陽性者と家族の日記

その先へ

あけましておめでとうございます。

 

僕にとって 今年 2016年は50才を迎える という節目の年です。

ええ~ いつの間に こんなに年を?とショックを受けなくもないけれど(๑˃́ꇴ˂̀๑)WW

学生時代の同級生たちは お子さんたちが高校や大学へ進学し、中には結婚して祖母や祖父になっている友人たちもいることを考えれば。。。

1980年代、90年代は遠くなりにけり だね。

 

遠くなる。。。と言えば。。。

自分がHIVに感染したことが分かってから もう10年以上が経過したことになります。

本当にありがたいことに この10年間、自分の健康問題について 大きく悩まされることはありませんでした。

悩みが少なかったからこそ いろいろなものを見落として 失敗も重ねて。。。

 

でも 失敗した分だけ ほんとうにたくさんのことを学べたかな~。

その意味で言うなら 病気を告げられてからの10年間のほうが

僕の人生の中では よっぽど豊かな 実りの多い季節になりました。

 

第1期、感染を伝えられてから最初の3年間ぐらいは なんとなく

毎日 おどおどしながら生きていたような気がします。。。

「HIV」や「エイズ」という言葉に対して世の中が示す反応に 過敏になっていたかも。

 

そのうち。。。

病気になったって みんなそれなりに元気で楽しくやっている ってことを

その当時 自分の周囲にいたほかのHIV陽性者にそれとなく教えられて。

今のままの自分でいいんだ、自分は変わらなくていい。。。

と 実感するようになりました。

これが第2期の始まり。数年は 続いたな。

今にして思えば いちばん 楽しい時期だったですね (✿╹◡╹)ノ

 

「みんなの日記帳」(以前、ぷれいす東京のWEBサイトにあった このコーナーの前身)に日記を書かせていただくようになったのも ちょうど そのころでした。

 

しかし。。。

いつしか 今自分がいる場所に物足りなさを感じ

もっと遠くの 別の景色も見てみたい と思うようになりました。

 

住所変更はしないけど

不定期の 長い長い 旅に出てみよう、と決めて。

 

やがて 第三の波が目の前で砕け 僕を別の場所に連れて行ってくれました。

 

障がい者スポーツの分野で出会った人たち

長い間 音信普通だった 学生時代の友人たち

子供を育てるお母さんたち

そして 実は いちばん身近にいたのに なぜか疎遠になっていた

治ることのない病気になってしまった親や 大切な自分のパートナーとの距離を

ぐぐっと縮めたこと。。。

すべてが 今まで知らなかった いや 気づかなかったことだらけでした。

 

ヒトは 自分の経験が及ばない部分を 想像力を働かせて補うことができます。

しかし 基礎となる経験が乏しすぎたら 想像力を働かせることすらできない。。。

 

そのことを 改めて思い知らされた 第3期でした。

 

自分が 片方の肺しか使わずに飛行していたことに気がつき

だから息苦しかったのか、と そのことに納得したとき

先が見えてきました。

自分が行こうとしていた、その先が。。。。

 

境遇とか、時代とか、運命とか そういう言い訳を武器にして振り回さず

やたらに流行を追いかけることも 懐かしい昔だけに囚われることもなく

2016年 50歳になる自分を しっかり生きる

 

当たり前のことだけど これが 僕の 今年 いちばんの目標です。

 

この日記の始めのほうに書いた通り、

「今のままの自分でいいんだ、自分は変わらなくていい」

という気持は 今も 確かにあります。

 

無理しない生き方、それは 確かに 自然です。

 

でも、変わらなきゃ って真剣に思うときが

次のステップにつながるチャンスなのだ

とも 思うのです。

 

「マイペースで行こう。

でも いつもいつもマイペースだと 向上することもないよ。

時に つらい思いを自分に課してこそ

その先に待っている達成感もひとしお、なんだと思うよ」

 

なじみのスポーツトレーナーが いつも口にしている言葉が これ。

 

挑戦。

50になろうと60になろうと これからもずっと 現状の自分に満足せず

チャレンジを続けていけたらいいな。

 

雨があがったら いろんなものがはっきり見える。

今日は とびきりの晴天になりそうだね。。。。

そんな曲に 思いをこめて。

 

本年も よろしくお願いいたします。

なぎさのペンギン

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