ぷれいすコラム

女性用のピルとPrEP

池上 千寿子 ぷれいす東京理事)(聞き手:生島 嗣

ぷれいす東京コラム「女性用ピルとPrEP」今年7月に開催されたakta活動報告会のシンポジウムで、池上理事が「ピルとPrEP」のことについて言った一言「気をつけよう、甘い言葉で売られるおクスリ」が、どういう意味だったのか真意を知りたい!とインタビューの企画が持ち上がり、今回のコラムになりました。

生島:PrEP(暴露前予防投薬)という新たな予防方法が諸外国では普及し始めています。これは、感染していない人が、抗HIV薬を内服することで、HIVの感染を予防するというものですが、aktaのPrEPのシンポジウムで池上さんが言ったコメント「気をつけよう、甘い言葉で売られるおクスリ」に引っかかりました。PrEPに反対とも取れるコメントですが、それはどのような意味だったのですか?

池上:「性の健康と権利」というテーマをもらって、HIVだけでなく生殖の話もしてピルにもふれたのだけれど、最後のコメントとして言いましたね。私が若い頃には「気をつけよう甘い言葉と暗い夜道」と言われていたので、それをもじったわけです。

HIVでは母子感染予防のときから、予防のための治療(TasP)は行われていたけれど、さらに感染暴露前の予防手段がコンドームだけではなくて、治療薬でも可能になったというわけですね。PrEPという感染予防の選択肢が増えることには反対ではないし賛成です。
ただね、新たな選択肢が増えるというときに、新たな選択肢こそが予防の決め手!というか、これで問題解決!とか、新たな選択肢以外は古いし遅れている方法だ、みたいに喧伝(けんでん)されがちなのね。PrEPがあればコンドームよさらば、じゃないけど、選択肢のひとつのはずがPrEPしか選べないみたいになってしまったりする。新しいおクスリは魔法のおクスリ、マジックピルですよ、という感じ。これが「甘い言葉で売られる」ということだけど。この甘い言葉には要注意ですよ、という意味なの。

生島:なるほど。

池上:なぜそう言ったかというと、60年代に開発された女性用の経口避妊薬ピルに重なるからです。ピルは結局、マジックピル(魔法のおクスリ)になれなかったし、そもそもマジックピルなんてありませんよ、というのが私の考えです。クスリで解決できることはもちろんあるし大きいだろうけれど。クスリじゃ解決できないことも大きいと言えるでしょう。とくにふたりの人間の性関係で生じる健康リスクについては、クスリだけではいかんともしがたい面がある。

生島:池上さんの中では、ピルの歴史とPrEPの歴史がどのように重なって見えますか?

池上:まずね、ピルは60年代に開発されたのだけど、当時「地球の危機」と言われていたのが「途上国の人口爆発」、このまま人口が増えたら地球の資源がもたない、というわけで効率のよい避妊薬の開発が急務になった。
男性用の避妊ピルも研究されたけど深刻な副作用例がでて中止、女性用の避妊ピルは開発途上で死亡例もでたけど、研究は中止されずに開発されました。でも当時は、ホルモンの用量が今よりもずっと多い「中用量ピル」で、副作用が強かった。『ウーマンズボディー』(1980)を共訳した婦人科医の根岸悦子さんが「処方できるかどうか自分で服用してみたけど、副作用が強すぎて日本女性には無理だ」と言っていました。でも避妊の効果は抜群なわけです。
開発はできた、となると次は、「いかに女性たちに飲ませるか」ですよね。欧米では「毎日ホルモン剤を飲むことで避妊できる。自分の体を自分でコントロールできる。これこそ女性の解放だ」と言われた。「ピルは女性の味方だ」とかね。

生島:女性が性の自己決定を手に入れるという社会的な文脈のなかでピルは登場したわけですね。

池上:80年代にハワイ大学で「私の避妊はコンドームだ」と仲間に言ったら「かわいそうに、男に頼る避妊だなんて日本の女性は遅れているのね、日本の男は横暴なんでしょ?」と同情されちゃって、「ちょっと待って、自分のからだをホルモン剤で妊娠不能にし、男はいつでもOK状態にするのが女性の解放だとは、私は考えない。妊娠はふたりに責任があるわけで、女だけが薬を飲んで、男は避妊の心配無用にしてしまうほうがおかしい」と言ったけど相手にされなかった。でもじきにHIV感染の嵐に見舞われて「たいへんだ、男にコンドームを使わせるにはどうしたらいいのだろう。日本の知恵を学ばなきゃ」ってなったの。ピルでは性感染は防げないものね。

生島:70年代のアメリカでは性の解放運動が起こりましたが、80年代になるとエイズの登場により、その文脈もかわってきたのですね。

池上:そうですね。避妊薬ピルをもっとも飲ませたい途上国の女性たちには、とにかく国際協力大プロジェクトでピルを無料配布したし、一回皮下にいれたら3年有効みたいなホルモン剤も開発して、「皮下に埋めたらサリーをプレゼント」までしたとか聞きました。途上国の女性たちは「夫に内緒で避妊ができる」わけで救われた人も多かったと思う。望まぬ妊娠を繰り返して命を危険にさらす女性も少なくなかったから。
でね、地球規模でピルは推進され普及したけど、人口はどうなりました? 60年代からずーっと勢いよく増え続けていまや70憶です。男は性の健康リスクに無頓着なまま、80年代にHIVをはじめとする無症候性感染症群に襲われたわけです。

生島:HIV領域では、PrEPの実施にあたって費用的な理由から、ターゲットを限定する方向性になっています。台湾政府も今年から、PrEPへの助成を始めましたが、30歳以下のMSM(男性とセックスをする男性)と陽性者のパートナーのみが対象となっています。

池上:PrEPもHIVという地球規模の保健課題への突破口をひらく手法として開発されたでしょ。期待は大きいし効き目も確か。これで新規感染を激減できるかもしれない。
でもね、ボーイフレンドから「ピルを飲めよ」っていわれて「ノー」と言えずに、お金もなくて飲んでるふりをして妊娠しちゃったとか、毎日飲みつづけなければいけないことを知らなかったとか、望まない妊娠は欧米でもとくに少女たちの間で激減しなかった。そもそもピルはね、そういう危険があるから、性関係の安定していない若者ではなく「結婚して性関係の安定したカップルで子供をのぞまない場合」にすすめる、というガイドラインがあったけど、そんなことは無視された。
ピルについては、抗HIV薬の飲みあわせは是か非かなんていう事態になってもデータはない。長期服薬の副作用も未知のまま毎日服用しなければ効き目がない。乳がん、子宮頸がんの疑いがある女性は飲まない方がいいけど、ピルに慣れているとコンドームへの切りかえがとても難しくなってしまう。選択肢が増えたけど結局他の方法は使えなくなっちゃう。
PrEPもそういうことになったりしなければいいのだけど、コンドームよさらば、になりかねない。UNAIDS(国連合同エイズ計画)はコンドームのさらなる普及に力を入れると言っているけど、うまくいくのか心配です。

生島:セックスはふたりですからね。コミュニケーションと合意形成が大事ですね。女性たちの歴史とピルの歴史にゲイ男性が学ぶことがあるとしたら、どのようなことがあるのでしょう。

池上:学ぶことはいくつかあると思いますよ。避妊の方法はいくつもあって、それぞれにメリットデメリットがある。それをよく承知した上でカップルが自分たちにふさわしい避妊方法を選択するのが望ましいのだけれど、そこが難しい。予防の方法の選択についても同じことが言えるでしょう。性教育で十分に情報を提供し、さらにカップルで話し合えるスキルを身につけることが必要だけど、そういう教育は残念ながら不足しています。
性感染とか望まない妊娠などの健康リスクの回避については、ひとりの意思ではどうにもならない面がある。ふたりで合意しないといけない。けど、ピルは夫や恋人に「内緒で飲める」がミソだったのね。話し合いの必要がなく身を守る(途上国では無料で、気付かれずに済む)。逆に「お前が飲めよ」で話が止まると、飲めない女性たちは窮地に立たされる。もろ刃の剣というか。

生島:以前、あるフェミニストから、ピルを飲んでいることは男には教えるなと言われていると聞いたことがあります。コンドームを使わなくなるからなのですよね。

池上:ぷれいす東京の研究で予防がしにくい要因に挙げられたのが「関係性参照(相手依存傾向)でした。それは相手に嫌われたくない人が予防や避妊について相手しだいになりがちだ、ということ。たとえ知識はあっても行動にむすびつきにくい。そもそも話し合わない。そこで特に男女の間では性関係において「男は攻撃、女は受け身」というようなジェンダーの縛りがあるので、女性には「ノーと言おう」という教育が強調されたりします。ピルを飲んでいたら感染予防で「コンドームを使え」と相手(男性)を説得するのは至難の技、結局「飲んでないフリ」をするのが早い、ということになったりするのです。

生島:ゲイ男性の場合はどうでしょう?

池上:男性同士の関係ならば、ジェンダーのバイアスは少ないと思う。だけど、相手に嫌われたくないと思ったら「ノーと言いにくい」というのはあるかもしれない。PrEPでHIVは予防できるけど、他の性感染は予防できないでしょう。その場合、改めてコンドームを使おうというのはとてもハードルが高くなってしまうんじゃないかと危惧します。

生島:コミュニケーション、相手の尊重があるのかが大事ですね。

池上:そうなの。だから、男女だろうが男男だろうが女女だろうが、ふたりで性や体のことについてどれくらい率直に話ができるのかが問われる。話し合う、ということを可能にするのは相手をきちんと尊重するという態度です。それがないと「話し合い」ではなく一方的な「命令」でしかなかったりする。言葉や態度や行動で相手を無視しちゃったりする。
ふたりの間では、自分の健康を守ることが相手の健康を守ることになるのだ、という意識や態度が肝要なのだけど、自分のことだけしか考えないと相手への暴力になりかねない。そんな関係は長続きしないでしょう。
避妊薬ピルは女性にとって画期的なおクスリとして登場したけれど、現実はそんなに安易でシンプルな話にはならなかった。選択肢が増えて恩恵をこうむった女性はもちろんいるけれども、結局ピルとコンドームというダブルでないと性の健康は守れない、そして性の健康を守れるかどうかということは基本的に関係性が問われることなのだ、ということがわかったのですね。「避妊薬ピルなんて女の話じゃないか、関係ないよ」じゃなくてね、学べることはたくさんあると思います。

生島:日本でも、ゲイ男性の間では自己輸入でジェネリック薬を服薬し、PrEPを始めた人たちが増えてきました。普段のコミュニケーションの中でPrEPについて考えたり、性感染症予防、つまりコンドーム使用について考えることが大事だと再認識しました。ありがとう。

ぷれいす東京NEWS 2018年12月号より

池上 千寿子 ぷれいす東京理事)(聞き手:生島 嗣

北海道生まれ。1965年に東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。1969年東京大学教養学部教養学科アメリカ科卒業。
育児雑誌編集長、1972年『アメリカ女性解放史』を刊行、1982年ハワイ大学環太平洋性・社会研究所研究員、『シングル・マザー』を刊行し、この言葉を広めた。
フェミニスト的な著書などを刊行したのち、1992年「HIVと人権・情報センター」東京支部代表、東京都エイズ専門家会議委員、1994年エイズ予防啓発団体「ぷれいす東京」代表(のちNPO)、日本性教育協会理事、2000年厚生労働省エイズ対策研究事業主任研究者、慶應義塾大学非常勤講師、厚生科学審議会感染症分科会エイズ専門委員、厚生労働省エイズ発生動向調査委員会委員、2005年エイボン女性教育賞受賞。2006年エイズ予防財団、性と健康医学財団各理事。

『ぷれいす東京NEWS』のご案内

ぷれいす東京では、普段の活動のなかで得た多様でリアルな声(VOICE)を『ぷれいす東京NEWS』にて発信しています。

ぷれいす東京NEWS ご登録

  • 外部のメール配信システム(ブレインメール)よりお届けします。
  • 登録/配信解除/アドレス変更の手続きは、専用ページから設定をお願いします。
  • ブレインメール(e.bme.jp)と、ぷれいす東京(ptokyo.org)から、受信できるようにしてください。
  • 年4回配信予定。次号から自動配信になります。

過去のニュースレターは、こちらからご覧いただけます。

ぷれいすコラム へ