ぷれいすコラム

「エイズ予防指針」策定から四半世紀:画期的な「個別施策層対策」の意義

稲場 雅紀 特定非営利活動法人アフリカ日本協議会 共同代表・国際保健ディレクター

私は「アフリカ日本協議会」という、アフリカに関わる日本のNGOや研究者などが集まるネットワークで、国際保健分野の仕事をしています。もともとは「途上国にエイズ治療薬が届かない」という問題について、薬の値段の高さや、その原因となっている「知的財産権」の問題について取り組んでいたのですが、それだけでは追い付かなくなり、今では、保健分野を超えて、国際協力全般に関する政策提言や、海外の市民社会組織と日本のつなぎ役のようなことを全般的に引き受けています。

そんな私の保健分野での政策提言の「原点」であり、また、その後関わった様々な政府の審議会等の経験において、最も役に立っているのが、今から四半世紀ほど前、1998年の「エイズ予防指針」策定の際に組織された「公衆衛生審議会 エイズ予防指針策定小委員会」です。私は当時、レズビアン・ゲイの人権確立を求める当事者団体「動くゲイとレズビアンの会」でアドボカシー(政策提言)を担当する副代表理事を務めていました。この小委員会に、課題の当事者であるHIV陽性者を4名入れる、ということで、そのうちの一人に、同会のHIV特別代表だった大石敏寛さんが入ることになりました。そこで、政策提言担当だった私を始め、何人かのメンバーでタスクチームを作り、厚生省(当時)に向けて体系的な働きかけをすることになったのです。

この時にお会いした厚生省のカウンターパートの方々とは、最近、私が「アフリカ日本協議会」でやっている国際保健の活動の関係で、顔を合わせることが多くなっています。当時、エイズを担当していた疾病対策課長だった中谷比呂樹氏は国立国際医療研究センターにある「グローバルヘルス人材戦略センター」のセンター長を務めていますし、そのもとで最初に指針の策定を直接担当していた池田千絵子氏は現在、国立国際医療研究センターの国際医療協力局長で、来年のG7広島サミットに向けて国際保健の政策提言を行う「G7国際保健タスクフォース」の「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」班の班長を務めています。

その頃、既に日本のHIV感染の7割以上は、ゲイのコミュニティで発生していました。ところが、当時、政府が行っていたエイズ予防啓発は一般人口を対象としたもので、内容も、ポスターなどによる啓発にとどまっていました。ゲイがHIV感染の7割を占めるということは、ゲイ・コミュニティにおいて効果的な対策が行われれば、HIVの負のインパクトを効率的に下げることが出来ます。ところが、当時はそれこそ、ゲイ・コミュニティにおける啓発には、公的資金は一銭も投入されていなかったわけです。これは、不作為による差別の問題だ…私たちはこう考えました。

また、政府の審議会は、当時から「空洞化」が問題になっていました。官僚が役所の論理に従ってペーパーを出し、委員はとりあえず会合に出て、ペーパーに対する印象批評のようなことを言って終わり。課題を深掘りすることもなく、政府の方針がそのまま通ってしまう…せっかく私たちが委員になった以上、こうした「追認機関」としての審議会をそのままやらせるわけにはいかない、実際に「変革」につなげなければならない、ということで、私たちは、公式会合の数日前と数日後に、必ず、厚生省の直接の担当者や、あわよくば課長と、対面で打合せ会合を持つことにしました。

提言に当たって、私たちがモデルにしたのが、当時のオーストラリアのエイズ対策です。オーストラリアでは、MSM(男性とセックスをする男性)、セックスワーカー、薬物使用者、先住民、外国人移民などについて、対策の鍵となる人口集団とし、これらの人々にあった方法で予防啓発や検査、ケアなどを行っていく政策がとられていました。私たちが求めているのは、まさにこうしたいわゆる「ターゲット別」の政策と、そこに各コミュニティが主体的に参加し、創意工夫をして事業を展開していく、ということでした。そこで、私たちはオーストラリアの政策を紹介するペーパーを作り、紹介しました。

一方、もう一つの課題は、日本では特に、こうした少数者の権利は無視されやすく、国家権力が突然気分を変えたときに、迫害、弾圧の対象にもなりやすいということです。ただ、それを恐れるだけでは、対策を前に進めることは出来ません。そこで、HIV陽性者や、対策のターゲットとなる人々の人権の尊重と当事者参画を、もう一方でしっかり明記させることにし、さらに、これらのコミュニティがなぜ特別な対策の対象となるのかということについて、簡潔に説明をつけることにしたわけです(例:「『性的指向の側面で配慮が必要な』同性愛者」)。

最後に、この「ターゲット」対策をどのように呼ぶか、ということが課題となりました。私たちは「個別施策の対象者層」と述べていましたが、これは長いということで、中谷課長との直接の調整の中で、「個別施策層」対策、と呼ぶことに決まりました。この「個別施策層」対策は、やがて、新宿2丁目の「akta」などのコミュニティ・センターに結実することになります。

このようにして98年に策定された「エイズ予防指針」は、内容面で、米国やオーストラリア、欧州諸国のエイズ対策と同様の水準を備えたものになったわけです。その後、「エイズ予防指針」は何回かの改定を経ていますが、現在でも、エイズは終わったわけではなく、また、コロナのような「地球規模感染症」のリスクは上がっていますが、その中には、「サル痘」のように、特にゲイ・コミュニティに感染が拡大するといったものもあります。日本で初めて「個別施策層」への重点的な対策を位置づけた98年の「エイズ予防指針」の画期性は、今こそ評価される必要があるでしょう。

ぷれいす東京NEWS 2022年11月号より

稲場 雅紀 特定非営利活動法人アフリカ日本協議会 共同代表・国際保健ディレクター

稲場 雅紀さん(いなば まさき)1969年生。1997-98年、「動くゲイとレズビアンの会」アドボカシー部門ディレクターとして、エイズ予防指針の策定に関わる。2002年からアフリカ日本協議会の国際保健ディレクターとして、世界のエイズ対策に関する調査研究・政策提言に取り組む。2010年以降、国際保健政策に関する外務省とNGOの対話枠組み「GII/IDI懇談会」のNGO側代表。2020-22年、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジのための国際機関「UHC2030」の先進国市民社会代表運営委員。共著に「SDGs 危機の時代の羅針盤」(南博との共著、岩波新書、2020年)。

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