陽性者と家族の日記 “なぎさのペンギン”

スリル&リアル

なぎさのペンギン

大型の台風が関東地方の海岸沿いを通過し 伊豆半島の大島で大きな被害が出ているようだ。
ひとりでも多くの方が 災害に巻き込まれないで済むように…と思っていたら TVで 小学生2人が波にさらわれて行方不明 というニュース。

報道によれば 友だち同志で海に遊びに来ていて波に呑まれてしまったのだという。警察に通報したのは母親だ。

複雑な気持ちになった。
僕には子供はないが、成人した子どもがいてもおかしくない年齢になっているので 親御さんの気持は容易に理解できる。

台風の日に 海に遊びに行く…それがどんなに危険なことなのか ちょっぴりの想像力を使えば すぐに分かること。

中には ”自業自得” という厳しい言葉を浴びせたり、子供に海に行くことを許した親の見識を非難する人もいるだろう。当然の反応 だとも 心では思う。

僕も 自分が小学生のころ 台風で氾濫した河川をよく見物に行った。
河岸ギリギリに建っている家は、今にも波に呑み込まれそうで 土が崩れ落ちるたびに建物の床下がむき出しになり まるでパニック映画を見ているようだった。スリルを感じて心が躍った。

その家に 人が住んでいて 人間の暮らしがあり 家が流されてしまったらその人の生活そのものが流されてしまう なんて 当時は考えもしなかった。
自然に破壊されていく風景がただひたすらにカッコよく 圧倒的に思えた。
今ならそんなことは思わないけど 当時は そう感じたのだ。

毎日は あたりまえの日常の繰り返し。

だからこそ 非日常はカッコよく スリルにあふれたものであってほしい。そのほうが興奮する。 でも その先に もしかしたらものすごく大きな危険が待っているかもしれない。他人事ではなく、自分に降りかかってくるかもしれない。その想像力が足りないのが子どもだ。

大人になって 様々な経験を通して 心も体も”痛んで傷つく”ことを知った。
現実はVFX満載のSFファンタジー映画ではない。

スリルは否定しない。
でも その中に ほんのちょっぴりのリアリティを混ぜてモノを作ることで ヒトは 他のヒトに対する想像力を広げる そのことは スリルだけでは終わらないなにか があることを伝えるのには役立つはずだ。

残念ながら これから先も 同じような事故は完全になくなることはない と思う。子どもは子どもであり 子どもの時代に子どものままに生きることが自然なのだと思う。彼らの本能的な行動や考え方を押さえつけることはできないし もちろん 押さえつけてはいけないとも思う。

そうである以上 ほんのちょっとした好奇心から とんでもない事に巻き込まれる子どもたちを 待ち受けるリスクからパーフェクトに守ることはできない。

しかし 大人は 子どもだったころの自分の体験を 今 子どもである人たちに伝えることはできる。

ただし
インターネットや本の情報でその体験が現実味たっぷりに共有できるのか?

と言われれば 僕は 首を傾げるだろう。

役に立つのは 人間の声だ。
リアルな 生きている人の 生声。
生身の人間が 生身の人間に伝えることで 初めて大きな意味を持つ。
ひたすら地道に 根気よく続ける作業の繰り返しだけれど それを続けていかなければならないし

続けられてきたからこそ 今日という日がある。

師走雑感

なぎさのペンギン

ごぶさたです。
ほんとうにひさしぶりの更新で、かなり(汗)な感じですが、
みなさんは元気でお過ごしですか?

僕は あいかわらず マイペースで生活しています。

仕事 ちょこっと 忙しめ。
プライベートは それなりに充実。
おかげさまで 体調も(年のわりに)まずまずかな。
自分的には 若いときよりも今の方がよっぽど元気かも って
思えるのも 治療生活がうまくいっているからこそだなあ って
(誰に対して伝えたらいいのか いろいろ考えますが)
心から感謝しています。

とはいいながらも、今年は 自分の周囲で
同じ病気をもつ友人が 残念ながら
何人か亡くなってしまいました。
薬を飲んでいても 完治したわけではないのだ
という厳しい感情が ふと頭をよぎります。
中には 治療がうまくいっていたのに
事故でこの世を去っていった人もいて
生のはかなさを思い知らされた1年でもありました。

輝きの長さには限りがあるからこそ
現在という時間を 一瞬 一瞬 悔いのないように
過ごしていけたらいいな と願っています。

来年に というか 来月になると
誕生日を迎え またひとつ年をとります(苦笑)
でも 数年前に比べ 年をとることが
それほどイヤではなくなってきたかなあ。
むしろ どうやって老けていこうかなあ ということを
真面目に考えるのが 楽しみになりつつあるような。

来年は 今年よりもっといい年になるといいなあ。

元気

なぎさのペンギン

ずいぶんひさしぶりの日記になります。

ごぶさたしてすみませんでした。

僕はあいかわらず元気にやっております。

さて 本日のお題はその「元気」。

いま僕が働いている職場は 自然環境が豊かな郊外にあります。

コンピュータのソフトウエアを開発している会社なんですが、従業員が

びっくりするほど健康的なんです。

この業界では けっこう珍しいかも。

僕が所属する部署は特にそう。

大半の人がジム通いをしているのはいいとして 市民マラソン大会やら

いろんなスポーツイベントに参加している人が多いんです。

いちばんびっくりしたのは “エコ+フィットネス”という社内活動で、

オフィスは9Fにあるんだけど、エレベータを使わず 階段を使って行き来するの。

で、みんな 息が切れてない。

これって どういうこと?(゜o゜)

で、僕も 息を切らすわけにはいかない。

というわけで 負けずぎらいの私としては ついついムキに。

1週間に4回はトレッドミルで7km走り込み、屋内用のランニングシューズも

購入してしまいました(笑)

おかげかどうか分からないけれど 今年の春は鼻の調子がいいみたいです。

体調に気をつけながら せいぜいな若作り がんばりま~す。

ハノイの塔

なぎさのペンギン

すっかりごぶさたしていますが、元気でやっております。

この間 映画「猿の惑星<創世記>」を見たら、劇中に
[ハノイの塔] というパズルゲームが出てきました。

5本の杭があり そのうちの1本の杭には それぞれ大きさの異なる
お皿(真ん中に穴が開いている)が5枚乗せられています。
サイズが一番大きな皿が一番下で 上にいくごとに皿の大きさが
小さくなり 一番上の皿は一番小さいサイズです。

ここで問題。
お皿の置き方のルール(一番下が一番大きな皿で 一番上が一番小さな皿)
を変えることなく この5枚の皿を他の杭に移したいと思います。
移し変えるのは残りの杭4本ならどれでもいいのですが、
お皿の並べ方は上のルール通り。
つまり、一番最初の状態をそっくり再現するために お皿を何回移し変えたら
いいのか その最短の回数は何回か を競うのがこのパズル(ゲーム)の
目的です。

杭の数を5本ではなく3~4本、お皿の種類を5枚から3~4枚にすると
比較的内容が簡易になるそうです(それでも難しいと思うけど)

みなさんも お時間のあるときに試してください。

ちなみに 映画に登場するチンパンジーは
これをスラスラ解いてしまい そこから物語が展開していく
という筋書きになっています。

LIFE ON EARTH

なぎさのペンギン

原発事故。
空気に 水に 流れはじめた恐るべき物質。

でも 放射性物質のほとんどは 太古の昔から
もともと自然界に存在している元素。
宇宙が作られたときから存在していたものばかり。

有害な電磁波が飛び交う宇宙空間では 生物は命がない。
X線などの強烈な放射線のエネルギーが たちまちのうちに
ありとあらゆる細胞を破壊してしまう。

そんな死の星に酸素が生まれ 上空をオゾン層のヴェールが
包んでくれたおかげで 生物は繁栄した。
そのオゾン層が破壊されている。
オゾンホールの広がりで 北極では前年比四割減という勢いだという。

しかし オゾンはどんなときでも生命を育むわけではない。
殺菌剤として使われているくらいだから
本来は生物を殺す性質の強い 有害物質だ。

地球温暖化を防ぐために 原子力発電の計画が進められた。
ところが 生命の安全を確保しようとして 逆に毒物をまき散らしてしまった。

人間は 五感で感知できないものを 存在しているものとみなさない。
というより そこが境目になっているから いろんなものと共存できているし 
ときには自らをつぶしてしまうこともありえるのだろう。

白黒どちらか 答えを出せば問題が解決するほど明快なわけではなく
あやうい生と死のラインを行き来しながら揺らいでいるのが
最初から生物を取り巻いている シビアな現実なのかもしれない。

バランス。

不安定なやじろべえの上でけんめいにがんばっているからこそ
生きていることは素晴らしいのだ と あらためて思う。

あのとき それから

なぎさのペンギン

気がついたら 前回の日記から半年近く経っているなあ(汗)

すっかりごぶさたしてしまいましたが、変わらず元気でやっております。

久しぶりの更新で書きたいのは やはりあの地震のことです。

被災された地域にお住まいの方々にはお見舞い申し上げるとともに
一日も早い復興を祈っております。

僕の住む東京では 建物などへの直接的被害は比較的少なかったのですが
人々がうけた精神的なダメージは かなり大きいように感じました。
それまで まったく予期していなかった何かに襲われた驚きやあせり 
怒りの感情をどこに向けていいのかわからない そんな雰囲気が街に漂っています。

ある人が、雑誌で

「たとえ2万人が亡くなったって ああかわいそうだなとは思うけれど
 本当に心が引き裂かれる感情を味わうのは 広い世界の中で 
 自分がもっとも愛するひとりか あるいは数人の人たちが
 もう帰らない存在なのだと知らされること。
 今回は そういう思いを味わった人たちの思いのひとつひとつが
 とてつもなく多い数で集まってしまった。

 人は 自分がなにかに巻き込まれてはじめて本当の真実を知るもので
 それまでは やっぱり他人事としか受け止められないものなんだよね」

とコメントしていたのを読んで 言葉の意味を噛みしめています。

そう。
自分の場合も あのときはそうだった。
それから いろいろと変わっていったんだ…. 

事件のあとの あれから それから 
時間の流れで変わっていくだろう さまざまなものごと。

いま 僕たちにできるのは 自分が体験した何かからヒントを得て
想像力を働かせて 未来をすこしでもよりよいものにする。
それしかないような気がするのです。

ひとりでも多くの人が 少しでもはやく 穏やかな時間を取り戻せますように。

 
 

 

夕暮れて

なぎさのペンギン

ある用事の帰り、広島から東京へ向かう
新幹線の中から 夕焼けを見る。

西の方角はまだまだ明るいのに、東へ向かうにつれ 
景色はずんずん暗さを増す。
日没をはさみ、目の前の世界は わずか10分で一変した。

そういえば、この間 外国に行ったときは
高度2万フィートを行く飛行機の中で、10時間もの間、
昼が続いたり、夜が続いたのになあ。

まだ子供だったころ、夕方は特別の時間だった。
学校から開放され 泥んこになって友だちと遊ぶ
自分に帰れる一瞬 そのために 毎日を生きていた。

日は暮れても、翌日はかならず 明るい朝がやってくる。
不思議なくらい その信頼がゆらぐことはなかった。

きれいすぎる夕暮れの次の日は 雨になる。
おばあちゃんから そんな言い伝えを聞いたことがあった。
それでも、雨はいつかやむと思っていたし、切れた雲間から
光が差すことに なんの疑いも 抱いてはいなかった。

もうひとつ 
つい最近、気がついたことがある。

いつだっけ?
でも たぶん「あの時」から 長い長い間
自分は暗闇にいたのだということ。
天気すらわからない 暗闇である。

そして そのことに気がついた時
自分の周囲は すでに明るくなっていた。
暗闇にいたことを その暗闇にいた間 
意識していなかったのだ。

歳月の流れを感じるのはしゃくなので 
いまは 夕焼けにノスタルジーを抱かない。

いまでも
晴れても雨でも 日の出は必ずやってくる。

そんな ゆらがない信頼に微笑むとき 
僕は あの 小学生のころの自分に戻る。

コンピュータのプログラミング

なぎさのペンギン

以前、この日記でも書かせていただいたのですが…
現在 仕事のかたわら 学校に通ってコンピュータの勉強をしています。

で、あたりまえのようにやってきた プログラミングの授業…

むむむむ….
まじですっげえ難しい(笑)

でも、面白い。
負けずぎらいの僕には チャレンジのしがいがあります。

プログラミングを学んでよかったと思うことは 大きく分けてふたつあります。

ひとつは、何かが変化したり そのことで結果が違ってくるような場合は
どんなときも かならず理由やしくみがあるのだ というあたりまえのことに
関心が向くようになった ということです。
(やはり 以前日記に書いた「気象の変化」にも 同じことが言えるんですけど…)

たとえば 
なんでテレビは映るの? とか
どうしてロケットは宇宙を飛べるの? とか
ウイルスって 体の中でどういう風に動いて 健康に影響を与えるの? とか
なんでもいいんですけれど…
自分の中では当然過ぎて 疑問にすら思わなくなっていたことに 
いろいろ興味がもてるようになりました。
  
今の世の中は 理由を知らなくても何の不自由もない(と思われている)
無意識に 自分の前の「ブラックボックス」を通過していることがらが 
あまりに多すぎるような気がして。
それ とても怖いことじゃないかな。そのことに気づけたことがまずひとつ。

ふたつめは 僕のような 買い物計算すらできない数学オンチでも
それなりに取り組めば ある程度の成果はあげられるんだな ということ。
20年前に比べると 理系出身者でなくても ずいぶん理解しやすくなっている
実情にも救われました(とはいうものの 僕には相当やっかいですが)

達成感が得られる喜びは スポーツであれ学問であれ 
あるいは病気の治療であれ うれしいものです。

というわけで 猛暑の中 プールにも通わず 端末と向き合っています。

  

Bravo Zulu ♪

なぎさのペンギン

世の中には 運というものがある ということ

どうしようもない現実もあるのだということ

PKだったから仕方ねえ とか 
いやそうじゃないよとか

壁が厚かったのか 
薄かったのか

そういったことは これから先も
あのピッチにいた 本人たち以外には
おそらく 誰にも分らないのだろうけれど

これから先 いつまでも 
誇りにしたい 23人です☆

川島 駒野 本当におつかれさま
最後の最後まで 自分を責めてしまうかもしれないけど
日本中の 誰もがたぶん そうは思わないよ
君らの勇気は まじですげえよ

玉ちゃんも 中村憲も 
岡崎も 長谷部くんも
トーリオーも 勇樹も
サムライブルーのクールな司令塔 遠藤も
そして 日本の新たなヒーローとなった 本田圭祐も

みんなみんな 本当に素晴らしかった

そして岡ちゃん あなたには 
大人になってから 変化し 成長していく
ホントの大人のかっこよさ を 教えられた気がします

自分もがんばらなきゃなって 
オヤジの自分だけど マジ 感動しました (゚▽゚)

ありがとう 日本代表☆
最高の一ヶ月 楽しかったよ~

ファイアフライ

なぎさのペンギン

梅雨どきのジメッとした気候が 実は意外と好き(笑)

「まっさかり」を迎える前の 静かな空気感とか 光の反射とか
雨のしずくに濡れて じんわりひろがっていく 緑の匂いとか

今年も ホタルの季節がはじまった

何年か前の夜 森の中にある公園に 
はじめてホタルの鑑賞会を見に行った
あのおどろきと喜びが いまでも新鮮に よみがえってくる

クリスマスツリーを飾る ちっちゃな電球のようなゲンジホタル
明滅しながら かろやかに暗闇をすべっていく

よく言われる「こっちの水は甘いぞ」とは 
薬に汚れていない 清い水のこと
でも ホタル自体は 毒をもっている種もあるそうで 
外的から身を守るのに役立っているという

それって ちょっとズルくない?

成虫が生きているのは わずか10日あまりだとか
ほんとうに 不思議な生きものだな~