陽性者と家族の日記

イギリスでラグビー応援

ひろき

ラグビーワールドカップ、盛り上がっている様子をニュースで度々みます。
私自身、プレーしたこともないですし、ルールもちんぷんかんぷんですが、イギリスはラグビー発祥の地。
日本で開催されているラグビーワールドカップの試合もテレビ中継されていますし、ラグビーワールドカップの広告やCMもよく見かけます。

ほんとに、にわかファンで恐縮ですが、日本がアイルランドやスコットランドをやぶったのには、感動してしまいました。
バックグランドはさまざまな選手がワンチームとして日本を代表して戦う。
きっと新しい日本の在り方を示してくれたんだと思います。

ラグビーは自主性を重んじるスポーツ、ということで、イギリスでは会社のマネジメントしているようなビジネスパーソンに人気があります。
彼らを多く輩出するイギリスの名門校で盛んだということです。

日本からロンドンを訪れた友人と一緒に、パブで日本対南アフリカ戦を観戦しました。
残念ながら日本は敗退しましたが、なんと、パブにいた南アフリカの方が声をかけてきてくれて、ビールをおごっていただきました。

日本のスポーツ選手の活躍が、国際交流、そして海外在住の日本人の誇りや元気になります。

あれから3年

やっちゃん

皆さん、如何お過ごしでしょうか?

今日10月21日と言う日は、私にとって忘れられない日となりました。

3年前の今日、一般病院で不意打ち検査の末にHIV陽性との告知を受けた日でした。

今でも昨日の事の様に鮮明に覚えてます。

3年前、告知を受けた2日後に、パートナーに涙ながらに話した事、パートナーは、その事を知って「僕は、離れないから大丈夫だよ」と病室で抱きしめてくれた事を思い出します。

あれから、3年

今、ウイルス量も未検出に抑えられて順調です。

すべての事に感謝を忘れずに、笑顔で自分らしく生きていきたいと思う今日この頃です。

さて、頑張るぞ!

今月末は、パートナーと一緒に義理のお姉さんが待つ群馬へ行ってきます!

では、また来月!

 

毎日の散歩

朱美

毎日、夕方になると散歩に出かけるようになりました。

M子が、生きていたときの散歩コースの一部ですが、M子の事が、思い出されます。

20分程の短い時間ですが、気分転換には、なります。

午後は、読書していることが、おおいので、気晴らしですね。

もっとコースも、変えて、楽しみたいですね。

10月突入

まさお

長い残暑も終わってしまう… 今年も残り3ヶ月切ってしまった。 三連休の台風に備えて、色々準備せねば。

ゲイであることも、HIVキャリアであることも、誰にも非難されることではない

鳥前 進

「ノボルのお墓参りに一緒に行きませんか」
先月、ノボル(仮名)のお姉さんから2年ぶりに連絡があった。どこかで生きていてほしい、これまで秘密にしてきた「現実」ときちんと向き合ってほしい。そう願っていたが、お姉さんの優しいお誘いは、同時に残酷な現実を僕に知らしめた。

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ノボルは僕の恋人だった。僕とは正反対で、ユーモアにあふれ、思い立ったらすぐに行動するタイプの人。そんな彼にも、誰にも打ち明けられない秘密が2つあった。一つは、僕も世間に対して秘密にしているセクシャリティ。そしてもう一つの秘密は、僕の誕生日を祝ってくれた夜に、僕も気づかぬうちに望まない形で「共有」することになった。

秘密を共有してから2週間が経過したころ、僕の身体に異変が起きた。1週間近く続く40度近い発熱、激しいのどの痛み、関節の痛み、2回実施したインフルエンザの検査は陰性――僕はノボルと距離を置くことにした。そして2カ月後、僕は都内で抗体検査を受け、ノボルの秘密を知った。秘密を知ったその夜、僕はノボルのもとを尋ねた。そして、別れることにした。

別れた後の僕は、すぐに通院を開始した。同じ秘密を抱えた人たちとも積極的に意見交換をし、少しずつ前に進む努力をした。同時に、前に進めずに一人で長い年月もの間「秘密」を抱えてきたノボルのことを想った。どうやったら彼を現実と向き合わせることができるだろうかと――別れてから半年後、「ノボルが自ら命を絶った」とノボルのお姉さんから連絡が入った。

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待ち合わせの場所で、ノボルのお姉さんはお花を携えて僕を待っていた。僕は「亡くなった」と聞いただけで、お葬式にも呼ばれなかったし、お墓の場所も聞いていなかったので、ノボルがこの世からいなくなったなどということを信じ切れずにいた。しかし、目の前の女性の出で立ちは、「私が嘘をつくわけがない」と言わんばかりに、信じきれない現実を僕に突き付けてきた。

駅からタクシーに揺られ、都心らしいこじんまりとした墓地についた。一目で新しいものだとわかるほど輝きを放つ石の下でノボルは独り眠っていた。僕はノボルは生前に置かれた状況を思い出した。僕と秘密を共有したものの、ノボルの考えは僕には受け入れられず別れることになった。家族には秘密が2つとも明るみになり、もはやどこにも居場所はなかった。そして亡くなった後も、一人の若い男性には不釣り合いなほど立派なお墓に「葬られている」――

涙が頬を伝わるのを感じた。頬を手でぬぐう。お姉さんのほうを見ると、何かを話し始めようとしたけれど、嗚咽が止まらないほど激しく泣いてしまい、言葉にならなかった。後で話を聞いたが、ノボルが納骨されてから誰もお墓参りに来ていないそうだ。納骨に立ち会わなかったお姉さんにとって、今回が初めてのお墓参りだった。

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ノボルへ。君がほかの誰かからHIVをもらったと知ったときにどんな気持ちだったか、僕には分かります。君が僕にHIVを移したのは、ただ分かってくれる人が欲しかったのだということも、僕には分かります。誰かにHIVを移すことでしか自分の気持ちを共有できない状況に置かれていた君のことを、僕は同情します。ゲイであることも、HIVキャリアであることも、誰にも非難されることではないのに、「無理解」な「世間」に「殺され」た君の死を無駄にしたくなくて、君との出来事をここに公表することにしました。また今度、お墓参りに行きます。

残り3ヶ月

まさお

気づけば9月も終わり。残すところ3ヶ月… 何年一年が早く過ぎる。今年も大して何も変化無し。 いいのかこのままで、まぁ、いっか!

非日常的な休日

やっちゃん

みなさん、おはようございます!

いかがお過ごしでしょうか?

僕は、昨日パートナーと一緒にパートナーのお姉さんに会いに群馬へ行き、お姉さんの買い物のお手伝いをしました。昨夜は、高崎のリゾート風ホテルへ宿泊し、非日常的な休日を過ごしてます。

最近のお話をします。

前にもお話してますが、食事は、僕が作りますが、あれから、お料理のレパートリーを順調に増やしてます。最近は、糖尿病食の本を数冊購入し、カロリーと減塩をコントロールしてます!

楽しみながら、料理してます。

ではでは、また次回!

お身体に気をつけてお過ごし下さいね〜

イギリスの嫌いなところ

ひろき

普段、こちらの日記には私が暮らしているイギリスの良い面を書くことが多いので、たまには愚痴というかクレームというか、嫌いな点を書いてみます。

嫌いなところはたくさんあるのですが、今回は地下鉄について書きます。
有名なロンドンの地下鉄ですが、やたら駅や路線の閉鎖が多いです。
週末になると、メンテナンスのためある区間(郊外が多いですが)丸ごと閉鎖、代替にバスを利用、ということがあります。また、駅も閉鎖される場合があります。

うっかり知らないで駅に着いたら駅が閉鎖、しかも路線が丸ごと、っていうこともあります。
利用者は地下鉄のHPやTwitterを事前にチェックすることが多いのですが、旅行者にはもっと困るのだと思います。

閉鎖だけではありません。地下鉄の改札にはイライラします。
こちらの改札の扉は基本的にしまっていて、ICカードをタッチすると開きます。
しかも鈍くて、遅い。日本の方式は人が流れるように扉が開いている状態。
これは圧倒的に日本の地下鉄に比べると利用者が少ないのと、不正利用が多いことが原因だそうです。

なんでロンドンは大都市なのに、こんなに効率悪いことをしているのだろう、と思うのですが、ロンドンの地下鉄は150年以上の歴史があります。
そんなに古いのであればガタもくるだろうし、まぁ、文化の違いだと思うようにしています。

ロンドン地下鉄の名誉のために書いておきますが、好きな点もあります。
それはクレジットカードとデビットカードが利用できること。
ICカードを買わなくても、そのまま直接タッチして使えるんです。
これは旅行者には便利。

嫌いな点を考えると、そうなった理由や文化の違いが見えてきて面白いですね。
また、思いついたら書きます。

角を曲がる

なぎさのペンギン

ごぶさたです。

前回の更新が2019年の4月9日なので 約半年ぶり…ちょっと間を開け過ぎ?

 

僕がこの”日記”のブログに初めて参加させていただいたのは、2007年の夏(たぶん)。ずいぶん前です。

始めのころはけっこうマメにアップしていたんですね…

 

今回の日記を書く前に 改めて自分の過去の投稿をいくつか見直してみました。

“病気になってもこーんなに元気、ホラ 見て見て~”みたいなアピールいっぱいで われながらめっちゃ恥ずかしい(当時 すでにいい年したおっさんだったのに ! (^^; )

「大丈夫、自分がしっかりしていれば 今までと何も変わらないよ」…というメッセージを…自分以外の誰か…他の陽性者も含め…に発して、励ましたかったんだろうな。

もっと言えば…誰よりも自分自身にそう言い聞かせたかったのだと思います。

 

時間が経つにつれ  最初は非日常だと思った”HIVとのつきあい”が日常となり、薬を飲んだり通院するのがルーティンになってくると 欲が出てきますね。

”無理しなくていいんだよ、自分のペースで行こうよ”…そう優しい言葉をかけてくれるのはうれしいけれど…

でも 多少の無理をしなきゃ成長できない、自分が望む方向へは進めないっていうのも事実ですから。

 

自分はこんなもんじゃない、この場所にだけ踏みとどまっていられない…みたいな気負いも強かったんだろうな。

 

(幸いなことに)自分の場合はこの十数年の治療の継続で健康状態に大きな変化もなく、それなりに体力も温存できていることもあり…

自分がHIV陽性者であるという現実を忘れそうになることが よくあります。

(”忘れたい”…という 認知的不協和状態の影響もあるでしょう)

 

でも…世の中に変わらないものなんて 結局 なにひとつありません。

 

僕の場合、はっきりと大きく変わったのは…自分を取り巻く環境の変化でした。

 

2007年のころは、とりあえず自分の病気のことだけ考えてりゃいいや…って思っていて…それ以上のことを考える余裕や先を見る洞察力はありませんでした。

毎日がいつまでも同じなら この先の未来は約束されてる、万事オッケーだと単純に考えていて 未熟だった。

 

さまざまな事情で家族との距離が遠さかり、最愛の人も亡くなり…

おのずと考えます。

 

ひとりで自由気まま ありのまま 思うがままに生きるだけが幸福ではなく…

自分の毎日をコントロールさえできれば 何もかもがうまくいくわけでもなく…

 

人間は他の誰かの体から生まれ、他の誰かにはぐぐまれ、交わったり離れたりしながら成長します。

LGBTQIAであるとか HIV陽性者であるとか そうでないとか とは関係なしに。

この 理屈ではない何か。

う~ん、うまく説明できない…

 

人生という路地を進んでいたら突然視界が開けて 予想しない道に分かれて。

ここから先をどう行こうか…

もちろん…自分のことも大切だけど…それなら今までもうさんざんやってきて いささか飽きちゃったし…

 

今は ここまで自分を生かしてくれた この場所へたどりつかせてくれた誰か…何か…に”恩返し”がしたい。

具体的に”それってなに?”と聞かれると まだ ばく然としていて答えられないのですが…

自分の中の”何か”を 次の世代につなげるリレーに参加したくなった、というか…

誰かから生まれてきた生きものの一部として…これまで自分がずっと見落としてきたことに気持ちを寄せ、果たせなかった思いを返したいのです。

“今までと何も変わらない” のでは やっぱ困るんだ…

 

というのが、今の大いなる?野望 WW

目標に近づけるよう 地道にがんばります。

(日記も もうちょっとマメに更新、を心がけてね (;´∀`)♪

 

まもなくアメリカで公開になるジュディ・ガーランドの伝記映画「Judy」。

来年のアカデミー賞候補になりそう(たぶん)な作品。

“Over the Rainbow”のイメージが強烈過ぎた彼女の 母であり女性であったもうひとつの部分に早く触れてみたいです。

そういえば、こんなニュースも↓

https://news.nicovideo.jp/watch/nw5966441

講座をやめた

朱美

M子が、亡くなって再開した、一つの講座と、コーラスサークルを、九月で、やめた。

サークルの方は、休会ということで、席は、のこっているが。

ずいぶん、暇になった。

家事と、通院と、温泉と、読書が、残った。

一区切りだね。又、何かやりたくなるまで、ノンビリと行こうか。