陽性者と家族の日記

服薬を希望するが開始できないでいた経験 〜2020年1月19日「日本のHIV陽性者から見たU=Uの光と影」より

1月19日にU=Uキャンペーンの創始者であるBruce Richmanさんをお招きして語り合うイベントがありました。僕も当事者の一人として、「服薬を希望するが開始できないでいた経験」についてお話しする機会をいただきました。以下、僕がお話しした内容を記載します。(Bruceさんや他の当事者のお話を聞いたうえで「改めてこの場でお伝えしたい」と感じた内容を含みます)

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服薬を希望するが開始できないでいた経験 鳥前進

本日はこのような機会をいただき大変嬉しく思います。「U=Uの光と影」とのことですが、お話しする内容としては、U=Uの影の部分、正確にはU=Uによって改めて浮き彫りになった日本の福祉制度の影の部分に焦点を当てていきたいと思います。それでは、感染が分かってから今に至るまでの気持ちの移り変わりも交えて、お話しさせていたただきます。

<自己紹介>
簡単に自己紹介をいたします。
東京都在住の会社員です。2016年11月に感染のきっかけがありました。当時付き合っていた人との性交渉です。2週間後、初期症状(高熱、激しい喉の痛み、関節の痛み、発疹、病院で2回インフルの検査を受けていずれも陰性)を経て17年1月に保健所での検査をうけ、2月1日に「あなたはHIV陽性です」と告げられました。すぐに通院を開始しましたが、服薬を開始したのは19年4月です。服薬開始後すぐに検出限界以下となりましたが、10月に採血した結果を次の通院の時に聞くので、検出限界以下の状態が6ヶ月続いているのか、性交渉によって他人に感染させることはないのかはまだ分りません。

<2017年>
最初の通院は2月で、このときのウイルス量は170、CD4は500を少し越えるくらいでした。その後1ヶ月おきに通院していましたが、ウイルス量は下がり続け、CD4は600台をうろうろしていました。主治医から「治療はすぐには始まらない。可能な限り早く始めるかギリギリまで待つか選べる」と告げられ、僕は「早く始めたい」と答えました。
すぐに治療が始まるものと思っていましたので、拍子抜けしました。でも、治療のタイミングを選べるということは、身体はまだまだ元気だということでもあり、「服薬まで心の準備ができて、早期発見できてよかったな」と、自身の状況をプラスに捉えていました。

<2018年>
特に大きな変化なく1年が経過しました。2018年はいろんなことを考え、気持ちが大きく変化した1年でした。

年明け早々の通院では、CD4は600台で変化はありませんでしたが、ウイルス量は1,000を越え、文字通りケタ違いの変化に驚きました。主治医からも「身体障害者手帳の申請をしてみませんか」と提案されそれに応じました。春ごろ、診断書を作成してもらい、身体障害者手帳の申請をしましたが「障害等級の認定基準を満たさない」との理由でいったん保留となり、東京都社会福祉審議会での協議に移りました。主治医も僕も、協議しても申請は通らないだろうと考えていましたし、基準を満たさない申請の事例を積み上げることに意味があるのだろうとも思っていました。ただ、やはり通院から1年以上経過し、いつまでこの状態が続くのだろうかという漠然とした不安をいただくようになっていました。

夏、U=Uを知りました。とても画期的でした。これまでの社会生活に加えて、恋愛も諦めなくて良いのだと、非常に勇気づけられました。同時に、僕にHIVをうつした彼は治療を受けていなかったことも明らかになりました。実は、当時の交際相手は、自身がHIVに感染していることを知りつつ僕と性的接触を持ち、僕はHIVに感染しました。僕自身の感染がわかったその日に、彼にその事実を伝えたら「知っていた。やっと共有できて良かった」との返事でした。彼がHIVに関する正しい知識を持っていたら、彼がU=Uを知っていればーー僕にうつした時はU=Uを知る由もなかったのだけどーー、HIVへにきちんと向き合えただろうし、こんな極端な行動は取らずに済んだのではないかと、思いを馳せることもしばしばありました。

10月、「障害等級の認定基準を満たさない」ことを理由に手帳申請は正式に却下されました。このころ、自分の周りの人で治療が始まる人たちがどんどん増えていくような感覚に陥りました。隣の芝生が青く見えていただけなのだと、今は思うのですが、僕よりも後にHIV感染が発覚した人たちが僕よりも先に治療をはじめ、早々に検出限界以下を達成していく一方で、僕は、ウイルス量が2,000〜3,000あたりで推移し、CD4は変わらず600台、体調に変化なく、治療を始めたいと思うのに始められない状態はおかしいと確信するようになりました。

その後も、自分の周りに対してうがった見方ばかりしてしまっていました。主治医は改めて治療を早く始めたいか僕に聞いてくる。どう言うつもりで聞いているのだろうか。何度でも言う。僕の答えは変わらない。「早く始めたい。ただ、手帳がない状態での服薬開始は考えていない」ーーなぜ自分は治療が始まらないのか、このまま放っておいても病気は治らないのに。なぜ周りの人たちばかり先に進むのか。自分には普通の生活を送る資格はないのか。いっそのこと、早く体調が悪くなってくれれば治療が始まるのに。苛立ちの矛先が次第に自分自身へ向いてきてしまっていたのでした。

<2019年>
通院開始から2年が経ちました。体調の変化は突然訪れました。ウイルス量21,000、CD4は409。主治医は「これ以上は待てない」との判断で、診断書をあらためて作成してもらいました。今度は認定基準を満たしています。申請から1ヶ月弱で手帳と自立支援医療の手続きが完了し、3月に手帳取得、4月から服薬開始となりました。
色んなことを思いましたが、治療が始まることは素直に嬉しく思いました。治療を続ければ、その先にはU=Uが待っています。今まで手が届きそうで届かなかったU=Uが、自分にとって明確な希望へと変わりました。ただ、結局は体調が悪化しない限りは治療が始まらなかったことに関しては、非常に残念に思っています。

<メッセージ>
これまでの経験を通して、私が皆さんや世の中に伝えたいことは次の通りです。
・HIVはU=Uに関わらずコンドームによって感染を防げるものであるが、「検出限界以下である」ことと「そうでない」こととの間には明確な隔たりがあり、当事者にとってその隔たりは非常に大きい。
・HIVの検査を受けることは一般市民にも少しずつ浸透しつつあるように感じるが、U=Uを知る人は当事者の世界でも少数派。新規感染者の発生を減らすためには、「検出限界以下」であることが他者にとって安全であることを多くの人が知っていることが必要。
・医師は、患者に対してU=Uであることを必ず説明してほしい。そのうえで、治療の開始時期を患者に選ばせてほしい。もちろん、すぐに治療をはじめられない福祉制度は早急に改善されることを望む。

ありがとうございました。

鳥前 進

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