ぷれいすコラム

薬物政策のあり方について――わが国に必要なハームリダクションとは

松本 俊彦 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長

ぷれいすコラム2021年8月日本は、国民の違法薬物生涯経験率がきわめて低く、国際的には薬物乱用防止が奇跡的に成功した国といわれています。そして、その成功は、34年間の長きにわたって、厚生労働省が推進してきた、「ダメ。ゼッタイ。」というキャッチコピーによる薬物乱用防止啓発の効果である――少なくとも国はそのように折に触れて主張しています。

しかし、本当にそうでしょうか? 

もともとわが国は諸外国に比べて薬物問題の少ない国でしたが、皮肉にも「ダメ。ゼッタイ。」開始からまもなく1990年代半ば、第三次覚せい剤乱用期が始まりました。その頃から薬物依存症の治療にかかわり始めた私は、当時のすさまじい状況を今でも鮮明に覚えています。私が勤務する依存専門病院は、連日のように担ぎ込まれる若い覚せい剤依存症患者で、ほとんど野戦病院と化していました。

それが一段落した2000年以降、今度は、マジックマッシュルームや5-Meo-DIPTといった「脱法的」薬物の時代に突入したのでした。そしてその集大成が、2012~2014年に巷間を騒がせた危険ドラッグ問題だったのです。もちろん、危険ドラッグは世界的にも問題となっていましたが、日本ほどそのブームが加熱した国はありませんでした。思うに、それには日本人の「思考停止した遵法精神」、つまり、違法薬物には手を出さないが、「捕まらない薬物」には諸手を挙げて飛びつく心性が大きな役割を果たしていたのでしょう。

そして危険ドラッグ・ブームが鎮静化した現在、薬物依存症治療の現場は、処方薬や市販薬を乱用薬物とする患者で大わらわです。そう、またしても「捕まらない薬物」なのです。
結局、「ダメ。ゼッタイ。」とは、「違法薬物はダメだけど、捕まらなければいいよ」というメッセージだったのでしょうか?

「捕まらない薬物」の栄枯盛衰の一方で、わが国で一貫して問題となってきた薬物は、なんといっても覚せい剤です。

これまでわが国では、覚せい剤に関しては厳罰政策でやってきましたが、最近になって、この方法の限界が見えてきました。というのも、犯罪白書を紐解けば、覚せい剤取締法違反による刑務所受刑者における「再入所者」の割合は年々増加するとともに、入所者の平均年齢は年々高くなっていることが一目瞭然です。このことは、同じ人物がくりかえし刑務所に出たり入ったりしながら、あたかも「断続的な終身刑」のように、無意味に年齢を重ねている現実を示しています。同じことは、法務省のデータを用いた研究(Hazama & Katsuta, 2020)からも示されています。それによれば、覚せい剤取締法事犯者は、刑務所に長く服役すればするほど、そして、多く服役すればするほど、再犯しやすくなるのです。

こうした事実は、これまでの厳罰政策の限界を意味しています。「押してもだめなら引いてみろ」ではないかですが、そろそろ厳罰という「北風」政策ではなく、ハームリダクションという「太陽」政策を考えてみるべきです。

もしもわが国で覚せい剤使用者に対してハームリダクションを実施するとすれば、一体いかなる方策が考えられるでしょうか?

海外で広く行われている、オピオイド代替療法はどうでしょうか? 覚せい剤が主たる乱用薬物であるわが国では、オピオイド代替療法は役に立たないでしょう。あれは乱用薬物がヘロインだからこそ意味があり、覚せい剤のように、身体依存がほとんどない中枢神経興奮薬の場合、ヘロインのような厳しい離脱症状は生じません。それに、覚せい剤には、ヘロインにおけるメサドンやブプレノルフィンのような渇望緩和に効果的な治療薬は、今のところ開発されていません。

注射器の無償交換サービスはどうでしょうか? 確かに注射器の回し打ちによるC型肝炎やHIV感染症の予防という点で一定の効果は見込めるでしょうが、わが国の薬物使用者におけるHIV感染経路は、男性同性間性交の際の経粘膜的なものが多いことを考えると、効果は限定的といわざるを得ないでしょう。そもそも、C型肝炎とHIV感染の治療が近年驚異的な進歩を遂げており、今日、ハームリダクションにおける感染症予防の意義は、かつてに比べれば、ずいぶん小さくなっているように思います。

それでは、看護師常駐の注射室設置はどうでしょうか? それも疑問です。というのも、ヘロインとは異なり、覚せい剤の場合には誤って多く注射したからといって、自発呼吸が止まったりはしないからです。当然ながら、蘇生治療のための医療器具や拮抗薬も不要です。

一体、どのような方法ならば、日本流のハームリダクションが実現できるでしょうか?

私自身、日々の薬物依存症治療の現場で悩ましく思っているのは、覚せい剤使用者の治療アクセスの悪さと治療脱落率の高さです。それが、治療的介入の遅れや、再使用時の強い自責感からの自暴自棄的な、いわば破局的薬物使用――そして、その結果として生じる重篤な誘発性精神病や逮捕――を招いていると感じています。

振り返ってみれば、あの恐るべき危険ドラッグの数少ないメリットは、治療アクセスのよさでした。危険ドラッグ使用者の多くは、初使用から数ヶ月程度で専門外来に受診していたからです。それに比べると、覚せい剤使用者は治療アクセスが悪すぎます。というのも、大抵は、初使用から10~15年というかなり長い月日を経てから受診するからです。決してその間何も問題がないわけではありません。精神症状の発現はもとより、逮捕・服役の果てに家族や仕事、人間関係などを失っているのです。

なぜ覚せい剤使用者は治療アクセスが悪いのでしょうか? おそらくその理由は2つあります。1つは、「犯罪者」というセルフスティグマ(当事者が自身に対して抱く偏見、自分は人々から差別され嫌悪されているという思い込み)の影響であり、もう1つは、医療者による屈辱的な扱いを受けたり、警察通報されたりすることへの不安からです。

これらを踏まえると、わが国で実施できる現実的なハームリダクション政策は次のようになるでしょう。まず、少なくとも治療・相談の場では、医療者・支援者が守秘義務遵守を優先し、安心して相談でき、蔑まれたり拒絶されたりしない環境を整備し、そのことを広く社会に周知する、ということです。

それから、予防啓発のあり方を再考することです。つまり、「1回やったら人生が破滅」といった非現実的なスローガンや、薬物使用者を恥辱的な表現で描写する啓発をやめ、予防啓発の情報提供に併せて、必ず薬物依存症が解決可能な問題であることを伝えるのです。

その文脈からいえば、「ダメ。ゼッタイ。」というキャッチコピーも廃止すべきです。このコピーは、薬物に手を出した人を治療や支援から疎外し、地域のなかでの孤立を促進します。私は、従来わが国で展開されてきた予防啓発こそが、今日、各地で問題となっている民間回復施設「ダルク」設立反対運動を生み出す偏見や差別意識を準備し、当事者の回復や社会参加を阻んできたと感じています。

健康問題の予防啓発は、その問題の当事者を傷つけない内容とするべきです。

最後に、5年ほど前、オーストラリアのシドニー市に設置された注射室を訪れた時の話を紹介させてください。

私は注射室の壁に貼られたポスターの言葉を読んで仰天したのです。曰く、「覚せい剤を使うときには、できるだけ仲間と使おう」「きちんと食事をとって、水分補給も忘れないようにしよう」「連続して使わないで、一区切りついたらしっかり睡眠をとろう」。

いずれも、覚せい剤使用者に向けたメッセージでした。注射室に常駐する看護師によれば、こうしたメッセージは、覚せい剤使用による健康被害を低減するとともに、使用に際しての罪悪感を低減し、被害関係妄想や追跡妄想の発現を抑制するとのことでした。

さらに、看護師はある興味深いエピソードを教えてくれました。注射室が設置されてから、あるひとり親の女性がふらりとやってきては、薬物を注射したついでに、看護師に子育ての相談をするようになったそうです。その結果、子どもはさまざまな児童福祉的支援を受けることになりました。そればかりか、その女性自身も気が変わり、いつしか断薬治療プログラムに参加するようになったというのです。従来ならば、薬物使用の後ろめたさからどこにも相談できないまま薬物使用を続け、最悪、子どもはネグレクトの末に死亡していたところでしょう。実際、ある時期、シドニー市ではそのような悲劇的な事件が多発していたそうです。

そのとき初めて私はハームリダクションの何たるかがわかった気がしました。ハームリダクションはしばしば、「薬物汚染が深刻な国の『苦肉の策』である」と誤解されていますが、そうではなく、薬物使用者の人権を尊重し、厳罰政策によって支援から疎外された人間を孤立から救い出すための倫理的実践なのだ、と。

今、わが国の薬物政策に必要なのはまさにそのような視点であると、私は考えています。
 

ぷれいす東京NEWS 2021年8月号より

 

松本 俊彦 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長

国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長、ならびに、同センター病院 薬物依存症センター センター長。
主著として、「自分を傷つけずにはいられない」(講談社, 2015)、「薬物依存症」(筑摩書房, 2018)、「誰がために医師はいる」(みすず書房, 2021)など。

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