陽性者と家族の日記 “みのる”

あけまして・・・?

みのる

あけましておめでとうございます。

‥節分を過ぎて、年始の挨拶とはまさに。

鬼も笑う。

笑えるのは自分のせいなんだけれども。

どうも、いけないな。
でも、自分らしくはある。

‥良く、昔に何月も送れて便りを出し、また返してくる奴がいた。
いつだったか、そんな旨の事を親父が話してくれた事がある。

そんな事を思い出したりした。

いろいろ、去年は、この病気に感染した事がわかってからの節目を迎え、諸々考
えていた。

これからも、益々、事は進んでいくんだろう。
それでも。
あと、十年、二十年、と経った時に。

三十歳くらいの時は、こんな事を考えていたんだな‥。

そう思えれば。

この日記は、とても有用なものになる。

その時に。

このウィルスは自分と共に在るのか。

それとも無いのか。

このぷれいす東京はあるのか。

それとも無いのか。

どちらなのかは、わからない。

けれど、その時の自分の気持ちを、大なり小なりにでも書き記しておけば。

自分にとっては。

とても有益なものになる。

去年。
良く、昔の20歳頃の事を回顧する事が多々あった。

十年一昔という。

本当にその通りだ。

それでもそれを根底に据えて。

前にまた。

進もうかな。

さて。
自分の頭の中の世界に於いての価値基準といったものが。

大きく変わった。

そう思う。

今迄も、これからも。
向ける矛先は自身だけ。

そんな姿勢でやっていこうと思う。

自分は多面性を有する。
その時々にあって、違った一面を自分でも垣間見る事は。

興味深い。

少し大仰なんだけど。

まぁ、良いか。

支えになってくれる幾人かの人達に。
筆舌に尽くせない感謝の気持ちを込めて。

いろんな事象、事物に。
邁進していきたい。

でも。
年始の挨拶‥になるのかな、これ。

まぁ。いいや。
頑張ります。

「最後のリードギタリスト」と「Layla」

みのる

マイケルジャクソンの、リードギタリスト達と言って直ぐに思い当たるのは。

彼は、その時代時代のトップのギタリストを迎えているわけだけど。

僕が直ぐに思い当たる所では、ジェニファーバトゥン、ヴァンヘイレン、スラッシュ、その辺り。
同じ女性ギタリストという事で、一番最初に頭に浮かんだのはジェニファーバトゥン。

彼女はリリースされてからは、結構時間が経ってからなのだけれど、初めてPVを見たときに、プレイスタイルが衝撃的だったのを覚えている。

で、オリアンティ。
さわりを少し流しながら聴いてみれば。

ジェニファー程、タッピングを駆使したテクニカルなスタイルではなくて、今迄の時代それぞれのテクニックを一纏めにした、オールラウンドプレイヤーという気がした。
その内のどれかに特化しているという訳ではなくて。
何でも弾ける感じだ。
スワロフスキーをギターに埋め込んでいるというのは、今の女の子らしい。

やっぱり全部聴いてみないといけないよなぁ‥と思いつつ。
暫く。

ふと気が付けば、テレビから聴き慣れたギターのフレーズが聴こえてきた。

クラプトンのレイラだ。
誰がカヴァーしてるのかと思って見ると。

コブクロだった。
良く、この曲をカヴァーに持ってきてくれたなと、思わず笑みがこぼれてしまった。
さすがに、同世代。
‥学年で言うと僕は下になるのだけれど。

‥昔、MTVのアンプラグドが流行っていた。
その辺りからなのかな。

彼等は大好きで、アルバムは何枚か持っている。
パートナーからプレゼントで貰ったのも。

中に「風の中を」という曲はカントリー風で、聴いた時にザックワイルドを思い出したんだけど、そうなら嬉しい。
少し違うかな。

と、こちらはモーラのサイトを眺めながら衝動買い。
早速、ネットワークウォークマンにぶっ込んだ。

確か弾けた筈‥とギターを手に取ってみる。
リフ‥…イケた。
バッキング…イケる。ソロ…朧気。アレンジすれば何となく。

で。コブクロバージョン、も出来そう。
こちらの方が、五度でゴリゴリ押すタイプなので僕には馴れて易い。楽しめそうだ。

やるかな…。
と、今付き合いのある少し年下のやつに話をしてみる。
彼はドラムが叩ける。
因みに身体はゴツくて、セクシャリティはバイだ。気は優しい。

「やっぱ良いよね‥。今度、レイラやんない?」
と聞けば。
「あ~‥。良いよ。大体分かると思うけど。」
と返ってきた。

セッション決定。

出来たらヴォーカルは、パートナーにやらせられたらな‥。

‥彼は昔、歌手を目指していて。
その後、似た別の道には進んだものの、それもあってか、知り合いの中では基礎が段違いに出来ていて、抜きん出ている。

カラオケなんかだと、マイクが要らないくらいだから。
エコだ。

僕はパートナーとの事。
彼は仕事とお互い忙しく、直近ではいつになるかわからないけれど。

その日が楽しみだ。

三人でのセッションは。
少し大仰かもしれないけど。

今の、僕の夢の一つだ。

たうとし、たふとし。

みのる

‥郊外にある繁華街の中にある、夜10時過ぎのマックの2階。

小学生の時の僕の居場所の一つだった。
塾が終わり、家に帰りたくなくて良く其処にいた。

たまにどこかのマンションの非常階段であったり。
その暗がりにいると心が落ち着く気がした。夜は好きだった。本来というものを見せなくて済む。
同時に何もつくる事なく。
自分に戻れるといった感覚も抱く事が出来た。
肩の荷が降りた気がして安らげた。

今もたまに、住んでいるマンションの外に面した非常階段で、そこから見渡せる街並みを煙草をくゆらせ、ゆっくり眺めながら。
色々な事を考えたり。感慨に耽ったりする。
大事な場所だ。
一抹の寂しさと、寂寥感と言うのかな、懐古すると共に沸き上がってくる。

今年の12月に入った辺りから。
この子供の頃の気持ちが、情景と共に頭のなかにふと甦る事が多々あった。
あの時感じていた寂しさと同種のものを感じていたからだろうか。
毎日の様にいたパートナーは、もう毎日居ることが出来ない。
どうしようもないことだった。
内部要因でなく、外部要因によって、この事態が引き起こされるなんて途方に暮れるしかなかった。

でも、それでも。
彼の気遣いに甘えて。
僕はまだここにいる。帰ってくる数こそ少なくなってしまっても。
ここに居て、たまに帰ってくる彼を待ってごはんを作り、洗濯をしたり、掃除をして待っている。

‥パートナーのお父さんが亡くなってから。

もう半年が経つ。

あまり良い父親じゃなかった。
一度か二度、呟くように聞かされた彼の父親像は。
酷いものだった。

絶対にしてはいけない事。
それを子供の頃の彼にした。
付き合いだしてから少し経ち、それを聞かされた時には、思わず殴りに行ってやろうかと思った。
それぐらいの事だった。
何故、十代の中頃に家を彼が飛び出して行ったのかもわかった。

亡くなったと、短い言葉で連絡があった時。
言葉を無くすと同時に。
胸中は些かのものかと思っていた。
憎む心と慕う心。

それらが混沌としていたに違いない。

かける言葉なんか見つからなかった。
ただ傍に居て、手のひらで、泣きじゃくる彼の二の腕の辺りを擦り続ける事しか出来なかった。

情けなかった。

何の為に言葉を大事にしようかと思ったんだろう。
世を渡る為の武器の一つにしようと思ってきたんだろう。
何のために磨いてきたんだろう。

情けなかった。
改めて自らの器量の無さを感じた。

立ちすくみ、携帯を片手で持ち。
二人の生活が終わる予感を感じた。
彼のお母さんは、一人で生きて行くことが出来ない人だから。
そして物凄く大事に思っている人だから。
天秤は、お母さんに傾く。

そんな人だから惹かれたし、良かった。
でも、今度はそれが裏目に出る。
相手は僕になる。

皮肉だ。

三人でどうにかして暮らせたら。
そう言われる。
でも。

彼のお母さんは僕を恨んでるんじゃないかと思う。
僕と暮らしてさえいなければ。
一緒に居さえすれば。お父さんは助かったかもしれないからだ。

彼は自分を責めている。
お母さんも自分を責めている。
その矛先の一端は。
おそらく僕にも向けられるであろう事を、様々な思いがぐるぐる巡る頭の中でぼんやり考えていた。

子供の頃に支えにしていたもの達を引っ張りだしてきて。
聴いたり、読んだり。
逃避も兼ねていたんだろう。

でも。
光は差し込んできた。
生きてやる。
何故だかそう思った。
守りたいものがある。
大事な人がいる。
大切な人達がいる。

こんな時でも支えてくれる人がいた。
親身に話を聞いて耳を傾けてくれる人がいた。
今、永く付き合いのある人達というのはそういう人達ばかりだ。

突っ張らなきゃ駄目だ。
脚をきちんと張り、坑う事をしなければ駄目だ。

大丈夫。今までやってきたんだから。
これからだってやっていける。

そう思えた。

そしてまた、この季節がやってきた。
置かれた状況は去年までと大きく違う。
けど。
また一緒に居ることを祝う事が出来る。

自分を強く持て。

そう助言してくれた人がいた。
同調することしきりだ。
失うものが何もなかった子供の頃とは違う。
光はあるんだ。
知恵も力もある。

そしてひょんなことから。
ある書簡から。
実親達と邂逅することも出来た。

失ったものは多かった。
本当に大きかった。

‥けど。
それより得たものの方が多く、大きい。
確固としてそう、断言したい。
そんな年だった。

だから。

メリークリスマス。

支えてくれた人へ。
そしてすべての人へ。

過去の光。未来への光。それらの欠片

みのる

「‥ドラクエ、新しく出たやつ、欲しいか?」

パートナーが聞いてきた。
懐かしい。

僕が良くやっていて、記憶に少し想いが在るのは、5だ。
‥あの、パパスが出てくるやつ。

そのあと、プレステを当時付き合っていた人にクリスマスプレゼントで貰って。
それに付随していたソフト。
良く分からなかったからと、量販店の店員さんに、みのるの世代にお勧めは何だと聞いてきたらしく。
買ってきてくれた何枚かのうちに入っていたのが。
FFの7。
だったんじゃないかと記憶している。
学校帰りや、家に帰りたくなくてその人の家に泊まり込んだ時に良くやっていた。

ドラクエとFF。
懐かしいな。

小説では。
開高健。宮本輝。森鴎外。灰谷健次郎。ヘミングウェイ。ヘッセ。
音楽はといえば。
ニルバーナ、メガデス、ガンズ、ソウル・アサイラム。
‥懐かしいな。
どれも10年以上経つ。
全てではないが、支えにしてきたものたちの一部だ。

‥本は、今読み返している。
何故だか最近、あの時、頭の中に構築した世界に今また入ってみたいなと思うからだ。
焼き付いて離れない情景が、良く出てくる。
今また改めて読み返す事で、あの世界をどう感じるのか。
そしてまた、どう再構築されるのかと非常に興味深いからだ。

自分の主観だけで述べるなら。
上述した作家群は、父性と言うものを、魅力として描写するということに長けているんじゃなかったろうかと。
物凄く独断的ではあるけれどそう思っている。
だから支えにし、その描写される世界感に浸るということは心地良かったのかもしれない。

‥なら。ゲームだって。
別に特段と支えにしてきたものではないけれど。
あの時の何かを引き出すきっかけにはなるかもしれない。

やってみようか。

「‥うん。欲しいかな。」
そう答えると。

「そうか‥。ところで、ドラクエって何だ?」
と。怪訝な顔をして聞いてきた。
‥説明、面倒だなと思いつつも。
「‥ロープレ。敵倒してお金稼いで、武器とか集めてシナリオクリアして、ボス倒すの。」
「‥ロープレ?」
眉間に皺をよせて、また怪訝な顔で聞いてきた。

‥もう良いや。

僕の世代は分からないと彼は言う。

こっちだって、彼の世代は良く分からない。

でも、普遍的なものは分かり合える。

‥それで良いのかな。
ずっと一緒に生きてこうね。

‥こんな素直な気持ちは珍しい。
いろいろあって、身の回りの環境が一変したせいなのか。
もう、数ヶ月前の生活には戻れない。
当たり前のものというのは、なくしてから初めていかに貴重であったのかが分かる。
それは常日頃から思ってきた事だし、人にも言った事があったのに。
それがいざ、改めて、より大きなものとなって自らの身に降り掛かると、どうしたらいいのかと途方に暮れてしまうとは、皮肉だし矛盾だ。器量の無さを実感してしまう。
かわし乗り越えてきた器があったという自負を砕かれる。
乗り越えても乗り越えても。
予測の範囲を越えた大きなものは降ってくる。

でもまだ、一緒に生きて行きたい。

だから。
その為には、なにをも厭わない。
障害があるなら、それを乗り越える力を持とう。

光はそれら全てをも包括していると思うから。

越えていけるだろう。

lights

みのる

もう、大分バイクの足まわりが傷んできていて。

でも、このまま処分してしまおうかとは、露ほどにも思わなかった。
例え法定速度の安全運転でも。
やっぱり解放感がすごいからだ。
これで、いろんな所に行った。

仕事にも、好きな人のところに行くのにも。遊びにも。

やっぱり惜しい。

修理して交換して。

大事にしよう。

もう一人の自分のような気がするというのは、ちょっと大袈裟だけど。

近い気持ちがある。

直したら。
いつもの場所に行ってみようかと思う。

まだ、今年はバイクで行っていない。

てか、あの5~60代、70代、たまに80代の人達が大挙して大型バイクに乗って、一箇所に集まる様を、自分で乗り付けてまた見てみたい。

まだ頑張れるんじゃないかと思えるからだ。
自分なんてまだまだだと思う

引退してしまった人も知っているけど。
まだ全然現役で頑張ってる人達ばっかだ。

一番若手の自分が。
しょげててどうするんだろう。

また叱られてしまう。
前を向こう。

生きてやる。

いろんな事がのしかかってきて嫌になるけど。
それでも。

守りたいもの。大事にしたいもの。大切にしたいもの。
いっぱい出てきた。

最近いろんな事があって。
これからの日常は、今までの日常じゃない。
どんどん動いて変わって行く日常だ。
どうして、和やかに穏やかに過ごさせてくれないのかと。呪いたくなる。
精神的にも不安定になる。
でも、そんなに意地悪な事するんなら。
逆に生きてやる。

‥猫は意外としぶといから
かわしながら今まで生きて来たんなら、これからだって生きていけるだろう。

今を生きてやる。

飄々と。

過去の自分を踏襲しつつも。
学べるは学び、切り捨てるものは切り捨てる。
元に戻ろう。

光はまだあるから。

それで先を照らして行こう。
また一人になったって構うもんか。
‥違うか。一人じゃないんだよね。もう。

それなら。光は一筋じゃない。
照らしやすくなるだろうし。

生きよう。

診察拒否

みのる

まだ桜が咲かないなぁと、病院の大きな窓から見えるテラスに何本か植えてある桜の木を眺めながら、ぼうっと、つぼみを見ていた。

ここは歩いて少しのところにある病院。

いつもと違って皮膚の腫れ物を診て貰おうと、来てみた。
以前にも診てもらったことがあるので、大丈夫だと思っていた。

‥が。

すいません。~さんと名前を呼ばれてそちらへ行くと、看護士とおぼしき女性が立っていた。

はい、と頷いてそちらへ行くと。

‥申し訳ないんですけど、やはり今お掛かりの病院へ行っていただいた方がと、先生がおっしゃってまして‥。
え?
‥断られた?

あの、以前も一度診ていただいたんですけど。大丈夫だとおもうんですが。
と言えば、そうおっしゃられても‥。
と、答えが濁る。

仕方ない。

わかりました。じゃあお薬だけ戴けますか?
そういわれましても‥先生にもよるんですが‥。と、辛そうだ。

あの、大丈夫ですからお薬とかだけでもなんとかならないでしょうか。
と、笑顔で元気さを無理にアピールする。
そうしないと物凄い大病だと思われてしまう。
発症してる訳じゃないのに。

すると、もう一度訊いて参りますとの事。

僕は近場に緊急でも診てもらえるように、いくつかの病院でカルテを作って貰っている。
この病院もその一つの筈だった。

看護士が戻ってくる。
あの、先生が診ていただけるということなので、あと少しお待ちください。
と、話をつけてくれたみたいだ。

座って待っていれば。自分の番号だけが飛ばされていく。
思わず笑ってしまった。
小さい病院じゃない。これでも一応、医大の系列病院だ。

怖がるにも程がある。
前の時は診察の直前にそれを伝えたからだろうか。

仕方なかったからなんだろうか。

少し、寂しいような悲しいような気がした。
診察拒否は、初めてじゃない。

5、6年ほど前、腫れて熱を持った耳をなんとかしてもらいたかった時、地元で有名な名医だといわれる病院へと痛みでぼうっとする体で行ってみたことがある。

まだ、病気の事はなんとなく問診表に書けずにいた頃だ。

腫れた耳を見るなり、メスで切開して排膿しますと言われた。

切開すれば血が出る。‥伝えた方が良いんだろうか。
暫しの逡巡のあと、思い切って口にする。

あのう‥ですね。僕は血液感染症持ってるんで‥。
医師の手が止まる。
何の?と聞かれた。

肝炎の‥。
肝炎?

医師の目が険しくなる。
言いたくないけど言わなくちゃいけない。

あのぅ‥。HIV感染症ってわかりますか?
その瞬間、医師の目が見開いた。
驚いたような感じだった。
処置しているまわりに看護士の人達が集まってくる。

言わなければ良かったと後悔した。

医師は言った。
それは無理だ。
うちでは処置できない。
そう、はっきりいうと、彼はメスを起き、マスクを取った。

診てもらってるところがあるなら、そこに行きなさいと言われた。
診てもらっているところは遠くて、痛みが強くてキツかったんですと答えれば。

そう言われてもねぇ‥。
とにかくうちでは診れない。
と、にべもない。

途方に暮れてると、可哀想に思ったのか、看護士のおばさんが、医師を問い詰めるような感じになって。

嬉しかったけど、結局医師の言う通りになり、痛み止めと抗炎症剤をとりあえず出すからと。そのままかえされた。

受付で会計を済ませる時おばさんの看護士に、ごめんね‥と言われ。
良いんです。仕方ないですからと少し力なく笑う。
顔を上げて見てみれば受付越しに診察室がざわついてるのが分かる。

僕が言ったとき他に処置をして貰っていた患者さんもいたからだ。
看護士、医師総出で、何か話してる様子。
ガイドラインでは‥とか何かが聞こえる。

医師は、それでも嫌なようだった。

気持ちは分かる。
けど、医師なら。

‥でも、医者も人の子か‥。

名医とはなんだろう。
僕は笑ってしまった。
そんなことを思い出した。

あれから、僕は医者は自分で見つけるようにしている。
医師であれば皆がという考えは持たなくなった。

しかし思うのは。
もう、2009年になる。
十年一昔なんていうけれど。
どういう事だろうか。

離れているとはいえ、少なくともここは頭に東京と付くところだ。
それでさえこういう状況であるならば。
地方はもっと知識や認識というものに於いて困窮を極めるだろう。

物凄い一級の知識を持てとは言わない。
でも、少なくとも感染して治療を受けている人達が知っている程度の知識は、持っておいて欲しい。

それが駄目なら、せめてちゃんとした適切な装備で処置をすれば大丈夫だって事だけは。
医師でさえ、年齢を問わずあまりに無知な人が多い。

無知は罪であるという言葉があるけれど。
僕も自分の過去を照らし合わせて顧みると、納得する事しきりだ。
本当にその通りだと思う。
知らないが為にお互いで傷を付けあってしまうことは多い。

知らないということは怖いことだ。

顔馴染みの近くのお医者さんで、本当に風邪と同じように診てもらえたらどんなに楽だろう。
皆がそう思うように僕もまさにそう思う。

一方で、医師不足が言われてるなかで、増え続ける患者を一手に引き受けなければならない所もある。

どうしてこうバランスが悪いんだろうか。

経済大国が聞いて呆れる。無理に背伸びをし過ぎた弊害なのかもしれないが。

良いところもたくさんあるんだけどな‥。
それも僕は知っているだけに、十把一絡げにしては切れない。

久しぶりにこういう事があったので。
思い出してしまい書いてしまった。

総括して思うのは。

良く、なればいいな‥。
その言葉に尽きる。

去年の今と、今年の今

みのる

先日、病院からの帰り道。

ちょうど去年の今頃、命の線引き。という文章を書いた事を思い出した。

病院に行って薬を貰う。2ヶ月分で、40万弱。
特になんて事はない、定価2000円くらいのかわいらしいバッグに入っている。

今でも世界に目を向ければ圧倒的に多い、抗HIV薬を飲めない人達。

彼らと僕との違いは。
日本人であるか。

そうでないか。

たったそれだけ。

資本力や国力、そんな言葉だけで片付けてしまうには、あまりに易い。

外国に憧れて、年に何回も行く人がいた。
彼は僕より年が二まわり弱ほど離れていた。
長く生きてきて、日本という国が嫌になり、自分にはその贔屓にしている国が合っているんだと言っていた。
人も良くて、衛生的ではないけれど、そんな雰囲気も好きだと。

いつかお金を貯めて、定年後、そっちで暮らしたいとも。

それを聞いた時、思わず返してしまった言葉。

でも、あなたは日本人だよね。
世界中何処に行っても日本人だ。

さらに続けた。

僕は、自分と同じ日本人に傷つけられたような事もあるけれど、それでも救ってくれたのもまた日本人だから‥。そう思ってる。

そういうとその人は言った。
その国に行くことで逃げていたのかもしれない。
ありがとう、と。

僕には外国の人だから、どうという考え方はあまりない。
昔、10代の頃僕のことを買ってくれたお客さんの中には外国の人達もいた。

だから、日本人であろうがそうでなかろうが、することや僕のような人間に対して抱く気持ちに大差はないなと思っていたからだ。

でもそれを始めたのは、お金を稼ぐ目的ではなく、親のような愛情を求める為。
それと自らを壊す為。というのが目的だったから、何処も長くは続かなかった。

それでも得られた少しのお金。今の自分が思うには、その年頃では不釣り合いな金額で、泊まり歩き、また壊し続けた。
そういう感覚を味わいたかったから。

そんな昔の事もその人には話していた。

子供の頃のことも、街で救われたような事も。
だから、ありがとうという言葉が出たのかもしれない。

僕の飲んでいる今の薬、毎日飲まなくてはいけないこの薬。

みんなの払った税金が投入されている。

ここでも、僕は救われている。

去年、命の線引き。という文章を書いたあの時の気持ちは。

今も全くかわらない。

季節外れの梅雨時から今に掛けて

みのる

スーパーに買い出しに行った。

梅雨の晴れ間に。

普段はパートナーが休みの時に、一緒に買い出しに行くことが多いのだけれども、最近は仕事が忙しく、休みの日を作る事が難しい時がある。

という事で、ちょこちょこ買いに行くことが多い。

雨上がりの晴れ間が覗くお店までの道がてら、自分の大好きな紫陽花の花を見ながら近くを散歩すると、それだけで気分転換になる。
雨が上がったあとに太陽の光が反射していて、辺りがキラキラしているような景色がなんともいえず綺麗だ。

こうした何気ない日常の一つ一つを過ごしていけるという事が、一番幸せな事なのかもしれないなぁと、最近は殊更にそう思う。

いつも時間というものは、自分をおいてきぼりにして勝手に先に行ってしまうんだけれど、それでも、この止まっているような心地良い空間に対して抱いた気持ちや想いを無下にしたくない。

それは振り返ってみると、頭に焼き付いた情景に対して想い考えた事が、今まで生きる上での糧になっていたような気がするからだ。

これまでもそうだったし、これからもおそらくはそうしていくんだろう。

気持ちや言葉に傷つけられたと思うのなら、尚更、それらを大事にしていきたい。

今までに起きた、委細全ての物事に対して、もう自分は見なかった、無かったという事にはしたくないからだ。
それは人を信頼するということ。逃げずに自らと対峙するということ。
それらと同義なのかもしれない。

人は嘘をつき、離れていくものだと思ってた。
心の底から信じた事がしばらく無かった。

でも、今は違う。

本心を、話し書く事が少しずつではあるけれど出来ている。

伝えたかったことは、伝えたい時に伝えないと、後にそれが出来なくなった時、そこに想いを馳せてみれば、とても辛い、悔いの残るような感情を抱くようになってしまう。

自分にはそんな人が何人いただろう。

「ありがとう」も「ごめんなさい」も、言う事が出来ずに音沙汰知れずになってしまった人がいっぱいいる。

もう、それで良しとするのは嫌だ。

たくさんの仮面を被り始めたのは、いつの頃からだったのだろう。
いつも心が収縮するような気持ちになる度に、それらは増えていったような気がする。

いつか。

自分にはこんな仮面なんて、無用の物だと思える日がくるのかな。
心の奥底にある本心なんて、誰にも話したことがなかった。

パートナーにさえ語ったことのない本当の自分。
いや、寧ろ彼だから話したくなかったのかもしれない。

話してしまったら離れていってしまうんじゃないかって、怖くて仕方がなかった。

今は、ぽつり。ぽつり。と、少しずつ話す事が出来て飲み込んで貰っている。
こんな事までしてくれるなんて、自分には勿体無いくらいだ。

この気持ちに胡座をかかず、生きていきたいな。

そう思うのは、どういう訳だか、最近出会う人達は、自分なんかに物凄い「気持ち」をくれるのだ。

そうされると嬉しいから、僕も自分なりに精一杯、それに応えて返す。

そうすると、いつの間にか本気なのかどうなのか、分からなくなってしまう様なときがある。
危険な兆候だと思う。
八方美人という言葉があるけれど、どの辺で止めれば良いものなのかが自分には良くわからない。

それでも、自分以外の人間と付き合えるものなら付き合ってみやがれと言う彼の言葉に大きなクッションを感じ、甘えてしまっている。

考えてみれば、この10年近く、結局彼の元にいつも戻ってきてしまっている。

いつも何を言うわけでもなく、ただ傍にいてくれて待っていてくれた。

付き合い始めの頃、他に複数の人と付き合いがあったという事がわかった時も。

そして、僕がHIVに感染してるとわかった時も。

うろたえて泣きじゃくる僕に、そうだったか。と、少ししゃがみこむようにして目を覗き込み、頭をずっと撫で続けてくれて、微笑んでいてくれていた。

自分だってそうなんじゃないかって不安だったろうに。

その後の検査で彼は陰性だったっていうのに。

女の人と同棲していたことがあって、別に結婚も出来ないわけじゃないだろうに。

自分なんか捨てて、とっとと結婚するなり、他の人間とでも付き合えば良いのに。

特に感染してた事が分かったときは、本気でそう思ってたし、言葉でも伝えた。

その方が幸せになれると思ったからだ。

でも、彼はそれを選ばなかった。傍にいたいって言ってくれた。
そしてその通りに、気付けばいつもずっと傍にいてくれていた。

だから。

大事にしなければならない。

核となる人間は誰なのか。今一度肝に命じなければならない。

彼の存在は殆どもう、自分の半身のような感じになってしまってはいるけれど。

もう一度、あの時の気持ちを噛み締めようか。
失ってからじゃ遅いから。また繰り返してはいけないから。

‥そんな風に思った。
季節外れの梅雨時から今に掛けて。

バースデーケーキ(長文)

みのる

先日、誕生日を迎えた。
もう毎年のように、パートナーとその日は出かけ、バースデーケーキを買って、プレゼントを貰う。

今年もそれがやってきた。
来る度に悪いなぁ…。でも嬉しいな。ありがとう。と思う自分がいる。
大事な人が生まれたことに感謝する日。尊い日だなぁとおもう。

これが当たり前のようになっている今、ふと昔を思いだせば、そういえば、誕生日って祝って貰った事が無かったんじゃないかっていう事に気付いた。

小学生の半ばぐらいから、あるいはそれより前だったかもしれない。親に誕生日を忘れられている事が多かった。

だいたいいつも、その日を暫く過ぎてから、「…こないだ、誕生日だったんだけど。」
というと、「あぁ、そうだったっけ。」という感じで終わる。
誰も来ないんだから、もう、する必要もないでしょ
‥ああ、そうなのか。そういうものなのか。誰も来なければ、何もやることはないのか。何も言わなくてもいいのか。

何年かに一回は、その後に父親が図書カードをくれたり。

それぞれの誕生日を、あまり皆覚えてなかったんじゃないだろうか。

僕は一応、家族全員の誕生日を覚えていて、おめでとうと言っていたんだけれど、そのうちに誰も自分の誕生日に何も言ってくれないという事がわかり、僕も言うのをやめた。

そんな気持ちなんて要るもんか。そんな弱い人間じゃないと強がってはいたけれど、本当は心のどこかで欲しかったのかもしれない。
その日が来る度、今年こそは何か言ってくれるんじゃないか。そう期待していたんだけど、いつも何もなかった。
あぁ、またか。今年もか。何を期待していたんだろう、いつものことなのに。いつも何かを期待しては肩透かしを食らう。

もう諦めたのに。何も期待しないって決めたのに。何も求めちゃいけないって思ってたのに。

ケーキとか。そういえば買って貰った事がない。小学生に上がる前か上がった直後ぐらいに、他の子達が来るから…。
といったような理由で、親が仕方なしにと作ったりしていたのは覚えてる。

あの、よくお店で売ってる丸いバースデーケーキ。

あれを自分の為に初めて買って貰ったのは、僕が二丁目に行き出して、付き合う人が出来てからだったんじゃないかと思う。

付き合うというか、今思えば自分にとって、父親の代わりをしてくれていた人。
実の父親より6歳か10歳程年上の、外見も性格も正反対の人。

僕が10代で年の差は40歳近くあったと思う。

うちはお金が無かったわけではなく、寧ろ平均的なサラリーマンよりも収入はあった。
借金もなかったし。
だから買えないと言うことはなかったろう。

その人は、今日はみのるの誕生日だから、みんなで食べてくれと言って、当時良く連れて行ってくれた行き付けのスナックで、先に待っていた僕に丸いバースデーケーキを買ってきてくれていた。そうして、ロウソクに火を付けてくれた。

店の中が暗くなる。

ロウソクの灯りだけが、店内を照らしてる。
ハッピーバースデーの唄をみんなで歌ってくれる。自分の名前を言ってくれておめでとうと言ってくれる。

ほら、吹き消してと言われて、はい。って言って吹き消した。

真っ暗になる。

おめでとう。とお店の中にいたママや、顔も知らないお客さん達が言ってくれる。

その瞬間ふと、5才6才のときに友達の子達とその親を呼ぶからとやったパーティーを思い出した。
そういえばあの時他の子の誕生日も兼ねてやったせいだろうか。

ケーキに立てられたロウソクを吹き消した事なんて、無かったと思う。
一回や二回は、何処かであったかもしれない。

でも、こんな形では無かった気がした。

自分の為だけに。

丸いバースデーケーキと、おめでとうの声。
おそらく無かった。

店内ではまだおめでとうの声と拍手が上がっている。

凄く気恥ずかしかった。凄く嬉しかった筈なのに、何処かに隠れてしまいたいような気持ちになった。

恥ずかしさや照れを隠すように、もういいよ。とケーキのカットを促す。

なんだかどう対応していいのかわからなかった。
あんまり久しぶりの事だったから、どう反応したら良いのか良く分からなかったんだ。

でも、これだけは覚えている。

ありがとうって、心の底から思ったこと。

色々な感情が渦巻いている気持ちの奥底にあったのは、自分なんかのためになんでこんなことしてくれるんだろう。顔も知らない人もいるのに。
何でだろう。良く分からない。
嬉しいはずなのに、何故か涙が出てきて泣きそうになるから、それをこらえるのに必死になった。
みんなに分からせないようにしたかったから。

でも、…ありがとう。
その気持ちだけ、ずっとずっと覚えてる。

ふと、そんな事を思い出した。唐突に。

僕はあの街に救われたのかもしれない。
傷つけられた事もいっぱいあったけど、それ以上に僕を包み込んでくれた。
居場所を提供してくれていた。

あの街が無かったら、僕の今は無かったかもしれない。

当の昔に、頭の中に何度も思い浮かべていた「真っ白い何もない場所」に行っていたかもしれない。

幼い時から自分の頭の中に漠然と思い描いていた、逃避の場所。

それを具現化すると、死ぬという事だったんじゃないのかと気付いたのは、ずっと大人になってからだった。

以前の日記に、今が一番生きるということに執着があると書いたのは、そこからきている。

以前に思い書いたことがある。二丁目に来なければ、こんな病気にかからなかったんじゃないか。
もっと親に甘えていれば、他に寄るべき所を見つけていたら、別の結果になっていたんじゃないかって。
でも、そうじゃない。彼等の何処に甘える隙を見付ける事ができたんだろう。
与えられた選択肢からそれを選びとったのは、それしかなかったからじゃないのか。

病気になったのは、その場所にいたその人達のせいだなんて、責任転嫁も良いところだ。甘ったれるな。
行動に対しての当然の結果だ。

彼等は良くしてくれたじゃないか。甘えたり寄り掛かる存在のない僕に、暖かい場所を用意してくれてたじゃないか。話しかけてくれたり、抱き締めてくれたり、愛してくれたりしてくれてたじゃないか。
例え商品の様に扱われていた時でさえ、自分という人間に興味を持ってくれてたじゃないか。
どんな事をこの子は考えているのかなって、話しかけてくれてたじゃないか。

あの場所がなければ、彼等が居なければ、僕は自分の気持ちを昇華する事が出来ずに、何処かで爆発させてしまってたかもしれない。

子が親を殺す気持ちというものを僕は、痛いほど理解することが出来る。
自分もそうだったからだ。
罵られ、叩かれ、殴り続けられる度に。

嵐のような情景の中。最初の頃は、ごめんなさい、ごめんなさいとひたすら謝っていたのだが、謝ることは却って刺激させてしまうことだとわかり、じっと耐えていた。

自分を他の場所から見ているように痛みを感じなくなった。

そのあと、しばらくしてからふいに心の奥底の方から芽生えた小さい殺意。
それが大きくなっていくに連れて抑えが効かなくなっていくような気がしていた。

あの時その思いを昇華できなければ。

いつしかそれは破裂していたと思う。

17歳の時だった。
学校からの帰り道、自転車に乗って帰っていた。目の前、5歳か6歳の子がお母さんと遊んでいた。
頭の中がカッとなる。真っ白くなる。光景が歪む。スピードを上げる。その子に向けて。
なんだか許せなかった。無性に。
今思えば、それは嫉妬や妬みに似た感情。
自分には無かったもの、欲しかったものを持っている者に対しての。
とても、身勝手な考えだ。例え僕がどういう環境で育ったのであろうが、そこにある笑顔を奪う権利など何処にも無いのに。
僕を見つけたお母さんの顔が強ばる。何するの。止めて!
その表情から読み取れたような感情。

ハッと、我に帰った。ブレーキを全力で踏み込み、その子の直前で止まった。
子供は僕を見ている。
その表情には怯えも恐怖もなく、ただ僕を見ていた。

綺麗な目で。

‥何てことをしようとしたんだろう。
僕は逃げた。全速力で。全部を振り払うように。
家に着いて、部屋に飛び込み、机の引き出しからラッシュを取り出し一人で処理した。
訳分からなくして、無かった事にしたかったのだ。
当時ラッシュはいっぱい買い込んであって、引き出しの中にしまってあった。直ぐに揮発してしまうので、いつも強い状態が保てるように。
16歳の頃から使い始めたこの物体。好んで使っていた。高校のトイレや帰り道の駅のデパートのトイレ。
人気のない図書館の片隅。いつも持ち歩いていた。タバコと一緒の精神安定剤みたいに。
嫌なことや逃避したいことがあると、良く使って一人で処理をしたり、たまのセックスの時に使ったり。

依存性は無いようで、今のところ何も影響はないが。

もう一つの選択肢。

それがこれだ。

弟以外の家族を全部殺して。目の前に入る気に入らないもの片っ端から壊して殺して自分も死ぬ事。

護身用にと嘘吹いて持ち歩いていたナイフは、いつでもそれが実行出来ると安心出来たもの。
持っていると、落ち着いた。嫌なことがあれば、これで自分の首でもかっ切ればいいと。

一見普通に見える、大人しそうな少年の、内に巣食う狂気。
今ならそう表現できる。

でも。

この選択肢は選ばなかった。選べなかったのだ。
殺意を向けたのは初めは母親だった。

中学生の時。いつものように、罵り殴り付けようとした母親。
不意に、それを振り払う事が出来た。
その事に驚くと同時に、心の中から声が沸き上がる。
さあ、今だ。今までされてきたことをそのままやり返せ。お前なんかって。気持ち悪いって。言われたように罵ってやれ。感情の赴くまま、金切り声上げながらはけ口として、叩き、殴り続けるんだ。そして‥。
壁に片腕で押さえ込み、首に手を伸ばし、締め付け‥。

出来なかった。

出来なかった。

代わりに壁を殴り付け、蹴り続けた。

そのあと、彼女からの暴力は止んだ。言葉の暴力は一層強くなった気がするが。

どうせなら、彼女と同じような人間から自分と同じような子供を守るために、行動したかった。

そうした事もあったんだ。泣き続ける子供に、アイスや飴をあげて、泣き止むまで頭をなで続けてやったりもしたんだ。

5歳6歳ぐらいに、雪の降り続くなか、親からの暴力から逃れようと一緒に手を引いて逃げた弟を抱き締めたように。

でも、その頃の僕は壊れてしまっていて、それすら、出来なくなっていたみたいだ。

あの場所に出だしてから。一人で誕生日を迎えた事はない。常に誰かが居てくれる。

彼氏や友達、お店のママ。その日が来ると当たり前のようにおめでとうと言ってくれる。
あの場所に良く出入りするようになってから、僕はもうあの時程の狂気を持ち出すことは、なくなっていた。

自暴自棄になったことはあるが。
それは自らを傷付けただけ。あまり大した事じゃない。
傷の大きさがまるで違うのだ。

その後何年かして、病気が分かった一年後、弟に子供が出来て、その赤ん坊が僕を見て笑った。

思わず笑みがこぼれて、なんとも言えない感情が涌いてくる。
幼い頃、弟を守らなきゃと抱き締めた時の感情に近い。

それから、僕は今までより一層子供が大好きになった。

そうして、今ここにいる。
パートナーと二人で住むには少し手狭なこのマンション。
10年という節目の時に、色々な事を思い出した。
今のパートナーとの生活。
それは子供の頃から自分には、絶対に手に入らないものだと諦めていたもの。
今、得ることが出来た。
それを守りたい。

今まで何気なく繰り返してきてしまった、パートナーと一緒の誕生日。
その10回目の誕生日を祝って貰った時に、強くそう思った。

誕生日は、感染したことが分かった日でもあるけれど、その記念日はあまりもう意識しなくなったんだ。

それ以上に大事なものを手に入れることが出来たから。

…ありがとう。

桜の季節に想う事

みのる

この頃バイクで近場を走ってみて、桜がどんどん咲いていくのが分かった。
日毎に通る度に、少しずつ淡いピンクの色の部分が大きくなっていって、ヘルメットのミラー越しから見えるその景色は春の訪れを、何よりも強く感じさせてくれる。
少し花粉症がまた出てきたのか、顔の辺りがちょっと不快だけれど、それを吹き飛ばしてくれるような景色だ。
ちょうど、この病気になっていたことが分かった7年ぐらい前、「桜」というものが、僕にとって、ひとつのキーワードのようなものになっていた時がある。

‥来年は、この桜が見れるのかなぁ‥。と、何度思ったかわからない。
でも、時は経ち、発病もせず、こんな状態が安定してくると、こんな事を以前はおもっていたなぁ‥。と、それはそれで僕の中では、大切な想い出の一つになっている。

何度も、何度も、色んな事を考え、打ち消し、思い、否定し‥。
その度、悲観したり楽観したり、自分なりに悩んでいた。
自分をごまかしたりして、救いのようなものにすがりついた事もあったし。
‥でも、結局現実から目を逸らさず、少ないけれども与えられた選択肢の中から、自分なりに悩み抜いて選んできた。
そんな自分にも、ありがとう。と言ってやりたい。
もちろん、まわりの人のサポートにはそれ以上に感謝なのだけれども。

色んな人に支えられて、過去の自分にも支えられて、けして独りでここまできたわけじゃない。
こないだ、ちょっとした喧嘩をしたときに、僕が自暴自棄になったような口調でふと、もういいよ‥。と呟くと、パートナーは「お前はもう一人じゃないんだから、心配する人間がここにいるんだから、もういい‥。なんて二度というな!」と、真剣な顔をして言った。
なんだか嬉しかった。そんな事、誰にも言われたこと無かったから‥。もちろん親にも。

実は今回、お花見に行ってきた事を書こうと思ってたんだけど、長くなりそうなので、ワンクッションおきたいなと、この日記を書いてみた。

次回の日記で、ほぼ、自分の内面と向き合った感の文は終わるのかもしれないと思う。

朧気ながらも、答えが出たような感じがするからだ。
とはいえ、気まぐれな自分の事だから、それはわからないけれども。(笑)
僕にとって、この長い休みは、自分の中にあって、目を逸らし気味だった所を見つめる良い期間だったと思う。
凄く何かが変わる、と言うわけではないんだけど、大事なものに気付かせてくれたような‥。なんかそんなような感じ。

自分は、普段は人と話す時には、殆ど本音を話さないで相手に合わすことが多い。弱い所なんかあまり見せたくないからだ。
大丈夫かな‥。と判断した人には凄く気を使いながら、話すことはあるけれど。
だから、ありのままの自分の気持ちを出せる文章を書くと言うことは、自分にとっては、とても大切なことなのかもしれない。
ありがたいなぁ‥と思う。
それでは寝ようかな。おやすみなさい