陽性者と家族の日記

「おかげさま」と「おつかれさま」

「日本語って ホントにムズカシいよね~」
日本で暮らす外国籍の人たちが、しばしば口にする言葉です。

漢字、ひらがな、カタカナの三種類の文字を使い分けなくちゃいけない、とか…
(特に日本で発達した)”敬語”の表現をどう使ったらいいのか、とか…..
確かに 日本語は 複雑かつ繊細….

日本語には ”配慮表現” という独特の言い回しがあります。
(敬語や謙譲語は”配慮表現”の一部)

ある外国の人が まかない付きのアパートに”下宿”させてもらっていた時のこと。

大家さんが貸してくれた石油ストーブが急に作動しなくなってしまい、
その外国の人は
「すみません、ストーブがこわれてしまいました」
と報告しました。

しかし大家さんは立腹。
その外国の方としばらく口をきかなかったのだとか。

理由は….
自分が管理運用していた状況で壊れたのだから
「ストーブがこわれてしまいました」ではなく
「ストーブをこわしてしまいました」と言うべきだろう、
と考えたからなのだそうです。

“相手からモノを借りている最中に発生したトラブルなのだから 
それくらいの配慮があって当然..”というのが 大家さんの見識だったのでしょうが….
この外国の方には ちょっと気の毒だったかな….
日本語学校に何年通ったとしても ここまでの微細なニュアンスはなかなか学べなさそうですよね….

日本語には ”相手に気を遣うような言い方が良し” とされる傾向が 確かにありますよね。
かといって 常にそれが正解とも言えないのが 更なるムズカしさなんだけど。

こうした日本語をめぐるコミュニケーションギャップは もちろん非日本語ネイティブ⇔日本語ネイティブの間だけの
問題ではなく 日本語ネイティブ同士でも発生しています。

たとえば
鉄道の駅などで耳にするアナウンスでは 電車の発車時に
「ドアが閉まります」
と聞こえてくるのが(一般的には)自然な言い回しとされています。
実際にはドアを開け閉めする操作をしている人がいて ドアが自分の意思で勝手に動いているわけではないんですが….

「ドアを閉めさせていただきます」という謙譲の表現では ”ちょっとへだくだりすぎなんじゃないの?”という印象。
逆に「ドアを閉めます」という直接的な言い切りにすると “上から目線の威圧的な感じ”がして 
抵抗感を覚える人もいるのではないでしょうか?

大切なのは
「ドアが閉まります」「ドアを閉めます」「ドアを閉めさせていただきます」
この3つのどれもが 日本語の文法としては正解である ということ。
どれかが間違っているから問題なのではなく どれもが正解であるからこそ 受け取リ手が
“オレの…アタシの選択こそが正しいに違いないんだ”
と思い込んでしまう そんな危険性をはらんでいる、ということです。 

興味深いことに…
同じひとこと であっても(たとえばバスの運転手のように)開閉装置を操作する人の存在が
明確な場合(話者の顔が見える状況)においては 「ドアを閉めます」と言い切っても 
受け入れられやすくなる可能性が高くなる ということです。
(抑揚やアクセントなど話者の言い回しが丁寧に聞こえるなら よけいにそう感じるでしょうね)
電車の場合に比べ 運転手=バスの運行を管理する人 という認識がわかりやすく 
“この人が管理しているのだから 乗客である自分たちは従わなきゃね” 的な共有感が
広がりやすい ということかもしれません。

う~ん….
なんか….シチュエーションに左右されすぎじゃね….
あいまいすぎるぞ~ 日本語(笑)

もうひとつ 別の例を…..

親が病気になって入院していたが、治癒して退院した…というような状況で
「お父さん、具合が良くなってよかったね」
「はい、おかげさまで先日退院しました」
というようなやりとりは ごくありふれた会話です。

しかし、20代などの若い世代の人たちは この”おかげさま”というあいまいな表現を 
年長の人ほど好まない傾向にあるのだとか。

この場合の”おかげさま”は 誰か特定の人ではなく…神仏など 超自然的な存在の恩恵に
よって….という背景が想定されています。
なので「何が父親の健康を回復させたのか」という点を 古来からある”偉大なるものへの
感謝”のレベルで解釈するか、科学的、論理的な理詰めでとらえるか…で 意見が
大きく分かれるでしょう。

興味深いのは…

「おかげさま」に匹敵するあいまいな表現の言葉として「おつかれさま」がありますが、
こちらについては 若い人ほど多用する傾向にあるらしい、ということ。
言葉に関する意識調査の結果を見ても、会話の第一声をこの言葉で始めようとする人は 
若年者に多いそうです。
イマドキの若者なんて みんな気配りなんかできてね~んだからよ~ 
という話ではないんですね。

ここでの「おつかれさま」は 本気で相手の労をねぎらうというより
「おはようございます」や「こんにちは」「こんばんは」と同じ、コミュニケーションの
きっかけを作るあいさつの役割を果たしているに過ぎません
(アラフィフの僕ですら、わりとよく使っていますWWW)
「ご苦労さま」では上から目線で失礼だけど、「おつかれさま」なら あたりがやわらかい
よね…と考える人も多そうな気がしますし,,,,

一方で
「自分は 別に疲れてはいないよ…..なんで 特に親しくもない相手から”おつかれさま”なんて
言われなきゃならないの?」と 「おつかれさま」の乱用を快く思わない人たちも(当然)います。
こちらは 年長の方々ほど強い抵抗感を示す傾向にあるようですし さらに細かく見ていくと
 メールでのやりとりで あいさつを「おつかれさまです」の一文で始めるのは 
男性より女性のほうが多い という傾向が見られるのだそうです。

会話は 言葉のキャッチボール。
同じ価値観をシェアしていなければ コミュニケーションの一方の側では違和感を感じて
しまいますが ”自分は 社会の中で常に一般的(スタンダード)”という思い込みが強すぎると
 意外な落とし穴にはまってしまいます。

「日本語ってホントに難しいよね~」
日本語ネイティブである自分も 本当にそう思うのですが….

ここまで思慮深く 幅の広い言葉は世界中捜しても なかなかありませんね。

様々な状況で いろいろな言い回しを使い分けることでコミュニケーションを無限大に楽しめる….
難しいからこそ 実に勉強のしがいがありますね….日本語って。

今日は 少し前に聴いたあるラジオ番組の話題から 自分への覚書の意味を含めて残してみました。

なぎさのペンギン

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