陽性者と家族の日記

ことばの問題

なぎさのペンギン

僕の仕事は、外国から来た人に対して
日本での暮らしのお手伝いをすること。

”言葉の問題”で困ることも、もちろん
あります。
日本語の発想を直訳しただけだと
うまく伝わらない(伝えにくい)場面って
けっこうあるんですよね。

「いつもお世話になっております」
「おつかれさまでした」
日本人である僕にとってはあたりまえの
表現で、個人的には相手を思いやるステキな
あいさつだと思います。

でも 日本人の習慣を理解していない人
にとっては、
“オレ、あなたに何の世話もしてないけど?”
“別に疲れてないのに…なぜ?”
と理解されてしまうかもしれない。

こうした日本人独特の”内輪(うちわ)ことば”、
実はいっぱいあります。

それとは逆に、誰にとってもすぐにピンとくる
言葉もあります。

たとえば…
「トマト」を頭の中に思い浮かべてください。

あの赤くて酸っぱい独特の食感の野菜は、
世界中のほとんどの人が共通で認識している
言葉のひとつ。
簡単に手に入れやすく、毎日の生活の中で
身近なトマト。
イタリア料理、スペイン料理、ロシア料理…
サラダに、スープに、ジュースに。ソースに…
もし英語風に”トメイトゥ”と発音できなくても、
”ああ、たぶんあのこと言ってるな” と
余計な説明なしにすぐ理解できる。

同様に「フジヤマ」といえば、日本に一度も
来たことのない人だって、雪をかぶった
あの独特の形の富士山を連想できる人は
たくさんいます。
こうした事象を、専門家は
”メンタルレキシコン(心内辞書)”と呼びます。
あらかじめ、共通のイメージがみんなの頭に
インプットされている、ということです。

コミュニケーションを取るうえで大切なのは、
このメンタルレキシコン、心内辞書を 
いかに共有することができるかという点。

日本人なら「みかん」と言えば
イメージするものはたったの一個。
愛媛みかんでも和歌山みかんでも、
みかんはみかん、と理解します。
一方で、みかんはオレンジの仲間だけど、
オレンジ = みかん、ではありません。
“マンダリンオレンジ”は、厳密には
日本のみかんと異なるかんきつ類なので、
みかんを食べたことのない人には
補足の説明をする必要があります。

もちろん 
“細かな違いなんてどうだっていいじゃん”
という考え方もある。
でも、それは僕が日本人だからそう感じる
だけなのかもしれない。
裏を返せば、そのささいな違いこそが
知りたい、と思う人たちだっているはずで。

ナス科の植物なのに、ナスとは全然見た目
が違うトマト。富士山は世界にひとつ。
唯一無二のユニークな存在だから記憶に残り
やすいのですが…
対して、かんきつ類は世界中に数えきれない
くらいの種類があります。
”その違い”を、どう表現し、個別に扱うか。
コミュニケーションを取るうえで
僕が難しいなー、と感じることのひとつです。

これとは別の種類の難しさもあります。

次の文章は日本語ですが、理解できますか?

「NYダウが最高値圏で推移しVIX指数は
一時15を割り込むなど、米国市場が
リスクオン状態だったにもかかわらず、
東京市場は連動性が薄く、システム的な
動きに終始した印象もある」

株式市場に詳しくない僕にとっては、
この日本語はまるで”外国語”。
英語に通訳、翻訳してくださいと言われたら…
字面で理解できる範囲で機械的にこなせる
とは思います…
電子辞書と一緒で うわべの言葉を置きかえる
作業でしかないですが。

自分自身の中にイメージが浮かび、
”あ、これってこういうことを示しているんだ”
とリアリティが湧いてこそ、より正確な
発信者の意図に近い形での”言葉の橋渡し”
が可能になります。

英語を話す人が他人の英語を全部理解した上で
コミュニケーションをしているわけじゃない。
日本語を話す人のすべてが他人が話す日本語を
パーフェクトに理解できているわけでもない。

このあたりまえの事実が、いつも待っている。
僕にとってのふたつめの難しさです。

言葉の解釈は人それぞれに違うから、
自分の定義だけで判断すると どうしても
“考えの押しつけ”になってしまいがち。
ひとりひとりのメンタルレキシコンの構造は、
それぞれに違うので。

最近…世の中の分断がどんどん進んでいる
(ように思える)のは何故なのかな?

ふと思います。

自分が使う言葉は相手にも100%理解して
もらえるはず…
(特に)多くの(日本)人が、無意識に
そう思い込んでしまっている気がするのですね。
でもホントは、自分が”理解していない”こと
だからこそ…
興味をもって”未知の世界”へ足を踏み込む
努力ができたらいいな、と。

もちろん、幅広い人たちへのわかりやすさ、
なじみやすさも大切だと感じます。

僕に近い世界の話で例に出すと、
セクシャルマイノリティの世界で使われる
言葉って、もうちょっと”翻訳”なり
“通訳”なりを工夫する必要があるんじゃない?
そう思えて仕方ありません。

この十数年、新しいさまざまな言葉が、
外国経由でどんどん日本に紹介されています。
その多くが アメリカやヨーロッパ発信の、
英語の概念をベースにしています。

こうした新しい言葉の数々に…
みんな 本当についてイケてる?
仲間うちだけで面白がれる”内輪ことば”
になってないかな?

現代を生きる多くの人の心の中に、
ピッとフィットするような
真赤に熟したトマト…みたいに
イメージさせるのは難しいかもね。

でも
もっとわかりやすい表現の方法が
そろそろ出てきてもいいころなんじゃないかなー。
日本語をベースにして新しく作っちゃう、
なんてことができたら最高ですけど。

三回目のワクチン接種

ひろき

時がたつのは早いもので、コロナ禍になってから2回目の冬が到来しました。
イギリスでは昨年と比べるとワクチン接種が大幅に進み、
ロックダウンの可能性がかなり低いと言われています。

英国政府は集団免疫の獲得を目指しているようで、
コロナ関連の規制が撤廃された現在、1日当たりの新規感染者は3万5千人、
死者は150人ぐらいで、ここ3か月間ぐらい第3波が続き高止まりしています。
接種率が高い国でこれだけの感染者数ということは、
いかにイギリス人(特に若者)が外で暴れているのか想像できて恐ろしくなります。

そんな状況で期待されているのが、3回目のワクチン接種。
今週、私も早速、3回目の接種をしてきました。
1回目と2回目はアストラゼネカで、まったく副反応はなかったのですが、
今回はファイザーを接種して、2,3日間は軽い倦怠感や悪寒がありました。

3回目の接種の方が規模が小さい会場で、並ばずに接種できました。
私個人としては、感染者数が高止まりしている中で、
今できることをすべてやり切って、すっきりしました。

氷の世界

IHO

先日、劇団四季ミュージカル「アナと雪の女王」を
観劇して感激して参りました。
あの大ヒット、超×4ヒットアニメ映画作品が
どのように“実写化”されるのか興味は尽きない
その反面、あの大ヒッ卜CGアニメ作品のクオリテイィを
再現維持出来ているのかな?と不安もありました。
でもでもでも、そんな心配は不要でした。
かなり凄いミュージカル作品です。語彙力が乏しいので
巧く言えないので「実際に観劇して感激して!」としか
言えません。>本当に語彙力とボキャブラリーが貧困(-_-)
劇場が一気に氷の世界になる場面は圧巻ですよ!!!
歌唱も勿論!劇団四季品質ハイクオリティでビシビシ心に響きます。
STORYはちょっと大人向けで、人を思いやる気持ちや
自分らしく生きる事などアニメ作品より深いテーマが描かれている…と
思います。>ま、感想は人それぞれですので。
最後に、おひとり様で観劇したのですが
数組の男性アベックさん達がいらして羨ましく思いました。

季節は徐々に雪の街氷の世界へと移ろっていきます。
どうぞ皆様御自愛下さい。

IHO 拝

母のこと

なぎさのペンギン

長い間闘病していた母が、先日亡くなりました。

僕は、ぷれいす東京さんの”陽性者の日記”を2007年の夏から書かせていただいています。

母のことは、2008年の9月に取り上げました。
自分のHIV感染について、母へ告げた日についての投稿ですが、
さまざまな記録の中でも、自分にとって特に印象深いできごとでした。

あの日の日記の中で、僕は”静かな告白”と表現をしていたけれども、
それはあくまで自分からの一方的な視点でしかなかった…
いま 改めてそう感じます。

本当に受け入れてもらえたのかどうかは分かりませんが、僕の知らないところで、
母はずっと苦しんできたのではないか、結果的にそのことが母の病気の原因のひとつに
なってしまったのではないか…その思いが 今も心にあります。

母が病に倒れてから心の中にずっとあったこの数年間の感情…
(孫を母の手に抱かせることができなかった)謝罪の気持ちも、もちろんあります。
でも…それと同じくらいの割合を占めたのは、ひたすらに 僕の選択に沈黙を保ったままだった
母への感謝でした

後悔しているか…と問われて、ただちにNOと答えられるかどうかは自信がないです。
僕がこの世を去るときに、きっと頭に浮かんでくるのだと思います。
でも、たとえ後悔したとしても…あの時の自分にはそうするしかなかったし、
今、タイムマシンで13年前に戻れたとしても 同じ告白をしていたに違いない、と。

僕は子供がいないので、人の成長が(頭で理解しているつもりですが)ピンとくるような
リアリティがありません。
いつまでも自分は今のまま(の若さ)だと、知らず知らずのうちに思い込んでいる。
人がどう生まれて、親がどう試行錯誤して子供を育て、大きくなるまで見守って
”一人前”になって社会ではばたけるように 温かなまなざしを注いでくれたのか。
映画や小説を通して理解したつもりになっているだけで 実体験がないのです。

残念ながら、かわいくてやんちゃな子供時代だけが成長の時間ではありません。
老人になってからも、人は成長します。
老化、というネガティブな言葉で片づけられてしまうけれど、死ぬその瞬間まで
人は成長し続け、別の世界へ旅立っていくのだと思うのです。

だから、今度は…子供が親の旅立ちを見守るべきなのだと…母の闘病の間に学びました。
この世の中に、死なない人なんて一人もいないので。

3年前にパートナーが急逝したとき、あまりに突然過ぎて 僕はお別れが言えなかった。
また数日後に会おうね、そんな気軽な会話が最後に交わしたチャンスになりました。

パートナーは、母の病気の進行を気にかけ、いたわってくれた心の優しい男でした。

彼のためにも、僕は最後まで母を見守ろうと心に決めて…その日がやって来ました。

30年前以上前に他界した父、そして母、3年前に亡くなったパートナー、
この数年で他界した何人もの友人たち…いろいろな人の顔がよみがえります。

すごく変な言い方になるかもしれないけれど…
僕は彼らに…「はじめまして」「うちの息子がお世話になりましたね」「いいえ、こちらこそ」
なんて会話をしてもらえていたらうれしい。
そんな風に想像するくらいしか、僕にはできないのが(悲しい)現実です。

それでも僕は、もうちょっとここでがんばりたいよー。
毎日をなるべく無駄にしないよう、こぼれる砂時計の針をやや気にしながら
明日からも笑顔で 前を向いて いつものように生きていこうと思います(^^)

コロナ禍のこの2年、ずっとパートナーの郷里である熊本に行けていないのが残念。
11月のはじめ、間もなく彼の命日がやって来ます。
新しい自分は もうひとつの人生をすでに歩き始めているんだよ。
母のこともあらためて報告に行くから、もうちょっと辛抱して待っていてね。

深海の街

IHO

先日、深海の街へひとりで行ってきた。
そこには大勢の人達が行き交って集まっているのに
誰ひとり声を出さず、ただただ歩いているだけだった。
海深く潜ってきたから声を出せば体から空気が抜けて
死んでしまうからだろうか。
潜水服宜しくフェイスシールドを着けて波なんて
起きない深海なのに大勢の人達と僕は揺れていた。
ちょっと離れて、ずっとそばにいるのにそばにいない感覚。
言葉も交わさないのにテレパシーで近づいている感覚。

昨年末に行くと決めていた、深海の街。
もしかしたら行けないかもしれないと何度不安になっただろう。
でも、先日行ってきました。100年待った位の気持ちでした。
また、行けるだろうか、あの街に。

きっと、100年後、2021年を思い出す時に、あの街の風景を想うのだろうな。

IHO 拝

遂に解除

まさお

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ARIGATO東京2020!

ひろき

コロナ対策の行動規制が撤廃されたロンドンでは、
街にだいぶ活気が戻り、人々の行動も正常に戻りつつあります。

先日、コロナ禍になって以来、初めて友人の家でガーデンパーティに参加しました。
2年近く会っていなかった友人らにも再会でき、
本当に久しぶりに大勢の人とのおしゃべりを楽しめました。

その中で話題になったのは東京オリンピック。
日本国民としては五輪関係の報道を耳にするたびに正直,げんなりしていました。
だって、あんなに五輪大好き国民が、今や五輪を目の敵にしてるようで。
マスコミの論調も日本人同士議論して批判しあい、結局どの道、誰も得しない、
正解のない不毛な議論が続いているように見えました。

両親の世代が経験した高揚感やレガシーを経験したかったのですが、
みんなが思い描いていた未来、納得する形での開催にできなかったのは本用に残念です。

そんな中、今回のガーデンパーティーでは唯一の日本人として、
五輪開催のお礼とお祝いの言葉(東京五輪は成功した、というのがイギリスでの受け止め)
をいただきました。

パンデミックで楽しみがない中(特にロンドンは4ヶ月間のロックダウン)、
感動と娯楽を提供、と受け止められているようです。
また、日本人が犠牲を払いながらも、
大変な状況下、何のメリットもないオリンピックを律儀に開催、
一番がっかりしたのは日本人、
と日本の状況を慮ってくれました。

こういったコメントを聞くと、私個人は五輪に何の関係もないのですが、
同じ日本人として誇らしく感じました。
そして、アスリートの方々やボランティア、
医療従事者の方々にあらためて感謝したいと思います。

クロスボーダーミーテイングが初開催

ひろき

クロスボーダー・ミーテイングが初めて開催され、
私もイギリスからオンラインで参加しました。

自分が参加している他のミーティングでの会話が企画発案につながったので、
参加者がいるのか少し不安だったのですが、
なんと計12名(正確でなかったらごめんなさい)もの方が参加してくださったようです。

色々なレベル、行先、事情で海外生活に興味がある方、
またすでに海外に住んでいる方が参加されていたので、
本当に刺激と元気をもらえました。
皆さん、海外に行こうと思った時点ですでに偉いのに、
病気を抱えてまで、というのはすごい行動力やチェレンジ精神だと思います。

そういう方が増えるということは、それだけ治療方法が進化したということ、
そして社会の風潮や陽性者の意識が変わってきたということだと思います。

陽性者が海外に移住する、というのではなく、
海外に移住したい人、もしくは移住した方がたまたま陽性者だった、という印象でした。
陽性であることを人生の前面に押し出すのではなく、やりたいことが先にあって、
陽性であっても、どうにか実現させたい、または実現させた、
という前向きなパワーを感じました。

「とりあえず」では前に進めなかった

鳥前 進

8月1日は元彼の命日。2017年に亡くなった。
ご家族は彼を東京の墓地にのこし、よそへ引っ越した。
僕はもう前に進みたいと思って、今年はお墓参りに行くのをやめた。
そしたら、毎日必ず彼のことを想う瞬間があって、その度に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

おかしいよね、人にHIVをうつして、自分で勝手にこの世から消えていった人に、うつされた僕がなんで申し訳なく思うの?

2021年8月1日の朝、「もうこれで終わりだ」と決めた。そう思ってた。しかし、僕はまだ前に進めずにいる。
HIV感染を言い渡されたあの日から「迷ったらとりあえず前に進む」と自分に言い聞かせてきたけど、「とりあえず」では前に進めなかった。

毎日飲み続けたその先に

鳥前 進

今回で2度目かな
22時の服薬タイムを前に、お薬飲むの疲れたなぁって思った
毎日飲み続けたその先に何があるのだろうと

昔は黙ってても生きられた
今は毎日の薬を欠かしたら生きていけない
生きるために積極的に薬を飲むけど、じゃあ何のために生きてんのって自分に問うてもその答えはない

きょうもまた、プログラムされた通り、青と黄色の粒を包むシートを破り、22時のために買った水とともに身体に流し込んだ
毎日飲み続けたその先に何があるの?
あすもきっと、プログラムが実行されるたびに、同じことを思うのでしょう