ぷれいすコラム

平成6(1994)年の黒船

池上 千寿子 ぷれいす東京理事

ぷれいすコラム2021年11月泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず

1853年、アメリカのペリー提督率いる4隻の黒船が突然浦賀沖に停泊し幕府に開国を迫った「黒船来航」、ここから「幕末」が始まります。蒸気船をお茶の銘柄になぞらえて、強烈パンチをくらって狼狽する幕府の様を詠んだとされる狂歌がこれ。

それから140年の後、20世紀も末の1994年、ふたたび黒船がやってきました。

その頃日本はどんな「眠りの中」にいたのでしょう。
当時世界は新興感染症エイズのパンデミックに襲われていました。1981年に登場し2年後にはHIVが特定され、さらに2年後には感染の有無を知る抗体検査が開発されたエイズ、感染経路は主に性行為で予防にはコンドームが有効だということも明らかでしたが、エイズで死亡する若者たちは後をたたず地球規模で増え続けていました。
「日本は大丈夫です。水際でくいとめますから」

HIVに国境はありません。日本人初のエイズ患者を認定した1985年、厚生省(当時)担当官は真面目に私に水際作戦を語りました。無理でしょ、患者はどうしますかと問うと「特定の医療機関で隔離すればよい」。日本にはたくさんの島がある、患者はみな離島に送ろう、という医師もいました。まさに社会防衛論による対応、社会全体を守るためには1部の人(患者など)の権利侵害は容認する、というものです。

1987年神戸で女性初のエイズ患者が特定され、男性同性間だけでなく異性間感染もいよいよ日本上陸というわけでパニックがおきました。日本人女性患者はセックスワーカーだと誤認断定され、個人情報が「社会防衛」のために暴かれ、「じゃぱゆきさん」と呼ばれたアジア女性や「ガイジン」差別もまかりとおりました。

当時の日本のエイズ認識を象徴するポスターがあります。1991年の国際エイズデー(12月1日)にむけてエイズ予防財団が作成したもの。ダークスーツの商社マンが外務大臣発行の赤いパスポートをかかげて(顔上半分がかくれる)、横に「いってらっしゃいエイズに気をつけて」というコピー。このココロは?
エイズはよその国でおきている、日本の問題ではない。
日本男性は海外出張で買春をするものである。
働く夫の買春を黙って理解し送りだす、これが日本の賢い妻である。
性感染とは売買春によるものである。
いやはや眠りは深かった。

黒船来航 「粛々と科学的な会議を」vs.「そんなバカな!」
85年以降、日本のエイズ患者の半数は輸入血液製剤により感染した血友病の人たちで、性行為感染は男性同性間がほとんど、女性初の患者がでた後も風俗業界で感染がひろがるわけではありませんでした。そんな中で日本の医系科学者が手をあげました。1994年の第10回国際エイズ会議、アジアで初となるこの会議を是非日本でやりたい、というのです。その目的は「科学者たちによる粛々とした国際エイズ会議の開催」でした。というのも、国際エイズ会議は1985年の第1回会議から予防やケアの最前線で活動するNGOが参加し、無為無策の政府や医療界に抗議をしてきました。1989年の第5回会議からはWHO、国際エイズ学会IAS、PWAネットワークGNP+、NGO国際連絡会ICASOという4団体による共催になりました。1990年(第6回)のサンフランシスコ会議ではアメリカがエイズ患者の入国を認めないため、ヨーロッパ各国はボイコット、サンフランシスコでは会場の内外でアメリカ政府への抗議行動が続きました。1992年(第8回)、アメリカ政府は方針転換ができず、会場は急遽ボストンからアムステルダムに変更されました。
「国際エイズ会議は開催地を選ぶ」のです。

日本の科学者は、このことを理解していなかったようです。「荒れる国際エイズ会議」は「NGO」が原因だから科学者だけで、と考えたのでしょう。国際エイズ会議組織委員会に高名な医系専門家をそろえ、粛々とした科学的な会議こそが日本の面目とばかりに準備を進めたのです。「日本の若者はアメリカナイズされていないからエイズはひろがらない」「ぼくらの周りにはゲイはいない」、私が直にきいた当時の組織委員の発言、鎖国ニッポンというべきか。1992年、日本のこのズレぶりに仰天したWHOとIAS、「組織委員会と同格でコミュニティ リエゾン委員会(CLC)を設置し、日本のエイズNGO代表者を委員長にする。さもなければ日本で国際エイズ会議を開催しない!」と宣告。まさに黒船来航です。

眠っていなかった市民たち
リエゾンとは連携、つなぐ、という意味。コミュニティ リエゾンとは海外と日本のコミュニティをつなぐ、コミュニティと医療や行政をつなぐという役割。私がこの委員長という役割をひきうけた理由は3つあります。第1に、日本ですでにコミュニティが動き始めていたことです。NGOという言葉が市民権を得る前から必要にせまられて活動はおきていました。感染経路を問わず電話相談で情報を提供しケアも担う活動がはじまり、ゲイコミュニティの予防啓発活動もさかんでした。そして市民たちのキルトやレッドリボンの活動、、、これを機に国内リエゾン委員会をたちあげましたが、活動歴2年以上の組織というハードルが必要なくらい参加希望が多かったのです。市民は眠っていなかった。もちろん「無策の日本でのエイズ国際会議は反対!」「政府主導の会議にNGOが協力するとはなにごとか!」という声もありました。理解はできますが、リエゾンとはその溝をこえる役割、やってみる価値はあり、です。第2に、ネットもメールもない当時、GNP+とICASO代表が何度も来日し緻密に議論し準備ができたことです。第3に、組織委員会をとりしきる厚生省担当官と意気投合したことです。担当官は年下の女性でしたが、彼女のゆるぎないバックアップは百人力でした。1993年ベルリンでの国際エイズ会議では「(エイズ予防法という差別的法律をもつ)日本での国際会議をボイコット」という動きがありましたが、会議共催4団体の協力タッグで食い止め、エイズ予防法の廃止へという舵もきれたのです。

国際会議はイベントにすぎません。そこに外圧でNGOが送り込まれても会議後には「お疲れ様さよなら」で終わりかねません。ところが1994年、そうはなりませんでした。国内リエゾン委員会はバイリンガルスタッフが常駐する事務所を確保し2年間フル活動。まずは海外からの参加者の安心安全な入出国と滞在を確保し、会議開催地横浜市とくみホテルや飲食店の研修を実施、ボランティアを組織、市民が参加できるプログラムも運営しました。会議前のパレード、鎮魂の灯篭流し、キルト展などをとおして市民は海外からの参加者とともに、エイズが(死者の)数ではなく個別の顔をもつことを共有できました。そして閉会式、それは怒りではなくエンパワメントと癒しの場となり、アジア初の第10回国際エイズ会議は大成功におわったのです。会議参加者1万2000人、市民参加7000人、のべ2万人がつながりました。「会議の成功はひとえにCLCのおかげ」(当時の厚生省健康局長)と評価され、NGOと当事者コミュニティは日本のエイズ対策のパートナーとして、はじめて行政や医療とつながったのです。

黒船、横浜からパリへ:エイズ対策の大転換
4か月後の1994年12月、パリでエイズ サミットが開催されました。感染症をテーマに各国首脳が集まるのははじめてです。日本での国際エイズ会議の大成功をうけて、サミットの参加国は「政府代表団にNGOと当事者代表も加える」と要請されます。黒船が横浜から世界へ出航したのです。パリサミットは2つの大きな成果をうみました。まずはGIPA(Greater Involvement of PWAs)宣言。エイズ対策の立案、計画、実施、評価などあらゆるレベルで当事者とNGOがパートナーとして参加することが必須だ、と宣言したのです。もうひとつはUNAIDSの創設(2年後)、エイズ対策はWHOだけではなく国連各機関がつながり、なおかつ当事者、NGOをスタッフに加えて運営されることになりました。GIPAの国際的実践です。日本ではエイズ予防法が廃止され、あらたな感染症法では、「人権の尊重」がうたわれます。エイズについては予防指針を作成しましたが、その中心的役割を担ったのはNGOと当事者コミュニティでした。

1994年の黒船は日本の感染症対策に大変革をおこしてくれました。それから30年あまり、あらたな新興感染症パンデミックの中でエイズから学べることはたくさんあります。感染症という社会的病と共存するには行政も医療もコミュニティとつながることが不可欠です。なによりも、このことを忘れてはいけないと思います。

池上 千寿子 ぷれいす東京理事

北海道生まれ。1965年に東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。1969年東京大学教養学部教養学科アメリカ科卒業。
育児雑誌編集長、1972年『アメリカ女性解放史』を刊行、1982年ハワイ大学環太平洋性・社会研究所研究員、『シングル・マザー』を刊行し、この言葉を広めた。
フェミニスト的な著書などを刊行したのち、1992年「HIVと人権・情報センター」東京支部代表、東京都エイズ専門家会議委員、1994年エイズ予防啓発団体「ぷれいす東京」代表(のちNPO)、日本性教育協会理事、2000年厚生労働省エイズ対策研究事業主任研究者、慶應義塾大学非常勤講師、厚生科学審議会感染症分科会エイズ専門委員、厚生労働省エイズ発生動向調査委員会委員、2005年エイボン女性教育賞受賞。2006年エイズ予防財団、性と健康医学財団各理事。

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