陽性者と家族の日記 “なぎさのペンギン”

風に吹かれても

なぎさのペンギン

 

台風が去った後に いきなり木枯らし。。。

“もうそんな季節なのか”と思いつつも

先日のニュースにはちょっとびっくりさせられました。

台風の去った後は ”フェーン現象”で気温が急上昇する、

というのが”相場”、よくあるパターンだと思っていたのに。。。

 

でも よく考えたら 不思議でもなんでもない話なんですね。

風は気圧の高いところ(高気圧)から低いところ(低気圧)に向かって吹きます。

南にあたたかな高気圧があれば北上する台風に向かって暖気が流れる、

でも 北に冷たい高気圧がある場合は 南にある台風に向かって

北から冷気を流し込む、という 分かりやすい理屈で。

 

夏に吹く風は爽やかで心地良いけど、冬に吹く風は寒くて厳しい。。。

これはあくまで人間の感じ方であり 風にとったら知ったことじゃないし

人間に加減してくれるわけでもありません。

ただ、気圧の高いところから低いところに向かって吹くだけ。

風は気まぐれ、と言われますが 本当に気まぐれなのは風じゃなく

自分に都合の良いような解釈をしちゃう 人間の方なんでしょう。

 

春のはじまりは「春一番」、冬のはじまりは「木枯らし」。。。

日本人は 季節のうつろいを ”風” という自然の言葉で表現してきました。

もちろん 自然だけじゃなく。。。

それまで追い風に乗って飛ぶ鳥を落とす勢いだった人たちが、

あることをきっかけに風向きが変わり 突然 逆風にさらされるハメに。。。

なんて。。。最近 どこかで 何度もお目にかかったような風景。。。(^-^;

人間の移ろいやすい心を表すときにも 「風」は 比喩的に使われていますよね。

 

風の”勢い”や”流れ”って 自分にとって都合が良い時は歓迎するべき存在ですが

その反対の立場に立った場合には怖いんだなあ。

だからこそ みんな ”風の吹く向き”を読みたがるんだろうし

予想外の風にあおられて炎上することを恐れているんだろうな。

 

でも そんなことを気にする人たちばっかりの世の中って

ちょっと どうなんだろう?

“意外性”を恐れて 現状維持に終始してばかりじゃ

“新しい何か”が生まれにくくなるんじゃないないの?

(もう とっくに なってる?)

と  思う気持ちが あります。

 

風がどちらの方向に向くのか、雲がどちらの方向に流れるのか分からない

でも そのことによって失われる人の命を 少しでも救いたい。。。

天気予報は そんな人々のささやかな願いから始まったそうです。

 

いつのまにか 単に世の中を動かすための情報源(材料)の一部になって

予報が当たりか外れか、その部分だけに興味が集中しているような気がして。

 

風の吹く理屈すらよく知らない人たちが なぜ?

 

天気の話だけに限りませんが

予測可能なことだけを大事に抱えて生きてくのって

なんだか 味気ないような気がします。。。(^-^;

 

意外なエピソードを含めて 全部がまるごとになってこそ

ホントに生きてる ってことだと思いますから。

 

どんな風に吹かれても

時には避けながら

時には追い風として うまく味方につけながら

何が起こるか分からない海で 自分の船に帆を張り

なんとか乗り切って 先を目指す、

僕は そんな風に行き(生き)たいです。

読めない風向きみたいに いろいろと複雑な時代ですけれどね。

 

北風の強い、青く澄んだ空を見上げながら

ちょっとドヤ顔 で。

 

 

 

 

 

 

Luminous

なぎさのペンギン

フリーアナウンサーで、歌舞伎俳優・市川海老蔵さんの妻、

小林麻央さんが 乳がんのため亡くなりました。

34才でした。

 

15年近く前になるのかな….

麻央さんがキャスターとして登場した、TV番組「めざましどようび」の初出演の回を

僕はリアルタイムで見ています。

当時はまだ女子大生で 初々しさはたっぷりだけど アナウンサーとしてはほぼズブの素人。

活舌もかなりあやしかったし、どうせ かわいい見た目を重視した起用なんだろうなあ…と

そんな程度の印象でしたが…

 

数年後、ニュース番組のキャスターに抜擢されたあたりから 驚くべき変化を見せました。

堂々としたたたずまい、大きな目を輝かせ まっすぐに相手を見つめる”まなざし”の威力。

珍しいことなんだけど…僕は 彼女に(一方的な)恋をしてしまったのですWW

 

もちろん、こんな魅力的な花が野原に放置されるわけもなく…

数年後、彼女は市川海老蔵さんと結婚。梨園の世界で、旦那さんを支える奥さんとして

新しい人生を踏み出しました。

2人のお子さんにも恵まれ、絵に描いたような幸福な生活を送っているとばかり思っていたのに…

 

昨年の今ごろ、夫の海老蔵さんが

「妻は乳がんを患っております。

容易に対処できない事態になっているので、メディアの方々に 彼女をそっとしておくよう

配慮をお願いいたします」

という趣旨の発表をしたときは 本当に驚きました。

 

でも、驚きはそれだけじゃなかった。

 

3か月後、彼女は同じ病気で苦しむ人たちを そして 病の陰に隠れがちな自分自身を

勇気づけるために”闘病ブログ”を始めたのです。

 

もちろん…自分の病気を公表して、病気とともに暮らす毎日の日常をつづったブログは

今はそれほど珍しいものではありません。

有名人、と言われる人たちの中にも…彼女以外にも何人かいますし、いわゆる”一般人”まで

含めたら 相当の数に上るでしょう。

(実名ではないにしろ、この「陽性者と家族の日記」も ある意味では同じ類に入るものだと

僕は考えています)

 

しかし、麻央さんのブログがその他の多くと異なっていたのは…

劇的な健康の回復を見込むのは非常に厳しい(場合によっては、死ぬかもしれない)ことを

知りながら、あえて世間に”自分の記録”を公表しようとしたことでした。

 

容姿端麗で 周囲から羨望のまなざしを向けられ “陽のあたる場所”にいたはずの彼女…

自分がステージ4のガンであることを周囲が知ったら みんながどう思うのか?

 

夫の海老蔵さんも 彼女の気持ちを慮って マスメディアに”報道自粛”を申し出たのに…

麻央さんはあえてそれを翻して 自分の姿をさらけ出しました。

ガンの入院生活の 楽しい時も 苦しい時も

すべてをひっくるめた”生”の自分自身を伝えるために。

 

実は…

僕は 生前 麻央さんのブログに目を通していませんでした。

怖くて 見れなかったのです。

 

数年前、僕は がんで 三人の友だちを別々に亡くしました。

いずれも僕よりも年下で それぞれが ほぼ同時期に患っていました。

 

その三人の…全員が

自分の”闘病ブログ”を綴っていました。

 

痛みや吐き気がものすごく、死ぬほど苦しい…

入退院を繰り返すうちに 希望が絶望に変わっていく…

もちろん、幸福感たっぷりの描写もあるのですが、

ところどころにつらい言葉が見え隠れして…

やがては、重々しいつぶやきが多くなり…

 

病名や健康状態は大きく異なるかも知れないけれど、

病気をもっている立場の自分からすれば

死を前に向き合っている人たちの心の叫びを聞くのは しんどいです。

どうしても わが身に置き換えてしまうから….

いつか、同じことが 自分にも起こるのではないか…

もしそんな時が来たら….自分なら どうするだろうか…

 

彼女の死に触れ 僕は 今まで開くことのできなかった

麻央さんのブログを読んでみました。

 

 

あくまでも個人的な意見ですが、僕の友人の3人のブログに比べ

麻央さんのブログは 意図的に…言葉を選んでいるような気がしました。

印象が 穏やかなんですよね。

 

傍らに まだ幼いわが子たちが侍っている その安らぎが…

穏やかな文面に表れているような気もするし…

逆に 最愛のわが子を遺して旅立つ覚悟をしなければならないことは

僕には想像もできないような辛さなのだろうな…

 

 

麻央さんのブログの読者には 現在 ガンを患っている患者の方々も多かったようです。

リアルな闘病の様子を自分の現在(あるいは待ち受けている未来)に投影させ、

読んでいるうちにつらくなってしまったり 絶望感を味わった人たちも

恐らくたくさんいたことでしょう。

そして それと同じぐらいの数で 麻央さんの生き方に勇気づけられ

希望の光を見出した患者さんたちが いたのではないかと思います。

 

僕の3人の友だち、そして麻央さん…

彼らが”闘病ブログ”を記していたのが

(本人たちではなく)周囲の人々にとって

よかったことなのか、そうではなかったのか….

僕にはわかりません。

 

いや

いい、悪い の問題ではないですね。

 

周囲がどう思うのか、周囲にどんな影響を与えるのか…

悲しませるのか、つらい思いをさせるのか…

そんなことも 本人にしてみたら ”どうでもいい”こと。

 

だって 「生きる」というのは

結局 自分の「意思」によるもの。

自分は生きる、という 強い意志。

それは 決して誰にも邪魔できない。

 

その強い意志を残すための

「記録」なんだものね。

 

彼女は 自分の人生について こんな趣旨のメッセージを伝えています。

 

“私が死んだら、人はどう思うのだろうか?

「若いのに可哀そうだね」、「小さな子供を残して気の毒に」…というように?

私はそんな風に思われたくない。

なぜなら、私の人生の中で 病気が最大の出来事ではないから”

 

 

僕にとって、すごく共感できる 最大限に支持できる言葉でした。

 

墓参りに行くことも なかなかままならない現在

僕は 3人の友だちのブログを

彼らへの”墓参”のつもりで ときどき 開いています。

 

サイバースペースの彼らは

何年たっても あの 最後に会った輝きの笑顔のまま…

 

今さらなんですが…

この先、麻央さんのブログも 時々 覗いてみたいと思っています。

 

6月、梅雨の合間、雲の切れ目から差し込んだ光のように

いつまでも輝いている姿が見れることを 楽しみに。

 

 

 

 

 

 

No Panacea

なぎさのペンギン

 

またまた。。。すっかり、ごぶさたしていますが、

みなさま お元気ですか?(*´ー`*)

 

おかげさまで 僕は

カゼもインフルもひかず 毎日を 快適に暮らせております。

ほんとうに 感謝。。。

 

とはいうものの

自分なりの努力は重ねているつもりです。

 

僕は鼻炎になりがちな体質で カゼの前触れが”ノド”ではなく

まず ”鼻”にきます。

熱も出ず、ノドも腫れずに つらい鼻炎だけが進行。。。というのが

2年前までの 僕のカゼひきパターンでした。

 

カゼのウィルスは 口の中(呼吸をするところ)にとりつくもの。。。

 

ならば、できるかぎり念入りにケアしてみよう。。。

と、”鼻うがい”(鼻の洗浄機)を購入。

 

機械での鼻洗浄の効き目は抜群で

それまでの点鼻薬や内服薬に頼っていた生活が

劇的に変わりました。

 

42℃の温水に 専用の顆粒を溶かして溶液を作り、

それで鼻の中を洗います。

誤って耳やノドに流れ込んでしまうリスクも少なく

つーんとせず 至極快適。

 

それまで 昼間にボーっと眠くなってしまっていたのは

もしかしたら薬のせいではなく

夜間に熟睡ができていなくて 慢性的な睡眠不足になっていたから

だったのかな?

と余裕で振り返れるくらい 今は 鼻の問題で悩まなくなりました。

おおげさではなく、自分の人生にとって

まさに「革命的」な変化 でした。

 

もうひとつ、効果的だったのが 歯みがき。

 

歯みがきとカゼって 関係あるの?

と思われる方もいるかもしれませんが。。。

 

一日3回、歯間ブラシやフロスで

食べかすをていねいに取り除き、

1回に15分くらいかけてブラッシング。。。

(昼間はどうしても5分くらいしかできませんが)

そのあとで ブラシでフッ素コーティング。。。

 

はっきり言って かなりの手間をかけています。

 

自宅以外でも仕事場でも使えるように

鼻の洗浄機も歯ブラシも2セット揃え

外出先でも対応できるように もう1セット。。。

 

確かにお金もかかるし、時間を割くのはめんどうくさい。。。

のですが

 

この”ひと手間”が 毎日の生活で大きな違いになるんだなあ、

という事実を 10年たったいま 実感しています。

 

毎日を快適に過ごすことができると 気持ちにゆとりが生まれ

いまの自分を客観的に振り返ることができますね。

体がつらいときって、周囲の人たちに対して どうしてもとげとげしく

厳しい態度になってしまいがちだから。。。

 

僕にとって HIVの感染は

もう10年以上前の話ですが。。。

 

10年かかって ようやく自分なりの管理方法を身につけるコツがわかった。。。

という 感じです。

 

特別な病気にかかってしまった と苦しかった時代もあるし

なんだあ、たいしたことないじゃん、と高をくくっていた

にがい思い出もあったなあ。

 

Learning experience

 

「学問なき経験は 経験なき学問に勝る」

 

ラクしようと思って ネットでショートカットを探しまくっても

 

パーフェクトなものって 結局 みつからないんだな、って。。。

 

自分という人間は 世界にたったひとりしかいない訳ですから

当然かな。。。。

 

わが身でぶち当たって分かったことの方が

はるかに多かったです。

 

 

これはHIVに限った話ではないと思うのですが。。。

 

“病気が完治する”という言葉は

自分を安心させる材料でしかない

心地よい響きではあるけれど

そこにもたれかかってしまったら

一番大切なことに気がつかず

すりぬけたままで すべてが終わってしまうかも

 

と感じるようになりました。

 

おいしいものを食べて

しゃきっと体を動かせて

いつまでも 新しい変化に身をまかせていきたいな

と願います。

 

これからも ずっとね。

 

来月(3月)に公開になるディズニー映画「モアナと伝説の海」のテーマ曲、

「How far I’ll go~どこまでも」を聞きながら

はるかハワイの海に思いをはせ 春を待っています。

すっかり遅くなりましたが

今年も よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先へ

なぎさのペンギン

あけましておめでとうございます。

 

僕にとって 今年 2016年は50才を迎える という節目の年です。

ええ~ いつの間に こんなに年を?とショックを受けなくもないけれど(๑˃́ꇴ˂̀๑)WW

学生時代の同級生たちは お子さんたちが高校や大学へ進学し、中には結婚して祖母や祖父になっている友人たちもいることを考えれば。。。

1980年代、90年代は遠くなりにけり だね。

 

遠くなる。。。と言えば。。。

自分がHIVに感染したことが分かってから もう10年以上が経過したことになります。

本当にありがたいことに この10年間、自分の健康問題について 大きく悩まされることはありませんでした。

悩みが少なかったからこそ いろいろなものを見落として 失敗も重ねて。。。

 

でも 失敗した分だけ ほんとうにたくさんのことを学べたかな~。

その意味で言うなら 病気を告げられてからの10年間のほうが

僕の人生の中では よっぽど豊かな 実りの多い季節になりました。

 

第1期、感染を伝えられてから最初の3年間ぐらいは なんとなく

毎日 おどおどしながら生きていたような気がします。。。

「HIV」や「エイズ」という言葉に対して世の中が示す反応に 過敏になっていたかも。

 

そのうち。。。

病気になったって みんなそれなりに元気で楽しくやっている ってことを

その当時 自分の周囲にいたほかのHIV陽性者にそれとなく教えられて。

今のままの自分でいいんだ、自分は変わらなくていい。。。

と 実感するようになりました。

これが第2期の始まり。数年は 続いたな。

今にして思えば いちばん 楽しい時期だったですね (✿╹◡╹)ノ

 

「みんなの日記帳」(以前、ぷれいす東京のWEBサイトにあった このコーナーの前身)に日記を書かせていただくようになったのも ちょうど そのころでした。

 

しかし。。。

いつしか 今自分がいる場所に物足りなさを感じ

もっと遠くの 別の景色も見てみたい と思うようになりました。

 

住所変更はしないけど

不定期の 長い長い 旅に出てみよう、と決めて。

 

やがて 第三の波が目の前で砕け 僕を別の場所に連れて行ってくれました。

 

障がい者スポーツの分野で出会った人たち

長い間 音信普通だった 学生時代の友人たち

子供を育てるお母さんたち

そして 実は いちばん身近にいたのに なぜか疎遠になっていた

治ることのない病気になってしまった親や 大切な自分のパートナーとの距離を

ぐぐっと縮めたこと。。。

すべてが 今まで知らなかった いや 気づかなかったことだらけでした。

 

ヒトは 自分の経験が及ばない部分を 想像力を働かせて補うことができます。

しかし 基礎となる経験が乏しすぎたら 想像力を働かせることすらできない。。。

 

そのことを 改めて思い知らされた 第3期でした。

 

自分が 片方の肺しか使わずに飛行していたことに気がつき

だから息苦しかったのか、と そのことに納得したとき

先が見えてきました。

自分が行こうとしていた、その先が。。。。

 

境遇とか、時代とか、運命とか そういう言い訳を武器にして振り回さず

やたらに流行を追いかけることも 懐かしい昔だけに囚われることもなく

2016年 50歳になる自分を しっかり生きる

 

当たり前のことだけど これが 僕の 今年 いちばんの目標です。

 

この日記の始めのほうに書いた通り、

「今のままの自分でいいんだ、自分は変わらなくていい」

という気持は 今も 確かにあります。

 

無理しない生き方、それは 確かに 自然です。

 

でも、変わらなきゃ って真剣に思うときが

次のステップにつながるチャンスなのだ

とも 思うのです。

 

「マイペースで行こう。

でも いつもいつもマイペースだと 向上することもないよ。

時に つらい思いを自分に課してこそ

その先に待っている達成感もひとしお、なんだと思うよ」

 

なじみのスポーツトレーナーが いつも口にしている言葉が これ。

 

挑戦。

50になろうと60になろうと これからもずっと 現状の自分に満足せず

チャレンジを続けていけたらいいな。

 

雨があがったら いろんなものがはっきり見える。

今日は とびきりの晴天になりそうだね。。。。

そんな曲に 思いをこめて。

 

本年も よろしくお願いいたします。

Songs

なぎさのペンギン

季節は変わり、師走。

みなさん いかがお過ごしですか?

僕にとっては 今年も あっという間に駆け抜けていった1年でした。

 

それぞれの思い出を言葉に残したい、という思いもあるけれど。。。

 

ここは FMラジオの番組みたいに 音楽に メッセージを込めてみようかな。。。

なんてね 

 

See You Again  (シー・ユー・アゲイン)

ラッパー・アーティストの ウィズ・カリファ が シンガーのチャーリー・プースとコラボして作った

2015年 全米チャート ベストヒット曲のひとつ。

映画「ワイルド・スピード Sky Mission」の主演スターで 映画撮影後に

現実の交通事故で急逝したポール・ウォーカーさんへのトリビュートソングであり

映画のテーマ曲としても使われています。

 

今年 僕の周囲でも 親戚や友人など さまざまな人たちが世を去りました。

これからも 地上から見つめているので

(僕の存在に気がついたら)よろしくね。。。(ときどき だけどね)

 

Teach Your Children(ティーチ・ユア・チルドレン)

僕には子供がいませんが、もし子供がいたなら

親として この曲をプレゼントしたいな。。。と思っているくらい、大好きな曲です。

 

往年のグループ、CSN&Y(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)が

1970年に発表した 彼らの傑作のひとつ。

僕と同輩の世代の方々には イギリス映画「小さな恋のメロディ」の

ラストシーンで使用された曲、と言えば 懐かしく思い出す人もいるかも。

 

MVの最後に スタジアムでのライブシーンがちらっと写りますが、

この当時 世界中が ベトナム戦争への反戦デモで揺れていました。

 

「親にとって子供の存在は あるいは 子供にとって親の存在は、ある意味

“ゆっくりと通り過ぎていく地獄”のようなもの 。。。

でも あなたの夢を糧に 彼らを育ててあげてほしいんです。

なんで って理由を聞いちゃダメだよ。聞いたら きっとあなたは泣いちゃうよ。

黙って見つめて ため息をついて。。。

それで あなたは気がつくはず、彼らがあなたを愛してるってことに」

 

という部分に 現在の僕自身を重ね合わせ

ふ、深いな~ と 感慨 しきり。

 

Happy

バナナのような形をした不思議な生き物、”ミニオン”(実際に バナナが大好物らしい)は

今年あたりから 日本でもようやく 人気に火がついてきましたね。

 

実は 人類よりも古くから地球に暮らしていたらしい(という設定)。。。なんだけど WWW

映画「怪盗グルーのミニオン危機一髪」のテーマ曲として有名な ウィル・ファレルの「Happy」。

Youtubeでの再生回数が 延べ 5億回近い記録を打ち立てたほどの大ヒットに。

 

これって。。。元ネタは どう考えても 子供のころによく聞いた

日本の「幸せなら手を叩こう」 じゃねーの?って思ったんですが。。。

 

実は「幸せなら手を叩こう」も もともとは外国の曲(If You’re Happy and You Know It)を翻訳したもの、

なんだそうです。

 

ってことで ちょっと 聞き比べ。

Happy

If You’re Happy and You Know It (幸せなら手を叩こう)

 

幸福な気分になれましたでしょうか?

 

来年 平成28年(2016年)も

みなさんにとって 素敵な一年になりますように。。。

Happy Holidays!

 

 

 

 

会いに行けるヒーロー

なぎさのペンギン

ぷれいす東京さんのWebサイトがリニューアルされてからはじめての、実に久しぶりの投稿(いつもながらに 反省)。

またよろしくお願いします !

 

今日は 僕が考える”ヒーロー論”について書かせていただこうと思う。

「ヒーロー論?なにそれ?」と感じる方もいらっしゃるのではないかと思うけど…..

 

子供のころ、TVでやっていた怪獣や宇宙人が出てくるヒーロー番組をよく見ていた。

自分で言うのもなんだが(! ) 男の子にしては優しすぎる性格だったせいか 正義の味方である巨大な姿をしたヒーローが、暴れまわって街を破壊する悪者怪獣をやっつける、いわゆる格闘シーンには興味がもてなかった。

にもかかわらず 毎週 ひきつけられるように見ていたのは「特撮」で表現された世界が ふだん僕らが暮らしている日常の世界とどこでどうつながっているのかに興味を持ったからだ。

たとえいっときの間でも 異次元に迷い込んだような空想ができるのが楽しかった。

当時の特撮は、”宇宙船”がピアノ線で吊られていたり、巨大ヒーローの背中にジッパーのつまみが丸見えになっていたりと 現在のCG全盛の時代からは想像もできないほど「チャチ」かった。。。

けれど あのチープな感じだから よかった。

大人数の撮影スタッフが、ああでもないこうでもない、と 色々工夫しながらミニチュアのセットを調整しているような そんな裏方仕事のにおいが TVの画面を通じて 見ている子供にもうっすら理解できた。

そこには確かな”ヒトのぬくもり”が感じられた。

幼いながらに 大人が一生懸命汗を流して作っている”ウソの世界”に その努力に 敬意を表していたのだと思う。

 

大学生の子供がいてもおかしくないような大人になった今でも 僕はTVで戦隊ヒーローや着ぐるみ特撮のSFドラマを楽しみに見る。

今は 格闘シーンも楽しみだ。

スーツアクター と呼ばれる”中のヒト”たちが あえて顔を見せず 自分の存在を隠したままで自己表現している姿に 強く引かれるものを感じたから。

しかし さすがに時代は変わった….

子供番組といえど、その大半が デジタルの力によって表現された 緻密で寸分の狂いもないヴァーチャルなCG映像で作られるようになった。

すげえな、こんなことまでできちゃうの、と驚きに目を丸くはするけれど 同時になんとなしの寂しさも感じていた。

イマドキの幼児や児童って ちっちゃなうちから こんなに”完璧に再現されたリアルな世界”を見せつけられることに慣れてしまうのか。

手づくりの温かみがあふれるものをハナからバカにして成長しちゃうって どうなの ? という気がしていたのだ。

 

今年の夏から始まった「ウルトラマンX」は CGを使ってはいるものの ミニチュアや着ぐるみを多様した昔ながらの作りになっている。

流行に逆らうようにあえてチープな特撮も適度に取り入れ だからこそ登場するキャラクターに感情移入できるように計算されている。

これが素晴らしい !

 

たとえば

「サンタクロースって ほんとうにいるの?」

という問いかけは 現代の子供たちにとって もはやお笑いの対象でしかないのかも知れない。

おなじように あのヒーローの中に入っているヒトがプロのスーツアクターで、仕事で演じているんだ なんて とうの昔に気づいているのかもしれない。

 

にも関わらず、遊園地などで行われる特撮ヒーローのショーは 今も昔も 子供たちには大人気。

いや 特撮に限らない。

アニメやゲームの二次元キャラクターでしかないはずの ジバニャンやコマさんに会いに 子供たちはショーに行き、着ぐるみのキャラクターに友だちと遊ぶかのようにはしゃぎ、握手したり一緒に写真撮影をして笑顔のポーズを決める。

なぜだ?

ゆるキャラがここまでブームになったのも ”ほのぼの”や”癒し”を求める現代人のせわしなさだけが理由でないと感じる。

小さいときから こうしたヒーロー特撮ものを見てきた、最初から作りごとだと分かっていながら それでも そこを面白がって楽しんできた。

そんな子供たちが大人になって 親になって わが子を一緒に連れ 自分も楽しむために行っているのではないか?という気もする。

 

会いに行けるアイドル、という国民的な少女グループがいる。

けれど、実は日本には何十年も前から会いに行けるアイドル、すなわち スーパーヒーローたちがいたのです。

「僕は正義を守るために一生懸命に悪を倒すよ。

だから君は 学校で勉強やスポーツをがんばれ ! 」

なーんて言われたら 最初っからウソだなんて分かっていても ついつい うれしくなっちゃうよね~。

そういう人間の感情の動きって 完全無欠に作られたものからは導き出されたりはしない。

みんなが信じるもの、どんな時代でも 人々が求めているもの。。。

それは やっぱり そこになんらかの人間的な魅力を感じられるものに尽きるよなあ。

改めて そう思うのです。

 

「おかげさま」と「おつかれさま」

なぎさのペンギン

「日本語って ホントにムズカシいよね~」
日本で暮らす外国籍の人たちが、しばしば口にする言葉です。

漢字、ひらがな、カタカナの三種類の文字を使い分けなくちゃいけない、とか…
(特に日本で発達した)”敬語”の表現をどう使ったらいいのか、とか…..
確かに 日本語は 複雑かつ繊細….

日本語には ”配慮表現” という独特の言い回しがあります。
(敬語や謙譲語は”配慮表現”の一部)

ある外国の人が まかない付きのアパートに”下宿”させてもらっていた時のこと。

大家さんが貸してくれた石油ストーブが急に作動しなくなってしまい、
その外国の人は
「すみません、ストーブがこわれてしまいました」
と報告しました。

しかし大家さんは立腹。
その外国の方としばらく口をきかなかったのだとか。

理由は….
自分が管理運用していた状況で壊れたのだから
「ストーブがこわれてしまいました」ではなく
「ストーブをこわしてしまいました」と言うべきだろう、
と考えたからなのだそうです。

“相手からモノを借りている最中に発生したトラブルなのだから 
それくらいの配慮があって当然..”というのが 大家さんの見識だったのでしょうが….
この外国の方には ちょっと気の毒だったかな….
日本語学校に何年通ったとしても ここまでの微細なニュアンスはなかなか学べなさそうですよね….

日本語には ”相手に気を遣うような言い方が良し” とされる傾向が 確かにありますよね。
かといって 常にそれが正解とも言えないのが 更なるムズカしさなんだけど。

こうした日本語をめぐるコミュニケーションギャップは もちろん非日本語ネイティブ⇔日本語ネイティブの間だけの
問題ではなく 日本語ネイティブ同士でも発生しています。

たとえば
鉄道の駅などで耳にするアナウンスでは 電車の発車時に
「ドアが閉まります」
と聞こえてくるのが(一般的には)自然な言い回しとされています。
実際にはドアを開け閉めする操作をしている人がいて ドアが自分の意思で勝手に動いているわけではないんですが….

「ドアを閉めさせていただきます」という謙譲の表現では ”ちょっとへだくだりすぎなんじゃないの?”という印象。
逆に「ドアを閉めます」という直接的な言い切りにすると “上から目線の威圧的な感じ”がして 
抵抗感を覚える人もいるのではないでしょうか?

大切なのは
「ドアが閉まります」「ドアを閉めます」「ドアを閉めさせていただきます」
この3つのどれもが 日本語の文法としては正解である ということ。
どれかが間違っているから問題なのではなく どれもが正解であるからこそ 受け取リ手が
“オレの…アタシの選択こそが正しいに違いないんだ”
と思い込んでしまう そんな危険性をはらんでいる、ということです。 

興味深いことに…
同じひとこと であっても(たとえばバスの運転手のように)開閉装置を操作する人の存在が
明確な場合(話者の顔が見える状況)においては 「ドアを閉めます」と言い切っても 
受け入れられやすくなる可能性が高くなる ということです。
(抑揚やアクセントなど話者の言い回しが丁寧に聞こえるなら よけいにそう感じるでしょうね)
電車の場合に比べ 運転手=バスの運行を管理する人 という認識がわかりやすく 
“この人が管理しているのだから 乗客である自分たちは従わなきゃね” 的な共有感が
広がりやすい ということかもしれません。

う~ん….
なんか….シチュエーションに左右されすぎじゃね….
あいまいすぎるぞ~ 日本語(笑)

もうひとつ 別の例を…..

親が病気になって入院していたが、治癒して退院した…というような状況で
「お父さん、具合が良くなってよかったね」
「はい、おかげさまで先日退院しました」
というようなやりとりは ごくありふれた会話です。

しかし、20代などの若い世代の人たちは この”おかげさま”というあいまいな表現を 
年長の人ほど好まない傾向にあるのだとか。

この場合の”おかげさま”は 誰か特定の人ではなく…神仏など 超自然的な存在の恩恵に
よって….という背景が想定されています。
なので「何が父親の健康を回復させたのか」という点を 古来からある”偉大なるものへの
感謝”のレベルで解釈するか、科学的、論理的な理詰めでとらえるか…で 意見が
大きく分かれるでしょう。

興味深いのは…

「おかげさま」に匹敵するあいまいな表現の言葉として「おつかれさま」がありますが、
こちらについては 若い人ほど多用する傾向にあるらしい、ということ。
言葉に関する意識調査の結果を見ても、会話の第一声をこの言葉で始めようとする人は 
若年者に多いそうです。
イマドキの若者なんて みんな気配りなんかできてね~んだからよ~ 
という話ではないんですね。

ここでの「おつかれさま」は 本気で相手の労をねぎらうというより
「おはようございます」や「こんにちは」「こんばんは」と同じ、コミュニケーションの
きっかけを作るあいさつの役割を果たしているに過ぎません
(アラフィフの僕ですら、わりとよく使っていますWWW)
「ご苦労さま」では上から目線で失礼だけど、「おつかれさま」なら あたりがやわらかい
よね…と考える人も多そうな気がしますし,,,,

一方で
「自分は 別に疲れてはいないよ…..なんで 特に親しくもない相手から”おつかれさま”なんて
言われなきゃならないの?」と 「おつかれさま」の乱用を快く思わない人たちも(当然)います。
こちらは 年長の方々ほど強い抵抗感を示す傾向にあるようですし さらに細かく見ていくと
 メールでのやりとりで あいさつを「おつかれさまです」の一文で始めるのは 
男性より女性のほうが多い という傾向が見られるのだそうです。

会話は 言葉のキャッチボール。
同じ価値観をシェアしていなければ コミュニケーションの一方の側では違和感を感じて
しまいますが ”自分は 社会の中で常に一般的(スタンダード)”という思い込みが強すぎると
 意外な落とし穴にはまってしまいます。

「日本語ってホントに難しいよね~」
日本語ネイティブである自分も 本当にそう思うのですが….

ここまで思慮深く 幅の広い言葉は世界中捜しても なかなかありませんね。

様々な状況で いろいろな言い回しを使い分けることでコミュニケーションを無限大に楽しめる….
難しいからこそ 実に勉強のしがいがありますね….日本語って。

今日は 少し前に聴いたあるラジオ番組の話題から 自分への覚書の意味を含めて残してみました。

「カミングアウト」は誰のため?

なぎさのペンギン

最近、

「HIVであることを他人に告げたら拒絶された」
「自分のセクシャリティを正直に話したら、ドン引きされた」

という 友人や知り合いからの悩みやグチを聞く機会が 
何度か 立て続けにありました。

う~ん、難しいです…
カミングアウト…

なるべく伝えやすい環境を整えることは もちろん重要です。
ただし…

カミングアウトが難しいのは 
単に ”HIV”だから、とか ”セクマイ”だから 
という理由だけではない気もするのです。

学生時代からの友人に

“自分は近い将来、病気で失明するらしい”

と伝えられたときの衝撃は 
二十年経った今でも 鮮明に残っています。

もちろん、その友人は
今でも元気で生活していて
この間も ふたりで 当時の話をしました。

“信頼できる人間には 真実を伝えたかった”
と言ってくれたのには 
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

しかし 同時に 僕にとっては
友人の告白から 現況を受け止められるようにまで
20年という時間がかかっているんだな
そんな思いもあります。

伝えられた真実は 重かったので….
心のどこかで ずっと抱えてきたわけです。

僕は友人と言う立場だったけど 
もし 自分が家族だったなら
どう感じながら過ごした20年だったんだろう….

ふと 考えたりもします。

個人的な意見としては

伝える前に
「誰のためにカミングアウトをするのか?」
と言う点を クリアにしておくこと。
これが大事だと思います。

自分のため?
それとも(事実を知ってほしい)相手のため?

もちろん
その両方 というのも あるでしょう。

誰のためであってもいいのだろうけど
いずれにしろ そこがすべての出発点ですよね。

自分の経験を通じて学んだのは

「自分が伝えたことを 相手がきちんと受け入れてくれる(はず)」

という”希望的観測”は もたないようにしよう

ということでした。

友人と僕との関係性がそうだったように
そこから先 その人とうまくつきあっていけるかどうかは 
一種の”賭け”であり 伝える側、受け止める側に
それぞれの覚悟が必要なんじゃないかな….

もうひとつ

自分の気持ちに区切りをつけたい、すっきりさせたい
そのことばかりに気を取られてはいけないかな?
 
とも感じます。

受け止める側の 相手の気持ちはどうなんだろう?
というところにも配慮がないと 
相手はビックリしたままの状態で放置され、戸惑ってしまいます….
自分が聞かされてショックだったのだから
心の準備も なんの知識もないまま聞かされた相手は
大ショックを受けて 心が傷ついてしまうに違いないのでは?

ある意味、
人間関係の 真の絆が試されるワケで 怖いかな。

だからこそ それが証明できたときの喜びは
格別なんだけどね。

リトル・ドラマー・ボーイズ

なぎさのペンギン

今夜はクリスマスイヴ。
いかがお過ごしですか?

世界中には数え切れないほどのクリスマス・キャロル(クリスマスソング)がありますが
僕が大好きなのは「リトル・ドラマー・ボーイ」という歌。

この世に生まれたばかりのちっちゃな”王様”(KING)をお祝いしたい
けれど 僕の家は貧乏で 高価な贈り物なんてムリだ
僕にできるのは 太鼓(ドラム)を叩いて御前で演奏してあげること
太鼓を叩いたら ちっちゃな王様が優しく微笑みかけてくれた 
わーい !!!

この”王様”こそが、後のイエス=キリスト…..
というのが おおまかな歌詞の内容。
ラパパンパン、と挿まれるドラムの音色がユニークで 
子どものころから 聞くたびにワクワクさせられたものでした。

古くは トラップ・ファミリー合唱団(あの「サウンド・オブ・ミュージック」に登場する
トラップ一家です)やハリー・シメオネ合唱団、ビング・クロスビー、スティービー・ワンダー、
ホイットニー・ヒューストンなど さまざまな大歌手に歌われ継がれ、最近でも
アリシア・キーズやジャスティン・ビーバー、人気TV番組「Glee!(グリー)」のキャストも
カヴァーしています。

今夜は 僕の好きな3つのヴァージョンから。

マイケル・ジャクソン としてスーパースターとなるずっと前、ジャクソン5時代の”かわいいマイケル”。
情感いっぱいに歌います。
watch?v=RrHRjpXCoqk

ビング・クロスビー featuring デビッド・ボウイ という 永遠に再現不可能な夢のコラボ。
ここまでくると もはや世界遺産(笑)こういうのを聞くと、歌の力ってすごいな~ と改めて感動。
watch?v=ADbJLo4x-tk

アイルランドの女性コーラスグループ、ケルティック・ウーマン。
ケルト音楽風の幻想的なアレンジが素晴らしいです。
watch?v=HxKGDumNZDQ

Everybody wishes a Merry Christmas.

ちょっと気が早いですが !
穏やかな年の瀬を迎え 新しい年が素晴らしい一年となりますように。

竜巻とパンプキン

なぎさのペンギン

またまた ごぶさたしております。

先日、名古屋に行ってきました。

名古屋へ行ったら絶対行こう ! と 以前からずうっと楽しみにしていたのが「名古屋市科学館」。
お目当てだった世界最大の投影ドーム、と言われるプラネタリウムは時間が合わずに見ることができなかったけど、「竜巻ラボ」「放電ラボ」のイベントショウを楽しみました。

“ラボ”という名前の通り、竜巻と放電(たとえば雷もそのひとつ)という気象現象を人工的にミニミニ再現する科学ショーなのですが どちらも予想以上の大迫力。
左下の写真に写っているのは「竜巻ラボ」の実験中の様子。 
人工竜巻とはいえ、なんと 高さは7メートルもあるんですよ。
天井と床に加湿器や扇風機を設置、あったかい上昇気流と冷たい下降気流の流れを作って”竜巻”の様子を再現しようという試みですが…..どうですか この渦巻?お見事 !

「放電ラボ」の方はというと….
”テスラコイル”という高周波・高電圧を発生させる機械で作り出した150万ボルトの電気スパークを まさに全身で体感してきました。
車のドアに触れたときにバチッと衝撃が走る静電気は誰でも一度は体験したことがあると思いますが、あれはせいぜい数千ボルト~一万ボルト。
こう考えると、150万ボルトというのがどれくらいの威力を持っているかがわかります。
雷が落ちる音とは違うのですが 放電時のグオオオーンという轟音は正直言って心臓に悪いド迫力。
むかしの映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の中でも あんな電気が走ってタイムマシンが作動していましたっけね。

最近は災害が多く、なんとなく不安な気持ちの方も多いと思いますが….
たとえシュミレーションであろうと 大自然の脅威(驚異でもありますが)を身近に感じさせてくれるこうした施設を訪れることで 科学に対する興味がより深くなるのでは?と感じました。

もうひとつ、百貨店で開催されていた”草間彌生”作品展にも足を運びました。
彫刻家、版画家、小説家など さまざまな顔をもつ草間彌生さんは、子供のときに病気を患い その影響で幻覚や幻聴に苛まれ 大変につらい経験をされたそうです。
当時の医師が絵を描くことを薦めたことが 草間さんが芸術の道を志すきっかけだったとか。

草間さん、というと水玉模様をモチーフとした作品が知られていますが、今回見ることができた”わが永遠の魂”と題された数々の版画は、人間の中にある原始宇宙のような、心の中にある自分自身の解剖図、とでもいうのか….
素朴でありながら強烈なインパクトを放つ草間ワールド。すっかりトリコになりました。

もう一枚の写真(右下)は 彼女の作品「パンプキン」。
秋深しハロウィンの季節、こんなおしゃれなカボチャのオブジェクトも素敵ですよね。