陽性者と家族の日記

カタチ

 おばあちゃんが亡くなってから、カタチというのは大事だなあとつくづく感じる。
それまでは、心で思っていたら、わざわざ形式的なことをする必要はないと
思っていた。

 でも、毎晩、お経をあげたり、お墓にお花を供えたり、
節目ごとに弔いの行事をしたりすることで、心の整理がついていくんだと、
今は感じる。

 知り合いや友人の家族のお葬式やお通夜などにも、お悔やみの気持ちがあれば、
わざわざ行く必要なないなんて傲慢なことを思っていたけど、そうじゃないんだなあ。

 お葬式が終わって、会社に行った時、私の欠勤理由を知らされてなかった同僚が、
「知らなかったから行けなくてごめんね」とお香典を渡してくれたり、
後から人づてに祖母の死を聞いた友人が、わざわざお線香をあげにきてくれたり、
今までは形式的なことに過ぎないと思っていたことをしてもらって、
すごくうれしかったし、ありがたく感じた。

 私もこれからは、形式的なことだから…とか思わずに、
きちんと気持ちはカタチにして表していかなくちゃ、と思った。
 

 

つばさ

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