陽性者と家族の日記

現在は11人の性別、年代、セクシュアリティ、住んでいる地域など、さまざまなHIV陽性者が日記をつづっています。HIV陽性者の何でもない日常や、ちょっとした生活のかけらに触れてみてください。
また、旧web NESTのあれこれリンク集「HIV陽性者のサイト」「陽性者のパートナー・家族・友だちのサイト」に掲載させていただいていたサイトはこちらでご覧いただけます。

部署異動

ひろき

異業種、他業界への転職をしてから早くも1年間が経ち、同じ社内で他部署に異動になりました。

振り返ってみれば、これまでのキャリアと異なる業務内容に最初は戸惑いもあったのですが、
目に見える数字で傷跡を残せました。

歳を重ねてよかったなと思えるのは、
こういったことの積み重ねで、
少しずつ、どうにかなるさ、と思えるようになることではないでしょうか。

日本を出て海外で生活することの楽しさもたくさんありますが、住み続けるには色々あったりして。きっと日本にいても、色々あるだろうから、
苦労とか困難って言葉は使いたくないのですが、
色々あります(笑)

色々あった後に、その先でしか経験できなくなるような、また色々楽しいことや出会いがあります。

今度は、どんな色々があるのかな。

9月が終われば

なぎさのペンギン

☆20☆

HIVを
“自分の問題”として
とらえるようになって
今年で20年になります

あっという間でした

とりあえず
ここまでは来ました

学んだこと
ほんとにたくさんあります

たとえば…

思っていたより〇〇だな、
っていう気持ちと
いや そうでもない と
否定する部分 と

ほとんどのものごとに
たいていの場合は
この両方が備わっていて
ただし 配合比率が
それぞれ違う

どう見きわめるか
めっちゃ大事

とか

「自分を大切にする」ことの
本当の意味は 時間をかけ
ゆっくり 自分の中になじんでく
だから感情には”流されまい”

時には 外を見て
風にも当たらなきゃ
そこから先へは進めない

など…

もちろん

自己管理は”肝”

時間が経つごとに 生きなきゃ、
という思いが高まり 自分を
鍛えるのが楽しくなりました

でも
まだ終わりじゃない
(と思いたい)

僕にとっての
“このあとの20年”

どこまで続く?

たまに考えます

時間の大切さをかみしめつつ

昼も夜も
たまには “自分のペース”ででも
駆け抜けられたら

まあ いいでしょう

☆LOST☆

毎年 この時期に

「Wake me up when September ends」

という曲を聴いています

ちょうど20年前
アメリカのロックバンド
Green Day(グリーン・デイ)が
発表した 世界的ヒット曲です

“9月が終わったら起こしてね”

という題名は

“10月になるまで眠らせて”

を意味しているのかな

ヴォーカルの ビリー・ジョー・
アームストロングは 10才の秋
9月に 父親をガンで失いました

失意の経験をもとに
20年後 当時の気持ちをつづった
歌を作りました

自分と同様に残された母親を
なんとか励まさなくちゃ と
けなげに耐えつつも

“ちょっとだけ 泣き暮らしてもいい?
少し休んだら 立ち直れるからさ”

ビリーは そう考えたのか

すごく残念だけど
“サヨナラに強くなる”のって
とっても大事なことだと思う

それでも
大切な人が世を去った
その”月”の記憶は
永遠に忘れられません

あのときの空気感
眺めた景色
すべてが そのまま残る

毎年4月に父の命日
母が10月
そして突然 世を去った
亡きパートナーの11月

僕には3回

あとひと月ちょっと
彼が愛した九州へ
6年ぶりに行ってきます

揺れ続ける世界で

たくさんの人たちが
少しでも 笑顔を浮かべて
暮らせますように

疾走

なぎさのペンギン

暑かったのは 確かです

ただ 僕はもともと
暑さに強い、というか
夏向きにできてる人間
草津のような熱めの風呂
も大好き

現在の住みかは
最高気温で有名な北関東
今年も40℃台を何度か経験し
感覚がマヒしちゃったかな?

炎天下に 自転車で往復50KMの
ツーリングに5回挑みました
アスファルトの上は灼熱でも
水を貯えた田んぼの脇道が
こんなに涼しいなんて!
吹き抜ける風が噴き出る汗を
瞬時に乾かして 爽快でした!

相方くんと行ったお祭りや花火
仕事で高評価をもらえたこと

特に問題なく
毎日 楽しく走り回れて

これ以上の高望みは バチ当たり
かな?

☆さよなら夏の扉☆

どんなことにも
終わりは必ずあるんだな

(たぶん)今年最後の猛暑日

昼過ぎまで照っていたのに
いきなり 雲が湧いてきて
写真のような 不可思議な
空に変わりました

あ、はるか上空で いま
シベリアからの空気が
吹き込んでいるんだ

夏の扉 これで閉まるな
バイバイ 来年また会おっ

いきなり
ナイアガラが落ちてきた

しぶきを上げる突然の大雨
20分で気温が10℃も下がり
瞬時に 新しい世界に

秋ですね

☆雨燦々☆

河合優実ちゃん、3yrs ago!

人を動かす

ひろき

仕事は順調になれてきたのですが、
最近あらためて、人に仕事を依頼したり、指示することがどんなに難しいことなのか、
とあらためて感じています。

国も違えば世代も異なるスタッフをまとめるのも、一苦労です。
結果、良い経験になればよいのですが。

そこで最近思い出したので、学生の頃に新聞広告でみた
『人を動かす』(“How to Win Friends and Influence People”)
というタイトルの本。

読んでもないのに、中身を読んだかのような気にさせてくれるタイトルなのですが、
どうやらマネジメントの古典といわれているらしいです。

藁にもすがる気持ちで、久しぶりに読書をしてみようかなと思うこの頃です。

Welcome !

なぎさのペンギン

☆15年☆

5月の終わりに
15年以上の付き合いになる
海外の友だち数名が 相次いで
日本にやって来ました

HIV+の人も そうでない人も
おひさしぶり~ のあいさつ

僕は観光の仕事もしていますが
最新の日本トレンドについては
実は彼らの方が詳しかったりして

↑反省しろよ!

旬のスポット、食事や買い物、
博物館等で一緒に過ごし

でも、お茶の合間に
Doxy-PEPに関する話題も
スッと出てくるあたり
なるほど 今は2025年なんだ
と思いました

考え方も違えば生き方も違い
信じる神様や夢中になる対象も
バラバラ そこは干渉せず

ってか 違い過ぎて
お互いよく分かってないはずで

にもかかわらず…
じゃないな
だからこそ 許容しあって
続いているんでしょう

6月のプライド行事への参加も
彼らの目的の一つかも ですが
僕は仕事で時間が取れず

別グループですが
“相方くん”も友だちと一緒に
笑顔で週末を過ごしました

行けなかったけど
僕もうれしい !

☆45年☆

最近の もうひとつの収穫は
学生時代の友だち数名と
家から近くの観光地に
旅行できたこと

出会ってから もう45年

子育てもひと段落
孫に恵まれた友もいます
定年退職も間近に迫り
時間的に余裕ができたこそ
の タイミング

お互い 変わったようで
中身は ほぼ変わってない?

いやいや
旅だからこそ可能になった
じっくりと話を聞く時間の中で

それぞれの人生で
実は本当は 色々なことが
あったんだなと
ふだんは 何も言わないけど

この時だけは

ああ 年を取ってよかったな

そう思えました

☆55年☆

仕事がてら 2025大阪万博
に行ってきました

いろんな批判はあるみたい
けど僕には すごく楽しい
イベントでした

1970年万博の当時、
既に生まれてはいたけど
幼な過ぎて家でお留守番
今回が わが人生 初万博

自分がどんな場所に
生まれ 育ち
他とは何が違うのか?

“自分の価値観”の意味を
おのれに問いかけた
貴重な時間になりました

サステナブルに生きる
時代を反映してか
技術革新を賞賛する展示は
控えめ(個人の印象)
経済的な先進国より 中東や
中央アジア、アフリカ諸国の
存在感が際立っていたな

個人的には

同じ言葉を話し
同じ肌&髪の色の
人たちしか周囲にいない
のがあたりまえ

では もうなくなっています

僕が暮らす街には かなり
多くの外国人が暮らしていて
最近 その中の何人かと
知り合いになりました
(まだ友とは呼べないレベル)

あえて知る機会の少ない
彼らの母国はどんなところか

未知を知に変えられたら
自分の境界線が 少しは
あいまいになるかな?

大屋根リングの上から
自分と その回りにある
さまざまなものの行く末を
夜風に吹かれながら
ふと 考えてみました

これから万博に行かれる方へ…
会場内 め~っちゃ歩きますよ
その覚悟は必要
暑さ対策も必須やね !

☆Forbidden Road☆

夜の世界へ

ひろき

すっかり近況報告がご無沙汰してしまいました。
転職した業界は以前とは全く異なる飲食業界なので、
学ぶことばかりでジェットコースターのような毎日を過ごしています。

ご縁があって、ロンドンの歓楽街・ソーホーで夜の仕事に関わっています。
同僚が若いので、気持ちだけは若返ったような気分です。
身体はちゃんとおっさんなんですが(笑)。

学生時代以来、接客は未経験だったのですが、
向いてなくもないような気がします。
楽しいこともありますが、もっと自信や年齢相応の貫禄があれば、と願ったり、
不甲斐ない自分に落ち込んだりもします。

新しいことに挑戦するのは貴重な体験だし、
あとから振り返って“二度目の青春”と呼べるようにがんばります!

たがいの距離

なぎさのペンギン

昨年の今ごろは
健康診断でチェックが入り
ちょっとヒヤヒヤ…

今年は自信をもって 元気に
春を迎えられた気がして
うれしいです

☆2025年の桜☆

雪が降る一方で、
最高気温が25℃以上の
夏日も観測された
2025年3月

不規則な天候にも関わらず
桜並木は 今年も輝くような
白の世界を描いてくれました

☆たがいの距離☆

僕が住んでいる関東郊外の街は
アジアからを中心にした
一定数の 外国の人々が
暮らしています

多くは学生ですが、民間企業、
小学校や中学校のALT(英語指導
助手)として働く人たちも
増えてきました

今年は地元の日本人も一緒に
お花見会を行いました
彼らの日本語のうまさには
あらためて驚かされたな

でも、日本語ペラペラなら
万事が順調か、といえば
そうでもなく…
意外な悩みがあるようです

たとえば 日本人は
人間関係を円滑にするため、
無意識に 他人に頭を下げ
”けんそん”の態度を示します

これは独自の文化で
この国に生まれ育って 肌感覚で
身についたものであり ことば
の能力とは直接関係ありません

けれど
日本語が流ちょうだ、と
いうだけで
こうした社交辞令まで
日本人と同等のレベル
を求められがち

そうでないと分かれば
「やはり外国人だね」と
距離を置かれてしまう

そもそも なぜそこまで
要求するのだろう?
それ 本当に必要?
という話で…

そんな僕自身も
他国の文化について
知らないことだらけです

そこで 最近は仕事上でも
世界の国々を調べる
という準備に、より
時間をかけるように
なりました

世界の情勢がどんどん
難しくなりつつある今

せめて 個人対個人 の関係では
たがいの距離を縮めたい

という思いが 常にあります

☆不意のお知らせ☆

先日、5年来の友だちに
自分の病気について
伝えました

おたがい忙しく それほど
ひんぱんには会えないけれど
会った時には けっこう”深い”
話もする間柄

いつかはちゃんと…という
気持ちがずっと 僕の中に
あったけど チャンスがなくて

健康にからんだ話が出た
タイミングだったので、
自然と口から流れ出ました
自分としてはスムーズに
話せたと思っています

「そうなんだ
自分の周囲にも何人かいるよ」

という反応

なんというか…
話しやすかったな

現在のパートナーに出会い
付き合うまえに伝えたときも
似たような反応だったことを
思い出します
2000年代前半とは やはり
状況がずいぶん変わってきた
ようですね

正直 ホッとした
5年かかったけど 時間をかけ
タイミングを見極めてよかった

ありがとうね


☆ネーブルオレンジ☆

ご無沙汰しております

やっちゃん

大変ご無沙汰しております。

最近は、双極性障害としては安定しております。

昨年より、就労移行支援事業所に通所してます。

そして、今回HIVの障害者手帳を活かして障害者雇用で就労を目指す事にしました。

職種は、事務補助か介護の経験を活かし福祉関係にするか迷っているところです。

今年の夏までには、就職する予定です。

以上近況報告でした。

またね❣️

HOME

なぎさのペンギン

駆け込みで冬がやってきた、
いきなり寒い 令和6年の暮れ

今年も 世界で 日本で
さまざまな動きがありました
(来年は さらに大きな”うねり”
がやってきそう?)

僕にとっての2024年は…

重大な忘れ物や失くし物を
せずに済んだ(ラッキー)

少しづつ体を軽くし、
運動量を増やしたおかげか
気になっていた検査結果の
値が改善した
(カゼなどで体調を崩すこと
もゼロで 幸運を思い知りました)

などが挙げられるかな?

毎年のことですが、結局は
一年を通じ無事に過ごせた
ことへの感謝に尽きます

30代、40代、50代…

年を取るにつれ、
変化に対する柔軟性が
どんどん失われていく
不安がありました

”頑固”になりたくない、
なるまい、と 逆に
意固地になったり

努力なくしては先に進め
ないことが どんどん増え
プレッシャーに感じた時期も
あったけど

50代の最後を迎えた今は
現状が楽しい !

マイペースよりも
適度な調子で 何かに
”せっ突かれる”ことが
日々の生活に
緊張を与えてくれる

「だらだらすんな!
スピード落ちてんぞ! 」

みたいにね

今の自分にとっては
それがいちばん大切な
メッセージに思えます

☆2025を前に☆

次々と更新されていく
テクノロジーや価値観に触れ、
頭をメンテナンスする作業

もちろんだけど、
アップデートはやっかい
でも それすら ”楽しい! ”
と 感じられたのは…

過酷な競争社会を生き抜いて
きた 若い世代の人たちから
今年も たくさん学べたから

僕は未婚で子供がいないので
そうした機会は貴重なんです

そして
僕にとっての HOME
安心できる 居ごごちのよい
場所があることは 大きいです

笑顔をもたらしてくれて
いるのはまちがいなく

生まれた場所に戻って
新たな人たちとめぐり逢って

“うん、自分はここがいい、
これがいい”

と 言い切れるようになった
から、”今” があるのだと
実感します

だからこそ

ふだんは 安全地帯である
ホームを離れ、ちょっと
背伸びして冒険しよう、
チャレンジしてみよう、
と考えるのかも

毎日を支えてくれている
先端技術や 人々の優しさや
恵まれた環境に
たまたま 出会えた

偶然の連続の上に成り立って
きた 僕なりの25年
”四半世紀”

その大半を
HIVと過ごしたのか…

そう考えると 感情を超えた
不思議な感慨を覚えます

月並みな言葉だけど、

本当にほんとにありがとう !

そう伝えたい

もちろん、まず一番は
最愛の あの人たちに!

☆HOME ~42 years later☆

42年前か~

あの頃は高校生でした!

当時を知らない人たちが
もう たくさんいますよね

☆歩道橋☆

横断歩道か、歩道橋か…
どっちにしよう?

いや、”答え” なんてない

いつまでも
そう思える自分でありたい

☆It’s beginning to look a lot like Christmas☆

心も体も暖かくして
すこやかで ゆるりとした
年末年始をお過ごしください !

大家さんが他界

ひろき

私が部屋を借りている物件の大家さんがなくなりました。
確か、100歳近かったのですが、
パンデミック前までは、同じ建物内に、住んでいました。

大家さんはコロナ禍前の時点で、93歳の英国人で、
一人暮らしをしていました。
すごく親しかったわけではないのですが、
よくテレビで国際政治に関するニュースを見ていたのを覚えています。

一度、大家さんが自分の人生で一番喜んだ出来事として、日本が第二次世界大戦に敗戦したこと、
と挙げて、すごい英国式ブラックジョーク、だなとドン引きしました。
よくよく話をきいてみたら、当時、ケンブリッジ大学の学生だった大家さんが、
戦争が長引けば徴兵制のために、
出征しなければいけなかったそうで、それを避けられたのが嬉しかった、のだと。
いまとなっては、私のイギリスでの生活のかけがえのない思い出です。

合掌