陽性者と家族の日記

ご無沙汰です

やっちゃん

もの凄く久しぶりで、申し訳ないです。

実は、今年3月にうつ病になり会社を休職しております、一回休職延長をしましたがこれ以上の延長は、出来ないとの事で、復帰するまでも回復していない為、今月末で退職する事になりました。

今は、パートナーに支えてもらいながら、少しづつ良くなっています。

うつ病と上手く付き合っていけたらと思います。

イギリス人の秘密

ひろき

かっこよく日焼けした肌になりたい、けど、ホリデ−の資金がない、ということで、
先日、近所の日焼けサロンにいってみました。

実は私は元々地黒なので、今までなかなか日焼けサロンにいったことがなかったのですが、
いざいってみると、老若男女問わず、色々な利用客がいるようでした。

考えてみれば、色白な白人が多いイギリスで小麦色の肌を持つということは、
ホリデーにいったか、夏場の公園で日焼けしたかしか考えられません。
聞くところによると、イギリスで肌を焼くのはホリデ−に行ったことをアピ−ルするため、
ともききます。

具体的な割合は分かりませんが、特に冬場のイギリスで、街ゆく人で日焼けしている人のうち、
ある一定程度は、実は日焼けサロンで小麦色になっているのではないかと考えられます。
日サロに行ったことをわざわざアピールする人は多くないので、
いわばイギリス人の秘密、というわけです。

これは、あくまで私の個人的な推測によるものですが、
脱いだ時に、お尻のなんというか、書きにくいのですが、谷間の部分だけ白い人は
日サロだとみて間違いないと思います(笑)

そんなこんなで、小麦肌を手に入れた私ですが、もともと地黒なので、
周囲の人間で気づいてくれた人は多くありませんでした。
残念!

雨の戴冠式

ひろき

先週末、ロンドンではチャールズ三世の戴冠式が行われました。
日本のメディアも注目したようですが、
イギリス人でもない自分としては、手持無沙汰というか、
意外とやることなかったです。
小雨も降っていたので、テレビで戴冠式の中継を見ていましたが、
次第に飽きてしまいました。そこで、ふと思いついたのは、
式に参列するためにロンドンに滞在している秋篠宮両殿下を見に行くこと。
滞在先のホテルは把握していたので、
戴冠式が終わったタイミングで、自転車をこいでホテル前に駆け付けました。

読み通り、ホテルの玄関エリアでは日本の報道陣、大使館関係者、
現地警察と鋭い目をした日本人SPたちが待ち構えていました。
こういったことをするのは初めてだったのですが、
ちょっとした人だかりも出来ていて、通行人から、誰を待っているのかきかれるので、
その度に、両殿下のことを説明しました。
中には日本の皇室メンバーの知識があるフランス人がいて、「Mako?Kako?」ときかれたので、
その両親の「Kiko」だと説明したのですが、似たお名前のせいか、なかなか理解してくれませんでした(笑)

待つこと1時間以上、小雨のなか、現地警察のバイク隊が先導する車の一列が到着し、
中から両殿下が出てきました。
よくニュースで声がけしているのを目にしていたので、思わず日本語でお二人に呼びかけてしまいました。
そうすると、ちゃんとこちらを向いて挨拶をしてくれました。

海外に住んでいると、こうして日本を代表して、遠い異国まで式典に参加してくださる皇室の方々を
ありがたく感じます。
もちろん、参加はできない世紀のイベントですが、式にまつわる特別な思い出をつくることができました。

タイムマシーン

IHO

Hello,myfriend
まずはHappy Birthday to you
新しいあなただけの歴史を切り拓いていって下さい。

あれから5年位経ちます。沈丁花香る春も夕涼みも
空がとっても低くて天使が降りて来そうなほどの季節も
真夏のクリスマスも、何度も過ぎました。
LINEを送っても未読のまま、手紙を送ってもそのまま、
日本に居ないんぢゃないか、外国に移住した?
それとも地球以外の惑星、砂の惑星にでも行ったんぢゃないかと
思える程、君に会えなくなるなんて思いもしなかった。
いつも会っていたのに、思い出すのは夕焼けに小さくなる癖のある歩き方です。
今はどうしていますか。叶わない夢など追い掛けたりしないって言っていたけど
あの頃の夢を捕まえましたか。形にしましたか。
僕は月曜日のロボットよろしくカード押しておじぎをしてファクスを受けている
毎日です(T_T)

ふたり錆びついたかんらん車に腰をおろし遠くの景色を眺めながら
愛が砕け散るのを見届けたかった。
ひと回りして地上に降り立つまであなたの事を考える。
時々僕の噂話を聞いたり不意に僕の写真が出てきたり不思議な体験をしませんか。
もう愛は始まらないと思っているけどやっぱりあなただけをあなただけにと考える。
駆け引きの弾き金を引いて裏目に出ちゃったあの瞬間をも含めていつでも読み返せるように
フォルクローレのように語り継がれるように膨大な蔵書を保有する宇宙図書館の棚にしまっておきます。

夜の都会をさぁ飛び越えてあなたが生まれた1960年へ
バックミラーに吸い込まれてく散りばめられた光の中へ
モノクロームの時間が虹色に変わっていく。
Nobody Elseみんな知らない変わり始めた僕を。
安いサダル脱ぎ捨てて今日から新しい旅が始まる。「THE JOURNEY」が初まる。

IHO 拝

Have you ever Seen the Rainbow

IHO

虹、見ました?

先日TRPに参加してきました。
すっごーーーーーい人出でしたね(*^^*)
今回のTRPでは色んな方と出愛、沢山の楽しい経験をさせて頂き
本当に思い出に残るイベントになりました。
僕は日曜日の渋谷を練り歩く!にも参加しまして、
少し不安というか、恐る恐る歩き出したのですが
歩を進める内に段々楽しくなって腕が痛くなるくらい手を振り
そして、たーーーーーくさん、路上から手を振り返して頂き
笑顔と声も頂き、かなり感動しました。
ステージでのコンサートも人・人・人でギュウギュウ大盛況の中
思いっきり楽しんだ笑顔とレインボーカラーでいっぱいの一日でした。
心も体も大開放の氣持ちのいい一日でした。

TRP開催に尽力して頂いた皆様、心から感謝致します。ありがとうございます!

虹をみたかい
キレイな虹を
とびきりの虹を
僕は見ましたよ(^^)

IHO 拝

猫の家族が増えました

朱美

この頃、始めたウオーキングでよく行く公園に、猫の餌やりさんが見えました。そこに来てる猫たちの中に、小さな顔、ガリガリの体、お腹すかしてビャービャーと鳴く子がいました。

捨て猫だと、餌やりさんがいって見えました。私は、この子のことが気になりました。先住猫の保護主さんに相談したのが引き金になり、保護する事にしたのです。遅い時間に餌やりさんがキャリーケースに入れて、届けてくれました。

翌る日、病院へ行き感染症の検査をしました。先生からエイズキャリアだと聞かされたときは、涙が止まりませんでした。猫は薬がなく、最大の予防法は感染させない事だとか。数十年前の人と一緒ですね。私は薬のおかげで告知後30年を過ぎました。

この子が私のところに来たのは運命のような気がします。発症しないで天寿を全うさせようと決心しました。

我が家に来て、1ヶ月が経ちました。ドカ食いも収まり、可愛い甘えん坊になりました。夜鳴きは、大分良くなりましたよ。

毎日、母さんが守ってあげるからねと話しかけるのが、私の仕事です。

イースターホリデー

ひろき

毎年日付が変わる&キリスト教徒ではないので、
在英12年でもいまだに馴染めないイースターが今年もやってきました。
例年予定がないことが多いのですが、今年は友人が誘ってくれたおかげで、
スェーデン・ストックホルムに週末旅行にでかけました。
北欧の方に本当に申し訳ないのですが、つい最近まで、
ノルウェーとスェーデンとデンマークの国名と首都の組み合わせがあやふやでした。
今回の旅で3カ国を制覇し、首都の名前はもちろん、
お国柄の違いに気が付くことができました。

オスロ、コペンハーゲン、そしてストックホルムを訪れたことがあるのですが、
街並みはストックホルムが一番かわいかったです。
複数の島に市街地が広がり、島同士が運河や川で結ばれ、海に面しているので、
北欧のベニスと呼ばれているらしいです。
「魔女の宅急便」の舞台のモデルにもなったらしいストックホルムですが、
ちょっと足を延ばすと、森や川といった静かな自然の風景が広がっています。

名所の中には17世紀に沈み、300年ぶりに引き揚げられたという帆船を展示する博物館もあり、
まさにバイキングの国、海洋王国、と感じました。
そういえば、地元·横浜に、昔の船員向けの北欧料理のレストランや、
北欧出身の船員向けのバーがいまでもあります。
何百年も、スェーデン人が遠い異国の地を目指して、
ストックホルムから船出していったのかと思うと、ロマンがありますね。

さて、スェーデン語でコーヒーなどを飲みながら友人や家族とリラックスした時間を過ごすことを、
“フィーカ”というらしいです。
そういった文化の影響か、街中にはコーヒーとシナモンロールを出す居心地のよさそうなカフェがたくさんありました。
私と友人は、むしろフィーカをしなきゃという義務感でカフェを巡って、
その度にシナモンロールを爆食していました(笑)

ストックホルムは居心地がよくて、目的はなくても、また、訪れたくなる街でした。

人は夢を二度見る

なぎさのペンギン

WBC 日本優勝おめでとう!
そして札幌近郊の北広島には、
北海道ボールパークが誕生。
野球が盛り上がっていますね。

大谷選手のすばらしさは圧倒的ですが、
Shoheiを世界に知らしめた水原通訳の
コミュニケーション技術の高さと
練れた人柄に、心底 感服しています。

今週、いまの僕にとって一番大事な人と
桜を楽しんできました。

ともに歩きながら、僕の頭の中には

2005年のケツメ「さくら」のMVや
「いつかやるつもり、と頭の中で
思っていても 永遠は短い」
「今の自分をムダにするな」
という 昔の乃木坂46の曲の歌詞が 
ひらひら舞い降りてきました。

自分が思っていたよりも
時間の流れはずっと早かった…

そして どんなときも
自分は 数えきれないほどの音楽に
支えられていたのだと。

拝啓 2045年の自分へ

いま 2つのことを考えています。

HIV感染を知った直後、本当の気持ちを
記録に残したくて 自分をビデオに撮り
当時の思いを告白しました。
(あの頃はまだスマホもなかったよ!)

撮影以来、一度も再生していません。
20年後のその日に見返そう、と。
タイムカプセルじゃないですが。

もうひとつは 未来の自分へのEメール。

Eメールの機能に時間指定送信が追加
されてから、未来日送信ができるため
リマインダー代わりによく利用しています。

2045年の自分に向け 2025年の思いを
サプライズ発信できたらと面白いと思う
のです。 

それまでは生きなきゃ!

マサラの味

最近見た作品で最高に興奮した
インド映画「RRR」。
言葉の垣根を越え、大切なのは感情、
アクション!とばかり?
主題歌「Naatu Naatu」は今年の
アカデミー賞で歌曲賞を受賞。
ヒンディー語ではなくテルグ語映画
(話者人口7000万人)というのも、
“今”の時代を実感させられます。

ちなみにnaatuとはテルグ語で
“故郷”や”田舎”を表す言葉だそう。

人は夢を二度見る

自分が思っていたよりも

なぎさのペンギン

「なるべくいつもと同じ調子で
前を向いて進んで行きませんか」 
                     
2020年3月8日。
パンデミック初の緊急事態宣言が
出される直前の”陽性者と家族の日記”に
僕はそう書きました。

あれから3年が経ったんですね。

Time flies

NHKの”みんなのうた”を見ていたら、
ケツメイシの新曲が流れました。
題名は「自分が思っていたよりも」。

僕にとって、ケツメイシは
思い入れの強いアーティスツ。
HIVの感染を知った年の夏に発売された
アルバム「ケツノポリス4」には、
「さくら」「君にBUMP」「涙」など
代表曲がたくさん収録されています。

当時の自分に元気をくれたケツメの
メンバーたちも そろそろアラフィフ!
(自分がその10年上くらいなんやし、
当たり前なのですが)

「自分が思って…」のMVでは、
ある男性の約20年にわたる成長が
ドキュメンタリーで描かれます。

20年前の自分は、20年後の自分が
どうなっているかなんて
想像すらしませんでした。

2023年までに HIVやゲイの友人たちが
いろいろな理由から次々と世を去り、
大好きな相方や母も故人となりました。

すべてのことには意味がある

最近の映画「フェイブルマンズ」では
登場人物の子供たちに対し、お母さんが
こんな言葉を伝えます。

有名な英語のことわざのひとつですが、

“Everything happens for a reason.”
“すべてのことには意味があるのよ”

人生は想定していなかったことの連続。
全ての物事は”なるべくしてなった”。
だから成功におごらず、失敗にくじけず
先を恐れずに進み続けよう。

という思いが込められています。

映画の後半で父と母は離別し、
一家の幸福は崩れてしまいます。、
つらい思い出を胸に子供たちは成長。
そのひとりである長男は、数十年後に
映画界の巨匠 スピルバーグになりました。

我慢して生きるほど人生は長くない

たたみ

「青春時代が終われば、私たち、生きている意味がないわ」

あるバンドの曲の歌詞が突き刺さる昨今です。

50代に乗り、またコロナによる生活様式の変化によって今まで気づかなかった自分に気づくことも多々あり、

「自分の未来が見えない病」を患っています。

色々と考えて(考えが足りない気がしないこともないけど)いる中、ある本のタイトルがとても引っかかりました。

「我慢して生きるほど人生は長くない」

50代ともなれば自分の得意なこと/苦手なこと、できること/できないことの分別は概ねつき、思考も保守的になり、新たな可能性を広げる余裕もかなり少なくなるお年頃。もちろんガンガンチャレンジする方もいるでしょうが、僕はそうではないようです。

とりあえず、今の自分の仕事の内容が、とても苦手でうまくいできないことだらけでだと分かっていながら我慢して仕事を続けていましたが、我慢をやめ、今の職場を脱出することにしました。一時的に厳しい状況に置かれますが、自分のできる範囲で次に進んでいこうと思っています。

それでもだめなら次いくかぁ~くらいの気楽なノリでやっていきたいな。。。ビビリな僕に勇気を。。。

さて、僕の未来のドラマはどう展開していくのか・・・?