陽性者と家族の日記 “たんぽぽ”

ホロトロピック医療

たんぽぽ

先日、友人からホロトロピック医療の資料をいただいた。
ホリスティック医学や東洋医学など、
身体を部分的に捉えるのではなく、
全体の中の部分として観ていく考え方のようだ。
「全体性へ向かう」という意味があるそうだ。

「人の体は常に正しい方向に向かって働く」という言葉が嬉しい。

伊藤慶二医師の講演録「医療における想いと祈り」が素晴らしかった。
食生活と、物事に向き合う想いの持ち方と、祈りとで、
難病が治っていったエピソードが幾つかあげてある。

食生活では、砂糖、甘いものがいけないと、しつこく書いてある。

そして、想いというのは必ず形になるそうだ。
プラス思考で、明るく、楽しく、おめでたく生きる。
怒らない、怖がらない、執着しない、不平不満を言わない。
いらいら、せかせかしない。

「確実に病気をしない生活の仕方」
「病気の治し方一覧」
「病気になる食べ方・元気になる食べ方」など~
教えて欲しいと思う方が沢山いるのではないだろうか~?

本当は、どこまで実践できるかなのだけれど~。(^^)

映画「ホテル・ルワンダ」

たんぽぽ

久々の書き込みです。

先日、「ホテル・ルワンダ」の映画を見た。
10年余り前にアフリカのルワンダで100万人と言われる虐殺があった。
ホテルの支配人が1200人をホテルにかくまうという実話である。
以前NHKがルワンダを1時間のドキュメント番組にしたものの方が面白かったが、
どちらにしても、実話である。
50年余り生きてきた私としては、10年前なんて、ついこの前のことだ。

「この虐殺をテレビで見たら、必ず、助けが来る」
という、主人公にたいして、カメラマンが言う。
「おおかたの人々が、『まぁ、なんてひどいこと!』と言いながら、食事を続けるだろう。」

100日で殺された100万人の命と、
その事件の前から、感染を知りながら生き続けている私の命と、
それでも、人は必ず死ぬ。
命の意味、生きる意味って、なんだろう?

何かに出会うたびに、問い返してみる。
ウイルスと共に生きるのも悪くない。

遅い者勝ち

たんぽぽ

昨夜、「東洋医学から見た、今のこども達」という講演会へ行ってきた。
ウン、ウン、と、頷きながら聞くことが多かった。

昭和20年から現代までの時代考証と病気を対比していく中で、
30年代に「高度経済成長の幕開け」とともに、
「早い者勝ち、間違わないもの勝ち」の時代になってきた。
と、講演者は解説された。

私は何をしても遅いんですよ。食事も遅いしね。
急がされると、間違うんですよ。
なんでこんな間違いをしたんだろうと思うようなミスをね。

と、おっしゃる。
まさに、私と同じ。
私も、周りの方々に、
少しでも速く、という訓練を推さない時から受けてきたから、
ゆっくり進むには、練習をしなければ出来ないようですよ。
ゆっくり動いてみると、見えるものが変わってきますよ。
心の収まり方も変わってくるようですよ。
速くと遅くとでバランスが取れるのでは~。
間違ってもいいんですよ~。
と、言い続けている。

時々、後出しジャンケン、負けた者勝ち。
のゲームなどをしてみたり。

告知を受けた13年前。
意識して出来るだけゆっくり歩いた。
後ろから来る人がみな私を追い抜いていった。
必要な用事以外に約束をしないようにした。

私は、心身ともに傷ついている。
そのショックが癒えるまでは、労わってあげなくっちゃ。
と思っていたようだ。

生きているあいだに、何かをどれだけしなければならない。
とかってあるのだろうか?
生かされているあいだ、楽しんで生きればいい。
ただ、生かされているというのは、まだしなければならないことがある。
ということでもあるのだろう。
それを、いかに楽しみながらできるかのゲームなのかな。???

能率と効率を基準にするところからできるだけ身を離しておきたいなぁ~。
正しいことを基準にするのではなく、楽しいことを基準にしよう!

と、今は思っている。

生きること、死ぬこと

たんぽぽ

知り合いの女性が進行性の胃癌で入院された。
年齢は私より少し上。
術後10日ほどして病院へお見舞いに行った。
胃を全部摘出され、1週間は点滴だったそうだけど、
何だか穏やかで、スッキリしたお顔。
癌と一緒に様々なものがストンと落ちたような感じがした。
少女のようにも見えた。
嬉しいなぁ。ひと安心。

リリー・フランキー著の「東京タワー」という本で、
3回の癌の手術をしながら、元気に明るく生きたお母さんの話を読んだ。
旅立たれたのは、70歳ぐらいだったのだろうか。

そのすぐ後で、たまたま読み返した本で、
重兼芳子著の「生き方の深い人浅い人」。
85歳のお母さんに癌が見つかったのだけれど、
自覚症状もなく、毎日を喜んで暮していらっしゃる。
ご本人に癌のことは言わずに、手術を断り、
より楽しい日々を送れる手助けをされる話だった。

私は、1年前に目の手術をした。
手術は成功したし、手術をする流れだったし、お陰で沢山の学びがあった。

五木寛之さんが、夜中に痛みで七転八倒しながら、
「これで死ぬんだな」と思いながらも、救急車は呼ばなかった。
病院に行ったことはない。
と書いてある本を読んだのも、最近だ。

人はいずれは、死ぬ。
死に方は、生き方。
身体と心と魂と。
生きるということは、納得できる点を探り続けることかもしれない。

それよりも、部屋の掃除をしなきゃ!

マザー・テレサ

たんぽぽ

マザー・テレサの映画を観た。
オリビア・ハッセーが、マザーそっくりのメイクで、マザーそっくりの動きで、
ジュリエットのあの美女が、魔法使いのおばあさん(! 失礼?)のような、
マザーによくぞ成りきれたなぁ~。と、感心してしまった。
オリビア自身にも思い入れが深かったようだ。

8年前、マザーがお亡くなりになる1ヶ月前に、お会いした時のことを思い出す。
車椅子にいられるマザーの足の指が、クネ~ッと曲がり、
この足でカルカッタを歩き廻られたのだ、と、感無量だった。

「死を待つ人の家」で、ほんの少しボランティアをさせていただき、
他のボランティアの方々と、とても楽しい時を遊ばせていただいた。
仕事と遊びは、ひょっとしたら、対角線上にあるのではなく、
同じ延長線上にあるものかも知れない。と思った。

「孤児院」も見学させていただいて、大泣きをした。

「私は、神が手に持つペンにすぎません」
ご自身を捨てられたマザーの言葉。
「私をあなたの(神の)道具としてお使いください」
とも言われたそうだ。

何も持ってないのに、
何も捨てられない私がいる。

マザー・テレサと同じ時代に生きることの出来た幸せを感じる。

めったになく、2度めのチケットを予約してきた。

出逢い

たんぽぽ

一昨日、陽性者の友人とお茶をした。
7月に、神戸で開催された、アジア太平洋地域エイズ国際会議で知り合った。
会議の間は、ゆっくりと話すことが出来なくって、
会議が終ってから改めて会って、その時はお茶と、食事と、二人で5時間余り話しこんだ。

会うのは今回で2度目なのだが、関西から東京、長野と一人でバスを使って旅をしてきた話を聞いた。
彼女は、松葉杖を使っている。
入院の経験があって、かなり重くって、見事に生還した人だ。

パフェを食べながら、
「こうして、口で物を食べられるのが嬉しいのよ」と言う。
「歩けるのが嬉しい。人と話せるのが嬉しい。」
と、ニコニコしながら言う。
入院中、何日も、壁を見ながら過ごしたらしい。
「誰でもいいから、話に来て! って感じだったのよ」
顔をクシャクシャにしながら嬉しそうに笑う。

誰かのために、そして、自分のために、出来ることを探していると言う。

神戸会議では、素敵な出逢いが沢山あった。
HIVに出逢って、良かった。

彼女の許可を得て、日記帳に載せました。

お盆の帰省

たんぽぽ

神戸で開催されたアジア太平洋地域エイズ国際会議と、
その10日後、私主催の5日間ほどのイベントと、
バタバタとしていたが、それも終って一月余り。
すっかり、日記帳とご無沙汰でした。いつもながら…。

お盆の帰省も終わり、ホッと一息。

いつもは母が一人で暮している。
弟家族も帰省し、父も特養から車椅子で日帰りの帰宅。
久々の一家団欒、というところ。

世話する人と、される人。黙ってそれを見てる人。
母と父と、私たち。

思いは様々にあるけれど、全員が揃って食卓を囲む。
少しは表情の戻った父の笑顔。
いたずらっぽい目をしてクイズを出す小学生の姪。

一瞬、一瞬が、一期一会。

たんぽぽ

先日、今度イベントをする○の浦と○○島へ観光パンフレットを取りに行ってきた。
4月にも行ったのだが、随分と変わっているところがあり、
諸行無常だなぁ~、と思ったりした。

お気に入りの場所なので、イベントの下見と称しているけれど、
私自身の気分転換がホントのところかも…。

何度も行っているのだけれど、また、新しい発見があった。

○○島の島の向こう側まで出て、
入り江で波を見ながら、波の音を聞きながら、ボーっとし、
違う道から島越えを出来ないだろうかと、山に向き直った時、
海に迫った山の木々に、波の打ち寄せる音が木霊して、
山全体が鳴っているのに気が付いた。

寄せては帰っていく波を見ながら、
胸で波打ち際の音、背中で山の木霊を聞きながらしばしボーッ…。

地球の窪みの中にスッポリと包まれたような、
不思議な感覚を味あわせていただいた。

○の浦の○○ホテルの最上階の茶店から、
海の上に蜃気楼のような町並みを見た。
現実の船が、蜃気楼のように映っている船に重なりながら通り過ぎていく。
光のプリズム現象だと、茶店のお嬢さんが説明してくれる。
いつも見えるわけではないらしい。

そのお嬢さんが「龍宮城」なるモノを見せてくれた。
海の中に、城のように見える屋根が2つばかり、家ごと沈んでいる。
何のことはない、海のすぐ側に立っている家が海の中に映っているのだが…。
「見ていると、吸い込まれそうでしょう」
と、言われるように、その見えない底を覗き込んでしまう。

「面白いねェ~。今生きているのが現実なのか、
死ぬと今の現実がなくなってしまう、そこにあるのが本当なのか。
何だか、そんなことを思ってしまう…。」

私にしては、随分と忙しい旅だったけど、
旅に出れば、生活の流れを変えることが出来る気がする。
旅に助けられながら、少し方向性が変わった新しい流れの中で、
新鮮な時を紡いでいこう。

ナマケモノで、楽楽で。

たんぽぽ

タンポポさんは、ナマケモノです。
前の書き込みから、随分日にちが経ってしまいました。
けど、忘れてないだけ上々。
ハードルが低いと、楽でいい。

4月の末にイベントを一つ終わり、
7月半ばのイベントの準備に入り、
講師とスタッフの手配、チラシの作成。
近しい方々にチラシを手渡したところで、
息切れがして、動かなくなった。

チラシの郵送や、メールでの送付を気にしながら、
「ハリー・ポッター」第5巻の上下を読み始めてしまった。
1週間ほど、横になったり座ったり、
ちゃんと寝ないで、ちゃんと食べないで、動かないで。
2度読みするほどでもないのに、2度読みしてしまった。

時々、ボーッと起きだして、テンション低いまま仕事へ。
遅刻しないで行くだけ、上々。基準が低いと、楽でいい。

ハリー・ポッターの魔法の世界。ありえない世界?
けど、リアリティ溢れている。
作者は、6、7年がかりで書き込んで、
その世界が、作者の今の人生の多くを占めているのだろうな。

フッと気分がそがれる時って無いのだろうか?
こんなことしてて、何になるのだろう? って。
そこからまた、自分の意欲を繋いでいくのって難しいよな。
役に立っても立たなくっても、人のためにと言いながら、
ホントは自分を支えているのかも…。

さぁ、私も自分を支える仕事に戻ろう。
ハードル低く、楽楽で。

フワフワ~、綿毛

たんぽぽ

私が「たんぽぽ」というネームを付けた時、
「私はひまわりが好きなんだけど」と言った友人がいた。

私も、ひまわりは好き。
いつも、太陽に向かって咲くひまわりは大好き。
と言っても、どんな花でも好きなんだけど…(^^)

ふまれても、踏まれても、地べたにへば付きながらも咲く
タンポポは大好き。

ホントはタンポポの綿毛に憧れている。
フワフワと風に乗って、気持ち良さそうに流されて…

落ちたところに、根付いていく。
そこが岩場の間の土の端くれでも、
豊かな草原でも、
気の根っこのコケの中でも、
咲く環境が与えられれば、それなりに。
小さく堅く、あるいは大きく伸び伸びと…。

思わぬところに、綿毛のフワフワを見ることがある。
座敷の中に、電車の中に、……
根付けなかった綿毛は、そのまま死んでいくのだろう。

あるがままに、そのままに、
タンポポの綿毛のように…。