現在は11人の性別、年代、セクシュアリティ、住んでいる地域など、さまざまなHIV陽性者が日記をつづっています。HIV陽性者の何でもない日常や、ちょっとした生活のかけらに触れてみてください。
また、旧web NESTのあれこれリンク集「HIV陽性者のサイト」「陽性者のパートナー・家族・友だちのサイト」に掲載させていただいていたサイトはこちらでご覧いただけます。
なぎさのペンギン
個人的な印象では
穏やかで過ごしやすい
冬の入口
みなさんにとっての
2025年
どんな年でしたか?
☆準備☆
時は “10年”を
ひとくくりにして
測られますが
来年早々、誕生日を
迎える僕には
2025年は 次の10年に
進むための準備の年
お金のこと、健康のこと
日々の生活の中の幸せ
壁にぶち当たることも
よっしゃー!とガッツを
決めたくなるごとも
両方 いっぱいあったけど
どんなときも
僕を支え
先への道標を示して
くれたのは
「ひと」や
「ことば」
との出会い
それに尽きます
☆ちょっとした魔法☆
“物事には良いも悪いもない、
それを決めるのは自分の心だ”
(there is nothing either
good or bad, but thinking
makes it so.)
シェイクスピアの戯曲
「ハムレット」第2幕の
主人公ハムレットの
セリフです
劇中では
彼が自分の身の上を嘆く
切ない場面で語られますが
ネット上では
落ち込んだ自分を
励ますミームとして
”ドンマイドンマイ、
どう受け取るかは
自分自身の心の問題
前へ進もっ!”
といった 逆の解釈を
数多く見かけます
シェイクスピアの意図
とは逆方向で成長してく
なんていい加減な
でも
だからこそ
言葉の魔法は面白く
(ときに怖くもある)
つまり
どっち側からものを
見てるかの問題であって
1つの正解なんてないはず
という理解 こそが
大切なのでは?
僕が知ったのは
推しの女性グループの
元アイドルが ある
ラジオ番組で紹介して
くれたのがきっかけ
(もう十年近く前に
卒業してますけど)
僕自身
パートナーを亡くした
あの時はもちろんのこと
いまだにこの言葉がもつ
“チカラ”に 強く強く
励まされていて
別の元アイドルは
「人は 自分が会うべき
人とは どこかで必ず
会える」
って教えてくれたっけ
(こちらの出典元は 多分
哲学者の故・森信三さん)
これ…
マジ 当たってる
僕には
出会うべきだったのは
ふたり(血縁以外で)
彼らのいろんな考え方が
今日の自分を
作ってくれました
☆草千里☆
僕をアイドル好きの
”道”にひっぱり込んだ
のも もとはと言えば
亡くなったパートナー
いろんな感謝が
言いたくて
久しぶりで 彼の郷里の
九州へ行きました
めっちゃ久しぶり
阿蘇の草千里
だだっぴろい草原で
草を食む牛や馬たち

他国からのツーリストも
予想以上に多かった
浅草でも富士山でも
京都でもない日本を
知ってもらえて
うれしいです
バスの乗り方や支払いに
困っていると 仕事柄
声をかけてしまう自分
滞在先のホテルでは
他の旅行客と話し
遠い海の向こうの国々
へ 空想を広げました
☆Let it snow☆
今 ここにいる
自分の居場所と時間に
つなげてくれた
さまざまな出逢い
改めて心からの
感謝を伝えたいです
素敵な年末年始を
お過ごしください!
☆Feliz Navidad☆
☆Jingle Bells☆
なぎさのペンギン
今年の日本映画で
最もサプライズだったのは、
『国宝』でしょう
歌舞伎を正面から扱った
映画じたい 非常に珍しい
気がしますが
かつて歌舞伎と映画の間には
非常に深いつながりがあった
事実は あまり知られていない
と思います
日本で初の劇映画が作られた
のは1899年(明治32年)
当時の映画俳優は
歌舞伎界の出身者ばかり
女性の配役も すべて男性
(女形)が演じました
「なぜ 男性が女性の役を?」
という疑問(元の歌舞伎から
してそれが伝統です)
への答えは いくつかあって…
女性が”表舞台”に出てくると、
男性が騒ぎ立てる(男性観客が
女性を性的な視線で見る)ので
風紀が乱れる
というのが
表立った理由だったよう
加えて 古くからの
男尊女卑の慣習が
背景にあったのも
言うまでもないでしょう
舞台の世界では
映画界より早く女優が現れ
しかし 世間からは
“男たちに媚びる女”と
軽蔑の対象だったとか
それでも 松井須磨子さんなど
人気者たちが世に出てくると
人々の意識も変わっていきます
日本初の”映画女優”の誕生は、
大正時代の中期
歌舞伎の興行主、松竹から
独立し生まれた”松竹キネマ”
という会社が 1912年(明治45年)
俳優養成所で 男女優の募集を
始めたことがきっかけ
と言われています
明治後期からの 約20年間で
ヨーロッパなどの影響を
受けた日本にも 民主主義の
理念が根づき始め、
女性の地位向上の機運も
高まりました
“大正デモクラシー”
ですね
しかし
現実を変えるのは
いつの世でも
簡単ではなく
“男性優位”の状態が
その後もずっと続きながら
現在に至ります
(芸能の世界だけに限らない
話ですけれど)
吉沢亮さん、横浜流星さんと
いう男性陣の人気もあってか
映画館には若い女性観客も
数多く詰めかけている、と
聞きますが
先の時代に生きた女性たちが
遠いあちら側から いまの
世の中をどう眺めているのか
つい 想像したくなります
来年の米国アカデミー賞では
国際長編映画部門日本代表に
選出された『国宝』
訪日客の期待も非常に高いです
歌舞伎独特の華やかな外見
だけでなく
百年以上をかけ
変わっていった
変わらなかった
性別を問わず
大勢の人々の
日々のあゆみの先に
いまの 僕らの
“日本人らしさ”
がある
広い視野から
歴史を 文化を伝えないと
それだって
重要な”国宝”なんだから
という思いは ありますね
ひろき
ホスピタリティ系の部署から、オフィス勤めに異動して、
一か月以上が経ちました。
毎日、毎週がすごい勢いで過ぎ去っていきます。
日々、新しいことを勉強、そしてできなかったことを反省する毎日です。
こういう時、人生に何回かあるし、今までも乗り切ってきたから大丈夫、と
自分に言い聞かせてます。
歳を重ねていくことのよいことは、以前の体験から、
無責任に楽観的になれることかもしれません。
でも、いつになったら、慣れるんだろう、と思いながら、
前に進んでる、のかな?なんて思ったりします。
きっと、今は貴重な時期だと自分に言い聞かせています。
ひろき
異業種、他業界への転職をしてから早くも1年間が経ち、同じ社内で他部署に異動になりました。
振り返ってみれば、これまでのキャリアと異なる業務内容に最初は戸惑いもあったのですが、
目に見える数字で傷跡を残せました。
歳を重ねてよかったなと思えるのは、
こういったことの積み重ねで、
少しずつ、どうにかなるさ、と思えるようになることではないでしょうか。
日本を出て海外で生活することの楽しさもたくさんありますが、住み続けるには色々あったりして。きっと日本にいても、色々あるだろうから、
苦労とか困難って言葉は使いたくないのですが、
色々あります(笑)
色々あった後に、その先でしか経験できなくなるような、また色々楽しいことや出会いがあります。
今度は、どんな色々があるのかな。
なぎさのペンギン
☆20☆
HIVを
“自分の問題”として
とらえるようになって
今年で20年になります
あっという間でした
とりあえず
ここまでは来ました
学んだこと
ほんとにたくさんあります
たとえば…
思っていたより〇〇だな、
っていう気持ちと
いや そうでもない と
否定する部分 と
ほとんどのものごとに
たいていの場合は
この両方が備わっていて
ただし 配合比率が
それぞれ違う
どう見きわめるか
めっちゃ大事
とか
「自分を大切にする」ことの
本当の意味は 時間をかけ
ゆっくり 自分の中になじんでく
だから感情には”流されまい”
時には 外を見て
風にも当たらなきゃ
そこから先へは進めない
など…
もちろん
自己管理は”肝”
時間が経つごとに 生きなきゃ、
という思いが高まり 自分を
鍛えるのが楽しくなりました
でも
まだ終わりじゃない
(と思いたい)
僕にとっての
“このあとの20年”
どこまで続く?
たまに考えます
時間の大切さをかみしめつつ
昼も夜も
たまには “自分のペース”ででも
駆け抜けられたら
まあ いいでしょう
☆LOST☆
毎年 この時期に
「Wake me up when September ends」
という曲を聴いています
ちょうど20年前
アメリカのロックバンド
Green Day(グリーン・デイ)が
発表した 世界的ヒット曲です
“9月が終わったら起こしてね”
という題名は
“10月になるまで眠らせて”
を意味しているのかな
ヴォーカルの ビリー・ジョー・
アームストロングは 10才の秋
9月に 父親をガンで失いました
失意の経験をもとに
20年後 当時の気持ちをつづった
歌を作りました
自分と同様に残された母親を
なんとか励まさなくちゃ と
けなげに耐えつつも
“ちょっとだけ 泣き暮らしてもいい?
少し休んだら 立ち直れるからさ”
ビリーは そう考えたのか
すごく残念だけど
“サヨナラに強くなる”のって
とっても大事なことだと思う
それでも
大切な人が世を去った
その”月”の記憶は
永遠に忘れられません
あのときの空気感
眺めた景色
すべてが そのまま残る
毎年4月に父の命日
母が10月
そして突然 世を去った
亡きパートナーの11月
僕には3回
あとひと月ちょっと
彼が愛した九州へ
6年ぶりに行ってきます
揺れ続ける世界で
たくさんの人たちが
少しでも 笑顔を浮かべて
暮らせますように
なぎさのペンギン
暑かったのは 確かです
ただ 僕はもともと
暑さに強い、というか
夏向きにできてる人間
草津のような熱めの風呂
も大好き
現在の住みかは
最高気温で有名な北関東
今年も40℃台を何度か経験し
感覚がマヒしちゃったかな?
炎天下に 自転車で往復50KMの
ツーリングに5回挑みました
アスファルトの上は灼熱でも
水を貯えた田んぼの脇道が
こんなに涼しいなんて!
吹き抜ける風が噴き出る汗を
瞬時に乾かして 爽快でした!
相方くんと行ったお祭りや花火
仕事で高評価をもらえたこと
特に問題なく
毎日 楽しく走り回れて
これ以上の高望みは バチ当たり
かな?
☆さよなら夏の扉☆
どんなことにも
終わりは必ずあるんだな
と
(たぶん)今年最後の猛暑日
昼過ぎまで照っていたのに
いきなり 雲が湧いてきて
写真のような 不可思議な
空に変わりました
あ、はるか上空で いま
シベリアからの空気が
吹き込んでいるんだ
夏の扉 これで閉まるな
バイバイ 来年また会おっ
いきなり
ナイアガラが落ちてきた
しぶきを上げる突然の大雨
20分で気温が10℃も下がり
瞬時に 新しい世界に
秋ですね
☆雨燦々☆
河合優実ちゃん、3yrs ago!
ひろき
仕事は順調になれてきたのですが、
最近あらためて、人に仕事を依頼したり、指示することがどんなに難しいことなのか、
とあらためて感じています。
国も違えば世代も異なるスタッフをまとめるのも、一苦労です。
結果、良い経験になればよいのですが。
そこで最近思い出したので、学生の頃に新聞広告でみた
『人を動かす』(“How to Win Friends and Influence People”)
というタイトルの本。
読んでもないのに、中身を読んだかのような気にさせてくれるタイトルなのですが、
どうやらマネジメントの古典といわれているらしいです。
藁にもすがる気持ちで、久しぶりに読書をしてみようかなと思うこの頃です。
なぎさのペンギン
☆15年☆
5月の終わりに
15年以上の付き合いになる
海外の友だち数名が 相次いで
日本にやって来ました
HIV+の人も そうでない人も
おひさしぶり~ のあいさつ
僕は観光の仕事もしていますが
最新の日本トレンドについては
実は彼らの方が詳しかったりして
↑反省しろよ!
旬のスポット、食事や買い物、
博物館等で一緒に過ごし
でも、お茶の合間に
Doxy-PEPに関する話題も
スッと出てくるあたり
なるほど 今は2025年なんだ
と思いました
考え方も違えば生き方も違い
信じる神様や夢中になる対象も
バラバラ そこは干渉せず
ってか 違い過ぎて
お互いよく分かってないはずで
にもかかわらず…
じゃないな
だからこそ 許容しあって
続いているんでしょう
6月のプライド行事への参加も
彼らの目的の一つかも ですが
僕は仕事で時間が取れず
別グループですが
“相方くん”も友だちと一緒に
笑顔で週末を過ごしました
行けなかったけど
僕もうれしい !
☆45年☆
最近の もうひとつの収穫は
学生時代の友だち数名と
家から近くの観光地に
旅行できたこと
出会ってから もう45年
子育てもひと段落
孫に恵まれた友もいます
定年退職も間近に迫り
時間的に余裕ができたこそ
の タイミング
お互い 変わったようで
中身は ほぼ変わってない?
いやいや
旅だからこそ可能になった
じっくりと話を聞く時間の中で
それぞれの人生で
実は本当は 色々なことが
あったんだなと
ふだんは 何も言わないけど
この時だけは
ああ 年を取ってよかったな
そう思えました
☆55年☆

仕事がてら 2025大阪万博
に行ってきました
いろんな批判はあるみたい
けど僕には すごく楽しい
イベントでした
1970年万博の当時、
既に生まれてはいたけど
幼な過ぎて家でお留守番
今回が わが人生 初万博
自分がどんな場所に
生まれ 育ち
他とは何が違うのか?
“自分の価値観”の意味を
おのれに問いかけた
貴重な時間になりました
サステナブルに生きる
時代を反映してか
技術革新を賞賛する展示は
控えめ(個人の印象)
経済的な先進国より 中東や
中央アジア、アフリカ諸国の
存在感が際立っていたな
個人的には
同じ言葉を話し
同じ肌&髪の色の
人たちしか周囲にいない
のがあたりまえ
では もうなくなっています
僕が暮らす街には かなり
多くの外国人が暮らしていて
最近 その中の何人かと
知り合いになりました
(まだ友とは呼べないレベル)
あえて知る機会の少ない
彼らの母国はどんなところか
未知を知に変えられたら
自分の境界線が 少しは
あいまいになるかな?
大屋根リングの上から
自分と その回りにある
さまざまなものの行く末を
夜風に吹かれながら
ふと 考えてみました
これから万博に行かれる方へ…
会場内 め~っちゃ歩きますよ
その覚悟は必要
暑さ対策も必須やね !
☆Forbidden Road☆
ひろき
すっかり近況報告がご無沙汰してしまいました。
転職した業界は以前とは全く異なる飲食業界なので、
学ぶことばかりでジェットコースターのような毎日を過ごしています。
ご縁があって、ロンドンの歓楽街・ソーホーで夜の仕事に関わっています。
同僚が若いので、気持ちだけは若返ったような気分です。
身体はちゃんとおっさんなんですが(笑)。
学生時代以来、接客は未経験だったのですが、
向いてなくもないような気がします。
楽しいこともありますが、もっと自信や年齢相応の貫禄があれば、と願ったり、
不甲斐ない自分に落ち込んだりもします。
新しいことに挑戦するのは貴重な体験だし、
あとから振り返って“二度目の青春”と呼べるようにがんばります!
なぎさのペンギン
昨年の今ごろは
健康診断でチェックが入り
ちょっとヒヤヒヤ…
今年は自信をもって 元気に
春を迎えられた気がして
うれしいです
☆2025年の桜☆

雪が降る一方で、
最高気温が25℃以上の
夏日も観測された
2025年3月
不規則な天候にも関わらず
桜並木は 今年も輝くような
白の世界を描いてくれました
☆たがいの距離☆
僕が住んでいる関東郊外の街は
アジアからを中心にした
一定数の 外国の人々が
暮らしています
多くは学生ですが、民間企業、
小学校や中学校のALT(英語指導
助手)として働く人たちも
増えてきました
今年は地元の日本人も一緒に
お花見会を行いました
彼らの日本語のうまさには
あらためて驚かされたな
でも、日本語ペラペラなら
万事が順調か、といえば
そうでもなく…
意外な悩みがあるようです
たとえば 日本人は
人間関係を円滑にするため、
無意識に 他人に頭を下げ
”けんそん”の態度を示します
これは独自の文化で
この国に生まれ育って 肌感覚で
身についたものであり ことば
の能力とは直接関係ありません
けれど
日本語が流ちょうだ、と
いうだけで
こうした社交辞令まで
日本人と同等のレベル
を求められがち
そうでないと分かれば
「やはり外国人だね」と
距離を置かれてしまう
そもそも なぜそこまで
要求するのだろう?
それ 本当に必要?
という話で…
そんな僕自身も
他国の文化について
知らないことだらけです
そこで 最近は仕事上でも
世界の国々を調べる
という準備に、より
時間をかけるように
なりました
世界の情勢がどんどん
難しくなりつつある今
せめて 個人対個人 の関係では
たがいの距離を縮めたい
という思いが 常にあります
☆不意のお知らせ☆
先日、5年来の友だちに
自分の病気について
伝えました
おたがい忙しく それほど
ひんぱんには会えないけれど
会った時には けっこう”深い”
話もする間柄
いつかはちゃんと…という
気持ちがずっと 僕の中に
あったけど チャンスがなくて
健康にからんだ話が出た
タイミングだったので、
自然と口から流れ出ました
自分としてはスムーズに
話せたと思っています
「そうなんだ
自分の周囲にも何人かいるよ」
という反応
なんというか…
話しやすかったな
現在のパートナーに出会い
付き合うまえに伝えたときも
似たような反応だったことを
思い出します
2000年代前半とは やはり
状況がずいぶん変わってきた
ようですね
正直 ホッとした
5年かかったけど 時間をかけ
タイミングを見極めてよかった
ありがとうね
☆ネーブルオレンジ☆