を歩く
寺町の下谷界隈を進んでいると 立派な門構えの仏閣が目に入る
中から聞こえてくる勤行の響きにつられ 中に入ってみる

ちょうど新春の行事が行われている最中で
初々しい僧侶が横並びで読誦(どくじゅ)する姿を見た相方が
「たぶん得度して日が浅い若い人たちだね 昔を思い出すよ」と笑う

荘厳な勤行を目の当たりにし なんとなく身の引き締まる思い
仏教の学校に通ったことのある相方と違い 日ごろは信仰心の薄い自分だが
立ち込める香に不思議な親しみを覚え 自分の過去や現在 未来が
す~っと頭の中をよぎっていく

うすぐもりの 寒くて穏やかな午後
この数年で いちばん正月らしいひと時を過ごせた偶然に感謝

こんな幸せが これから一年 二年 三年と続いていきますように

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします

2010

なぎさのペンギン

幼いころ 2010年なんて 遥か遠い未来のような気がしていた

空には小型の飛行艇が飛び交い リニアモーターカーが縦断し
ナヴィゲーターが宇宙ステーションから火星の基地へ行き来する
高度に発達した科学に 誰もが目を輝かせているような未来

みんなの視線が絶えず外側に向けられ 心は遠い世界を見つめている

実際は違った 

彼方に広がる神秘の世界をたずねるより もっと大切なことがある
いま自分がいるこの場所で ほんとうの意味がなんなのかを考える
幸福って誰のためのもの 自分 愛する人 それともみんなへ
人間がようやく気がつきはじめた 21世紀 最初の10年

2020年は いったいどんな世界になっているのだろう

そして 新たな旅がまもなくスタートする 

小春日和

なぎさのペンギン

明け方近く 地表にたまった湿っぽい冷気を
おだやかな陽の光が じっくりとあたためていく

秋から冬にさしかかるこの季節の魅力に目覚めてから 
そう長い時間は経っていないような気がする

春のような若さも 夏の華美な飾りもない ひたすらに澄み切った空
幾重かにまたがった筋雲が さりげなく凍りつく
明るいぬくもりに気をとられ シャツの袖を捲し上げていても
肌をすべる風に 北から流れ来た大気の鋭さを感じ 
あわてて手首を覆いなおす 

目を閉じるとひろがる 薄赤い色の帯の中に 
静寂と一緒に溶け込んでいく 自分のからだ

新しい春には どんなことが待っているのだろう
厳しい冬をよけ 僕の心は少し先の未来へと飛んでいく