ぷれいすコラム

With/Afterコロナ時代のエイズ対策における保健所の役割

大木 幸子 杏林大学

ぷれいすコラム2021年06月2020年初頭からはじまったCOVID-19のパンデミックをうけ、保健所の職員による感染症対策が注目されるようになった。しかし、保健所はこの1年以上をCOVID-19対策に忙殺され、通常業務を圧迫することとなっている。このようなCOVID-19対策の背景で起こっている次の2点から、with/afterコロナ時代のエイズ対策についての保健所の役割を考えたい。1点目は、保健所のCOVID-19対策の増大に伴うエイズ対策の圧縮の問題であり、2点目はCOVID-19対策を通して見えた感染症対策における人権の課題である。

保健所では、エイズ検査や予防の啓発、HIV陽性者の支援を担っている。しかし、COVID-19の影響で全国の多くの保健所で、検査の中止あるいは縮小体制がとられている。例えば世界エイズデー期間である12月は、毎年検査プロモーションが行われる時期である。しかし、昨年12月の東京都内の保健所検査は、23区中11区が、多摩地域の保健所も定例実施している5保健所のうち4保健所が中止しており、実施保健所も時間や受け入れ人数を大幅に縮小していた。その結果、2020年の検査数は激減し、前年の44.3%であった。

こうしたエイズ検査の縮小は、過去にも経験がある。2009年の新型インフルエンザ流行時である。2009年の検査数は、前年比0.85と、それまで増加してきた件数が減少に転じた。また検査陽性率は、2008年0.28%、2009年0.29%と同様の割合であり、検査数の減少がそのまま検査での陽性者数の減少につながったと考えられる。新規HIV/エイズ報告においても、2009年のエイズ患者報告数は前年と同数であったが、HIV感染者は前年比0.91であった。

今回は、より大きな影響を受けている。HIV感染症・エイズ患者の新規報告数(四半期報告の合計)では、エイズ患者報告数は横ばいであるが、HIV感染症で前年の8割に減少した。検査数の減少は、検査機会の減少とあわせて検査・相談行動が抑制された影響も考えられる。しかし、それは啓発活動の縮小の結果でもある。エイズ検査・相談事業は、注目される他の健康危機が登場することで、保健所の検査体制と啓発活動が縮小し、診断の機会を逃す事例を増やしているともいえる。すなわち、費用負担のない自主的検査・相談事業の機会が、一部の常検査機関を除き保健所のみである現状は、検査提供体制の脆弱性への指摘は免れないだろう。

公衆衛生対策としての位置づけは異なるが、市町村で実施している親子保健活動である4か月児健診は、都内では市町村保健センターで直営の集団実施体制をとっている自治体が多い。昨年の自粛期間は、多くの自治体が集団での実施を避けて、小児科への委託実施に切り替えた。これは、従来から6~7か月児健診、8~9か月児健診の小児科委託や、集団検診への地域医師会からの医師派遣など、ノウハウの共有があるという背景も大きい。また自粛期間以降は、市町村での実施に戻している。これは、育児の不安や困難さについて、より早くに相談を受けて、その後の継続的な支援へと展開する上でも、直接実施の意義が高いとの判断からである。

このような地域での役割補完という視点で考えると、エイズ検査・相談事業においても、CBOと協働した郵送検査などトライアルで行われてきた検査体制や、一般診療機関を含めた新たな検査実施体制の拡大の検討が必要と考える。そしてそれらの新たなメニューと保健所での検査とを並行した重層的な提供体制をとり、その配分を状況に応じて変更できる柔軟なありようが期待されるのではないかと考える。

2点目は、感染症対策と人権についてである。治療が困難な感染症への恐怖は、これまでの歴史においても、感染者への差別が引き起こされてきた。とりわけ、わが国ではハンセン病の隔離政策は、為政者と医療者のミスリードによる失政であった。今回のCOVID-19対策においても、2021年1月に突然、感染症法の改正案が浮上した。当初の政府案は、入院拒否に1年以下の懲役または100万円以下の罰金、積極的疫学調査への協力拒否に50万円以下の罰金という刑事罰を科す内容であった。こうした行政の強制力による対策は、検査・受診行動の抑制につながるとともに、市民の感染者への差別を助長するものである。これらは過去のハンセン病対策やエイズ対策でも経験してきたことであった。しかし、政府は法案の提案理由を、「現場」の強い要望であると説明をした。その「現場」とはどこであったのか。保健所「現場」の担当者たちの中には、関連学会のメンバーとして学会の反対声明発出への働きかけを行った、あるいはそれらの動きを支持した人達が多くいた。また保健所長会も、罰則規定への慎重な対応を意見書として出している。本法案には、医学会連合やエイズ学会、公衆衛生関連学会に加えて、ハンセン病回復者の団体やエイズ関連団体が反対を表明した。しかし、刑事罰から過料罰に修正されたが、罰則規定を残して成立をした。

感染症対策では、「公共の福祉」のもと行政権限の拡大への歯止めがかかりにくいことを、改めて認識する必要があるだろう。筆者は第3波時、保健所のCOVID-19対応の応援に従事したが、入院拒否に至る事例は稀であり、かつ個々の事情があり、強制力の行使では問題が解決しないことは、保健所現場の誰もが実感していることであった。こうした現場の経験を蓄積・発信し、首長含め行政組織内で科学的根拠に基づく政策を提案していくことは、公衆衛生専門職で組織されている保健所の重要な役割であり、責任であるだろう。

前段で新たな検査体制の必要性を述べた。それについても、アウトソーシングではなく、メニューの多様化である点を強調しておきたい。「人権の尊重」を基盤とした政策立案を行うためにも、「現場」で当事者と出会うこと、そこから学ぶことが重要であると考えるためである。

ぷれいす東京NEWS 2021年6月号より

大木 幸子 杏林大学

大木幸子さん大学教員・保健師。杏林大学保健学部看護学科 教授。病院での看護師を経て、東京都で保健師として勤務。保健所・都庁でエイズ対策に従事。関心テーマは、HIV陽性者への地域での支援、児童虐待予防のための支援、保健師の専門性である公衆衛生看護の技術など。

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