陽性者と家族の日記

壮大な計画 ~その後

ガジ

先日、書いた懸案事項のその後について。

ガーデニング
庭いじりは着々と進んだが(完成はまだ遠い?!)
重い石とかを張り切って運びまくったせいで腰痛に。
首の後ろの日焼けしたのはいいが、やけど手前で
ようやく一皮向けてひと段落した。
この時期の紫外線、あなどれない・・・・

本棚と机 購入計画
通販カタログを4、5冊熟読して、本棚とイスを発注。
先日、イスが届いて組み立て終了。
あとは本棚の到着を待つだけ (^^)
これだけで、やり遂げた感はあるのだが・・・・
肝心の机がいいのが見つけられない。
(→ 机なしのイスだけ状態)

せっかくだから、ちょっと見栄えがいいものをと
思うが、やはりお高くてなかなか決断できない。
そんなに使う訳でもないしとも思ってしまう。
日ごろ家で机に向かう時間がどれくらいあるだろう?
「机は、少しいいのを買った方がいい」といく人かに
助言されて、さらに迷う今日この頃。
そろそろ根気が切れてきたしなぁ、困った。

フワフワ~、綿毛

たんぽぽ

私が「たんぽぽ」というネームを付けた時、
「私はひまわりが好きなんだけど」と言った友人がいた。

私も、ひまわりは好き。
いつも、太陽に向かって咲くひまわりは大好き。
と言っても、どんな花でも好きなんだけど…(^^)

ふまれても、踏まれても、地べたにへば付きながらも咲く
タンポポは大好き。

ホントはタンポポの綿毛に憧れている。
フワフワと風に乗って、気持ち良さそうに流されて…

落ちたところに、根付いていく。
そこが岩場の間の土の端くれでも、
豊かな草原でも、
気の根っこのコケの中でも、
咲く環境が与えられれば、それなりに。
小さく堅く、あるいは大きく伸び伸びと…。

思わぬところに、綿毛のフワフワを見ることがある。
座敷の中に、電車の中に、……
根付けなかった綿毛は、そのまま死んでいくのだろう。

あるがままに、そのままに、
タンポポの綿毛のように…。

捜せばきっと与えられる

ガジ

一時期、共に暮らす嫁さんに対して
申し訳ない気持ちで自分がいたたまれなく、
心情がとても不安定だった。

そんな折、たまたま通院日にドクターの診察が終わり
採血をされながら、いつもの看護士さんと雑談をしていた。
「変わりない?」の何気ない問いかけに
何の考えもなく、少し自分の心境を吐露したところ、

「彼女は自分の意志で、あなたと生活を共にしてるのだから
申し訳なく思ったり、哀れむのは傲慢じゃない?
イヤになったら、あなたから離れていくわよ、
女の人ってそういうものだから・・・・(笑)」

と言われ、なぜか気持ちが軽くなった。
そう、未来のことは誰にも分からない。
少なくとも彼女は『可哀想ではない』のかなと考え直した。
仮に自分たちがハンディーキャップのない夫婦ならば、
上手く行くという保証はどこにもないし。

きっと心情の浮き沈みはこれからもあるだろうけど
何度も繰り返せばいい。
捜し求めれば、どこかに誰かが『特効薬のコトバ』を
用意してくれている気がする。
マラソンの給水所のように。
(・・・・この例えはどんなもんだか?自らダメ出し)

ありがたいこと

たんぽぽ

日記のデビューに伯母が逝ったことを書き込むのはどうかなぁ…。
でも、今書きたいのはこのことだし…。
と思っていると、
つばささんがおばあさまのことを書いてはるのを見た。
お互い、寂しいね。

ここ1ヶ月半ほど、とても忙しかった。
いっぱい一杯だから、気をつけて動こう。ゆっくり動こう。
そう思っている最中に、伯母が亡くなった。

たまたま空いていた半日に、お葬式が入った。
その前でも、その後でも、とても困ったことになった。
空いていた半日は、荷物を作って発送する時間だった。

目一杯だと思っていたけど、まだ、詰まるんだ。
詰まったら、動けるんだ。
動揺しないで、それなりに動いている自分を発見した。

3日前には、ホントに万障を繰り合わせてお見舞いにも行けた。
2年前から、集中治療室と自宅を行ったり来たりしている伯母を見舞ってもきた。

人は生きたように死んでいく。
死に様を(生き様を)身近で見せていただけた幸せ。
「おばちゃん、ありがとう!」

カタチ

つばさ

 おばあちゃんが亡くなってから、カタチというのは大事だなあとつくづく感じる。
それまでは、心で思っていたら、わざわざ形式的なことをする必要はないと
思っていた。

 でも、毎晩、お経をあげたり、お墓にお花を供えたり、
節目ごとに弔いの行事をしたりすることで、心の整理がついていくんだと、
今は感じる。

 知り合いや友人の家族のお葬式やお通夜などにも、お悔やみの気持ちがあれば、
わざわざ行く必要なないなんて傲慢なことを思っていたけど、そうじゃないんだなあ。

 お葬式が終わって、会社に行った時、私の欠勤理由を知らされてなかった同僚が、
「知らなかったから行けなくてごめんね」とお香典を渡してくれたり、
後から人づてに祖母の死を聞いた友人が、わざわざお線香をあげにきてくれたり、
今までは形式的なことに過ぎないと思っていたことをしてもらって、
すごくうれしかったし、ありがたく感じた。

 私もこれからは、形式的なことだから…とか思わずに、
きちんと気持ちはカタチにして表していかなくちゃ、と思った。
 

 

DISCRETION

Lyric

I met person A in a DISCREET setting where things should be kept confidential. Not knowing many people and being open-minded I thought it worthwhile to be friendly with person A. One day person A and I had a non-romantic dinner-date and person A brought his ex-boyfriend, a gaijin, whom he had told about my diagnosis. I am not open to people about my status because Tokyo is a SMALL WORLD and I’m a private kinda guy. I was livid with person A and his audacity to *help* me–putting my business out there.

The other day I saw person A by coincidence in a public place and I was equally surprised and pleased to see person A–Hisashiburi desune. Person A was with a different guy this time–Nihonjin. My Japanese is sub par but enough for me to be atama ga ii. Anyway, the Nihonjin asked person A where he knew me from and person A, not thinking of my privacy blurted out that private place again. Not only was I disgusted but really annoyed at person A’s lack of DISCRETION.

I don’t know about anyone else but I find it hard to develop genuine relationships in Tokyo–with gaijin and Nihonjin alike. Most people wear masks and are FAKE, PHONY and are usually NEVER WHAT THEY APPEAR TO BE. I think that it is possible for us to acknowledge each other without giving away the MYSTIQUE and MYSTERY that are vital to our existence. It is not just about that it is also about PRIVACY. You don’t want every TOM DICK & HARRY knowing your business do you? I don’t!

In another (somewhat private) situation I met person B. Person B and I hit it off and was open with each other from the start. But person B has lived abroad and has a different sensibility so I was not uncomfortable talking to or even being open with this person. We had a mutual understanding. The same day we met I had to meet someone else for the first time and I invited person B along. Now there were 3 of us and we all had good chemistry. All night people wanted to know how we met but we were cool enough to elude prying questions from STRANGERS. Person B and I could even communicate without our new acquiantance picking up on what was going on between us. I would go out with person B anytime and do anything with person B and even share with person B because person B, unlike person A, is TACTFUL and DISCREET.

My two cents is please respect other people’s PRIVACY.

壮大な計画

ガジ

今年のゴールデンウィークは久しぶりに
友達とかと会うこともなく、ずっと棚上げ状態の家関係の
二大懸案事項を済まそうと意気込んでいる。

休み早々にホームセンターにレンガとかを買いに行き、
炎天下でガーデニング(というか、庭いじり)。
わずかに健康的に日焼けできたのはいいけど
連休前半で筋肉痛・・・・
後半続けられるか、少々くじけ気味。
気がつくと一年以上かかっている。

あとは、本棚や机を通販カタログで物色予定。
実は、買おう買おうと言いながら
かけこれ3年ほどそのままになっていて、
嫁さんに呆れられて既に見放され状態。
たくさんある通販雑誌から「これだ!」というものを
選ぶのは結構大変で。
自分の根気の揮発性が高いとはいえ、
だけど、そろそろ決めないと・・・・

果たして、どこまで進められるか??

FACE VALUE

Lyric

Have you been eating? Your face looks thin!

It was said innocently but freaked me out. People have commented about my weight before and it never bothered me–until I learned my diagnosis.

When gay men are asked about their weight there always seem to be a double entendre–at least to me. Are they trying to tell me something? Do they want me to admit something? Is it THAT obvious.

It is clear that my body is changing. I used to work out a lot–five days a week; sometimes twice a day. Working out was about mental health and keeping fit. In our body conscious culture toned and muscled bodies are (literally) to die for.

Truth is I haven’t been eating. A year later and I still don’t get Japanese supermarkets. Grocery shopping is a hassle. Everything is too small and overpriced. I once went to Costco in Makuhari and thought nothing to spend a fortune on super-sized portions that last longer. I believe in getting more for my money.

The comment freaked me out–not only because it was exclaimed in front of others–but because I know I have to start treatment. People who don’t take care of themselves look ill. That’s what my social worker said. While we can camoflauge our bodies in baggy jeans and oversized sweaters wearing a veil is not optional. I fear the side-effects but the disease in itself is of the wasting kind.

My plan of action is to practice better nutrition. Then start meds. A gym membership wouldn’t hurt either. I used to take life for granted but now I can’t. My external appearance is beyond my control. But projecting an aura of health and well-being is the best face lift I can afford.

桜の季節に

つばさ

 日曜日の夜、突然、おばあちゃんが亡くなった。

 夕食をいつものように食べ、私や娘と話もしていたのに、
その2時間ほどあとにお風呂で倒れ、そのまま亡くなってしまった。

 90歳を過ぎていて、ちょっと物忘れはひどくなっていたけど、
近所を散歩したり、近くのお店に買い物に行ったりと、
元気なおばあちゃんだった。

 信じられない。

 お通夜やお葬式が終わり、日常の生活に戻り、
会社からうちに帰ってきて、ごはんを食べる時などに
『おばあちゃんがいないんだ』と気がつく。

 こんなことがあって、今までの自分に戻れるのかな。
時が経てば、おばあちゃんの不在を受け入れられるのかな。

記録 更新なし

ガジ

桜の時期に過ごした一年を振り返るのが恒例になった。
家族・感染前からの友人に新たに
カミングアウトした人数・・・・ 0人

親はともかく兄弟にはと思ったことがあったが
結局、話さずじまい。
友達にも色々な相談を受けたりしたけど
自分の抱えてるこのことは話さず。

家族には、嫁さんさえ知っていれば・・・という考えから
おそらく今後もこの記録は更新されるであろう。
友達はどうだろう?
健康関係といえば、歳を重ねればますます
慢性疾患のトークは増えるような気がするけど。

人生の半分以上も友達をやってくれてる
「嫁さん以上にガジを理解している」と豪語する
ありがたく奇特な人もいて、
いつか話ができたらなぁなんて思う。

友達・家族の苦しみや悲しみを分かち合うことに
自分は憧れさえ抱いているのに、
逆の立場では「頼りたい・頼れない」気持ちの
せめぎあいで、「頼れない」が優勢を占めている。

この気持ちの兼ね合いの均衡が変わらない限りは
きっと事態に変化はないだろう。