陽性者と家族の日記 “なぎさのペンギン”

歌のプレゼント

なぎさのペンギン

新年の三が日も終わった、昨日の夜のこと。

同じHIV陽性者の友だちから、メールが届いた。
<お年賀の代わりに>と書かれたメールに
何かのリンクが貼ってある。
とりあえずそれをクリックしてみると、
あるドキュメントがPCのデスクトップに、
自動的にダウンロードされた。

ファイルを開くと、歌が流れてきた。

平井 堅。
いきものがかり。
小田和正&大橋卓也のデュオ。

薄暗い部屋の中、PCのプレイヤーから流れてくる
温かくて、爽やかな歌声。
年末年始の休みも終わり、明日から仕事かあ…
そんな重い気持ちも、彼のプレゼントで吹っ飛んだ。

本当にありがとう!
これで明日からの1週間、そしてこれからの1年、
またがんばれそうだよ。

こんなこじゃれた彼には、どんなお礼を返せばいい?
今度会うときまで、ニヤニヤしながらプランを練る
ことにした。

みなさま、あけましておめでとうございます(^.^)
本年もよろしくお願い致します。

僕色 

なぎさのペンギン

今年もあと5日あまりでおしまい。
はじまりの合図は特になかったのに、こっちおいでと
誘われるままについて行ったら、だからもっと~ってけしかけられ、
どんどんコトが進んでいった。
こうやって、そばにいていいんだね、そう感じたら気分は夢の中。
上がる!

行き先の分らないトレインに乗り、車窓の風景を眺めながら
僕は手紙を書く。
過去への手紙、現在への手紙、そして未来への手紙。
心の声に耳を傾け、流れの不思議さに感じ入りながら、
未来への旅はまだまだ続いていく。
また君に会える日を空想しながらも、通り過ぎるままに
いくつも手に入れた出会いのかけらも握り締めている。
そうやってつながったたくさんのトモダチ。
今の僕は僕色。君の色もステキだけれど、僕は僕の色でいくよ。

今日という名の駅をそろそろ発車しようとしている僕。
車窓の外には夕日が鮮やかにきらめいている。
2008年、さよなら、またね!

タバコだけじゃなさそな問題

なぎさのペンギン

ある休みの日、仲の良い友だちとお茶を飲んでいて
神奈川県で飲食店を含む全面禁煙条例が検討されている
という、例の話になった。

「タバコを吸うやつら、すごい迷惑だよね。
自分たちは肺ガンになったって構わないと思って
吸い続けているのかもしれないけど、オレたちまで
巻き込むの、やめてほしくない?
いまどき、受動喫煙って言葉を知らないのかな。
オレは煙草の煙が嫌いだから、よけい腹が立つよ」

というその友だち。
周囲でうなづく仲間たちはもちろんみんな禁煙派。
ま、全面禁煙がどれだけ現実的な話かは、まだ
分らないんだけど。

僕も煙草は吸わない。
というか、数年前に止めた。HIVの陽性告知より前だ。

自分は吸わないんだから、おまえらに巻き込まれて体を壊したら
たまったもんじゃない。
一部の禁煙派はそう言う。一理はあるだろう。
でも思う。
それならなぜ、こんなに長い間世界中でタバコが売られてきたの?

1990年代の中頃、アメリカの雑誌やテレビで広告が禁じられ、
タバコの箱には発ガンの危険性を警告する文字が躍り始めた。
でも、その分だけアメリカのタバコはしっかりと日本に輸入され
販売されていた。

いまさら、喫煙者だけを責めることがホントに正しいの?
時代の趨勢だから従えっていう世論、どこかおかしくないですか?

この話…僕の一番身近に転がっていて、今の僕たちにとって
いちばん頭の痛い「あの問題」にすごく似ているような気がする。

僕たち、これからも仲良くやっていけるかな?

タバコの話をしなけりゃいいじゃん、って?
ま、確かに…

でも、それってさ….?

大阪におったんやけど

なぎさのペンギン

11月26日から30日までの5日間、大阪で開かれた「日本エイズ学会」と
「全国陽性者交流会」に参加しました。

学会への参加は2回目、交流会は3回目だったのですが、
陽性者になった最初のころと較べると、自分の心の中に’ゆとり’が
感じられるようになったのがうれしいです。
さまざまな分野の情報が頭の中で網状につながって、おぼろげながら
全体の地図が描けるようになってきたような気がしています。

夜のオフタイムでは、SNSで知り合った組合員(ゲイ)の友だちと
初めてリアルすることができました。
地元のFM局が主催した予防啓発のチャリティイベントで音楽ライブを
楽しみ、関西に住むポジティブの子たちとも飲んで騒ぎ…と
けっこう充実していたなあ。

それにしても、関西の子ってみんな個性的でパワフル !
団結力もあるしホントに元気ですよね。
もちろん東京のみなさんもアクティブにやっていますけど、
’関西ノリ’というか、何ごとにもぶっちゃけた気取りのない態度が、
「待子(まちこ)」=声をかけられるのを待っているオンナの子(爆)である
自分にとって、すごく新鮮に輝いて見えるのです。
関西へ来るたびに感じるのですが、僕の中では基本的に
上方への憧憬が強いみたい。
これって…どこかしら、ノンケへの憧れに近いのかも。
(今回はゲイ用語続出でごめんなさい ^^;)

新大統領 誕生 !

なぎさのペンギン

第44代のアメリカ合衆国大統領が、民主党のバラク・オバマ氏
に決定しました。

史上初のアフリカ系出身の大統領として騒がれましたが、なんとこの人、
まだ47才 !
かつて、同じ民主党には43才で大統領に就任したジョン・F・ケネディ氏の例が
ありますが、自分とあまり年の変わらない人が大統領になるというのは不思議。
というよりか、複雑な気持ちだな(笑)
地元イリノイ州の上院議員に初当選したのが2004年で、それからわずか4年の間に
アメリカ大統領になるなんて、誰が予想できたでしょう?

正にアメリカンドリームを地でいく大出世ですが、彼がこれほどのカリスマ性を
発揮できた理由のひとつに、弁論能力の高さが挙げられると思います。
彼は、スピーチの中で「We(私たち)」や「You(あなたたち)」を非常に巧みに
使い分けていました。
それが同じ民主党だけでなく政敵であるはずの共和党の支持者さえ共感させた
のですから、言葉によるアピールは本当に大きな影響力をもっているのですね。

昨日の敵を今日の味方につける明晰な頭脳で、経験不足という政治家としての
弱点を乗り切り、勝利を手にした新しい大統領。
恐れ多いのを覚悟で言わせてもらうと、自分と5つしか年の違わないこの人に
コミュニケーションの技を学ばせてもらおうと考えています。

マスクを着けたら…

なぎさのペンギン

11月を迎えると同時に、季節はめっきり冷え込んできました。
風邪気味の僕は、このところマスクを着用して仕事に通っています。

サージカルマスク、と呼ばれるこの白い医療マスク…
世界各国で当たり前のように使用されているのかと思ったら
実はアジアなど一部の地域を除き、それほどポピュラーな存在では
ないそうですね。

ずいぶん昔の話ですが、アメリカにホームステイしていたころ
現地で風邪が流行していたのに、地元の人はほとんど誰も使用して
いませんでした。
予防のため、僕は日本から持参したものを使ったのですが、
着用して電車やエレベーターなど公共の場所に現れるたび、
周囲でちょっとしたパニックが発生。
後からホストマザーに聞いた話だと、こちらでマスクと言うと
病院内でのみ使用される特別なものというイメージが強く、
マスクをしていると隔離が必要な伝染病を患った患者と見られがちなので
やめたほうがいい、とのこと。
どうりで、人前で空咳をした時にも周囲の視線が痛かったはずです。
(クシャミはBless You ! と笑って済ませてくれましたが)
もっとも、新型インフルエンザの流行が懸念されている現在、
さすがのアメリカでも少し事情は変わってきているのかも知れませんが。

わが身を守る意味でマスクを着用することもあります。
花粉症の流行で、人前でマスクを着けることに抵抗感が少なくなってきた日本って、
その意味でずいぶん意識が進んだ国だと感じます。
マスクのイメージに対する偏見をなくすため、日本人には率先してアピールして
欲しいなと、個人的には思っています。

言えなかったひとこと

なぎさのペンギン

この間の夜、お気に入りのDJがプレイしているクラブに行ったら、
むかしハッテン場で一緒に遊んだことのある知り合いに声をかけられた。

「久しぶり~、元気?」
「いや~、実は病気になっちゃって」
聞けば体重が10キロ以上落ちたという。
正直言うと、声をかけられたとき、僕は彼が誰だか分らなかった。
以前の面影が消えうせ、別人のような容姿になっていた。

彼は自分の病気が何であるのかは明かさなかったし、
僕も自分の病気のことを明かさなかった。
そのあとしばらく、とりとめなく立ち話をしたが、
彼の表情はずっと穏やかなままだった。
昔は険しい表情をしていたが、目つきが優しくなっていて
彼の中にある本当の人柄を見たような気がした。

ハッテン場では、僕は彼を人間と思っていなかったのかも知れない。
たぶん彼も僕に対して同じように接していたのだと思う。
話をするだけで気が合う相手だって、もっと早く気がついておけば
よかった。

ふたりの間で交わすべき言葉は「ごめんなさい」だったのかも知れないし、
「おたがいさまだね」だったのかも知れない。
最後は「これからもお互いにがんばろう」って…

そう、最後まで言えなかったこのひとこと…今度会った時には言えるかな。

言わなきゃな。

見えてきたもの

なぎさのペンギン

HIVと共に過ごす秋。今年で何度目だろうか?
自分の体の中にいつから棲みつくようになったのか
分らないけど…しっかりと、僕の一部分になっている。

ウイルスは決して目には見えない。
細菌のような微小な生物の一種だと思っていたけれど、
科学的に言うと、生物には分類できない「分子ロボット」
のような、とっても不思議な存在なのだと知った。
この見えないウイルスは、僕に身体障害者認定という現実をもたらした。
でも、外見上は誰からもそうは見られていないと思う。
当の自分ですら実感がもてなくなる時がある。

他の人たちも同じように感じているのかな?
だから、いつまでもいつまでも
新たな感染者を求めてウイルスが広がり続けているんだろうか?

ゲイである自分は、「見た目」というものにずっとこだわりをもってきた。
外見がカッコ良くなければ価値などない。そう信じてきた。

今の僕を、外見上から病気と感じる人はほとんどいないだろう。
でも、病気になったオレ…ホントにカッコいいですか?
ほかの誰かが価値を感じてくれそうですか?

目に見えないものに知らされた。
「目で見えることだけが現実じゃない。
お前は目に見えない想像力というチカラを使ってない」
と叱られた。
復讐でも戒めでもなく、叱ってくれた。

それでも僕は、やっぱり外見が気になる。
でも、今まで目では見えなかったものが、目を使わずに
ずいぶんと見えるようになってきた。

それだけは確かな実感があるし、そのことがなによりもうれしい。

Thé Nouveau ?

なぎさのペンギン

レモンティーやミルクティと言えば紅茶を思い浮かべると思いますが、
烏龍茶や日本茶にレモン果汁や牛乳を入れ、甘みをつけて飲むのが
僕のマイブーム!
コンビニで見かけた蜂蜜入り緑茶を試してみて、意外な美味しさに感心した
のがきっかけです。

考えてみれば、烏龍茶や緑茶も紅茶と同じ茶葉が原料で、
発酵方法が異なるだけだから、「無糖で飲むのが当たり前」って言う考え方
こそが当たり前ではないのかも。
(余談ですが…僕が子供のころ、どこの家に遊びにいっても、夏の冷蔵庫に
冷えていた麦茶には甘みがついていて、大人もそれを飲んでいましたっけ。
無糖の麦茶を飲む習慣が広まったのって、ペットボトル入りが発売されてから
ではないかな~、と思うのですが)

ホットでもアイスでも試してみましたが、緑茶と烏龍茶のレモンティーと
ミルクティー、僕にはどっちもいけますね!
最近では、オレンジやグレープの果汁、リキュールなどを加えて味付けしたり、
ほうじ茶や玄米茶でもアレンジ…など悪乗り気味。
はっきりいって失敗作、というものも中にはありますが(笑)
組み合わせの妙が生み出す新しい美味しさにハマっています。

「うまくなる」という悩み

なぎさのペンギン

先日、あるラジオ番組でこんな話を耳にしました。

 戦争の悲惨さを後世に伝えるため、その当時に子供だった人たち
(現在の70代、80代の方々)の中には、講演会などで空襲や被爆の話を
若い世代に語り継いでいる方々がたくさんおられます。
 そうした方々が共通して悩みのひとつとしてあげているのが
「話し上手になる」という危険なのだそうです。

 貧困の中で生き延びた苦しい体験、疎開先での辛いイジメ、
空襲で家族や友だちを失った深い悲しみ…。
戦争体験のない僕たちは、こうした話の数々に心を動かされます。
 しかし…当の語り部の人たちは、同じような話を数十年にわたって何百回、
何千回も繰り返しているわけですから、自然と慣れて話術が磨かれていくわけです。
 歴史的な事実を客観的に語るべきところを、あたかも芝居のセリフを
しゃべるかのごとく、感動させるツボや話の聞かせどころを身につけてしまう。
結果的に聴く側のリアリティが薄れてしまって、以前ほどは衝撃をもって
受け止めてもらえなくなってきているのではないか、と言うのです。

 確かに、同じ話を聞くなら話し方がうまい人のほうが魅力的なように思えます。
でも、演者の技術が巧すぎて肝心の話そのもののリアリティが失せてしまったら
誰もが「またか」と思い、戦争の痛みを危機感としてとらえなくなるでしょう。

 リアリティを維持するために「常に新鮮な状態でいる」という意識。
緊張感を持続させていくには、結局その努力を絶やさない、ということに
尽きるのかも知れません。

 自分の生活に照らし、肝に銘じて忘れずにいたい話だな、と感じました。