恐怖と不安の流行にどう対応するか
新型コロナウイルス感染症COVID-2019の流行が世界に広がっている。日本でも首相が大規模イベントの自粛や全国の小中高校の一斉休校を要請し、「あくまでも要請です」と言われても、けっこうその呼びかけが効いている。個人的な感想を言えば、ウイルスそのものより、恐怖と不安による社会の動揺の方が影響は大きいようにも思う。
あくまで報道などによる情報だが、これまでの推計では新型コロナウイルスに感染した人の8割は軽症か無症状で、重症化するのは2割程度、しかも多くは回復し、亡くなる人の割合は低い。
また、感染した人の8割からは他の人に感染していない(つまり、二次感染が起きていない)。
年齢層別にみると、若い人は発症しても通常の風邪程度の症状で、重症化するのは高齢者や心臓病、糖尿病といった基礎疾患を有している人だという。
ただし、感染が広がればその分、重篤化し、亡くなる人も増える。したがって、全年齢層にわたって感染の拡大を抑え、重症化や死亡のリスクの高い人を守ろうというのが、日本を含む国際社会の基本的戦略となっている。
私はすでに高齢者であり、薬こそのんでいないものの心臓病や糖尿病といった基礎疾患にもご縁がないわけではない。「やばいじゃないの」とさすがに焦る。「みんなが死ぬわけじゃないから」と言われてもあまり気休めにはならない。手を洗う頻度は顕著に増えた。
したがって、感染の拡大を抑え、重症化リスクの高い人を守れるようにしようという対策の戦略は正しいのだろうし、高齢者としてはかたじけなくも思っている。
ただし、その感謝の一方で、このところの社会的な不安の広がりと萎縮の連鎖には少々、行き過ぎではないかと思う面もある。社会の動きをできるだけ止めないようにする。それは恐怖や不安と闘うための基本ではないのか。
今回の流行に対し、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は3月6日、「最前線で人権を尊重し、対策の中心に据える必要がある」というミチェル・バチェレ人権高等弁務官のメッセージを発表した。
http://miyatak.hatenablog.com/entry/2020/03/09/123402
バチェレさんはチリ大統領を2度にわたって務めた女性政治家で、若いころは外科医、小児科医でもあった。医学生時代に軍事独裁政権のもとで秘密収容施設に拘束され、拷問を受けた経験もある。医療にも、人権にも、幅広い目配りのきく指導者といっていいだろう。今回の流行に関しては制圧の困難さを認め「総合的なアプローチをとらない限り、このウイルスとの闘いはうまくいきません」と述べつつ、次のように語っている。
「COVID-19は私たちの社会を試すテストです。すべての人がウイルスに対応する方法を学び、順応しようとしています。その最前線にあり、対策の中心となるのが、人間としての尊厳と権利です。補完策ではありません」
立派な指導者の言葉を紹介した後で、再び個人的な話に戻って恐縮だが、私は産経新聞・社会部の駆け出し記者だった1987年当時、HIV/エイズの取材に振り回され、2003年には新聞編集者としてSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行に対応し、2009年の新型インフルエンザA(H1N1)の流行時には論説委員としてかなりの本数の社説を書いた。
性行為が主要な感染経路であるHIV/エイズと呼吸器感染症のSARSやインフルエンザでは、ウイルスの感染経路も対策も異なる。
だが、それと同時に、未知の感染症に対し、社会的な恐怖や不安が引き出す反応にはかなり共通した特徴もみられる。私の経験から教訓と思うものを紹介しよう。
- Fear is OK
1989年にボストンのエイズアクションコミッティという当時全米第三の規模を持つHIV陽性者支援組織でボランティア研修を受けたことがある。内容は人と人とのコミュニケーションが中心で、恐怖や不安については次のようなメッセージがあった。
致死的な感染症に対する不安は誰にでもある。
Fear is OK(それはいい)。でも、野をかける虎のように、それを放ってはならない。
そうか、そうかと自分の中の不安を改めて自覚しつつ、少し安心した。 - 社会の動きを止めない。
感染を恐れるあまり、人びとは家に閉じこもり、社会が止まってしまう。そのような状態がいつまで続けられるのだろうか。
地震や津波、洪水といった大災害の後には、復旧・復興の努力を開始し、可能な限り日常の生活機能を取り戻すことが急務になる。
感染症の流行は比較的、長く続き、対策上、人為的に社会の動きを止めなければならないこともある。だが、その場合でも、各地域の実情に合わせて機能停止は最小限に食い止め、流行の継続と同時進行で復旧復興を進める必要がある。恐怖や不安が野を駆けめぐることのないよう、いち早く一人一人が我に返ることも大切な感染症対策の要因になる。 - 感染した人を非難しない。
2003年のSARSの流行では流行の拡大要因の一つにスーパースプレッダー(ウイルスをたくさんの人に広げる人)の存在が指摘された。だが、最近は世界保健機関(WHO)などでも、人に着目した「super-spreader」よりも、感染が拡大する環境や出来事を重視する「super-spreading event」という用語の方が使われることが多いという。「ウイルスをばらまく人」といった非難を避けるためだろう。
エイズの流行の初期にはカナダ人の航空会社客室乗務員が「ペイシェント・ゼロ(0号患者)」と呼ばれた。各地で多数の人とセックスをし、流行の起点になった患者という意味だ。
だが、それは誤りだったことが2016年になって明らかにされた。
https://www.afpbb.com/articles/-/3105914
《「ペイシェント・ゼロ」、米エイズ流行の起源ではないと証明》(2016年12月27日 AFP)
感染症の流行に対する不安は「ウイルスをばらまく人」という神話を生み出しやすい。この点には常に自戒が必要だろう。 - 自粛から行動変容へ
エイズの流行の初期には、HIVに感染した人はセックスをすべきではないといった意見が治療にあたる医療関係者からも聞かれた。Safer Sexは、生涯にわたってセックスを禁じるかのような意見に対し、HIV陽性者自身が必死になって生み出したコンセプトであり、自粛から行動変容へのパラダイムシフトを促す哲学だったといってもいい。
世の中はいま、人が集まる行事やイベントの中止や延期が続いている。いつまで萎縮、いや自粛が続くのか。おのずと限界はある。どこかで自粛から行動変容へのシフトが必要になる。今回の行動変容の中身は主に以下の3点だろうか。
・手を洗う
・体調が悪ければ休む
・生活や体の条件に合わせた多様な働き方を可能にする
災いを転じて福となすというか、新興感染症の流行が人の心を少し優しくし、世の中を生きやすい方向に変えていくような変化を生み出すこともできれば期待したい。
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