パレードで一緒に行進する「AIDSメモリアルキルト」ご紹介
2026年6月の東京プライド、パレード14番目のフロートは、治療がない時代を生きたHIV陽性者たちを追悼するエイズメモリアルキルトと、WE ARE POSITVEというフラッグを抱えた元気なHIV陽性者たちが連帯して行進します。今回の隊列は、京都からAIDSメモリアルキルトのメンバーも一緒に行進します。
募集は終了していますが、パレード前日・当日受付があります。各グループの定員に達し次第、受付を終了いたします。
・6月6日 (土) 11:00〜18:00
・6月7日 (日) 10:00〜定員に達し次第終了
・受付場所:代々木公園ケヤキ並木通り(渋谷口側)
AIDSメモリアルキルト
HIV感染症/ AIDSで亡くなった人々を偲んで、その家族や友達たちの手によって思いを込めて作られ、その人の人生を記録した1枚の布(キルト)のことです。90cm × 180cmの布に縫い付けられている亡くなった人々の名前や衣服、生前に愛用していた小物類、周囲の人々からのメッセージは、この病気への偏見という逆境の中で、周囲に支えられれながら精一杯いきた証しを伝えています。
メモリアル・キルト・ジャパン
■ 平田豊さんのキツネのキルト

自らのセクシャリティを語り、多くの短歌を残して旅立った人。
このキルトは彼が大好きだった<ボランティアグループうんどうぐつ>に集う若き人たちにより、他界する前に作られました。彼の象徴としてのキツネは、サイトメガロウイルスにより失明しそうな彼のため、立体的にデザインされ縫われました。
裏面には多くの人たちのメッセージと共に、旅立つ前の平田さんの直筆のメッセージも記されています。「雲を見てたら涙が出てきた涙よいつか海にて輝け」「アルファ」と仲の良かった平田豊さん。二人のキルトはいつも一緒に旅をしています。
*親交があった斎藤洋さんのブログから
ポートランドの風 2 [2012年07月07日(Sat)]
https://blog.canpan.info/shamurie/archive/179
*1992年10月、平田豊さんは男性同性愛者としての性交渉によるHIV感染を記者会見で公表した。翌年、葛藤や短歌を綴った手記『あと少し生きてみたい』を出版。1994年5月、現在のようにウイルスの増殖を効果的に抑える治療薬(多剤併用療法)がまだ確立されていなかったため、免疫力が低下したことによる合併症(日和見感染症など)が原因で、1994年5月29日に38歳で逝去されました。(コメント:ぷれいす東京 生島)
■ αアルファさんのキルト

彼の夢は愛する人との間に赤ちゃんが欲しい。そして二人で輸入雑貨店を開きたい。
彼はその夢をテレビの視聴者参加番組に出て語りました。その夢に賛同した人は最後にボタンを押します。語った人は押された数の「夢の資金」を得ることができるのですが、彼は番組史上初めての満票。100人の視聴者全員の支持を得て100万円をゲットしました。
二人は雑貨店を開き、本も出版。そして彼は他界しました。
その後、彼のお母様がキルトを作ってほしいと縁のあった東京・東久留米の<ボランティアグループうんどうぐつ>に彼の愛用の衣服を持って来られ、金沢の今井由三代さんなどと共に創られたものです。
託されて間もなく旅立たれたお母様のキルトでもあると思っております。
*1995年12月に発行された、書籍『エイズを100倍楽しく生きる――大貫武と12人の共同作業(コラボレーション)』(大貫武・山下柚実・片野明 企画・構成・執筆/径書房)〜エイズになったからって、おちこんでばかりはいられない。テレビ「クイズ悪魔のささやき」に「エイズビンボー」で出演した著者が、TVディレクター・歌手・医師など12人と、明るく元気にエイズを語った。(コメント:ぷれいす東京 生島)
■ KSさんのスヌーピーのキルト

KSさんは20代の青年。キルトには彼が着ていた衣服と愛用のクッション柄のスヌーピーを縫い込んであります。
彼は発病してからは「僕はウソをつきたくない」といい、周りの人たちに全てを話しました。
とても明るく、前向きに生き、同じ病の人たちにも希望を与え続けました。
キルトの中のイニシャルは仲の良かった友人達で、KSさんを支え、このキルトを作った仲間です。
■ カチガラスのキルト

中央の鳥はカチガラスという佐賀の県鳥です。社会の偏見や差別を矢に見立て、それによって血を流しています。亡くなった方々や、今頑張っている人達がハトになり、天国まで飛んで行って自由に楽しく遊んでいます。
息子さんを亡くされたお母様はこのキルトを作ってから、誰にも話せなかった思いを少しずつ話せるようになり、「苦しんでいるが辛そうで目を入れたい、遺族の思いをメッセージで縫い付けたい」と言われ、後になってメッセージやレッドリボンが縫いつけられました。
■ ホワイトキルト

1991年春、日本で最初に作られたキルトです。
KWさんとKFさんはご夫婦でした。彼(KW)は血友病の患者で血液製剤によってHIVに感染しました。KFさんはKWさんから二次感染されました。しかし、彼女は彼を恨むことなく、逆に二人の愛はもっと深まっていったそうです。
入院先の医師やナースたちは仲の良い二人にかえって励まされ、キルトを作りたいと思いましたが、名前はもちろん、メッセージを縫い付けることもはばかられ、「真っ白なキルトになるかも」と言われました。真っ白でも布の暖かさ伝わるガラ紡の布をお渡し、ご家族の了解の元、イニシャルが着けられたキルトができました。裏地は多くの人で作られたパッチワークキルトが縫い付けられています。
■ 波のキルト

アート関係の仕事をしていた20代青年のキルト。
北斎の版画をアレンジしたポスターが彼の最期の作品となり、キルトの原画にもなりました。フランス人形を作るため色々な種類のレースを集めていて、このキルトの波の様子を表すのに使われました。
天使の像も彼の作品です。
~ご両親のメッセージ~
「またいつか会おうよ」パパより
「北斎の波のキルトに潜み入る若き命の惜しくて止まず」ママより
「YOちゃん、短い人生だったね。今度会ったらパパ、ママ、三人で楽しく暮らそうね」