ひろき
意外かもしれませんが、イギリスでは傘をささない人が多いです。
特に男性。新聞紙とか、コートをかぶって、足早に歩いて程度で、
日本のようなビニール傘をあまりみないですし、
ましてや、立派な大き目の傘をさしている男性は、ホテルのドアマンぐらいでしょうか。
ある本によると、傘はそもそもアジアの日傘が起源、とのこと。
イギリスに伝わったときは、上流階級のひとが自分でさすのではなく、
召使がさしていた、らしいのです。
ま、上流階級の人間なんて、ごく少数。
一番の原因は、雨が日本ほど激しく、長く降らない、だと思います。
イギリスでは日本と違ってどしゃぶりの雨は経験したことがないですし、
ちょっと我慢すれば雨は止むことが多いです。
私も今では、傘をさすのが面倒、少し我慢してみるか、
と雨に対する忍耐力がつきました。
鳥前 進
先日、家でのんびり過ごしていた時に、こんなことを思いました。今ここで人生が終わっても何の後悔もないなと。僕には何としても守らなければならない人や、財産や、社会的地位なんてものは何一つない。けどそれは悲しいことではない。僕が生きていることが何かの前提になっていたら、寿命を全うするために毎日欠かさず薬を飲まなければならない僕にとってそれは耐えがたいプレッシャーだし、大切な人たちが重荷になる人生なんてむしろ嫌だから。
そういえば前にも同じことを思ったような気がします。それは確か、HIVに感染していることが発覚して間もないころ、「治療しなければいずれエイズを発症し死に至る」ことを受け入れ、感染前よりも身近になってしまった「死」について考えたときでした。治療しないという選択肢が自分にあったわけでないけど、万が一治療がうまくいかなかったり、何らかの事情で通院をやめざるをえないとき、その先に待ち受けるもの、つまり死ぬということを自分なりに理解したかったのでしょう。
2017年2月に感染がわかって3年が経って、なぜまた同じことを思ったのでしょうね。弟夫婦に第一子が出来たからでしょうか。きっかけはたぶんそうなんだけど、自分にはそういうものが何もないから不安に思わなくて良いということを再確認したのと、1歳年下の弟に比べて自分は結婚や子育てのような人生の重大な決断を何もしていないことが悔しくなってヤケになったというのは、死を意識したときとは明らかに違うことだけど。
次の日の晩に、親を誘って食事に出ました。弟夫婦の件で、親はさぞ喜んでいることでしょう。一方で、目の前に座っている長男はゲイで、HIVに感染していて、今ここで人生が終わっても何の後悔もないと思っている。そんなこと親が知ったら悲しむよ。悲しむどころじゃなくて取り乱すかもよ。いや、言わなきゃ弟と同じことを期待され続けて苦しいだけだよな。じゃあ言ってみる?“生きるのに精一杯”だと知ったらただ生きているだけでも感謝されるかもよ?
そんなことを自問自答しながらも、親と卒なく会話するし、目の前の料理を美味しくいただく自分もいるのです。これで良いんだと思いました。僕が生きる目標は美味しいものを食べること。大切なものを守る覚悟はあるのか、とか、意味ある人生を歩んでいるかとか、そんなこと考えたって分からないし。よる10時になれば薬を飲んでとりあえず生き永らえようとするし、あさが来れば仕事しに出かけるし、仕事すればちょっとは意味のあることをしたいと思うし、お給料が出たら美味しいものを食べる。そして、気が向いらたこうやってぷれいす東京の日記を更新する。何の後悔もない人生。良いじゃん、それで。
朱美
日、夕方に散歩に行っている。たった15分ぐらいだが、気分転換になる。
あとは、寝る前のストレッチだ。これも、15分程だが、ずいぶん身体が、柔らかくなった。
私の運動は、たいしたことでは、ないけど、今では、習慣になっている。
ずーと、続けようと、思っている。
IHO
トンネルを抜けると、そこは…
一年振りの苗場は、暖冬と言われているのが
嘘なんぢゃないかと思う程の雪雪雪!で
僕が行った時は吹雪/BLIZZARDでした。
でも、常宿の女将さんは「80年以上ここに住んでいるけど
こんな雪のない冬は初めて」と言われる位の暖冬で
こんなに雪が積もったのも最近の事だそうです。
苗場スキー場以外のスキー場はそうそうに営業を抑制して
ホテルや売店は諦めモードになっているとか。
ひとシーズンで一年分の稼ぎを出さなきゃいけない観光地って
本当に大変だと感じました。※微力ながらお土産沢山買いました。
そんなこんな色々考えながらも、夜のコンサートは感動の大吹雪で
前が見えない位、泣いて笑って歌って踊りました。
すきよ yuming いまでも いまでも
IHO 拝
朱美
毎日が、図書館から借りてきた本を、よんでます。
今は宮本輝の作品を、多く読んで、ますが、いろいろです。
後の生活は、病院通いと,家事全てかな。
ノンビリした生活だけど、これでいいかなとも思ってしまいます。
まさお
年明けから早くも1ヶ月終わろうとしてる…
約1年振りくらいにU40のプログラムに参加。タイミングが合わず中々参加出来て無かったけど、気付けば今年40歳を迎えるに当たって、あっ、もー参加出来ななくなると、無理くり調整w 久々に有意義な時間。
やっちゃん
皆さん、こんにちわ!
いかがお過ごしでしょうか?
私は、昨日誕生日を迎えまして40歳になりました。
自分で勝手に命名したバースデー休暇(笑)につパートナーと一緒に千葉の館山に旅行に来てます。
最近、パートナーがSH外来へ受診しまして約4〜5年越しに検査をしてくれました。結果、陰性でした。良かった^_^
パートナーが先生に言われたそうで「貴方も定期的に検査しない」って。
パートナーも私とは、違う病院ですが定期的に受診する事になりました。良かったです^_^
では、また次回!
鳥前 進
1月19日にU=Uキャンペーンの創始者であるBruce Richmanさんをお招きして語り合うイベントがありました。僕も当事者の一人として、「服薬を希望するが開始できないでいた経験」についてお話しする機会をいただきました。以下、僕がお話しした内容を記載します。(Bruceさんや他の当事者のお話を聞いたうえで「改めてこの場でお伝えしたい」と感じた内容を含みます)
**********
服薬を希望するが開始できないでいた経験 鳥前進
本日はこのような機会をいただき大変嬉しく思います。「U=Uの光と影」とのことですが、お話しする内容としては、U=Uの影の部分、正確にはU=Uによって改めて浮き彫りになった日本の福祉制度の影の部分に焦点を当てていきたいと思います。それでは、感染が分かってから今に至るまでの気持ちの移り変わりも交えて、お話しさせていたただきます。
<自己紹介>
簡単に自己紹介をいたします。
東京都在住の会社員です。2016年11月に感染のきっかけがありました。当時付き合っていた人との性交渉です。2週間後、初期症状(高熱、激しい喉の痛み、関節の痛み、発疹、病院で2回インフルの検査を受けていずれも陰性)を経て17年1月に保健所での検査をうけ、2月1日に「あなたはHIV陽性です」と告げられました。すぐに通院を開始しましたが、服薬を開始したのは19年4月です。服薬開始後すぐに検出限界以下となりましたが、10月に採血した結果を次の通院の時に聞くので、検出限界以下の状態が6ヶ月続いているのか、性交渉によって他人に感染させることはないのかはまだ分りません。
<2017年>
最初の通院は2月で、このときのウイルス量は170、CD4は500を少し越えるくらいでした。その後1ヶ月おきに通院していましたが、ウイルス量は下がり続け、CD4は600台をうろうろしていました。主治医から「治療はすぐには始まらない。可能な限り早く始めるかギリギリまで待つか選べる」と告げられ、僕は「早く始めたい」と答えました。
すぐに治療が始まるものと思っていましたので、拍子抜けしました。でも、治療のタイミングを選べるということは、身体はまだまだ元気だということでもあり、「服薬まで心の準備ができて、早期発見できてよかったな」と、自身の状況をプラスに捉えていました。
<2018年>
特に大きな変化なく1年が経過しました。2018年はいろんなことを考え、気持ちが大きく変化した1年でした。
年明け早々の通院では、CD4は600台で変化はありませんでしたが、ウイルス量は1,000を越え、文字通りケタ違いの変化に驚きました。主治医からも「身体障害者手帳の申請をしてみませんか」と提案されそれに応じました。春ごろ、診断書を作成してもらい、身体障害者手帳の申請をしましたが「障害等級の認定基準を満たさない」との理由でいったん保留となり、東京都社会福祉審議会での協議に移りました。主治医も僕も、協議しても申請は通らないだろうと考えていましたし、基準を満たさない申請の事例を積み上げることに意味があるのだろうとも思っていました。ただ、やはり通院から1年以上経過し、いつまでこの状態が続くのだろうかという漠然とした不安をいただくようになっていました。
夏、U=Uを知りました。とても画期的でした。これまでの社会生活に加えて、恋愛も諦めなくて良いのだと、非常に勇気づけられました。同時に、僕にHIVをうつした彼は治療を受けていなかったことも明らかになりました。実は、当時の交際相手は、自身がHIVに感染していることを知りつつ僕と性的接触を持ち、僕はHIVに感染しました。僕自身の感染がわかったその日に、彼にその事実を伝えたら「知っていた。やっと共有できて良かった」との返事でした。彼がHIVに関する正しい知識を持っていたら、彼がU=Uを知っていればーー僕にうつした時はU=Uを知る由もなかったのだけどーー、HIVへにきちんと向き合えただろうし、こんな極端な行動は取らずに済んだのではないかと、思いを馳せることもしばしばありました。
10月、「障害等級の認定基準を満たさない」ことを理由に手帳申請は正式に却下されました。このころ、自分の周りの人で治療が始まる人たちがどんどん増えていくような感覚に陥りました。隣の芝生が青く見えていただけなのだと、今は思うのですが、僕よりも後にHIV感染が発覚した人たちが僕よりも先に治療をはじめ、早々に検出限界以下を達成していく一方で、僕は、ウイルス量が2,000〜3,000あたりで推移し、CD4は変わらず600台、体調に変化なく、治療を始めたいと思うのに始められない状態はおかしいと確信するようになりました。
その後も、自分の周りに対してうがった見方ばかりしてしまっていました。主治医は改めて治療を早く始めたいか僕に聞いてくる。どう言うつもりで聞いているのだろうか。何度でも言う。僕の答えは変わらない。「早く始めたい。ただ、手帳がない状態での服薬開始は考えていない」ーーなぜ自分は治療が始まらないのか、このまま放っておいても病気は治らないのに。なぜ周りの人たちばかり先に進むのか。自分には普通の生活を送る資格はないのか。いっそのこと、早く体調が悪くなってくれれば治療が始まるのに。苛立ちの矛先が次第に自分自身へ向いてきてしまっていたのでした。
<2019年>
通院開始から2年が経ちました。体調の変化は突然訪れました。ウイルス量21,000、CD4は409。主治医は「これ以上は待てない」との判断で、診断書をあらためて作成してもらいました。今度は認定基準を満たしています。申請から1ヶ月弱で手帳と自立支援医療の手続きが完了し、3月に手帳取得、4月から服薬開始となりました。
色んなことを思いましたが、治療が始まることは素直に嬉しく思いました。治療を続ければ、その先にはU=Uが待っています。今まで手が届きそうで届かなかったU=Uが、自分にとって明確な希望へと変わりました。ただ、結局は体調が悪化しない限りは治療が始まらなかったことに関しては、非常に残念に思っています。
<メッセージ>
これまでの経験を通して、私が皆さんや世の中に伝えたいことは次の通りです。
・HIVはU=Uに関わらずコンドームによって感染を防げるものであるが、「検出限界以下である」ことと「そうでない」こととの間には明確な隔たりがあり、当事者にとってその隔たりは非常に大きい。
・HIVの検査を受けることは一般市民にも少しずつ浸透しつつあるように感じるが、U=Uを知る人は当事者の世界でも少数派。新規感染者の発生を減らすためには、「検出限界以下」であることが他者にとって安全であることを多くの人が知っていることが必要。
・医師は、患者に対してU=Uであることを必ず説明してほしい。そのうえで、治療の開始時期を患者に選ばせてほしい。もちろん、すぐに治療をはじめられない福祉制度は早急に改善されることを望む。
ありがとうございました。
ひろき
2年間に及ぶ治験プログラムが先日終わりました。
HIVの新薬を服用して副作用など、経過を定期的に検査して報告する、というものでした。
何らかの形でこの病気に携わる人たちに貢献したい、また、
すでに服用していた薬の副作用が低減される、という説明だったので参加しました
結果的には参加してよかったと思います。
診察の予約の融通がきいたり、予約しやすかったり、
同じスタッフが接してくれて、大事にケアしてもらったいえるような気がしました。
普通の診察だと、ロンドンでは待ち時間も長いですし、同じチームで長い期間、診察してもらえないでしょう。
治験していた薬は認可が下りて、薬局で手に入るようになりました。
この病気の治療方法が日々進化している、そう感じました。
IHO
昨日、「ピア+トークspecial/日本のHIV陽性者から見たU=Uの光と影」に行ってきました。
いやぁ、Bruce Richmanさんが素敵でしたねぇ(*^^*)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(コホン)
とても興味深くて学びの多い時間でした。
「U=U」を聞いたのは2年位以前?認識したのは昨夏位?でしょうか。
世界中で起きている「U=Uキャンペーン」を知り、なんでもっとこの情報が
拡がらないのか少しもどかしい思いをしました。※僕のアンテナの感度が悪いだけ?
Bruceさんも「U=U」を知ってから生き方が変わったと仰っていましたけど
本当にそれ程インパクトがある内容でした。
また、4名のスピーカーの方々のエピソードは
時折hard/heavyな内容でしたが、HIVと共に生きてきて、生きていくと云う
勇気を頂けたお話しで心がかなり揺らされ、
この時、取っていたメモは用紙いっぱいになりました。
制度や人間関係、差別に偏見と色々悩んでいる僕ですが、
完全クローゼットで生きている僕ですが、何か行動を起こしたいと思う程に
感情を刺激された3時間弱の素晴らしい時間でした。
でも最後に、「U=U」を陽性者以外の人達に拡げ理解して頂く事が重要と言われた方に
「そうだなぁ」と俺まだ傍観者だなと実感しちゃいました(._.)
医療従事者・医師・政治家etc・・・とてつもなく大きな行動になりそうだけど
たったひとつレンガを積むことから始めるように、SNSだったりセミナーを受けたり、友人と話したり
出来ることからはじめよう!
風は吹き始めている。
IHO 拝