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特定非営利活動法人化

特定非営利活動法人 ぷれいす東京 に名称を変更します

 ぷれいす東京は1994年6月に誕生しました。91年には東京でキルト展が行われましたが、その頃から東京で電話相談とケア(バデイ)とネストを運営してきた仲間たちと共に、新しいCBO(地域にねざした民間活動)をめざして旗揚げをしたのです。その頃から言えば10年、ぷれいす東京となってから6年、思えば「速い」の一言ですが、このたび特定非営利活動法人(NPO)として登記(2000/10/10)されました。21世紀を目前にしてセカンドステージをむかえたといえるでしょう。
 この6年の変化はすごいです。
 机と電話機だけだった事務所はIT革命にさらされています。コンピューターが6台。メール相談、メール連絡が急増、ホームページを立ち上げて、コンピューターを駆使して啓発ビデオも手作り。池上はなんと、この波にほとんどおぼれて、有能なスタッフに教わり支えられて、「代表」とは名ばかりで、かろうじて漂っております。
 6年前には、国際エイズ会議がはじめてアジア(横浜)で開催されました。その時は「プロテアーゼ阻害剤とはなんぞや?」という頃、AZT単剤の効果にはじめて科学的に疑間がなげかけられ、新薬の情報や入手の方法をめぐっていろいろなことがあり、その渦中で亡くなっていった仲間たちの姿を忘れられません。
 4年前にはじめて合宿をしたネストの「女性プロジェクト」は、パンフレットの制作からポジティブ女性のホームページまでに活動が広がりとにかくエネルギッシュです。
 ゲイグループは、独自の啓発活動や研究をとおしてコミュニテイと行政・研究職をつなげた新たな活動路線を拓いています。
 バデイは入院先の短期支援から長期の生活伴走型支援にはっきりとシフトしました。
 陽性者への個別面談、相談はこの3年で2倍になりました。
 ネストののべ利用者はついに年1000人を越えました。
 いくつかの自助グループができました。
 そして、地道な日常活動でぷれいす東京を最初から支えている電話相談活動。某専門家の言うように「検査は減っても相談電話は減らない」のです。毎年報告している相談分析は日本国民へむけた普及啓発教育の評価の指標になっています。
 そしてこの6年、事務所や活動を支えてくれたスタッフのみなさん、支援してくださったみなさま、名称は長くなりますが、柔軟で効率よく、密に当事者と組んだ民間活動に変わりはありません。今後ともどうぞよろしくお願いします。

池上千寿子

ぷれいす東京Newsletter No.29(2000年10月号)より

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