陽性者と家族の日記

命の線引き

今日はクリスマスだ。
別に、この日がどうだこうだと、言う気はないんだけど。
街はやたらと、いつの頃からか、随分前から煽りたてている。

早くから、このイベントを、見逃すまいとする人達の気持ちは、わからないでもないんだけれど、早すぎるのもどうかな?と思ってしまう‥。なんというか、現金だなぁ、みたいな。

僕は、不思議と、何故だかこの時期は、人寂しさと言うか‥疎外感みたいなのを、感じる事が多い今は、色々な事が変わって、それほどでもないんだけれども。

それでも、子供の時から、なんというか、集団が苦手ということもあって、何だか馴染めないのだ。

もちろん、場を乱さないように、それなりの合わせ方は、出来るようになったんだけれど、そうではなくて、なんか、こうもっと‥幼い頃に強く感じた気持ちによるものみたいな、疎外感。

でもそれでも、気を許した人達と一緒にいるなら、嬉しいんだけどね。この期間に限らず。

話は変わって、薬を飲みはじめて、何ヶ月目かになる。
最近、身近な人達に、なんか元気になった?とかいう事を言われる。それ以外にも、お前、前は、もっとガリガリだったよな。とか、少し、太った?(笑)とか…。自分では、あまり意識はしてはないんだけど、近くにいる人が言うということは、少しずつ変化してるみたいだ。
…ウイルスを、何年も、自分の力だけで、押さえ込めていると思っていたけれど、自分でも気付かない間に、少しずつ、色々なところが削られてたのかもしれない。そういえば、体は何だか、以前よりも楽になったような気がする。他に付随する、その他の数値も上がってきているみたいだし。

でも、こうして、薬を飲みはじめて、たまに想うことがある。

…、いろんな、人達の、犠牲の上に、こうして薬を飲むことが出来るという事。「たまたま」この日本に生まれ…、「たまたま」この時期に感染し、またそれを判ったこと。この国に生まれても、もっと感染した時期が早ければ、助からなかったかもしれない。または、もっと苦しい治療だったかもしれない。

今だって、他の国では、というより、薬を飲めない人のほうが、遥かに多い。まともにお母さんから…母子感染。とか、だけではなく、家族が食べれなくて、子供の時に売られて、感染してしまうという、なんともいえないような事も、事実としてある‥。

僕も自分なりにいろんな事をしてきたから…、なんだか、他人事には、何故だか思えない。だから、一生懸命、飲まなければいけないと思うし、一生懸命生きなければいけないと思う。もちろん、根詰めてその事ばかり考えていたら、重荷になってしまうし、治療にも良くない。
だから、どこか、常に小さくても構わないから、胸の片隅にでも置いておく。それが、飲める人の責務だと思う。責務だというと重くなってしまうけれど、それに近いような感じ方。何かを還す…というような事。大きく考えなくても、小さくてもいいから、常にしまっておく。いろんな矛盾や、建前を織り込みつつも…。
それでも、考えたり、思ったりすること。
ほんの小さな事でも、積み重なれば、大きな力になると、僕は思う。

みのる

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