陽性者と家族の日記

ゲイと同性愛者

先月に続き、日本のける同性婚に関する議論についての違和感のお話。

突然ですが、私個人は自分のことをゲイだと思いますが、“ゲイ”という枠の中にひとくくりされることに対して抵抗がある方もいると思います。そもそも、“ゲイ”はキリスト教文化圏における同性愛者への差別に対抗する形で同性愛者が自分たちを〝ゲイ〟と呼んだことから始まった、と言われています。

“ゲイ”という言葉を使用することで、議論が加速するというメリットもあると思います。その一方で、欧米圏が経験した(している)差別や弾圧という歴史的文脈をスキップする形で、まるで今まで存在しなかった新人種に対する呼び方、もしくは、ある特定のステレオタイプイメージと結びついた人たち、欧米の文化に感化された人たち、という枠組みでひとくくりにされると、議論が浅くなってしまう危険性があると思います。

19世紀まで衆道という伝統があった日本。同僚、友人、親戚にも同性を好きになる人がいる、というリアル感を持って、地に足のついた議論をしたいと思います。自分たちのことは借り物ではない自分たちの言葉で、自分たちの感覚に合わせて議論しないと、いつまで経ってもリアル感がわかないのではないでしょうか。

ひろき

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