陽性者と家族の日記 “鳥前 進”

「とりあえず」では前に進めなかった

鳥前 進

8月1日は元彼の命日。2017年に亡くなった。
ご家族は彼を東京の墓地にのこし、よそへ引っ越した。
僕はもう前に進みたいと思って、今年はお墓参りに行くのをやめた。
そしたら、毎日必ず彼のことを想う瞬間があって、その度に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

おかしいよね、人にHIVをうつして、自分で勝手にこの世から消えていった人に、うつされた僕がなんで申し訳なく思うの?

2021年8月1日の朝、「もうこれで終わりだ」と決めた。そう思ってた。しかし、僕はまだ前に進めずにいる。
HIV感染を言い渡されたあの日から「迷ったらとりあえず前に進む」と自分に言い聞かせてきたけど、「とりあえず」では前に進めなかった。

毎日飲み続けたその先に

鳥前 進

今回で2度目かな
22時の服薬タイムを前に、お薬飲むの疲れたなぁって思った
毎日飲み続けたその先に何があるのだろうと

昔は黙ってても生きられた
今は毎日の薬を欠かしたら生きていけない
生きるために積極的に薬を飲むけど、じゃあ何のために生きてんのって自分に問うてもその答えはない

きょうもまた、プログラムされた通り、青と黄色の粒を包むシートを破り、22時のために買った水とともに身体に流し込んだ
毎日飲み続けたその先に何があるの?
あすもきっと、プログラムが実行されるたびに、同じことを思うのでしょう

無機質な墓石の下でまた独りぼっち

鳥前 進

4年前の8月1日に自ら命を絶った元彼のお墓参りに、彼のお姉さんと一緒に行ってきた。

お姉さんは終始はつらつとしていて、2年前の初めてのお墓参りで人目を憚らず泣き崩れた人と同じ人とは思えなかった。手際良く支度をする様子を見ると、ここに何度も来ているのだろうと容易に想像された。お線香をあげ、手を合わせると、声は聞こえなかったけど、唇が「バカヤロウ」と紡いだのが読み取れた。

一方で、僕は、そんなお姉さんの横で、無機質な墓石に視線を落とすだけで、毎年の彼の命日で毎回そうだったように、今回もかけてあげる言葉が見つからなかった。

「遠くに引っ越しちゃうから、緊急事態宣言が出ているけど、来たかったのよ、あなたと一緒に。」お墓参りの帰り道で、お姉さんはそう語った。

どこへ、どんな理由で引っ越すのかは分からない。お母さまも一緒なのか、そもそもお母さまが(東京に)いるのかも、病気で亡くなったお父さまがどこで眠っておられるのかも分からない。僕が何を期待されているのかも分かるようで分からない。ハッキリしていたのは、お姉さんが“前に進む”なか、彼と僕は4年前の8月1日から時が止まったままで、彼は無機質な墓石の下でまた独りぼっちになってしまう、ということだった。

あなたが亡くなったときではなく

鳥前 進

どんな人も
死に向かって生きてるんだよ

お年寄りも赤ちゃんも
僕もあなたも
死ぬことは決まってるんだよ

いま生きてるのは
ほんの少し前に死ななかったから
ただそれだけのこと

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今日僕は死ななかったけど
明日生きているかは誰にも分からない

今日大事な人が生きていてくれても
明日生きているかは誰にも分からない

あなたが亡くなったときではなく
あなたが明日も生きていることに涙を流したいの
明日また逢える保証なんてどこにもないんだから

今年もまた、あなたにかける言葉が見つからないまま

鳥前 進

そろそろ忘れるときが来たのだと思っていた
だんだん思い出せなくなっていたあなたの横顔
でも、8月1日が訪れると、それらは否応にも鮮明に甦ってきた
僕があなたと別れるきっかけとなった、あのときの言葉とともに

今日やっと気づいたんだけど、違うかな
HIVに感染したことをあなたに伝えたときに返してくれたあのときの言葉は
「これでやっと一緒に死ねる人が見つかった」という意味だったんでしょ
最初に甦ってきたあなたは、狭い部屋のなかで遠くを見つめながらこうつぶやいていた
「これでやっと一緒になれたね」って

3年前の8月1日、あなたは自ら亡くなることを選んだ
3回目の8月1日がいま、静かに終わろうとしている
今年もまた、あなたにかける言葉が見つからないまま

君の無念を晴らすためなのか、僕の悔しさをぶつけているだけなのか。

鳥前 進

その人は、昨今の新型コロナウイルス感染症が世界的な広がりを見せているなか、感染症の恐ろしさや、感染した人たちへの差別を知ったといいます。
その人は、その人の息子が感染したHIVについて改めて勉強し、HIVに感染した人たちへの差別を知り、そして同性愛者を取り巻く環境について改めて考えたといいます。
その人は、その人の息子が僕にHIVをうつしたことや、HIVに感染した僕に対して向けられた過去の言動について謝罪したいといいます。

僕は、その人がHIVや同性愛を知ろうとしてくれたことをとてもうれしく思います。
僕は、その人が自身の言動に過ちがあったことに気づいてくれて救われた気がしました。
しかし、僕は、その人の「謝罪」に、息子さんの居場所はどこにもないような気がしてならなかったのです。

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僕は、あなたの息子さんと別れた後、一切の連絡を絶って、自分だけがHIVと向き合うことを「選んだ」ことに後悔しているのです。
僕は、現実を受け入れられずもがいていたアイツを容赦なく切り捨てた過去の自分が悔しくて悔しくてたまらないのです。
だから、あなたが僕に、過去の出来事をいくら謝っても意味がないのです。

申し訳ないと思うのなら、その気持ちをあなたの息子さんに伝えてあげてください。
彼はきっと、自ら命を絶つ前に味わった絶望を誰にも理解されることなく、今ももがいているでしょうから。

明けない夜はない

鳥前 進

緊急事態宣言が発令された東京は静かな夜を迎えました。
明けない夜はない。
東京が、日本が、そして世界が、輝きを取り戻す時が訪れることを信じて。

We are already blooming together

鳥前 進

We are already blooming together
咲き誇ろう、あなたも私も。ここで。

「今ここで人生が終わっても何の後悔もない」

鳥前 進

先日、家でのんびり過ごしていた時に、こんなことを思いました。今ここで人生が終わっても何の後悔もないなと。僕には何としても守らなければならない人や、財産や、社会的地位なんてものは何一つない。けどそれは悲しいことではない。僕が生きていることが何かの前提になっていたら、寿命を全うするために毎日欠かさず薬を飲まなければならない僕にとってそれは耐えがたいプレッシャーだし、大切な人たちが重荷になる人生なんてむしろ嫌だから。

そういえば前にも同じことを思ったような気がします。それは確か、HIVに感染していることが発覚して間もないころ、「治療しなければいずれエイズを発症し死に至る」ことを受け入れ、感染前よりも身近になってしまった「死」について考えたときでした。治療しないという選択肢が自分にあったわけでないけど、万が一治療がうまくいかなかったり、何らかの事情で通院をやめざるをえないとき、その先に待ち受けるもの、つまり死ぬということを自分なりに理解したかったのでしょう。

2017年2月に感染がわかって3年が経って、なぜまた同じことを思ったのでしょうね。弟夫婦に第一子が出来たからでしょうか。きっかけはたぶんそうなんだけど、自分にはそういうものが何もないから不安に思わなくて良いということを再確認したのと、1歳年下の弟に比べて自分は結婚や子育てのような人生の重大な決断を何もしていないことが悔しくなってヤケになったというのは、死を意識したときとは明らかに違うことだけど。

次の日の晩に、親を誘って食事に出ました。弟夫婦の件で、親はさぞ喜んでいることでしょう。一方で、目の前に座っている長男はゲイで、HIVに感染していて、今ここで人生が終わっても何の後悔もないと思っている。そんなこと親が知ったら悲しむよ。悲しむどころじゃなくて取り乱すかもよ。いや、言わなきゃ弟と同じことを期待され続けて苦しいだけだよな。じゃあ言ってみる?“生きるのに精一杯”だと知ったらただ生きているだけでも感謝されるかもよ?

そんなことを自問自答しながらも、親と卒なく会話するし、目の前の料理を美味しくいただく自分もいるのです。これで良いんだと思いました。僕が生きる目標は美味しいものを食べること。大切なものを守る覚悟はあるのか、とか、意味ある人生を歩んでいるかとか、そんなこと考えたって分からないし。よる10時になれば薬を飲んでとりあえず生き永らえようとするし、あさが来れば仕事しに出かけるし、仕事すればちょっとは意味のあることをしたいと思うし、お給料が出たら美味しいものを食べる。そして、気が向いらたこうやってぷれいす東京の日記を更新する。何の後悔もない人生。良いじゃん、それで。

服薬を希望するが開始できないでいた経験 〜2020年1月19日「日本のHIV陽性者から見たU=Uの光と影」より

鳥前 進

1月19日にU=Uキャンペーンの創始者であるBruce Richmanさんをお招きして語り合うイベントがありました。僕も当事者の一人として、「服薬を希望するが開始できないでいた経験」についてお話しする機会をいただきました。以下、僕がお話しした内容を記載します。(Bruceさんや他の当事者のお話を聞いたうえで「改めてこの場でお伝えしたい」と感じた内容を含みます)

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服薬を希望するが開始できないでいた経験 鳥前進

本日はこのような機会をいただき大変嬉しく思います。「U=Uの光と影」とのことですが、お話しする内容としては、U=Uの影の部分、正確にはU=Uによって改めて浮き彫りになった日本の福祉制度の影の部分に焦点を当てていきたいと思います。それでは、感染が分かってから今に至るまでの気持ちの移り変わりも交えて、お話しさせていたただきます。

<自己紹介>
簡単に自己紹介をいたします。
東京都在住の会社員です。2016年11月に感染のきっかけがありました。当時付き合っていた人との性交渉です。2週間後、初期症状(高熱、激しい喉の痛み、関節の痛み、発疹、病院で2回インフルの検査を受けていずれも陰性)を経て17年1月に保健所での検査をうけ、2月1日に「あなたはHIV陽性です」と告げられました。すぐに通院を開始しましたが、服薬を開始したのは19年4月です。服薬開始後すぐに検出限界以下となりましたが、10月に採血した結果を次の通院の時に聞くので、検出限界以下の状態が6ヶ月続いているのか、性交渉によって他人に感染させることはないのかはまだ分りません。

<2017年>
最初の通院は2月で、このときのウイルス量は170、CD4は500を少し越えるくらいでした。その後1ヶ月おきに通院していましたが、ウイルス量は下がり続け、CD4は600台をうろうろしていました。主治医から「治療はすぐには始まらない。可能な限り早く始めるかギリギリまで待つか選べる」と告げられ、僕は「早く始めたい」と答えました。
すぐに治療が始まるものと思っていましたので、拍子抜けしました。でも、治療のタイミングを選べるということは、身体はまだまだ元気だということでもあり、「服薬まで心の準備ができて、早期発見できてよかったな」と、自身の状況をプラスに捉えていました。

<2018年>
特に大きな変化なく1年が経過しました。2018年はいろんなことを考え、気持ちが大きく変化した1年でした。

年明け早々の通院では、CD4は600台で変化はありませんでしたが、ウイルス量は1,000を越え、文字通りケタ違いの変化に驚きました。主治医からも「身体障害者手帳の申請をしてみませんか」と提案されそれに応じました。春ごろ、診断書を作成してもらい、身体障害者手帳の申請をしましたが「障害等級の認定基準を満たさない」との理由でいったん保留となり、東京都社会福祉審議会での協議に移りました。主治医も僕も、協議しても申請は通らないだろうと考えていましたし、基準を満たさない申請の事例を積み上げることに意味があるのだろうとも思っていました。ただ、やはり通院から1年以上経過し、いつまでこの状態が続くのだろうかという漠然とした不安をいただくようになっていました。

夏、U=Uを知りました。とても画期的でした。これまでの社会生活に加えて、恋愛も諦めなくて良いのだと、非常に勇気づけられました。同時に、僕にHIVをうつした彼は治療を受けていなかったことも明らかになりました。実は、当時の交際相手は、自身がHIVに感染していることを知りつつ僕と性的接触を持ち、僕はHIVに感染しました。僕自身の感染がわかったその日に、彼にその事実を伝えたら「知っていた。やっと共有できて良かった」との返事でした。彼がHIVに関する正しい知識を持っていたら、彼がU=Uを知っていればーー僕にうつした時はU=Uを知る由もなかったのだけどーー、HIVへにきちんと向き合えただろうし、こんな極端な行動は取らずに済んだのではないかと、思いを馳せることもしばしばありました。

10月、「障害等級の認定基準を満たさない」ことを理由に手帳申請は正式に却下されました。このころ、自分の周りの人で治療が始まる人たちがどんどん増えていくような感覚に陥りました。隣の芝生が青く見えていただけなのだと、今は思うのですが、僕よりも後にHIV感染が発覚した人たちが僕よりも先に治療をはじめ、早々に検出限界以下を達成していく一方で、僕は、ウイルス量が2,000〜3,000あたりで推移し、CD4は変わらず600台、体調に変化なく、治療を始めたいと思うのに始められない状態はおかしいと確信するようになりました。

その後も、自分の周りに対してうがった見方ばかりしてしまっていました。主治医は改めて治療を早く始めたいか僕に聞いてくる。どう言うつもりで聞いているのだろうか。何度でも言う。僕の答えは変わらない。「早く始めたい。ただ、手帳がない状態での服薬開始は考えていない」ーーなぜ自分は治療が始まらないのか、このまま放っておいても病気は治らないのに。なぜ周りの人たちばかり先に進むのか。自分には普通の生活を送る資格はないのか。いっそのこと、早く体調が悪くなってくれれば治療が始まるのに。苛立ちの矛先が次第に自分自身へ向いてきてしまっていたのでした。

<2019年>
通院開始から2年が経ちました。体調の変化は突然訪れました。ウイルス量21,000、CD4は409。主治医は「これ以上は待てない」との判断で、診断書をあらためて作成してもらいました。今度は認定基準を満たしています。申請から1ヶ月弱で手帳と自立支援医療の手続きが完了し、3月に手帳取得、4月から服薬開始となりました。
色んなことを思いましたが、治療が始まることは素直に嬉しく思いました。治療を続ければ、その先にはU=Uが待っています。今まで手が届きそうで届かなかったU=Uが、自分にとって明確な希望へと変わりました。ただ、結局は体調が悪化しない限りは治療が始まらなかったことに関しては、非常に残念に思っています。

<メッセージ>
これまでの経験を通して、私が皆さんや世の中に伝えたいことは次の通りです。
・HIVはU=Uに関わらずコンドームによって感染を防げるものであるが、「検出限界以下である」ことと「そうでない」こととの間には明確な隔たりがあり、当事者にとってその隔たりは非常に大きい。
・HIVの検査を受けることは一般市民にも少しずつ浸透しつつあるように感じるが、U=Uを知る人は当事者の世界でも少数派。新規感染者の発生を減らすためには、「検出限界以下」であることが他者にとって安全であることを多くの人が知っていることが必要。
・医師は、患者に対してU=Uであることを必ず説明してほしい。そのうえで、治療の開始時期を患者に選ばせてほしい。もちろん、すぐに治療をはじめられない福祉制度は早急に改善されることを望む。

ありがとうございました。