陽性者と家族の日記 “蔵人”

後輩

蔵人

さて、自分の職場(チーム、と呼んだりしている)にようやく新人がやってきた。
本格的な新人の投入はなんと自分以来となるので9年ぶりとなる。
年は干支にすると丁度一回り下になる。
うーん。やっぱり見た目若いです。
第一印象は「老けた高校生?」って雰囲気で生意気な感じがない。
かわいいなぁ。。。って、邪な事は考えてなくてよ。念のため。

さて、当然自分が教育係(お局じゃないわよ)となる訳だがこれが結構気を使う。
全く放置するのも当然NGだし、余りにも手取り足取り教えてしまうと本人が考える作業をしなくなり仕事の質が低下する。
新鮮な頭でモノを考えるのはとても大事なこと。

そして
「蔵人さん、これを確かめるのは何を見ればいいんですか?」
「○○って、どういう書類ですか?」
なんて、自分ではもう当たり前のように認識している書類や手続が彼にとっては本当に初めて触れる事だと分かった時、変な話だが自分もびっくりしてしまう。

十年近くの間に、自分も随分慣れっこになって、妙な垢が付いてしまったんだなぁ。
新しい人が加わるというのはとても大事なことだね。

アンチ目標主義

蔵人

もう小正月が近づいている時期ですが、今年もよろしくお願いします。
・・・日記だからお願いもヘチマもないですが(笑)、読みたい人は今年も蔵人のグチに宜しくお付き合いください。

ところでみなさんは「今年の目標」なるものを決めました?
或いは、決めさせられました?
あれ、私は最近鬱陶しく感じるようになりました。
「目標」って、もちろん、達成するために設定するものですね。
だとすると、ある「目標」は、達成した瞬間に無用のものになりますよね。
多分、そのあと更なる「目標」を立てると思うんです。
そして、次の「目標」に向けて頑張ります。達成します。次の次の「目標」が設定されます。その「目標」に向けて頑張ります。達成します。次の次の次の「目標」が・・・

何だか疲れません?

一方、その「目標」が万が一達成不可能になりそうな見込みになると、人間はあらゆる手段を使って目標の破綻を防ごうとしますよね。
例えば、会社の利益「目標」が危うくなると、普通の社長さんだったら何でもやります。
ボーナスカット、給料カット、人員カット、粉飾決算・・・・

たまったもんじゃない。
こんな下手な例えじゃなくても、目標の無理な達成には何らかの犠牲が伴うのはみなさん経験あるでしょう。

「目標」って、未来の事を勝手に描いているんですよね。
勝手に描いた未来に現実を合わせようとして四苦八苦するより現在に目を向けて大切に生きる方が気が楽なような気がするんです。

で、私の課題は「しなやかに生きる」です。
これ、「目標」じゃないんです。
常に「現在」の自分を見つめるための課題です。
「目標」と違わない?
いえいえ、「目標」になると、少し遠い感じがするでしょ?
今をどう過ごすかが自分の課題なんです。

ところで、「しなやかに」と聞いて山○百恵のカオーフェザートリートメントシャンプー&リンスを連想したアナタ、四捨五入後推定40歳以上と認定差し上げます。

大荒れ

蔵人

やれやれ、年末休暇に入ったぞ、と。

大晦日に実家に帰るまでに大掃除しなきゃね。

な ん な の よ ー こ の 天 気 は !

ふざけてるわ。昨日まであんなに晴れてたのに。

天気予報「積もる事はありません」

嘘 お っ し ゃ い 。

近所の屋根はもう真っ白よ。カラスもカモメになりそうな勢いだわ。

仕方ない。台所掃除だけにして、メインは明日に延期ね。

天気予報「大晦日は雪か雨で大荒れの天気になるでしょう」

何 だ と ー !

大晦日は飛行機で里帰りなのよ。

羽田の滑走路閉鎖したら承知しないわよ。

今年は「災」の年、最後の最後まで油断ならないわね。

それでは皆様、来年は穏やかないい年が来ますように。

くだらん

蔵人

紅白歌合戦の演目が発表になったらしいけど、正に「ナニこれ?」って思いませんでした?
私は思いました。所謂ベテラン陣の曲が耳にタコ状態。
これだったらマツケンサンバ以外は3年位前の再放送でも充分間に合うと思われるので浮いた制作費の分受信料を(以下略)

北の国から

蔵人

7月26日の日記で紹介したおばさんから「温泉銘菓卵チョコ」なるものを頂いた。どうやらY河原温泉に友達と行ってきたらしい。話を聞くとどうやら宿泊した温泉旅館は最悪で、次の日とっととY河原を後にして箱根で口直しをしてきたそうだ。パワフルなおばちゃん連中だ。

で、その土産は適当にY河原駅前で手につかんだものを私にくれた訳で、別に何を頂こうが構わないのだけど・・・そのチョコの箱の説明書のところがとても気になった。
それは、「販売者」のところがシールなのだ。
土産物の出生地の胡散臭さについては同じく7月の日記で触れたと思うが、そこのシールの所の「販売者」の住所はI東市になっており、そこでもう都道府県が違っているという事態なんだけど一応エリアとしては近いしまぁいいか、、、じゃあシールを剥がして見ましょ。

・・・・・すごーーい。

製造者:(株)○○○ 北海道I見沢市×××・・・

すごーーい。北海道で作ってるんだぁ。
この菓子、アーモンドをホワイトチョコで包んだもので、当然といえば当然だよなぁ。でも箱にシール一枚張っただけで堂々とY河原(I東?)土産として売るなんて開き直りの極致。何というかさぁ、こんな事平気でやるから評判下げちゃうんだよね。

ま、私は毛頭行くつもりないから、好きにしてよ、て感じです(笑)。

絶唱

蔵人

夕方、年の瀬の雰囲気溢れる銀座のメインストリートを歩いていた。

勤め先の本部事務所が銀座にあるので4丁目交差点付近を歩くのは自分的には割と日常的なことである。しかし仕事で用がある人以外にとっては「おデパート」の並ぶ銀座は特別な場所であるようで、着ている服にも歩く姿にも皆気合が入りまくり。

交差点で信号待ちをしていると、傍らには親子連れが。子供は幼稚園位の女の子で、かわいらしいニットの服を着ている。
その女の子、信号待ちに退屈したのか、やおら振り付けつきで絶唱。
「マ・ツ・ケ・ン・サ・ン・バー♪」

「こんな所でやめなさい!」
母親が止めに入るが、もう遅い。いいじゃん、好きにさせなよ。
しかし、どこで憶えたんだろう。
家で親子でDVD見てるのかな(笑)

イルミネーション

蔵人

気が付くと、街のあちこちにイルミネーションが灯っている。
駅前は当然のごとく、マンションや住宅地の一角にも。
一昔前は全然数が少なかったのでとても物珍しく綺麗だな、と思えたのだが今や「ああ、ここでもか・・・」みたいな感じでむしろ不愉快さが増してきた。

暗く、寂しい冬の夜のままではいけないというのか。

K先生

蔵人

先週風邪を引いた。
去年とまったく同じ時期に同じような症状。凄い高熱と鼻詰まり。
とりあえずいつもの専門内科に駆け込んだのだが、散々検査をした挙句これといった原因がつかめなかったらしく極普通の感冒薬だけ処方してその日はおしまい。自分の経験からこんな高熱は大概アデノイドあたりの耳鼻科系の炎症なんだけど。。経験の浅い医者にはこう言いたい。お前ら自分の担当科のカルテだけ見るなと。私の場合専門内科より耳鼻科のカルテに多くの情報が詰まっている。

一時的に熱は引いたが鼻の調子がおかしいままで、再び熱が出てきた。完全に具合の悪い所が鼻周りに集中しているのでどうしても耳鼻科に行かなければならない。
直接耳鼻科に行こうとしたが一旦専門外来に廻されてしまった。しかし「お前の所じゃ埒が明かないから耳鼻科に廻せ」という意味の言葉を100万倍位の婉曲表現で主張して耳鼻科へ紹介状を書いてもらった。殆んど無意味な約2時間のロス。

耳鼻科には以前から担当してもらっている医者が二人いる。二人とも私とほぼ同年代の医者なので結構気楽に話が出来る。今日はそのうちのK先生がやってきた。病院側も私のカルテから担当したことのある医師を呼んだのだろう。

K先生「お久しぶりですね。」 
こんにちは。K先生の診察は約2年ぶりかな。
このK先生は医者でいるのが勿体無い位の実に甘く端正な顔立ちである。
しかし、これはもう過去形で表現しなくてはならないかもしれない。
いま、自分の目の前に見えるのは巨大に膨張した脇腹の肉・・・一体どうしたというのか。完璧な中年太りの罠にはまって美貌は台無し。時は残酷。

診察が終わって会計を待っていたときK先生が傍を通っていったが、その後姿はまるで太りすぎのコーギー犬の散歩を想像してしまった。

いつもいつもいつも

蔵人

ここ一年ほど、インターネット通販での買い物の機会が増えてきた。自分の興味のある様々な種類のお店でも大概ネット通販のページが用意されている。
「一般化する」、「普及する」と言うのはこのような状況のことなんだろう。

ところで、最近自分が買い物するようになった某専門店は、迅速な応対と商品の発送がウリである。個人商店に近い組織のようで、送られてくるメールにもアットホームな雰囲気が漂っている。ネット時代の客の心をつかむコツを心得ている感じ。

今回の買い物で3回目になったのだが、発注後に届くメールの文章が以下のとおり。

初回:
この度は、「○○」をご利用いただきまして
誠にありがたく、心より感謝いたします。

2回目:
いつも、「○○」をご利用いただきまして
誠にありがたく、心より感謝いたします。

今回(3回目):
いつもいつも、「○○」をご利用いただきまして
誠にありがたく、心より感謝いたします。

さて、次回の注文後はどんなメールが届くのだろう?
今からちょっと楽しみである。

ものぐさな食卓

蔵人

仕事の帰りにスーパーに寄って、晩御飯の献立を考えながらカートを押す。
すると、泥つき里芋の袋が「アタシを食べて」と微笑む。
いまカゴに入れている南瓜とどっちにしようかさんざん迷った挙句、南瓜を袖にして里芋を選んでしまった。冷蔵庫には牛蒡と蓮根が眠っているので丁度いいか。

里芋は嫌いな食材ではない。あの「ぬめぐちゅぅぅあー」とした食感は快感ですらある。しかし皮付きの里芋を自分で買った事はいままで殆んど無い。
皮むきが面倒くさそうだからだ。買ってから少し後悔する。
しかし、そういえば、「いまさら恥ずかしくて人に聞けない料理の基本」本があったのでそれを見る。
泥を洗って水から茹でて3~4分で引き上げ、キッチンペーパーで軽くこすると皮が取れるらしい。
やってみる。
おお、すごい。簡単だ。手も痒くならずに、これなら自分で里芋料理が一年365日作れるぞ。そんな訳は無い。

ところが、ここで喜びの余り「いまさら恥ずかしくて・・・」本を読むのを止めてしまった為に里芋のぬめりとりの作業をスキップして煮物を始めてしまった。
「ん?何だか煮汁がとろーっとしてるんだけど・・・」と気付いたときは時既に遅し。別に大しておかしくはならなかったんだけど。

煮物の味付は顆粒だしと酒とうどんスープの素と砂糖。滅茶苦茶ではない。そばつゆ・うどんスープの類はそれだけでまともな味が出せるのであとは好みで醤油や砂糖を足すだけでOK、料理苦手な人はトライしてみてください。