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都政新報に「感染症と社会–コロナが教えてくれたこと」を寄稿しました

ぷれいす東京の池上理事が、都政新報に寄稿したので、ぜひお読みください。
都政新報新年号 2023年1月6日(約3.2MB)
都政新報新年号 2023年1月6日

都政新報新年号 2023年1月6日(金)掲載

「感染症と社会–コロナが教えてくれたこと」

認定NPO法人ぷれいす東京理事 池上 千寿子

2023年が明けました。
街の様子、人々の活動は「コロナ前」に戻っているようにみえます。思いもかけず3年もの間わたしたちの日常を覆った「コロナ禍」ですが、いささか疲れ食傷気味。新型コロナウイルス(以下コロナ)第8波のさなかではあるけれど、対策にはワクチンしかない。営業や行動の自粛要請もない今少しでも失われた3年間を取り戻そう、そんな気分のようです。

しかし、「あらたなパンデミックはまたやってくる」と専門家は警告します。だとしたら、このコロナ・パンデミックの3年間を振り返り、次に備える必要がありそうです。

コロナ登場のわずか40年前にはエイズ・パンデミックがありました。「現代の奇病」と恐怖をあおられ、差別が蔓延してしまいました。そして「感染症は社会を映す鏡である」ことをエイズが教えてくれました。コロナ・パンデミック初期から行政や医療機関が「正しく恐れよう」「(ウイルスだけでなく)差別も感染する。差別はやめよう」などと発信しましたが、これらはエイズが教えてくれた感染症対策の基本メッセージなのです。パニックと差別は感染の温床になってしまうことをエイズで学びました。

ウイルスは敵ではない

「地球はウイルスの惑星」と言うのは、UNAIDS(国連合同エイズ計画)初代事務局長でエボラウイルス発見者の一人でもあるピーター・ピオット博士です。ウイルスは微細な粒子にすぎませんが、地上に存在するウイルス全部の重さは全動植物と細菌の総重量より重いのだそうです。ヒトのゲノムの10%はウイルスのDNA由来だとか。とても戦う相手ではありません。ウイルスを撲滅すべき敵としてしまうと、ウイルスを持っている人も撲滅の対象になりかねません。新発見のウイルスとは「うまくつきあう術」を探るしかないのです。

感染症がおこるには三つの要素が必要です。感染源、感染経路、感受性者(感染を受け取る者)です。人類の歴史に感染症はつきものですが、つい最近まで感染源と感染経路が判明するまでに長い時間がかかったものです。でも、21世紀の現在、コロナはどうでしょう。感染源と感染経路はすぐにわかりました。これはありがたいことです。残るはウイルスを受け取る側だけだともいえます。医学的には感受性者の免疫がウイルスと向き合うわけですが、免疫だけではありません。わたしたちは社会的存在ですから、個人と社会との関わり、社会における予防やケアのあり方などすべてと関係してきます。社会が公平で公正な予防やケアを提供できているかがまず問われます。「感染症は社会を映す鏡」とはこのことです。そこで、この3年間でコロナが映しだし教えてくれたことを整理してみましょう。

予防と格差
コロナ感染の予防方法はすぐに示されました。手洗い、うがい、マスク、3密を回避、対人距離は2メートル、換気など。とても具体的です。手洗い、うがい、マスクは個人の努力や意志によるといえます。マスク不足では多くの人が手作りしました。

3密などの回避となると個人の意志や努力しだいとはいえません。むしろ職住などの環境に依存します。施設や寮など密な生活環境、リモートワークのできない職場、密な移動手段などです。医療・看護職、介護職、教育職、接客サービス業、流通運搬業、日常生活を支えるエッセンシャルワークなど、感染のリスクを承知で引き受けざるをえない多くの人たちがいます。こうなると健康管理は自己責任ではすみません。リスクを抱える人たちのリスク対策をどうするか、これは個人でなく社会への問いです。このことに配慮して応えてきたでしょうか。たとえばリスク手当とかワクチンの優先順位などは十分に議論されたでしょうか。

感染症の予防には個人の努力をこえて社会的な格差が生じること、予防を実行するには難易度があり、それは個人のスキルとは別な要因にも影響されることをコロナが示してくれました。そして感染リスクは感染経路によって違ってきます。あらたなウイルスのパンデミックでは感染のリスクを背負うのはどういう人たちか、わかりません。つまり、だれもがリスクを背負う可能性があるのです。

医療と優先順位
コロナ感染は検査をしないと判明しません。ところが当初、検査を受けたくても受けられませんでした。ようやく検査をうけて陽性と判明しても医療につながることが困難でした。救急車が来ない、救急車は来たが医療機関がない、医療は逼迫。感染爆発状態では、入院治療の最優先とされた基礎疾患のある高齢者でも在宅のまま医療とつながらず死亡しました。コロナ感染が命取りになるかならないか、感染のタイミングと居住地域の医療事情しだいとしかいいようのない事態も起こりました。しかも家庭内感染のリスクが高いのに、子育てや介護を抱えながら家庭内で陽性者が陽性者をケアせざるをえない事態も生じました。

こうなるとコロナ以外の疾患でも医療アクセスが困難になります。国民皆保険ではあるけれど、医療は一気に遠くなる。医療アクセスが近いときなラッキー、さもなければアンラッキーとしかいいようがない。今回、入院やワクチン接種で、「基礎疾患のある高齢者」が優先されました。医療の逼迫を回避するためには限られた資源を有効に使用するしかないわけで、その手段として利用できる対象に優先順位をつける。これは必要なことですが、その順位、十分に議論されたでしょうか。納得できる説明はあったでしょうか。医療を受ける優先順位を決めるプロセスと社会の合意形成をどうするか、とても重い課題です。

予防とケアは車の両輪

感染しても症状がなく検査でしかわからない場合、あなたは検査を受けますか。感染の有無がわかった方がよいと思えれば検査を受けるでしょう。では、わかったら「まずい」となったらどうでしょう。たとえば、治療もなく医療も受けられず放置されるとしたら、感染者と知れたら職を失う、学業を続けられない、アパートにいられないなど、感染が判明したら損害が大きいと思えば検査はちゅうしょしませんか。検査を受けても結果を報告しないかもしれません。

エイズでは「感染を疑われたらまずい」というわけで。「予防すら語らない」ということもおきました。安心して予防し検査を受けるには、検査結果がどうであれ自分はケアされる(支えられる)と思えることが大事なのです。予防に失敗しても(失敗はつきものです)治療薬はなくても、見捨てられるわけではない大丈夫と思えなければ、感染を知ること自体リスクになりかねません。医療だけでなく社会的なケアの環境がないと、安心して病を発見できないし予防もしにくいのです。

健康に影響する五つのこと
コロナは改めて「健康とはなにか」を考えさせてくれました。医療と技術のめざましい発達は急性疾患のほとんどを治療可能にし、残るは難病と慢性疾患だけともいえる時代ですが、コロナに蹴散らされた感があります。ではあなたの健康に影響する要因は何か。コロナを例に考えてみましょう。五つの項目があがります。

  1. 自分の行い(自因自果)=呼吸することが呼吸器感染を引き起こします。あなたが多量のウイルスを吸い込み、しかも免疫が弱ければ重症化するかもしれません。
  2. 物理的環境=あなたが生活する場や働く場は密でなく換気もOKでしょうか。
  3. 経済的事情=あなたは予防手段を十分に準備でき、医療費を払えますか。十分に栄養をとれて、リスクのある物理的環境を改善できますか。
  4. 社会的(法的制度的)立場=あなたは社会保険や補償などの法律や制度で守られていますか。無視されてはいませんか。
  5. 社会的(対人間)関係=自粛要請などによる日常の人間関係の変化は心身に影響します。孤立すると、あらゆるサービスから切れてしまいます。

2020年、女性と子ども(小、中、高生)の自殺が急増し、21年も同じ傾向でした。

感染症は社会的・経済的弱者にしわよせが行くものです。

健康と権利
貧しければ健康よりまず今日の糧となります。健康を云々できるということは基本的生存が守られてからのことです。そして、基本的生存は食だけで守られるものではありません。あなたの存在は社会に認められていますか。社会の多数の人々と同じように尊重され、保護されていますか。健康というのは、あなたの存在が他の人々と平等に尊重され、それゆえに他の人々と同様に法や制度で守られてこそ可能になります。ここに不公正や不公平があれば健康はたちまちあやうくなります。

感染症はこのような健康の格差をあぶりだします。その格差はあなた個人というよりも社会の仕組みや制度がつくりだすものです。健康は自己責任とかたづけてしまうのは実に乱暴で、むしろ格差を固定し拡大するものでしかありません。健康は社会的課題であること、感染症対策の土台はこの認識ではないでしょうか。

この3年間のコロナ対策の評価は困難です。しかし残念ながら、パンデミック初期の「バラマキ」は政府の対策への不信を生んだと思います。予防のためのマスクが1世帯当たり2枚、生活支援の給付金が1人あたり10万円、タイミングを失して届いたマスクは小さな布製、独居でも5人家族でも2枚、しかもコスト高で在庫がたまり保管料も膨大という始末。一律給付金10万円、90歳でも30歳でも10万円ポッキリ。仕事を継続できていれば貯金、さもなければ焼け石に水です。「バラマキ策」は人気取りのつもりかもしれませんが、これでは信頼できません。感染症対策のカギは信頼にあり、国民に信頼されてこそ効果を発揮できるものです。

安心して病と付き合える社会へ

生きることは健康のリスクを伴うものです。予防はもちろん大切ですが、どうしたら「病とともに健やかに」といえるのか、個人にとっても社会にとっても、これが大きな課題だと思います。

1994年以来、ぷれいす東京は「安心して病を発見し安心して病とつきあえる社会」をめざして活動してきました。新興感染症は治療薬やワクチンの開発により、医療上は「安心して発見し安心してつきあえる感染症」になります。しかし、病ゆえに差別を受けたり予防やケアへのアクセスが公平公正でなければ、安心できる人とできない人ができてしまいます。ウイルスは人を選ばず誰にでもやってくるものなのに社会が人を分断してしまうことになります。「安心して病を発見し安心してつきあえる社会」はワクチンや薬だけで保障されるものではありません。この3年間のコロナの経験を糧として少しでも安心できる社会をめざしたいものです。

いけがみ・ちずこ=1946年北海道生まれ。69年東京大学教養学部教養学科を卒業、性とジェンダーをテーマに翻訳や執筆活動を行う。82年ハワイ大学性と社会太平洋研究所に所属しセクソロジー(性科学)を学ぶかたわらエイズNGO活動に参加し、日本にエイズの市民活動の実際と必要性を伝える。帰国後、東京都エイズ専門家会議委員を務め(1992~2012)、1994年にぷれいす東京を設立し、HIVエイズの予防啓発、直接ケア、研究研修を3本柱に活動を開始する。ぷれいす東京は設立より今日まで東京都エイズ電話相談を受託。2005年エイボン女性教育賞を受賞。06年民間人として初めて日本エイズ学会会長を務め、09年アルトマーク賞を受賞。11年日本でのセクソロジーと性教育の普及活動により性の健康世界学会金賞を受賞。16年社会貢献者表彰を受ける。現在、認定NPO法人ぷれいす東京理事、日本性教育協会運営委員。主著は『性について語ろう』『思い込みの性 リスキーなセックス』『今こそエイズを考える』など。

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