しんた/40代 ゲイ 東京在住
僕の場合、結核性髄膜炎で意識不明に陥りその後ある程度回復した状態で告知されました。それは母の突然死の約2ヶ月後でした。人間の致死率は100%であり、生命は永遠なんでことはありえない人間の命のはかなさを母の死をもって生まれて初めて考えていた矢先のことでした。
こんな状況であった為、告知された日は混乱するよりもまず「自分は後どのくらい生きることが出来るのだろうか」と意外と冷静に考えていた自分がいたような気がします。幸いにもパートナーのいる僕は、直後にPOSITIVEであることを告白し日々の不安や直面していると勝手に思い込んでいる死に対する恐怖感等、弱音を吐いたりしたこともありました。振り返ってみると、このような精神的に不安定な時期に自分をさらけ出してなんでも言える相手がいたことで非常に助けられた気がします。パートナーに本当に感謝です。「人間は一人では生きてゆくことが出来ない」とはよく言ったもので、死を意識すればするほど自分をさらけ出して話せる相手が必要なのだと本当に実感しました。もしかしたらこれは単なる我が儘かもしれませんけど。
結核の投薬との兼ね合いもあり告知から半年間は免疫力の低下が原因となり様々な病気になりましたが、現実を理解してくれている人が隣にいたためなんとかあきらめずに頑張れたのだと思います。
HAART治療を始めて半年以上経った現在、CD4の値も安定し日常生活は殆ど発病以前と変わらない状態まで回復しました。これから先後何年生きられるのかはわかりませんが、今はただ日々命の尊さを大切に生きて行こうと思っています。