陽性者と家族の日記

自分軸時間

とある人が「観に行きたい映画がある」と
紹介してくれた映画の予告編を見た。
冒頭で出演者が・・・
「あなたは一年という期間を、どのように数える(意識してる)か?」
実際の時の流れである分や時間や夜明け・夕暮れの数か?、
(1年間は525、600分~♪と歌っていた!!)
それとも主観的な、笑い声や悲しみなどの思い出の数か?
・・・みたいに歌っていた。
というので自分もふと考えてみた。
どうしても仕事ベースで考えてしまうのだが。

代わり映えのしない平凡な一週間の繰り返しが
月初・中旬・月末となり、一ヵ月ができて、
それがひと塊となり、四半期だの半期だのとなって・・・
本当はもう少し、季節など周りの風景を愛でながら
一年を感じる余裕ができたらなんて思う。
ただ、何の変哲のない日常の中に、
時折発生する人との交わりや面白い出来事に
喜びや価値を見い出すと、
日常もまんざら捨てたもんじゃないなんて感じる。
非日常は日常があってこそ成立するし。
(確かに笑いで期間をカウントできれば楽しいかもしれないが)

そんな日々を暮らしていると、自分の場合は
どうしても心がよどむというか、すすが溜まってくる。
そんな時は、ある人に話を聞いてもらうことで
「心のすす払い」をしてもらっていることに今さら気付いた。
(自己洗浄能力がないので)
ひょっとすると今の自分の場合は、
その「よどみ → すす払い → リフレッシュ」が
一区切りの期間になってるのかも?!

ガジ

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