矢島 嵩
web NESTの最後にあたって、
何を書いたらいいのかわからないまま、〆切が来てしまった!
ともかくキーボードまかせにつらつらと打ち綴ってみます。
どこかで本当に必要としている人に、
どれくらい役に立ったのか/立たなかったのか?
なかなか実感が得にくくて、
「これでいいはず」と言い聞かせる気持ちだけで勝負していたような、
“やじろべえ”のように不安定で安定?した日々だったように思います。
個人的にはきわめてアナログな生活をしているにも関わらず、
必要に迫られて苦手意識満載でインターネット上での活動をしていたことも影響していたかと思います。
双方向性を持ちにくい旧態依然とした仕組みを永らえてきたことも反省すべきだったと思っています。
それでも15年間続けてきたのには、
僕なりの意義がありました。
それは、少しおおげさに言うとこんな感じです。
不当に貼られた負のイメージを、
自身にさえ向けてしまう惨さが生む不幸がどこかにあるとしたら、
それをほんの少しでも軽減できる自分になりたかった。
病(やまい)を持ちながら生きることの不自由さだけでなく、
人間関係や情報の断絶がもたらす孤立は、
まさに人間がもたらすもの。
だからこそ、人間が何とかできることなのではないかと。
インターネット上で、地道に当事者の声をつむぎつないできたことが、
もしも、誰かが孤立から抜け出すきっかけになったり、
ちょっとしたよりどころになっていたとしたら、
やっていて良かったと思えます。
この15年間を俯瞰してみると、
抗HIV薬と情報システムが劇的に変わり、
あえて言葉を選ばずに言えば、
ヘビーなエイズが、イージーな慢性感染症に変わりました。
それでも僕の中にある厳しいイメージは払しょくされていなくて、
もしかしたらそんな僕みたいな人が、
いくつもの中継基地を経たインターネットの先の先にいるような気配がいまでもします。
でも、時代は移ろい、
僕のこの感覚はいまの時代の主流ではなくなっているかもしれません。
おそらく人もシステムももっと軽やかなものにバージョンアップされるべき時期が来ている、
僕もそう思っています。
至らないことばかりでしたが、
長きにわたり皆さん本当にありがとうございました。
矢島 嵩
最近、深夜のファミレスで
仕事の続きをすることが多いのですが、
この時間帯はけっこう味わい深い光景を目にします。
80代の老夫婦と思われるお二人が、
対面ではなく、お二人横並びに座って、
一人一皿ずつステーキを注文し、それぞれ完食!
何事もなかったようにレジに向かい帰っていった。
(こんな最強の健啖家見たことがない)
20代の女性が4人掛けのテーブルいっぱいに、
100枚以上の領収書を並べて、
入口のドアが開くたびに領収書がヒラヒラ飛びそうになるのを、
あっちを押さえ、こっちにタバスコの瓶を乗せたりしながら、
電卓をたたきつつ、
一人カルタ取りのような構えで必要な領収書を必至で整理。
(確定申告のシーズンだ~僕もそろそろ準備せねば~)
僕はと言えば、親切なウエイターさんが、
「デカンタのほうがお得ですよ」と教えてくれたにもかかわらず、
仕事に障るので1杯にするつもりだからと断固グラスワインにして、
きょろきょろと人間観察をしているうちに、
けっきょく追加で3杯飲んだあげくに、デカンタを頼みなおして、
そのあげくに飲みきれなくて残してしまった。
これは味わい深くもなんともない
ケチくさいのに不経済なただ優柔不断の呑んべーのお話し(汗)
矢島 嵩
このところ、大阪でのエイズ学会、製薬会社での講演、陽性者スピーカー研修・・・
立て続けにいろいろあって、
寒波とともに肉体的にも精神的にも少々疲れが。
慢性化しつつある腰が悲鳴をあげていて、
そうそう無理がきかない年齢なのかなーと。
今年はスポーツクラブにいって運動をしたり、
英会話の勉強をしたり、趣味を広げてみたり、
向上心をもってやってきたつもりだったのだけど、
残念ながら秋口には腰折れに。
でも、このままお爺さんになるつもりはないのです。
もう一花咲かせよう、来年こそは。。
矢島 嵩
住んでいるアパートに小さな前庭があって、
槿(むくげ)やクチナシや梅の木などが植わっています。
春にはメジロやシジュウカラなんかがやってきて
なんともかわいらしい。
秋になってからは、
ヒヨドリが来るようになりました。
よく公園などでみる鳥で、
ムクドリやツグミよりも一回り大きめな
地味なグレー系の鳥です。
公園だからこそ“大きめ”だったけれど、
ベランダで見るとなんとも巨大。
けっして可憐とは言えないけど、
ワイルド感アップしました(笑)
矢島 嵩
いつになく夏野菜をたくさん食べてるなと思います。
ナスを炒めてしょう油をタラりとか、
キュウリの塩もみとか、
ただ冷えたトマトだったりとか。
これって幼いころに回帰しているのかな?
僕にとっての夏は、
夏休みのプール、
テレビで見てた甲子園、
そして戦争。
塩素くさいタオルのにおいや、
アナウンサーの七五調とともに、
“戦争を知らない子供たち”にも戦争の記憶がある。
本当のことを知っているのかと言われれば、
本当は何も知らないと思う。
でも、たしかにあのころの音やにおいとともに、
ひとつながりになった記憶があって、
夏になると思い出すのです。
同年代のパートナーに
「なんでそんなにナスが好きなの?」と聞かれ、
「だって、しみじみしてるじゃないって」答えた。
そういうお年頃なのかも?
矢島 嵩
母親が体調を崩し入院をしました。
あれこれ検査をしていろいろな可能性を探っているのだけれども、
どうも原因がはっきりしない日々が続いて……
僕は、そういった情報を
80代半ばで少し耳の遠い母親がかけてくる
談話室からの[コウシュウデンワ]と表示される電話を頼りに収集していたのだけれども、
やはり情報が断片的でどうもよくわからない。
意を決して、
病棟のナースに電話をかけ、
主治医との面談をアレンジしてもらい、
主治医から説明を受け、
明るい見通しがつき、
ほっと一安心。
主治医の説明は明快でわかりやすいものだった。
だけど、これを自分のことに置き換えて理解して受け入れるって、
高齢な母でなくてもちょっとした技術というか、
発想の転換がいるような気がする。
つまり、自分が感じている「実感」といったものと、
主治医が説明する「データ」の間にはギャップがあって、
それをどうやってしっくり自分に納得させるのかといった、
当事者ならではの困惑と課題があるのだなって。
それから、
自分では医療との付き合い方をそれなりに学んできたつもりだけど、
自分ではなく身近な人のこととなると、
自分のこと以上にもどかしさがあって……
難しいもんですね~
矢島 嵩
信州へ行ってきました。
北アルプスを眼前に、
新緑がほんとうに鮮やかで、
短い旅行だったけど、
細胞ひとつひとつが蘇ったような、
気持ちの良い数日だった
矢島 嵩
薬の組み合わせを変更して、
それに合わせて服薬スケジュールも変えました。
1日1回は変わらないのですが、
しっかり食べたあとに飲む薬に変更したので、
寝る前から昼食後に。
昼食を抜くことはめったにないので、
薬を飲み忘れることもないだろうと思ってた……
ところが、午後3時くらいに、
「あれっ?飲んでない!」と気づくことが何度も……。
寝る前に飲んでいた時は、
一日中のほとんど服薬のことは忘れていて良かったのだけど、
今度は日中に忘れないようにしないといけない。
「1日1回 食後」という処方箋は同じなので、
医療者の視点だと大きな変化ではないかもしれないけど、
当事者の視点だと生活や心構えがけっこう変わるもんだなって、
つくづく思ったものです。
習慣って、定着するまでに
少しばかり時間とストレスを必要とするんですね。
矢島 嵩
まだまだと思っているうちに、
急に春めいてきて桜が開花し、
見ごろかと思って繰り出したら雨、、、
思うようにならないのが常です。
さらに今年は尿酸値を気にしながら、
ちびりちびりといかないと、、、
人生もまた季節の移ろいに似て
思うようにはなりませんね〜
矢島 嵩
6年くらい会ってなかった
ポジティブの友だちと、
急に連絡が取れるようになり、
久しぶりに食事に行って、
お茶を飲んで、
たくさん話しました。
この6年の間に、
お互いに歳をとったわけだけれども、
それ以上に彼は
肉体的にも厳しい状況を切り抜けてきたことを知りました。
やはり暮らしにくさを抱えているように思えたけど、
不自由ながらも日々を楽しんでいるようにも見えたし、
たぶんそのどちらもあるのでしょう。
いざというときの粘りというか生きる力というか、
とにかくすごいなーと・・・
いろいろなことをぐるぐると考えながら帰ってきました。