陽性者と家族の日記

国宝

今年の日本映画で
最もサプライズだったのは、
『国宝』でしょう

歌舞伎を正面から扱った
映画じたい 非常に珍しい
気がしますが

かつて歌舞伎と映画の間には
非常に深いつながりがあった
事実は あまり知られていない
と思います

日本で初の劇映画が作られた
のは1899年(明治32年)

当時の映画俳優は
歌舞伎界の出身者ばかり
女性の配役も すべて男性
(女形)が演じました

「なぜ 男性が女性の役を?」

という疑問(元の歌舞伎から
してそれが伝統です)
への答えは いくつかあって…

女性が”表舞台”に出てくると、
男性が騒ぎ立てる(男性観客が
女性を性的な視線で見る)ので
風紀が乱れる

というのが
表立った理由だったよう

加えて 古くからの
男尊女卑の慣習が
背景にあったのも
言うまでもないでしょう

舞台の世界では
映画界より早く女優が現れ
しかし 世間からは
“男たちに媚びる女”と
軽蔑の対象だったとか

それでも 松井須磨子さんなど
人気者たちが世に出てくると
人々の意識も変わっていきます

日本初の”映画女優”の誕生は、
大正時代の中期

歌舞伎の興行主、松竹から
独立し生まれた”松竹キネマ”
という会社が 1912年(明治45年)
俳優養成所で 男女優の募集を
始めたことがきっかけ
と言われています

明治後期からの 約20年間で
ヨーロッパなどの影響を
受けた日本にも 民主主義の
理念が根づき始め、
女性の地位向上の機運も
高まりました

“大正デモクラシー”
ですね

しかし
現実を変えるのは
いつの世でも
簡単ではなく
“男性優位”の状態が
その後もずっと続きながら
現在に至ります

(芸能の世界だけに限らない
話ですけれど)

吉沢亮さん、横浜流星さんと
いう男性陣の人気もあってか
映画館には若い女性観客も
数多く詰めかけている、と
聞きますが

先の時代に生きた女性たちが
遠いあちら側から いまの
世の中をどう眺めているのか

つい 想像したくなります

来年の米国アカデミー賞では
国際長編映画部門日本代表に
選出された『国宝』

訪日客の期待も非常に高いです

歌舞伎独特の華やかな外見
だけでなく

百年以上をかけ
変わっていった
変わらなかった

性別を問わず
大勢の人々の
日々のあゆみの先に

いまの 僕らの
“日本人らしさ”
がある

広い視野から
歴史を 文化を伝えないと

それだって
重要な”国宝”なんだから

という思いは ありますね

なぎさのペンギン

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