陽性者と家族の日記

「カミングアウト」は誰のため?

最近、

「HIVであることを他人に告げたら拒絶された」
「自分のセクシャリティを正直に話したら、ドン引きされた」

という 友人や知り合いからの悩みやグチを聞く機会が 
何度か 立て続けにありました。

う~ん、難しいです…
カミングアウト…

なるべく伝えやすい環境を整えることは もちろん重要です。
ただし…

カミングアウトが難しいのは 
単に ”HIV”だから、とか ”セクマイ”だから 
という理由だけではない気もするのです。

学生時代からの友人に

“自分は近い将来、病気で失明するらしい”

と伝えられたときの衝撃は 
二十年経った今でも 鮮明に残っています。

もちろん、その友人は
今でも元気で生活していて
この間も ふたりで 当時の話をしました。

“信頼できる人間には 真実を伝えたかった”
と言ってくれたのには 
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

しかし 同時に 僕にとっては
友人の告白から 現況を受け止められるようにまで
20年という時間がかかっているんだな
そんな思いもあります。

伝えられた真実は 重かったので….
心のどこかで ずっと抱えてきたわけです。

僕は友人と言う立場だったけど 
もし 自分が家族だったなら
どう感じながら過ごした20年だったんだろう….

ふと 考えたりもします。

個人的な意見としては

伝える前に
「誰のためにカミングアウトをするのか?」
と言う点を クリアにしておくこと。
これが大事だと思います。

自分のため?
それとも(事実を知ってほしい)相手のため?

もちろん
その両方 というのも あるでしょう。

誰のためであってもいいのだろうけど
いずれにしろ そこがすべての出発点ですよね。

自分の経験を通じて学んだのは

「自分が伝えたことを 相手がきちんと受け入れてくれる(はず)」

という”希望的観測”は もたないようにしよう

ということでした。

友人と僕との関係性がそうだったように
そこから先 その人とうまくつきあっていけるかどうかは 
一種の”賭け”であり 伝える側、受け止める側に
それぞれの覚悟が必要なんじゃないかな….

もうひとつ

自分の気持ちに区切りをつけたい、すっきりさせたい
そのことばかりに気を取られてはいけないかな?
 
とも感じます。

受け止める側の 相手の気持ちはどうなんだろう?
というところにも配慮がないと 
相手はビックリしたままの状態で放置され、戸惑ってしまいます….
自分が聞かされてショックだったのだから
心の準備も なんの知識もないまま聞かされた相手は
大ショックを受けて 心が傷ついてしまうに違いないのでは?

ある意味、
人間関係の 真の絆が試されるワケで 怖いかな。

だからこそ それが証明できたときの喜びは
格別なんだけどね。

なぎさのペンギン

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