なぎさのペンギン
あっという間に今年も年末。
2022年 最後の日記です。
☆ボイストレーニング☆
5年前から、ボイストレーナーについて
トレーニングを受けています。
最初はカラオケのスコアをUPしたい、程度の
お気楽な理由でしたが、トレーナーが呼吸法や
リズムトレーニング、活舌の基礎からきっちり
教えてくださる方で、この数年で
パフォーマンス力が驚くほど伸びました。
現在の僕にとっての難関は”タングドリル”。
いわゆる巻き舌にして声を出す訓練ですが、
年のせいか????ハードルは高し。
口が思うようになめらかに動いてくれません。
あごの筋肉がめっちゃ疲れるし、腹筋も !
それでも、この年になっても 自分の力の伸び
を実感できるのはうれしいですね。
筋トレもやっていますが、翌日に残る疲労感や
呼吸器へのメリットを考えると、
自分にとって ボイストレーニングは効率的。
タイパ、コスパ いいです!
アレルギー鼻炎もちの自分ですが、
この5年近くカゼやコロナを始め、
いろんな病気から縁遠くなっていて、
ありがたいな。
☆ドライブ・ユア・カー☆
海外から日本へは、たくさんの
LGBTQIAの人々が観光でやって来ます。
僕は旅行の仕事もしていますが、日本企業
(特に地方の旅館&ホテルや個人の商店など)
にとって、”セクシャルマイノリティ” は
まだまだ?なイメージの存在。
彼ら&彼女ら向けの”おもてなしセミナー”
のような講座もオンラインで開かれますが、
「ダイバーシティ」、「インクルーシブ」
などの”専門用語”が登場するたび、もっと
分かりやすく説明できたら、と思うのです。
郊外の都市では、移動手段として 電車よりも
車がメインだと思います。
運転中のドライバーは、いつも周囲を気にして
いますよね。
自分の前を走っている車は
どこで曲がる?止まる?
右左折で なんでウィンカー出さない?
後ろからいきなり追い抜いてくるバイク…
無理やり?横切ろうとする歩行者や自転車…
丼めしを食べるために駐禁場所に
大型トラックを停め、平気な顔をしてる
ドライバー…
制限速度を守っていても、後ろから
「なにチンタラしてんだ!」とばかりに
あおり運転で圧をかけるスポーツカー…
反対に….20キロ位の低速でのろのろ動く
もみじ(高齢者)マークの軽自動車…
片道1車線しかないのに….
こっちは遅刻しそうで急いでるんだから、
頼むよー????
そして、ふと気がつく…
”世の中で共通”だと思ってた
それぞれの価値観や常識って、
実はこんなに違うのか。
自分が思う通りにものごとが進まない、
のは あたりまえ。
相手に対し気持ちの余裕を持てなくては、
同じ場所でみんなが快適に過ごすのは
難しいよね。
日本式の”おもてなし”は今や世界中で有名に
なりましたが 車を運転するときにも
お客さまを迎えるときにもホスピタリティに
笑顔を添えてほしいな。
ポストコロナに向け LGBTQIAに限らず
たくさんの人々が日本へ来てくれることを
心待ちにしています。
☆時をこえて☆
相方が急逝して4年が経ちました。
コロナを考慮して2020年以降は九州墓参に
行けていませんが、来年の春までには
なんとか「ひさしぶりっ」と
声をかけに行きたい。
いまなお、一番近くにいる人なので。
この2年あまり、もうひとり…
一番近くに”いてくれる”人と支え合って
います。
書くと減りそうなので詳しいことは
伏せますが…久しぶりの感覚。幸せ。
☆ここにはないもの☆
子供のころから、人と競うことが苦手でした。
社会人になるまで(なってからも)
なるべく避けてきたし…だからこそ
”闘志満々でエネルギッシュ”な存在にひかれ
Kirarin♡となったのでしょう。
手の届かない存在だからこそ、遠くから
こっそり見ていたい というか。
僕のあこがれの背景に幻想があったのは、確かです。
でも、結局はないものねだりでしかなかったな。
まあ、今となっては甘酸っぱい思い出????
何の競争もせずに済ませる自分の人生なんて、
ありえないよね。
夢見ていた”きれいな世界”は存在せず、
避けては通れない現実を受け止めなければ、
あっという間に時間は尽きてしまう、
そっちの方が怖いな、って。
さらに…
自分が強くなれば、自分以外のだれか
のためにも強くなれ、それはとても
心地が良い と気づきました。
ここにはないものは、どこかの、だれかの中で
見つけるんじゃなく 自分の力で、自分の中で
探し当てるものだって。
みなさまにとって 健やかですばらしい
年末年始になりますように。
Happy Holidays !
なぎさのペンギン


暑い毎日が続きますが、いかがお過ごしですか?
昨年の秋に母が亡くなり、実家が空き家になったので…
この半年間は比較的、故郷に戻る時間が増えました。
電車で東京から1時間半…都心と比べて
車や信号の少なさ、人の少なさ、緑の多さにホッとします。
都会のざわめきが恋しい日にはすぐに戻れる、そんなわがままも可能な環境で ありがたいです。
実家に戻ってから 自分の部屋の片づけもしました。
30年前、僕は科学雑誌の出版社に勤めていました。
戸だなの中から 当時の自分が編集を担当していた本を発掘w し、読み返してみると
「21世紀は感染症の時代」
「地球温暖化で世界中で洪水がひん発」
「2025年には日本人の4人に1人が65才以上の高齢者で、介護が大きな社会問題に」
(注:日本の少子化が予想以上に進んでいるため、現実の高齢化はもっと速いペースで進行中です)
30数年前、いろんなことが すでに予測されていたんだなって(^^;
あのころの自分は 30年後なんてはるか遠い未来の話だと思っていたんでしょう。
まあ…あくまで仕事としてのかかわりだったし、”素の自分”との結びつきなんて思いもせず…
だからこそ、なのでしょうが…
SARS-COV-2(新型コロナウィルス)や、ごく最近だとサル痘(Monkey Pox)のニュースを
聞くたび さまざまな思いがよぎります。
”HIVに感染した” それは 自分にとって どういうことだったのか。
そのとき、自分と世の中(社会)はどうつながっていたのか。
そして 今を、今の自分や世界をどう感じているのか。
30年前と、その後の自分に起きたさまざまなできごと、そして2022年の現在の自分は 1本のひものようです。
HIVの感染がわかった17年前 ばくぜんとしていたモヤモヤも…
今なら、過度に自分を否定することも、肯定することもなく、なーるほど、と客観的に理解できます。
そんなに長くかかったんかい(;'∀')と突っ込まれそうですが、僕の場合は、それくらいの年月は必要だった、ということ。
17年間もかけたぶん、頭と心の準備時間としては 充分過ぎるかも知れない。
テクノロジーが自分を支え続け、ずっと生きてこられたおかげです。
同時に…
科学の進歩とは逆の意味で、パートナーや友人たち…この十数年で世を去ったさまざまな人々も インパクトを与えてくれていると思っています。
いつかは自分も退場する日が来る…という絶対的な現実を改めて気づかせてくれたのは まぎれもなく”彼ら”なので。
その日を前に、自分は いったい何ができるんだろう?
パンデミックがいつ終わるのか やきもきするよりも、今の…この先の自分をしっかり生きないと
時間はどんどん流れていってしまいますよね。
未来にどんな変化が起きようと、それも結局は人生の一部になるのだから しっかり受け止めないと。
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ずいぶん前の作品になりますが、One Direction というボーイズグループの
「Story of My Life(ストーリー・オブ・マイ・ライフ) 」という曲が 僕は好き。
普通に訳せば タイトルは “私の人生の物語”。
でも、実はもうひとつ
“自分の人生、うまくいかないことがいっぱいあってさ”
("それでも これが自分の人生なんだな" → It’s the story of my life)
という”スラング”(俗語)としての意味もあります。
あたりまえの日常のその先を
「何ごとにも期待なんかしないよ、オレって、結局ツイてないもん」
と続けるか
「やんなっちゃう…けど…気を取り直して またがんばってみよ」
と続けるか…
My Lifeのストーリーは 本人だけが知っています。
上の写真は 地元の緑地公園と 久しぶりの夏祭り。
やっぱり いいよね!!
現在進行形で 大切な人たちと いつまでも元気で。
今日よりもっとHappierな明日になりますように。
なぎさのペンギン



4か月ぶりに書く日記…
今年 初めてだったか…
遅ればせながら、
今年もよろしくお願いします(^^;
「大学生活の半分はリモートで、
友だち、ほとんど作れてないです 残念」
知り合いの学生が、ふとつぶやいた言葉。
宙ぶらりんな気持ちのままで、
卒業していった人たちも、たくさんいるんだ。
自分の気がつかないところでも
世の中はどんどん移ろっていく。
そのことを改めて 思い知らされます。
早春の 陽ざしがたっぷりの
温もりに包まれた、久しぶりの休日。
ラグビー場のある大きなスポーツ公園へ。
今日は「3月9日」。
レミオロメンが歌う…
2004年の同名の曲が大好きでした。
気づけば、彼らが活動を休止して10年。
TVドラマ「1リットルの涙」で挿入曲として
使われたヒット曲「粉雪」と共に、
ドラマのモティーフとなる出会いや別れを
うたい上げた名曲です。
2010年代以降の中高生にとっては、いわゆる
“卒業ソング”として誰もが知っている定番曲
となっています。
今日 2022年3月9日のスポーツ公園は、
ヴォーカルの藤巻亮太さんが描いた
歌詞の世界にそっくり。
穏やかで、すばらしい一日でした。
つい先日、他界したある方…
15年くらい前の自分に大きな影響を
与えてくれた恩人。
あれこれ思い出しながら、
見上げた青い空は澄んでいて、
浮かんだ真っ白なすじ雲は
はるか彼方にありました。
たぶんね、
世の中にある、多くのものごとやできごとは、
“さあ、これで終わり!”
と、大きなサイレンが鳴って終了、ではなく
徐々に徐々に、消えるように
気がついたら、人知れず
もうひとつの 別の世界と溶け合って
ひっそりと見分けがつかなくなる…
そんな性質のものなんだろうな。
あの雲といっしょや、ね。
それでも
どれくらい時間がかかるのだろう、
いまはまだ分からない、でも
パンデミックや
遠く離れた国で起きている 悲しい
できごとで傷ついている人たちの
体や、心が
少しでも早く、いえてくれる日が
来ることを願います。
2004 まだ無名の堀北真希がヒロイン↓
18年後
2022のリトグリ版は、乃木坂46の遠藤さくらさん↓
なぎさのペンギン
僕の仕事は、外国から来た人に対して
日本での暮らしのお手伝いをすること。
”言葉の問題”で困ることも、もちろん
あります。
日本語の発想を直訳しただけだと
うまく伝わらない(伝えにくい)場面って
けっこうあるんですよね。
「いつもお世話になっております」
「おつかれさまでした」
日本人である僕にとってはあたりまえの
表現で、個人的には相手を思いやるステキな
あいさつだと思います。
でも 日本人の習慣を理解していない人
にとっては、
“オレ、あなたに何の世話もしてないけど?”
“別に疲れてないのに…なぜ?”
と理解されてしまうかもしれない。
こうした日本人独特の”内輪(うちわ)ことば”、
実はいっぱいあります。
それとは逆に、誰にとってもすぐにピンとくる
言葉もあります。
たとえば…
「トマト」を頭の中に思い浮かべてください。
あの赤くて酸っぱい独特の食感の野菜は、
世界中のほとんどの人が共通で認識している
言葉のひとつ。
簡単に手に入れやすく、毎日の生活の中で
身近なトマト。
イタリア料理、スペイン料理、ロシア料理…
サラダに、スープに、ジュースに。ソースに…
もし英語風に”トメイトゥ”と発音できなくても、
”ああ、たぶんあのこと言ってるな” と
余計な説明なしにすぐ理解できる。
同様に「フジヤマ」といえば、日本に一度も
来たことのない人だって、雪をかぶった
あの独特の形の富士山を連想できる人は
たくさんいます。
こうした事象を、専門家は
”メンタルレキシコン(心内辞書)”と呼びます。
あらかじめ、共通のイメージがみんなの頭に
インプットされている、ということです。
コミュニケーションを取るうえで大切なのは、
このメンタルレキシコン、心内辞書を
いかに共有することができるかという点。
日本人なら「みかん」と言えば
イメージするものはたったの一個。
愛媛みかんでも和歌山みかんでも、
みかんはみかん、と理解します。
一方で、みかんはオレンジの仲間だけど、
オレンジ = みかん、ではありません。
“マンダリンオレンジ”は、厳密には
日本のみかんと異なるかんきつ類なので、
みかんを食べたことのない人には
補足の説明をする必要があります。
もちろん
“細かな違いなんてどうだっていいじゃん”
という考え方もある。
でも、それは僕が日本人だからそう感じる
だけなのかもしれない。
裏を返せば、そのささいな違いこそが
知りたい、と思う人たちだっているはずで。
ナス科の植物なのに、ナスとは全然見た目
が違うトマト。富士山は世界にひとつ。
唯一無二のユニークな存在だから記憶に残り
やすいのですが…
対して、かんきつ類は世界中に数えきれない
くらいの種類があります。
”その違い”を、どう表現し、個別に扱うか。
コミュニケーションを取るうえで
僕が難しいなー、と感じることのひとつです。
これとは別の種類の難しさもあります。
次の文章は日本語ですが、理解できますか?
「NYダウが最高値圏で推移しVIX指数は
一時15を割り込むなど、米国市場が
リスクオン状態だったにもかかわらず、
東京市場は連動性が薄く、システム的な
動きに終始した印象もある」
株式市場に詳しくない僕にとっては、
この日本語はまるで”外国語”。
英語に通訳、翻訳してくださいと言われたら…
字面で理解できる範囲で機械的にこなせる
とは思います…
電子辞書と一緒で うわべの言葉を置きかえる
作業でしかないですが。
自分自身の中にイメージが浮かび、
”あ、これってこういうことを示しているんだ”
とリアリティが湧いてこそ、より正確な
発信者の意図に近い形での”言葉の橋渡し”
が可能になります。
英語を話す人が他人の英語を全部理解した上で
コミュニケーションをしているわけじゃない。
日本語を話す人のすべてが他人が話す日本語を
パーフェクトに理解できているわけでもない。
このあたりまえの事実が、いつも待っている。
僕にとってのふたつめの難しさです。
言葉の解釈は人それぞれに違うから、
自分の定義だけで判断すると どうしても
“考えの押しつけ”になってしまいがち。
ひとりひとりのメンタルレキシコンの構造は、
それぞれに違うので。
最近…世の中の分断がどんどん進んでいる
(ように思える)のは何故なのかな?
ふと思います。
自分が使う言葉は相手にも100%理解して
もらえるはず…
(特に)多くの(日本)人が、無意識に
そう思い込んでしまっている気がするのですね。
でもホントは、自分が”理解していない”こと
だからこそ…
興味をもって”未知の世界”へ足を踏み込む
努力ができたらいいな、と。
もちろん、幅広い人たちへのわかりやすさ、
なじみやすさも大切だと感じます。
僕に近い世界の話で例に出すと、
セクシャルマイノリティの世界で使われる
言葉って、もうちょっと”翻訳”なり
“通訳”なりを工夫する必要があるんじゃない?
そう思えて仕方ありません。
この十数年、新しいさまざまな言葉が、
外国経由でどんどん日本に紹介されています。
その多くが アメリカやヨーロッパ発信の、
英語の概念をベースにしています。
こうした新しい言葉の数々に…
みんな 本当についてイケてる?
仲間うちだけで面白がれる”内輪ことば”
になってないかな?
現代を生きる多くの人の心の中に、
ピッとフィットするような
真赤に熟したトマト…みたいに
イメージさせるのは難しいかもね。
でも
もっとわかりやすい表現の方法が
そろそろ出てきてもいいころなんじゃないかなー。
日本語をベースにして新しく作っちゃう、
なんてことができたら最高ですけど。
なぎさのペンギン
長い間闘病していた母が、先日亡くなりました。
僕は、ぷれいす東京さんの”陽性者の日記”を2007年の夏から書かせていただいています。
母のことは、2008年の9月に取り上げました。
自分のHIV感染について、母へ告げた日についての投稿ですが、
さまざまな記録の中でも、自分にとって特に印象深いできごとでした。
あの日の日記の中で、僕は”静かな告白”と表現をしていたけれども、
それはあくまで自分からの一方的な視点でしかなかった…
いま 改めてそう感じます。
本当に受け入れてもらえたのかどうかは分かりませんが、僕の知らないところで、
母はずっと苦しんできたのではないか、結果的にそのことが母の病気の原因のひとつに
なってしまったのではないか…その思いが 今も心にあります。
母が病に倒れてから心の中にずっとあったこの数年間の感情…
(孫を母の手に抱かせることができなかった)謝罪の気持ちも、もちろんあります。
でも…それと同じくらいの割合を占めたのは、ひたすらに 僕の選択に沈黙を保ったままだった
母への感謝でした
後悔しているか…と問われて、ただちにNOと答えられるかどうかは自信がないです。
僕がこの世を去るときに、きっと頭に浮かんでくるのだと思います。
でも、たとえ後悔したとしても…あの時の自分にはそうするしかなかったし、
今、タイムマシンで13年前に戻れたとしても 同じ告白をしていたに違いない、と。
僕は子供がいないので、人の成長が(頭で理解しているつもりですが)ピンとくるような
リアリティがありません。
いつまでも自分は今のまま(の若さ)だと、知らず知らずのうちに思い込んでいる。
人がどう生まれて、親がどう試行錯誤して子供を育て、大きくなるまで見守って
”一人前”になって社会ではばたけるように 温かなまなざしを注いでくれたのか。
映画や小説を通して理解したつもりになっているだけで 実体験がないのです。
残念ながら、かわいくてやんちゃな子供時代だけが成長の時間ではありません。
老人になってからも、人は成長します。
老化、というネガティブな言葉で片づけられてしまうけれど、死ぬその瞬間まで
人は成長し続け、別の世界へ旅立っていくのだと思うのです。
だから、今度は…子供が親の旅立ちを見守るべきなのだと…母の闘病の間に学びました。
この世の中に、死なない人なんて一人もいないので。
3年前にパートナーが急逝したとき、あまりに突然過ぎて 僕はお別れが言えなかった。
また数日後に会おうね、そんな気軽な会話が最後に交わしたチャンスになりました。
パートナーは、母の病気の進行を気にかけ、いたわってくれた心の優しい男でした。
彼のためにも、僕は最後まで母を見守ろうと心に決めて…その日がやって来ました。
30年前以上前に他界した父、そして母、3年前に亡くなったパートナー、
この数年で他界した何人もの友人たち…いろいろな人の顔がよみがえります。
すごく変な言い方になるかもしれないけれど…
僕は彼らに…「はじめまして」「うちの息子がお世話になりましたね」「いいえ、こちらこそ」
なんて会話をしてもらえていたらうれしい。
そんな風に想像するくらいしか、僕にはできないのが(悲しい)現実です。
それでも僕は、もうちょっとここでがんばりたいよー。
毎日をなるべく無駄にしないよう、こぼれる砂時計の針をやや気にしながら
明日からも笑顔で 前を向いて いつものように生きていこうと思います(^^)
コロナ禍のこの2年、ずっとパートナーの郷里である熊本に行けていないのが残念。
11月のはじめ、間もなく彼の命日がやって来ます。
新しい自分は もうひとつの人生をすでに歩き始めているんだよ。
母のこともあらためて報告に行くから、もうちょっと辛抱して待っていてね。
なぎさのペンギン
7か月ぶりの日記です。
日本のパンデミックはさらに加速し、加えて列島は猛暑のまっただ中…
厳しい状況にありますが.. お元気ですか?
去年の夏の日記にも書きましたが、真夏は50mの屋外プールで泳げるお楽しみがあります(今年もすでに何回か出かけました)
いろんな食べものがおいしいのも、夏の大きなよろこび!(^^)
☆枝豆☆
青果店の店先に”枝豆”が並んでいる風景も この季節ならでは。
見かけるたびについつい買ってしまいますw
成熟していない大豆の青豆のことを枝豆と呼びますが…ホントに枝の先に鞘(さや)がついてる !
<写真>
僕が住んでいる場所では、あらかじめ切り取って売られる場合がほとんど。
「大豆って…もともと、こういう植物なんだー」と 目にするチャンスは貴重です。
子供のころから”枝豆”には慣れ親しんできているはずなのに…自分の中にある先入観にジャマされてるのか…
「木を見て森を見ず」ではないですが、ふだん いかに”個”ばかり見て”群”を見落としているか、思い知らされます。
☆サイレントマジョリティ☆
アイドルヲタ(坂道系)としては…平常であればまっさかりのスタジアム、ドームライブが…
今年もダメかあ、という残念な気持ちでいっぱい。
正確に言えば…人数制限の上で、大規模会場のライブは開催される予定です(現時点での発表による)
ただし、場内での発声は一切禁止。
自分の推しメンを「ちょ~ぜつかわいい 〇〇!」って騒ぐことは厳禁です。
マスク着用で空気の入ったスティックバルーン(細長い風船)を無言で…両手で叩いてリアクションを示す…
というのが2021年夏、日本でのライブの楽しみ方。
若い人たちのコロナ感染やワクチン接種がいきわたっていない現状を考えれば、まあ仕方ないんですけど。
でも、みんな…これで…ホントに”心から楽しい”って思えてるの?(^^;
☆コール&レスポンス☆
音楽業界では「みなさ~ん、盛り上がってますか~!」「いえ~い!」というようなアーティストと観客のかけ合いを”コール&レスポンス”と言います。
もともと…”コール&レスポンス”という言葉は…誰かが声を上げたら、その声に反応して「どうしましたか?」と返してくれる一連のやりとりのことを意味していました。
声を発した側は誰かに何かを求めているからこそ声を上げたわけで、それを聞いた側が何らかのリアクションを返してくれる…そこで、はじめてコミュニケーションが成立します。
☆レスポンスの能力☆
日本語の「責任」は、たいていの場合、英語で「Responsibility(レスポンシビリティ)」と翻訳されています。
でも、意味としたら”義務”に近くて….”そうするのが当然”という精神的な”圧力”のニュアンスが強い「責任」。
相手の呼びかけにレスポンス(応答)する能力がどこまであるのかどうかを示す「Responsibility」との間には、実はかなりの隔たりがあることに…最近、気がつきました。
(個人的には、日本人が好んで使う「責任」は「Responsibility」よりも「Commitment」の方がより近いニュアンスを含んでいるのでは?と思えるケースがたくさんあります)
僕は仕事で英語を使う機会がありますが..自分の頭の中に浮かんでいるものと、相手が思い描いているものが本当に同じなのかどうか…
「責任」という言葉を”自分の責任をもって”きちんと使えていないのだとしたら、それこそ問題 !
より慎重に、新しい世の中の流れがもたらす考え方にも、もっと敏感にならないと…と痛感します。
“違う文化をもった国の言葉だからこそありがちな問題、なんじゃね?”
と思われがちですが、
いやいや….同じ日本語同士でも…ひんぱんに起きているんじゃないですかね…特に最近は?
☆最初から違ってるんだしね☆
「緊急事態宣言」や「新規感染者数」という、毎日耳にする言葉…
人によって違った解釈をしているのはまちがいないから…みんな混乱して”コール”し、誰かから…答え合わせの”レスポンス”が欲しくてたまらない人たちが、たくさんいるのではないかな。
枝豆、と聞いて…”カットされた冷凍枝豆”しか見たことのない人が世の中の大多数であっても、真っ先に“房についたままの枝豆”を思い出す人だって、ある程度の数はいる..それと同じことではないか、と思います。
だからこそ、自分とそれ以外の誰かとの違いに気がついたとき…
しんどい夏の暑さも手伝って…安易に自分の感情をぶちまけて”ケンカ”することのないような冷静さ…”ステイクール”でいる能力、がすごく重要になってくるんじゃないか、と感じます。
身体障害者であるHIV陽性者と、そうでない人たちの、新型コロナ(SARS-COV-2)への受け止め方は かなり違うでしょう。
もちろん、同じHIV陽性者の中でも…意見はさまざまなはずです。
セクシャリティやジェンダー、年齢や暮らしている場所、その人の現在の経済的な状態によっても考え方は変わるだろうし…
もともと、みんなバラバラなんだしね…
だからこそ、現在、お互いの立ち位置が完全に一致しているわけではないんだ、ということを前提にしないと何も始まらない。
そこからスタートするからこそ、の”コミュニケーション”。
対立や衝突の繰り返しで余分な体力を消耗してしまうくらいバカげたことはないだろうな、と。
☆アンビバレント☆
1年半前…世界的なパンデミックが始まった直後(2020年3月)、僕はこの日記の自分のページに
「なるべくいつもと同じ調子で 前を向いて進んで行きませんか」
と書きました。
気持ちは、今でもその時と大きくは変わっていません。
仕事の同僚から「(落ち着くまで)数年かかるぞ」と言われ覚悟していたこともあり、1年半たった現状…
まあこんなもんだろうな、と思っています。
数年後、数十年後にまた別のウィルスによるパンデミックや、さまざまな自然災害に襲われるかもしれない。
その時、今よりももっと高齢になって体力の衰えた自分がどう立ち向かえるか、闘って、生き残る努力ができるのか…
新たな課題は、探せばいくらでもあります。
ただし…
SARS-COV-2のパンデミックが起きたことで…”グローバル化”ってこういうことなんだ、と改めて実感できたこと…
収穫、とまでは言いませんが、自分にとっての大きな発見でした。
ものごとには利点(Bright side)と欠点(Dark side)があり、どちらの視点で見るかでものの見え方が変わってきます。
僕がHIV陽性でなかったら…
ウィルスとバクテリアの違いに興味すらもたなかっただろうし、自分で勉強する機会はなかったと思う。
食べ物や運動に気をつける機会もグッと減っていたでしょう。
いろいろな人たちの”ふるまい”に触れ、現在ある自分が…HIVの感染が判明してからの16年、で作られてきたことは間違いないです。
だからこそ、やっぱり…どんなときでも…可能な限り、いつもと同じ調子で、前を向いて進んで行きたい。
新しい何かにめぐり合える明日があるなら、常に感謝し続けて迎え入れたいし…うん、長く続いてほしい (^^)
2021年8月1日の日本…
東京オリンピックも中盤にさしかかり、けれど…国をあげてのお祭りムードにはほど遠いかな(と、自分には思えます)
TVやネットではいつもどおりのスポーツ中継が行われ、その一方でSARS-COV-2(デルタ株)の感染が爆発的に広がっている…らしい…
と、同じメディアが報道している状況って…なんだかなー
このタイミングだからこそ、3年前の夏のこの曲を…
なぎさのペンギン
新しい年 2021年がはじまりました。
あけましておめでとうございます。
が、正直…
どんな一年になるのか まるで見当がつきません(^^;
夏に東京オリンピックが開催されるかどうか分かりませんが…
COVID-19の流行の波は今後も季節を変え 何回にも分かれてやってくるんじゃないか、というのが(専門家でもなんでもない僕の)勝手な予想。
仮にワクチンが普及したとして、集団の中で効果が実感できるようになるまで 最低でも数年かかるだろうと思うので…
マスク生活、オンライン生活、@home生活はまだまだ(場合によっては数年先まで)続くかも、と 自分なりに覚悟しています。
HIV陽性者としては…やはり 自分の健康管理が心配ですね。
現段階では “HIVをもっていること自体が COVID-19を悪化させるリスクとしてどれほど高いのか” 明確な答えはわかっていません。
HIV陽性者 とひとくちにいっても…血中ウィルス量やCD4の値だけでなく…その他の慢性疾患かあるかどうか、親から受け継ぐ遺伝的要因はどうか…など 個人によって事情が大きく異なります。
言い換えると、”治療が施されていれば、すぐに死に至る病ではなくなっている”ということを意味しているわけで、おおざっぱな一般論でひとくくりするのはさすがに…ということなのではないでしょうか。誰かが「安全宣言」でもしてくれたら みんなスッキリするんだろうけどね。
HIVについてもその他の疾患についても、現在なんらかの治療を受けている人は既往症を悪化させないようにコントロール、油断せずに自分の身を守る行動をとる…
可能な範囲内で自分ができることをする、今の段階では それに全集中 ! と考えるようにしています。
体を動かすことにも より意識を向けるようになりました。
在宅ワークが増え、今まで通っていた職場近くのスポーツクラブではなく 自宅近くの24Hジムに切り替えたことで 逆に通う回数が激増しました。
ダンスやエアロビクスが楽しめるスタジオや水泳用のプールはないけれど…自分の好きな時に好きなだけ行ける、という安心感はほんとに頼もしいですね。自分が鍛えたいところだけピンポイントでトレーニングできるのも心強いし。
昨今の環境は高齢者には厳しいのでは…と思っていたのですが、とんでもない。65歳以上の利用者も結構多く、かつ僕よりも重いウェイトを挙げている人たちもチラホラいるのには驚きました。
自分が知らなかっただけ、世の中は大きく変わっていたんだ…”お年寄り”なんて単純な言葉ではとてもカテゴライズできない、いろんな先輩たちが ここでも自分のすぐそばで 元気に活躍しているんだねー。
同じところに”定住”して安心を頼りに生きるのも悪くないけど、僕には…アドベンチャラスな状況に身を置く方がしっくりくるかな。
みょーな負けん気が身体の中心から湧き上がってくるので(^^; できることなら いつまでも新しい”峰”に登ってみたいな、と思うのです。
もちろん…繰り返しになっている”あたりまえの毎日”の中にも 探せば 刺激になるようなことが見つかります。
24Hジムに通い始める前…在宅で運動不足になりがちな体を甘えさせないため、1日15キロのウォーキングを日課にしていました(初夏でしたからね(;´∀`)
僕が住んでいる場所は都心から遠く離れた田舎町なので、5KMや6KMを歩いても景色があまり変わらないんです…下手をすれば”同じ市内に収まる”くらいの距離ですし。
コンビニやフランチャイズのレストラン、衣料店、ガソリンスタンドが品を変え 繰り返し繰り返し現れる、みたいな。
片道7.5KMの道のりを折り返すと合計で15KM。歩いている人も少ないし、実に快適だけど…いつも同じ風景では さすがに飽きてしまいます。
同じことを東京の真ん中でやってみたらどうだろう、と思い…直線で15KMウォーキングを 去年の秋に試してみました。
JR中央線の秋葉原駅を起点とすると…15KM先は荻窪駅。中間の7.5KM地点にあるのが千駄ヶ谷駅。
秋葉原から歩いてみると…地元でのウォーキングとはまったく別物、というか 荻窪までの15の駅の間に それぞれ全く違った景色が広がっていることに驚きました。
もちろん 人や車の数は地元よりは圧倒的に多いです。
でもそれ以上にびっくりしたのは…
道沿いに広がる家並、寺院や神社の雰囲気、歩行者の人々の服装、年齢層、街並みから漂ってくる匂い…
これらすべてをひっくるめて”文化”と言うものなのだ、としたら…
僕らは 実はまったく別々の世界に生きているのではないか、それくらいすべてが違っている…ということに 今さらながら気がつかされたことです。
電車や車による ”目的地に向かうこと優先”の移動は確かに便利だし、ピンポイントだけに 圧倒的に早いです。
けれども…省略されてしまったフレームの…それぞれのコマのすき間に埋められた風景にこそ、ほんとうの人間の暮らしが根づいているのでは…
同じ道を逆方向から歩いて行っても…異なる時間帯…朝、昼、夜を変えて動いてみても 自分の目に入る街は絶えず変わり、全く同じに見えるものは ひとつとしてありません…
2020年同様に 先の読みにくい一年になりそうですが…
今年も自分の足で道を歩きながら…せっかくなので 今しか味わえない景色を味わいつつ…楽しみながら新しい年を日々経験していけたらいいな。
これが 僕の新年の抱負。
本年もよろしく おねがいいたします<(_ _)>
なぎさのペンギン
年末も押し迫った大晦日に…いきなりですが…
「みなさんは”宇宙人”の存在を信じますか?」
そう問われたら、どう答えます?
もう40年以上もむかしのことになりますが、あるテレビ局が「COSMOS」というアメリカの科学ドキュメンタリー番組を放送しました。
番組の制作は故・カール・セーガン博士。著名な天文学者であり、のちに「コンタクト」(映画化もされました)という小説を著したSF作家としても有名です。
40年前はまだ一般向けのインターネットもなく、”天文学と宇宙物理学の違いは何か”すら 世界中の大半の人たちが理解していなかった時代。
当時、「COSMOS」は謎に満ちた深淵なる宇宙の姿を人々に教えてくれた、画期的で貴重な番組でした。
数字が苦手で、根っからの”文科系”人間を自認している僕が…なぜか「COSMOS」にはまり、やがて大のSF好きに。
セーガン博士はその後の僕の人生で、多くの時間を”科学”に触れるきっかけを作ってくれた 僕にとっての”恩人”です。
番組の中で、博士は視聴者にこう問いかけました。
「…これまでご紹介したように、宇宙には無数の恒星が存在し、その周囲を無数の惑星が回っています。
知的生命体が暮らし、文明を築いている星々も非常にたくさんあるはず…
なのにどうして、宇宙人は地球を訪れないのでしょう?
UFOの目撃のうわさ話ではなく…
正々堂々と”われわれは他の星から来ました、よろしく”っていう風な明確なあいさつが…
歴史が始まって以来…彼らから一度もないなんて、変ではないですか?
宇宙人はどうして地球にやって来ないのか?」
僕は答えに窮しましたが、博士の回答はこうでした。
「たぶん…この地球にわざわざやって来る必要性が…宇宙人たちにないからです」
地球よりももっと近くに文明が栄えている星があればそっちに行ってしまうだろうし…
たとえ、わりと近くにいたとしても…
”地球なんて まだ原始的で野蛮な星じゃん、宇宙全体のことを考えるどころか地球上の問題すら満足に解決できるレベルにないんだから 訪問する価値なんかないよね”
って思っているのかもしれない。
しかし、これ…他の星からの来訪者、だけの問題とは 思えなくなりました。
人が行動を起こす…のには…いつだって必ず なんらかの理由があります。
「自分は こんなにも〇〇しようと一生けん命なのに、なぜ相手は自分のことを認めてくれないんだろう」
毎日の生活の中にあるさまざまな場面で、ついつい思いがち…
でも…それは あくまで自分が下した 一方的でかたよった判断。
“自分から目線”って “自分は絶対に正しい”って疑わない うぬぼれの感覚にも通じるじゃないですか…
最初の出発点から 自分と相手のどこが違っているのか きちんと調べてからモノを言う必要がある。
そこを見落としたまま 色々なものごとを自分の都合に合わせて解釈することの危険さを 年々より深く感じています…
そもそも…正しい、まちがい…の2つしか選択肢がないなんて…どうよ?
「相手と自分は違う考え方だな、でも 共に生きていくためには最低でもこの点だけは同じ価値観を共有したいな…
そのためにはどうやって相手に近づいていこうか、心を開こうか…あるいは 相手に自分の考えに対する関心をもってもらえるだろうか」
興味を示してくれる人は、自分じゃなく、相手の方から自然と近寄って来ますよね…
近寄って来る必要性、理由があるからこそ で。
多様性、と口で言うのは簡単だけれども…
いちばん根っこのところから 自分以外の存在のことをきちんと理解しようとしているだろうか?
なぜ相手がそう思うのか、もしその考えが自分と違っていたとして どう対話していけばいいのか…自分のレベルを離れ 時には じっくり考える…
相手が感じている”必要性”について 手探りを重ねながらでも ”謎とき”をしようとする意思はあっただろうか
いや あるだろうか?…これがクリアできなきゃ…そもそもコミュニケーションが成り立つはずもないんじゃないか…
テレビの画面には 東京・渋谷の風景。カウントダウンでごった返す若者たちの姿が映し出されています。
「怖くないわけじゃないけど、議員さんだって飲んでるでしょ…なんで若者たちだけ別扱いされるのか、意味が分からない。気をつければ大丈夫なんじゃないすかね」
インタビューに答える学生の姿を見て 思いました。
彼らを非難するのは簡単だし、僕個人としては 禍中の最中のこのふるまいに 賛成はしかねます。
でも…
単純に彼を、彼らを”いさめる”だけで問題は解決するの?
われわれ大人は どれだけ周到に 彼らを説得できるだけの工夫をしてきたの?
今まで何十年にわたってそうだったし…少なくともこの8か月だけだって 何らかの努力はできたはずなのに…その結果がこれ、なんだとしたら…
誰かのせいにするだけ、責をなすりつけるだけの姿を見て “自分の行動を変えなきゃ”なんて誰が思うだろう。
必要性を理解してなきゃヒトは行動を起こさない の いちばん分かりやすい例が 実は 自分のすぐ隣にもある。そう思わずにいられません。
あいつら理解不能の宇宙人だから、と軽蔑するだけの大人こそが…現実に目を向けられない、理解していない 一番の異星人なのかもしれない…
じゃない(;´∀`) ?
2020年くらい…セーガン博士の言葉が強く心の中によみがえった年はありません。
はるか向こう側の世界から…博士が現在の地球の姿を見ていたら どう思うでしょう?
苦笑している?
コールドムーンの明るい光のもとで、思わず 夜空を見上げたくなります。
来年は…今年よりも みんなの笑顔があふれる年になりますように(^^)
なぎさのペンギン
”いつもの夏と違うんだ…”
毎年 7月になると口ずさみ 神宮球場で聴いていた 自分には夏定番のこの曲…
今年は自宅でヴァーチャルプレイ中です。
スマホの画面をTV画面にミラーリング、サラウンドで楽しめるとは 便利な時代だよねー
…と思うけど、やっぱり3万人で一緒に楽しみたかったー
2020年も中盤にさしかかり、1年の半分が大騒動の中で終わってしまいましたが…
みなさんはいかがお過ごしですか?
おかげさまで 僕に大きな変化はありません。
にしても…長梅雨のあとに いきなりど真ん中の夏…
今年は冷夏だな ! って勝手に決めていたので 気持ちの切り替えが大変です。
・No more エアコン
僕は…エアコン… 苦手です(特に冷房)。
自律神経のはたらきが悪くなる…っていうのか…
エアコン→乾燥する→のどが渇く→冷水がぶ飲み→滝のような汗&おなかの不調…
という悪循環を繰り返していた時は すごくバテやすかったです。
なので、せめて自宅で過ごすときは できるかぎり扇風機のみ!を目指しています。
暑さへのセルフ対策は がまんできなくなったら 30℃くらいの水でシャワーを浴びるか(首筋が中心)
濡れタオルで体をクールダウン。そして扇風機、自然の風、せんぷうき~ w
冷たいものを飲んだり食べたあとは、なるべく温かいお茶。
繰り返すと なぜか汗がスッとひいてきます。
やりかたを間違えると熱中症になってしまうので…誰にでもおすすめできるわけでは ありませんが…
冷房に頼りがちで、やたら汗をかく方…逆に体を温める工夫をしてみては(徐々に様子を見ながら)
・マスクのある日常
6月にいちどオフィスへ戻り→感染の拡がりが勢いを増し返す→7月からリモートと通勤の生活が半々 です。
仕事場では 会議中もデスクワークをするときもずっとマスク着用。
それでも 水着素材の夏用の製品を手に入れることができたので(感謝)こまめに洗って使っています。
「もし世の中が落ち着いて 安心して暮らせる世の中になったとしても…数年の間は マスク生活を続けなくちゃいけなくなると思うよ…仕事でもプライベートでも…」
上司から言われ…最初は?だったけど …マジ そうかも…という気持ちが強くなってきている今日このごろです。
ある大手の外食チェーンが、”食事用に簡単に作れるマスク”を開発しましたが…興味ある~。
通っているスポーツクラブでも、受付で…額にピッとかざす 非接触式の体温計でチェックしてもらうのがあたりまえの風景になりました。
・ウェイクアップ・コール
在宅時間のだらけを防ぐべく 100均でキッチンタイマーをいくつか買い それぞれの部屋で活躍させることにしました。
目標は いろんな行動をとりあえず1~2分単位で区切って 時間内に終了させるようメリハリをつけること。
スマホをいじる時間、自炊する時間、掃除や洗濯の時間、仕事の時間、ダンベルの上げ下げ時間…
途切れがちな緊張感を維持するのに それなりの効果はありますね。
自分へのいいわけ…めんどいことやりたくねー、だりい、カラダいてえ、ねみー…
などにお悩みで、心にカツを入れてぶったたき起こしてくれる 強制的な “めざまし” を試したい方には ぜひ おすすめ!
もちろん、何から何まで管理となれば しんどいですけど(^^;
・プール
多くの屋外プールが休業中で 水泳が好きな自分にとって 今年はすごく残念です。
聞くところによれば、感染対策のためだけ でなく…受付やライフガードを担う学生が(学校のスケジュールの関係で)確保できなくなっている影響もあるのだそう。
僕らの生活って、ほんと…無意識のうちに 誰かの生活とつながり 影響しあっているんですね…
しかし…この間、入場の人数制限をした上で営業している屋外プールを見つけ 自分なりの対策の上で 泳ぎに行きました _(・o・ )へ 。゜:
屋外プールは塩素の匂いがこもらない、なんといっても そこが最大の魅力。
プールの底は青、顔を上げると水の上も青空…しぶきに反射してキラキラ飛び散る光 ! 気分は小学生 w
今年は 海水浴はもちろん…GoToなんちゃらのキャンペーンでどこかに出かける…って気持ちにはなれないし、静かに過ごす時間が増えそう。
せめて泳ぐ時くらい 夏の気分にひたりたい と思います。
大雨、猛暑…この夏も不順な天候が続き、おまけに…先の読めない不安定な毎日…気分も上に下にと動きがち…
改めて思います…
人間って…本当に限られた条件でしか生きられない…か弱い存在だなー って。
でも
未来になって今年を振り返ったときに…”しけた記憶” のままで終わらせたくはないな。
晴れの日も くもりの日も 雨の日もひっくるめて の日常なのだから…
いつもの夏とは違うかも知れないけど…たったいちどの 2020年の夏なんで !(^^)!
動画は2年前 地震からの復旧後に訪れた熊本県の菊池渓谷(自家製ムービー)と
今年は開催できなかった新潟県・長岡市の花火大会。
過ぎゆく夏と いつか訪れることが待ち遠しい これからの夏へ向けて☆
なぎさのペンギン
前回の日記から5か月。
…いろいろと ややこしい世の中が続いていますね。
最近 個人的に僕が気になっているテーマが いくつかあって…
今回は それらについて書いてみようと思います。
1つめは「常識」。
今回のパンデミックで改めて感じたのは…
治療のおかげで 毎日、安心して生活ができているのはすごくありがたいことだけど…
そのことに甘えきり、慣れきってしまうのも いけないな…これからは…
今回のような”危機”に立ち向かえず 思考停止になっちゃうかもな…という自己反省でした。
理由は…ウィルスそのものが つねに人間の常識通りに動いてくれるわけではないから です。
突然ですが…
”集団免疫” という言葉を聞いたことがあると思います。
「ある集団の中で、そのウィルスに免疫をもつ人が一定の割合に達すると、感染の拡大にブレーキがかかり 終息に向かうこと」。
新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のニュースでよく取り上げられており、僕自身 よく耳にします。
ただ、これを
「ウィルスに感染すれば体の中に抗体ができ、抗体は免疫として 外からの敵をやっつけてくれるんだ」
「うん、免疫のはたらきでしょ。たしか 同じ病原体に2回は感染しないんだよね」
と… 単純化して理解している人が 多いような気がして… 少し気がかりで。
HIVでは
「たとえ抗体が作られても、それが体を守ってはくれない(毒を中和して無毒化する作用が弱い)」
ため ワクチンの開発が難航し、数十年たった今も いまだに完成できていません。
(僕らが毎日、抗ウィルス薬を飲み続けないといけない理由は これですね)
現段階の研究だと、SARS-Cov-2(新型コロナウィルス)の抗体は 一定の時間がたてば消えてしまう可能性が高い、という見方をする専門家が多くなっています。
なので SARS-Cov-2のワクチンの開発も ほんらいは時間をかけ じっくり研究していく必要があります。
ウィルスはそれぞれに性質が異なり、”このウィルスがこうだったから 類似しているこちらでも同様の結果になるだろう”と シンプルにあてはめることができない という難しさがあるのだそうです。
つねに、人間の想定外の方向へ向かっていく…というのか…
2003年に流行したSARSの場合、毒性が非常に強力でした。
感染した人たちはすぐに重症化し ほとんど動き回ることもできず 不幸にもそのまま亡くなってしまう、という結果になりました。
だからこそ”封じ込め” ができて、強毒のわりに死者数も少なく抑えられた。
“クラスター対策”という考え方が確立され 予防にきわめて有効と考えられました。
でも…これでは ウィルスじたいにとっては無駄死にで 仲間を増やして 外へ広がっていくことができません…
そこで毒性を変化させ…多くの人に 多くのウィルスがとりついて 生き残れるように ”進化” したのが 今回のSARS-Cov-2という… われわれにとって 想定外の存在です。
安心は 自分の常識の上になりたっています。
でも 常識がいつまでも常識であり続けることができるかどうか…なんの保証もない…
ということも 頭のどこかに…チラリとは…しのばせておかなくちゃ いけないな。
もし、SARS-Cov-2の状態が落ち着いても…それ以外の 新たなパンデミックが起きる可能性だって 否定はできないので。
僕の中では…治療によって健康に対するある程度のコントロールができるHIVと…まだまだ正体の分からないSARS-Cov-2は 完全に別モノ。
全く別の”脅威”と考え ”想定外”も”想定内”のうち、と心しながら 生活していきたいですね。
とりあえず できるのは…今のHIVの治療を怠らずに 続けること。油断しないこと。
でも…緊張しっぱなしだと 絶対 途中で息切れしそうだね…(^^;
安全そうな気分転換の方法をさがしながら ね~ W
2つめは…「コミュニティ」。
今年の7月、オンラインで COVID-19 についての国際会議が開催され、僕はネットで視聴しました。
「集団の中にCOVID-19のメッセージを広める方法として かつて作られたHIV/AIDSのコミュニティのやり方が 大いに参考例になるだろう」
というのが 多くの専門家の方々の意見でしたが…僕は正直?と感じました。
人種や民族が多様なヨーロッパやアメリカのような国々では 日本と違い 人々はもともと地理的に”散らばって”暮らしてきました。
離れていれば自然と… 文化も習慣も 人々の生き方もそれぞれ変わってくるので…政府かひとつにまとめるよりは効果的かな…たしかに納得できそう、とは思います。
でも、日本で”コミュニティ”と言われても…みんなあんまりピンとこないんじゃないか…って。
「国」とか「県」とか「市」とか…そういう公共のしっかりとした母体が対策を行ってくれれば そっちの方に安心感をもつ人が多いでしょうから。
いや、待て …と 気がつきました。
法律で規制したり、警察が入って取り締まる考え方は 権力をもつ側の解釈によって変わるので”暴走”が起きやすいんですよね。
アメリカでも 現在進行形でそれが起きている…”BLACK LIVES MATTER”が良い例でしょうか…
「家にいろ、と言ってるのに 好き勝手に出かけて遊び回る、コイツらは手に負えん ! 力で無理やり閉じ込めろ」
という考え方に…そうだそうだ、と大勢が同調していく流れができはじめている としたら…
自由が失われるのは怖いですし、確かに強制的になにかを押しつけられるより お互いの間で約束を守るほうが人間らしいやり方だな、と 僕も思います。
会議の専門家たちの”コミュニティ”発言のウラには…人々による”自治”という考え方を 重要なものとして扱いなさい、という思いも込められていたような気がします。
どんなに政府に指導力があっても、保健のシステムが強固であっても…主役はあくまで「ヒト」。
人間がどう考え、互いに協力して 危機から身をかわすことができるかどうか…です。
HIV/AIDSが世界に広がった80年代、90年代…
他人に無関心でいるうちに 自分の社会の中でどんどんと広がり、気がついたら周囲の人たちがバタバタと病に倒れていった…という光景が あちこちで繰り広げられました。
そこで 過去の反省をふまえ アメリカを始め 世界のあちこちでコミュニティが作られ、組織やリーダーが生み出されていきました。
HIVに比べ SARS-Cov-2は感染のスピードが格段に速い、という大きな違いはあるとしても…
人から人へウィルスが伝わっていくという事実には 変わりはありません。
そして40年。
当時 まだ生まれておらず HIV/AIDSを知らない若い世代が 今や社会を支える中核へ成長しました。
…今回のパンデミックは その最中で起きた、ということですよね。
最近 ハッとさせられたのが アナウンサーの赤江珠緒さん(僕は彼女の番組のリスナーです)。
自ら感染した体験を基にお話をされていましたが、話の中味が現実的 かつ率直で 分かりやすかったです。
夫婦そろって感染してしまったら 誰が子育てをするのか、誰がごはんを作るのか、未知の病気にかかったという不安の中で、誰にグチを聞いてもらったらいいのか…
すぐ身近で起きそうでいて… いざ わが身に置きかえた “自分ごと”としてあてはめることのできる人って なかなかいないのでは?
彼女が担当しているラジオ番組のリスナーは 同世代の男女で 子育ての経験済み、もしくは経験中の人たちが多めだと思います。
そう…同じラジオ番組のリスナー同士って… 似たような価値観…”共感”で結ばれたコミュニティのメンバー…なんですよね。
ポイントは「同じ仲間、だからこそ守りたいと思える」存在かどうか…ということでしょう。
COVID-19でも いろんな人々に向けられる理不尽なバッシングが続き つらい気持ちになります。
一児の親である赤江さんにとって勇気のいる決断だったはずですが メディアに出る側の人として すごく重要なことをなし遂げてくれたことは ファンとしてもすごくうれしいな。
彼女のように やわらかいメッセージを “一般ピープルの目線”で 伝えてくれる人が増え…
それぞれのコミュニティで それぞれの意識が少しでもシンクロしてくれたら…そう 願わずにいられません。
そして…3つめは「Survive、生き残ること」
予想どおりに、というか…予想していた以上の長期戦が 避けられない見込みになってきました。
だからこそ…”目に見えない相手”を前に ムダな感情や体力は消耗したくない。それが 僕の本音です。
人間の感情は簡単に動かされやすく 最大の利点にして欠点である という出発点に立ち返って じっくり かみしめて。
生き残るための その手前で 自滅しない。
It’s times like these you learn to live again.
(こんな時代だから 自分の生き方をもういちど学ばなきゃ)