陽性者と家族の日記

ヒロシマ、ふたつのモナムール

広島は 僕にとっては特別な街。

最初に訪れたのは高校生のときですが、当時の自分には(幼すぎたのか)「ヒロシマ」という場所のもつ意味があまりリアルに感じられず、過去に起こった悲劇 くらいの認識しか持っていませんでした。

ずっと後になってから資料館を見て回り、”あのとき 何が起きたのか”という現実に(とはいっても あくまでバーチャルなものでしかないけれど)少しだけ触れることができ、自分の中の何かが変わった記憶があります。

何年か前には日本エイズ学会も開催され、スカラシップで参加していた僕は あらためてこの街を歩いて回りながら 1945年8月6日 午前8時15分に起こった出来事に思いをはせました。

縁あって その後 何度もこの街に足を運ぶことになるのですが….

突然ですが
「Hiroshima mon amour (ヒロシマ モナムール)」という映画を知っていますか?
50年も前に作られた白黒の古い作品ですが、反戦映画の撮影のために来日したフランス人女優と日本人男性の交流と心の葛藤を描いた心にしみる作品でした。
広島市に長期ロケをして撮りあげたことが当時 大きな話題になったそうですし、当時の広島市、というか 復興を遂げてきた戦後の日本の面影を記録した貴重な映像 という評価もされているようです。

自分にとってもふたたび”ヒロシマ”に興味をもつきっかけを作ってくれた忘れられない映画なのですが、公開当時は 日本語題がなぜか「二十四時間の情事」となっていて(不倫チックなラブロマンスみたいな印象ですよね)けげんな思いを抱いたものでした。

広島の風景同様に 印象的だったのが、フランス人女優の役を演じたエマニュエル・リヴァという女優さん。
大変に美しい容姿を備えていた方ですが、その後 映画ではあまりお目にかかることはありませんでした。
芸能界を引退し ひっそりと静かに暮らしているのかな、なんて勝手に想像していたのですが…

実は数年前、彼女は映画の撮影以来 50年ぶりに来日し、広島も訪問したのだそうです。
ロケ撮影の合間、彼女は広島市街の風景をカメラで収めていました。それは 被爆したヒロシマの姿に心を痛めているという設定だった自分の役柄を(演じる側として)より深く理解するため の手段だったのだとか….

当然のことながら それらの写真は人目に触れられず長い時間 そのまま放置されていたのですが、ふとしたきっかけで発掘され、ついには写真展が広島で開催されることになり プロモーションのために来日したということでした。
半世紀ぶりに訪れた町並みを見て 彼女は”広島は本当に復興したのだ と私は感慨無量になりました” というコメントを残しています。

それからふたたび数年後….

カンヌ映画祭のパルムドール、アカデミー賞の最優秀外国語映画賞など…そうそうたる世界の映画賞を総ナメにした映画「愛・アムール(Amour)」で 久しぶりに女優・リヴァさんの姿を見たのは 昨年のこと。
病に冒され”別人”へと変貌していくという難役を見事に表現していて圧巻だったのですが、なによりもすばらしかったのは 彼女の勇気です。
往年の美人女優という世間のイメージにあらがうように、85才の老いた等身大の自分の姿をありのままにさらけだしているその姿は 神々しくさえ感じられました。
こんな人生も あるんですねえ。

そして今年 僕にとっては2年ぶりの来広。
原爆ドームを望む歩道は新緑の木々にあふれ、川は いつものようにゆったりと流れていました。

大それたことに….
僕は 自分の中の時間とリヴァさんの50年間を勝手に重ね合わせながら 青い空を見上げたまま ひたすらに ぼーっと空想していました。

なんとなく物騒な時代になってしまった気もする… 
けれど…きょうの日の この平和が いつまでも続きますように….

なぎさのペンギン

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