陽性者と家族の日記

風に吹かれても

 

台風が去った後に いきなり木枯らし。。。

“もうそんな季節なのか”と思いつつも

先日のニュースにはちょっとびっくりさせられました。

台風の去った後は ”フェーン現象”で気温が急上昇する、

というのが”相場”、よくあるパターンだと思っていたのに。。。

 

でも よく考えたら 不思議でもなんでもない話なんですね。

風は気圧の高いところ(高気圧)から低いところ(低気圧)に向かって吹きます。

南にあたたかな高気圧があれば北上する台風に向かって暖気が流れる、

でも 北に冷たい高気圧がある場合は 南にある台風に向かって

北から冷気を流し込む、という 分かりやすい理屈で。

 

夏に吹く風は爽やかで心地良いけど、冬に吹く風は寒くて厳しい。。。

これはあくまで人間の感じ方であり 風にとったら知ったことじゃないし

人間に加減してくれるわけでもありません。

ただ、気圧の高いところから低いところに向かって吹くだけ。

風は気まぐれ、と言われますが 本当に気まぐれなのは風じゃなく

自分に都合の良いような解釈をしちゃう 人間の方なんでしょう。

 

春のはじまりは「春一番」、冬のはじまりは「木枯らし」。。。

日本人は 季節のうつろいを ”風” という自然の言葉で表現してきました。

もちろん 自然だけじゃなく。。。

それまで追い風に乗って飛ぶ鳥を落とす勢いだった人たちが、

あることをきっかけに風向きが変わり 突然 逆風にさらされるハメに。。。

なんて。。。最近 どこかで 何度もお目にかかったような風景。。。(^-^;

人間の移ろいやすい心を表すときにも 「風」は 比喩的に使われていますよね。

 

風の”勢い”や”流れ”って 自分にとって都合が良い時は歓迎するべき存在ですが

その反対の立場に立った場合には怖いんだなあ。

だからこそ みんな ”風の吹く向き”を読みたがるんだろうし

予想外の風にあおられて炎上することを恐れているんだろうな。

 

でも そんなことを気にする人たちばっかりの世の中って

ちょっと どうなんだろう?

“意外性”を恐れて 現状維持に終始してばかりじゃ

“新しい何か”が生まれにくくなるんじゃないないの?

(もう とっくに なってる?)

と  思う気持ちが あります。

 

風がどちらの方向に向くのか、雲がどちらの方向に流れるのか分からない

でも そのことによって失われる人の命を 少しでも救いたい。。。

天気予報は そんな人々のささやかな願いから始まったそうです。

 

いつのまにか 単に世の中を動かすための情報源(材料)の一部になって

予報が当たりか外れか、その部分だけに興味が集中しているような気がして。

 

風の吹く理屈すらよく知らない人たちが なぜ?

 

天気の話だけに限りませんが

予測可能なことだけを大事に抱えて生きてくのって

なんだか 味気ないような気がします。。。(^-^;

 

意外なエピソードを含めて 全部がまるごとになってこそ

ホントに生きてる ってことだと思いますから。

 

どんな風に吹かれても

時には避けながら

時には追い風として うまく味方につけながら

何が起こるか分からない海で 自分の船に帆を張り

なんとか乗り切って 先を目指す、

僕は そんな風に行き(生き)たいです。

読めない風向きみたいに いろいろと複雑な時代ですけれどね。

 

北風の強い、青く澄んだ空を見上げながら

ちょっとドヤ顔 で。

 

 

 

 

 

 

なぎさのペンギン

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