陽性者と家族の日記

1年ぶりの日記。

長かった梅雨もようやく明けて、夏らしい暑い日が続いていますね。
暑中見舞い申し上げます。

こんにちは、ヤマモトです。個人的に、この1年、環境の大きな変化があったりして、日記をまったく書いていませんでした(大汗)

ちょっとは落ち着いてきたので、また日記を書き綴っていこうと思います。

感染がわかってから、地元の拠点病院では診察を断られ、隣の県の病院に行ったら、いきなり服薬を開始(まだ、自身も病気についての知識も乏しかったですし…)したものの、組み合わせとしては、ちょっと古く、飲みにくい薬でした。おまけに副作用が強く、運の悪いことに服薬開始前後が年末年始だったこともあって、相談も出来ずに、副作用に苦しみながら飲んでいましたが、ついには、正月明けのぷれいす東京へアポなしで相談に行き、都内の病院で診察を受ける段取りをしていただくことが出来ました。結果、服薬を即刻中止し、その旨を、隣の県の病院の先生にも説明していただいた文書を作ってもらえましたし、なんと、自分の住んでいる街にHIVの診療を行っている先生を紹介してもらうこともでき、とてもラッキーでした!

ということで、その後は、地元の町にある診療所での治療に切り替えることができ、その後も長くお世話になることになります。普通、HIVの診療については、大学病院などの大きな病院での診療が多いと思いますが、自分の場合は、本当に、町のお医者さんといった、ごく普通の内科の診療所での治療を受けてきました。特に時間指定の予約をする必要もなく、ちょっと体調が悪い時なども、わりと気軽に診察していただけるのが非常によいです(家からも近いですし)。
ですが、HIVの医療費は高額です。それは大学病院だろうと町の医院だろうと変わりません。なので、次にやることは、身障者手帳の申請と医療費の助成制度を受けるための申請です。このときほど、役所の対応の遅さ、悪さに歯がゆい思いをしたことはありません。
まずは、身障者手帳の取得にむけて、必要な書類を役所に提出しましたが、申請してから、認可がおりて、自身の手元に手帳が届くまで3ヶ月以上も時間がかかりました。
どうやら、申請の手続きには、役所→福祉事務所→県庁の順で書類があがっていって、県の認可を受けなければならないようですが(まどろっこしい)手帳が出来上がっても、県庁→福祉事務所→役所と、逆の順序を経て、やっと本人の手元に手帳が届くようですが、いつまでたっても、手帳が出来ました、の連絡がありません。その間も定期的に診察は続け、服薬はしないものの、CD4とウイルス量を調べるための血液検査をしなくてはならず、この検査にかかる費用も自己負担3割ではばかになりません。しびれを切らして調べてもらったところ、ナゼか、福祉事務所で手帳がとまっていたようでした…。
その後も更生医療の申請、自治体の医療制度の申請についても、制度に詳しいソーシャルワーカーさんもいないし、役所の相談窓口の人間もHIVが身障者手帳の対象になっていることすら知らない始末。HIVについて、医療費の申請をしたのは、この町で一番最初の人間だったのではないかと思いましたよ。

ヤマモト

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